昨年から今年にかけて様々な変化があり、そして新たな発見もありました。
私の心の中には光と闇の部分があります。
最近では、その闇の部分と対面することが多く、何かと落ち込んだり
いろいろと考えさせられることがあります。
それも自分自身を知るためだ…とわかっていながら、その闇にどっぷり浸ってしまいます。
今回はその心の中の光と闇についてのお話です。

<心の中の光と闇>

 私は自分探しの旅の過程において、自分に起きる出来事や置かれている状況はすべて必然である…ということはわかっているつもりでした。私達は本来、肉体を超えた魂というエネルギー体の存在であり、魂が智慧をつけ進化していくために肉体をまとい、日々の出来事・状況から学びを得るために、様々な体験をしている…ということも理解しているはずでした。よく精神世界の本などに「善と悪・光と闇・神と悪神の戦いが始まる…」などと書かれているのを見ると、まるで自分とは関係のない外側の世界で、何かが起きるような印象を受けてしまいます。この旅を始めて、私の魂(直感・光)は自分自身をどんどんクリアーにしていきたい…と願っているのですが、エゴ(闇)が時々顔を出してその邪魔をします。最初はそれがいやでいやでしょうがありませんでしたが、ふと自分のエゴは光を求めているような気がしてきました。もしかして、光と闇の戦いって自分の内側の世界のこと?…と思いましたが、私の中では「戦い」という言葉より光と闇の「調和」の方が合っているような感じがします。

 いろんな出来事を通して、自分の中から湧き起こる様々な感情は、あらゆる自分を教えてくれます。嬉しい時や楽しい時は別に問題ないのですが、怒りや悲しみなどの感情に浸っている時は本当に苦しくて辛いものです。例えば、誰かと喧嘩して怒っている時には「必然的に起きたことだ」「自分の波動が引き寄せたものだ」「相手は前世の自分の姿だ」と頭では理解していても、どうしても最初は相手のせいにしたり状況のせいにしてしまいます。驚くほどに相手や状況を責めて責めて責めまくる自分がいます。そして今度はそういう自分に嫌気がさして自己嫌悪に陥ります。わぁーわぁーと怒っていたかと思うと、おいおいと泣いてしまいます…そしてグッタリと疲れ果てるのです。「感情は、その感情を良い・悪いと判断するのではなく、そういう感情が自分の中にある…ということを知るだけで良いのです。」とみどり先生は言われます。しかし、私の中には、まだまだ知る必要がある怒りや悲しみなどの恐怖心がでてきて、いろんなことに良い・悪いの判断を下して裁いている自分がいます。

 以前はそのような感情が湧き起こったとしても、じっくりと向き合うこともなく怒りの感情は悪いものだと決めつけていました。「前向きに考えなくっちゃ!」となかば強引にプラス思考を装って、自分の中の否定的な感情には目を背けていました。しかし、今回のように立て続けにいろいろと起きてくると、装っていること自体に無理が生じてきて、違う苦しみがやって来るのです。きっとどんな感情であっても、それを封じ込めることは自分自身を否定しているのと一緒なのでしょう。怒っている自分、泣いている自分を悪い状態だと否定的に捉えずに、逆にこれも自分自身の一部なのだと認めて、素直に表現することで新たな角度でその感情を見つめることができるような気がします。

 先日、私は探険隊の相棒である海夢と大喧嘩をしてしまいました。10年来の付き合いで、今までにも意見の相違や多少の価値観の違いなどはありましたが、喧嘩をしたことはありませんでした。それが、取っ組み合いの大喧嘩ですから、もうビックリです。まず最初にお互いに相手のせいにして責め合うことから始まります。責め合っているうちに段々とツジツマが合わないことを言い出します。それをまた指摘し合うのですが、ツジツマが合っていないことは自分自身でもよくわかっているのです。お互いに怒ってはいますが、めちゃくちゃな言い訳に内心おかしさも込み上げてきます。そして、ここで笑うわけにはいかない!責めることをやめちゃいけない!とプライドというエゴが私に語りかけます。途中でその大喧嘩を上で見ている自分の存在に気づきました。

 何でこんなに相手を責めている自分がいるのだろう?と思いました。相手のせいにして自分の外側に原因を押し付ければ、自分は常に正しくて変化する必要がないという安心感に浸っていられます。自分は正しくて、間違っているのは相手だと決めてしまえば、精神的なことに興味を持つ以前の自分と何ら変わりはありません。相手は自分の鏡でした…自分も攻撃しているのですが、逆に攻撃されることで自分自身が見つめていなかった感情が湧き起こってくるのがよくわかります。今まで良くない感情として真剣に取り扱っていなかった感情です。しかし、じっくりと見つめてみると、こういうことをされると怒る自分がいる…こういうことを言われると悲しむ自分がいる…結構小さなことにこだわっている自分を発見します。湧き起こった感情の存在を素直に認めてしまうと、不思議と自分自身や相手や状況を責めることも裁くことも少なくなっていくようです。

 良くないとされてきた感情の代表に怒り・悲しみ・不安などがあります。何故このような感情が湧いて来るのかを突き詰めて考えてみると、結局のところは○か×で物事を考えている自分を発見します。そして苦しかったり辛かったりするのは、反応を気にしてその感情を正直に伝えずに我慢することから始まるような気がします。実際にその感情が存在しているのに、そういう感情があることを隠してしまうこともあります。どうしてその感情を隠したいのかを見つめてみると、やはりプライドが許さなかったり、波風立てずに良い人を装っていたい…というような心の働きがあります。自分を正直に表現することの方がエゴだと思いがちですが、本当の気持ちはこうなのだとわかっているのに、それを隠そうとする想いの方こそがエゴなのだそうです。自分自身を欺いてるということなのでしょうか…なるほどと思ってしまいます。

 私は自分の中の直感とエゴの違いがわからないでいるところもあります。しかし、様々な感情を見ているうちにエゴは心を重くしていくのが好きなのだなぁ…と思います。そして、自分の心の不調和が引き寄せた望まない現実を、自分以外の人や状況のせいにするのも大好きな感じがします。そう思えば思うほどエゴは力を増し、心や身体を重くしていきます。そして、それが爆発すると病気や新たな問題となって現れてくるようです。これらの悪循環を止めることができるのは、自分自身だけです。その闇にどっぷりとはまってしまうと抜け道や、ましてや光など全くないように思われます。この世でこんなに苦しんでいるのは「私だけだ」と思ってしまいます。このように自分のエゴととても仲良しになってしまうのです。きっとエゴもそういう私の方がとても好きなのでしょう…しかし、残念ながら私は闇の状態でいたいとは思っていないのです。

 今まで私は自分の闇の部分を真剣に受けとめてはいませんでした。目を向けたくなかったですし、認めたくはなかったのです。宇宙全体が分離から統合へと向かっている中、闇の部分を認めざるを得ないことが次々に起きてくると、自分の中で無視してはいけないことなのかな?という気がしてきます。これまでは自分が悪いと判断した感情は絶対に外には出してはいけないと思っていました。しかし、それがどういう感情であっても自分が心から表現したいことは、素直に表現してみることが一番だと思います。素直に表現したことでその時に何らかの反応があると思いますが、その相手の反応に対する自分の反応(感情)を重視してみることがポイントのようです。一瞬一瞬、心にどんな感情が湧くか…など意識したことがあまりなかったように思います。自分を知るということは、こういうことの繰り返しなのでしょう。人間関係が自分の鏡であるというのも、その人々が自分の中にある様々な感情を映し出してくれるものだということがわかってきました。正直に反応してくれる人々は自分にとって本当に感謝すべき人々なのだな…とつくづく思います。

 ある方の説によりますと「人生は許すことを学ぶこと」なのだそうです。許すということは悪い事をしたのだけど許す…という意味合いではなく、受け入れるという意味なのだと思います。私達は○か×ですべてを裁いてしまうことから、なかなか抜け切れないので「許す」という言葉が一番わかりやすいのでしょう。「人を許すことは、自分自身を許すことになる」ということも何となくわかるような気がします。自分や人や状況を許せないと思うことでも、それを成長や進化のためのプロセスだと受けとめ、今の私に必要な現実を自分が引き寄せたのだと知るだけで反応の仕方も心のあり方も以前とは違ってくるのでは…と思います。長い間、自分で封じ込めていた闇の部分は、存在を認めて欲しくて私の中の光から、ただ見つめて欲しかっただけなのかも知れません。

 そう考えると心の中の光とは、自分をありのままに受け入れる力のような気がします。ありのままとは、今までつけてきた○印や×印の自分自身のすべてです。○×をつける必要などなく、どういう時にどのような感情が湧いて、どんな価値観からその感情になるのかを知ればよいようです。感情から自分の価値観を知ることができるのです。特に今まで避けてきた自分の闇からでてくる感情には、大きな学びが潜んでいます。なかなか見つけることができなかった宝物です。闇に宝が隠れているとは驚きですが、その宝を発見するたびに怒りや悲しみ・不安などの感情の出番がだんだんと少なくなってくるようです。闇が光へと少しずつ変化しているのでしょうか…まだまだその作業は続きそうですが、次の宝はどんな宝が出てくるのかも楽しみです。自分の中の闇も私にとっては大切なものだったのだなぁ…と思います。きっと皆さんの中の心の闇も私の闇と同じ想いでいるような気がします。

∞ 月ノ宮 沙季 ∞


        
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