これまで私達は自分達の外側ばかりに目を向け
社会が悪い、会社が悪い、誰々が悪い…と周りのせいにしてきました。
しかし、ここに来て自分の内側(心)へと関心を持つ方が増えてきたように感じます。
自分達を取り巻く人間関係が、すべて自分のためにあることに気づき始めた時
今まで自分の中の常識だったものは打ち破られ、新しい自分へと生まれ変わります。

今回は人間関係について松尾みどり先生のお話をふまえて
月ノ宮なりの見解?をお話したいと思います。

<人間関係の謎>

 本当に長い間、私達は人生の充実感を外の世界へと求め続けて来ました。地位や名誉・お金や物に満たされていたとしても、自分自身の内側へと目を向けない限りは、心は空洞化(満たされない)状態だということに今それぞれが気づき始めています。多くの方が自分の内面(考え方や感情)に興味を持ち、本来の自分へと戻って行こうとしています。子供の頃から私は漠然と「人間ってどうして生きているのだろう?」と不思議でしようがありませんでした。大人になってからも「人はそれぞれの人生をそれぞれに、ただ生きていくだけのものなのだろうか?」と答えを得られずに日々を送っていました。その中でも人間関係というのは最も不思議なものの一つでした。

 人間関係の不思議を最初に意識したのは、やはり両親との関係だったように思います。「何故、私の親はこの人達なのだろう?」と何度も考えたことがあります。私は、父親が嫌いでした。小さい頃の第一印象から嫌いだったような気がします。昔気質の人で家長制度をいまだに引きずっている感じです。すべて自分の思い通りにならないと気が済まず、自分の言うことがこの世で一番正しいと思っている人です。もちろん他人の言うことには耳を傾けることもなく、反発しようものなら最後には暴力行為となるのです。子供の頃は、そういう父に対して無力でしたが、私なりの考えが自分の中で確立し始めた頃から父との対立は激しくなる一方でした。

 その父と私の間に板ばさみ状態となったのが、母でした。母は父と対照的で言いたいことも言えずに我慢の人生を送ってきました。心優しい母でしたが、父に対して何も言い返せない母を見て、私は内心「情けない母…」と思っていた時期もありました。喧嘩をしても父から、うまい具合に言いくるめられてしまうのです。父に対する憤りと母に対するジレンマから「なんであんな人と結婚したの?」と何度となく母を責め立てたこともありますが、母はただ涙を流すだけで何も答えてはくれませんでした。

 ある日、その関係の構図がガラガラと音を立てて崩れ去るきっかけとなった事件が起きました。60歳を過ぎて父が「離婚する!」と言い出したのです。常に一方的で身勝手な父の言動・行動についに母の堪忍袋の緒が切れました。私個人としてはお互いが納得していれば離婚してもよいと思っていましたが、母は今度ばかりは簡単に父の言いなりにはなれないと思ったのでしょう。喧嘩が始まりましたが、何かがいつもと違います。母が長年の結婚生活で我慢してきたことを、父に正直に話し始めたのです。いつもと違う母の態度に父は戸惑い、矛先をどういうことか私へと向け始めました。私も両親が離婚して家族がバラバラになるのなら、それはそれでいいし、もう何も我慢することはない…と思い、両親に対する思いのすべてを正直に話し始めました。

 最初は母が不満に思っていることを代弁したため、父は怒りの感情もあらわに手を上げかけましたが、私は何故か冷静で「叩いて気が済むのなら好きなだけ叩いていいよ…」と父に言いました。私の中にも父親に対する不満があり、告げずにはいられずにその度に喧嘩をしてきました。しかし、夫婦として見てみると尊敬できる部分もあり、たまに喧嘩はしてもこういう夫婦も悪くないと内心思っていたことも事実でした。でもそのことを両親に言葉として伝えたことは一度もなかったのです。私は両親の前で父と母の好きなところや本当は尊敬していることを話し始めました。最後の方には感謝の言葉を告げていたように思います。

 静かな空気が流れ、穏やかな雰囲気になりましたが父は意固地のままで、「自分の生き方は変えない!」とだけ言ってその場を離れました。母はいつもですと「ちょっとお父さんに対して言い過ぎじゃない?」と言うのですが、今回は「私の分までよく言ってくれたね…」と喜んでくれたのです。父はその日から3日間寝込んでしまいました。私はその日から1週間ほど父と話す気にはなれませんでした。

 口を利くきっかけは、台所で父が母に「喧嘩しても親子の縁は切れない…」とか「あいつの父親はこの世に自分一人だ…」と言っているのが聞こえたからです。たぶん私に聞こえるように…と思っての言葉だったのでしょうが、まるで父が自分自身に言い聞かせているようでもありました。一週間も経てば私も言い過ぎたことがよくわかります。素直にそのことだけは謝ろうと思いましたが、正直な気持ちだったことも伝えなければならないと思いました。父にそのことを告げ、いつも通りの生活に戻りました。しかし、その日を境に父は母のことを気遣うようになり、私に向けられていた厳しい目も柔らかく感じられるようになりました。父の中で何かが変化したのです。

 松尾みどり先生と出逢ったのは、それから随分後のことですが何度目かの講演会の時のテーマが<生と死>でした。今までに得られなかった答えをその中にいくつか発見したような気がしたのです。その中の一つが「魂の約束」のパートにでてくる日光菩薩・月光菩薩の話です。まさに私にとっての両親は、それぞれが両方の役を見事に演じてくれたと思いますし、自分を正直に表現した私は両親にとっても同じだったのでしょう。言いたい事を口にし、したいことを行動に移すマイペースの厳しい父ですが、自分を省みることがないのでいつも何かに怒っていましたし、母は優し過ぎるために我慢に我慢の人生を送ってきました。私はそういう二人を自分の両親にすると決め、過去世を演じ合う約束をして生まれて来たのです。

 私はこのように対照的な性格の両親のもとに生まれたせいか、両極にあるもの(この場合、厳しさと優しさ)はどちらか一方に片寄るのではなく、バランスが必要なのだということを教えられた気がします。そして、お互いが我慢し合うことなく心にあることを正直に話したことで、父は自分自身を初めて振り返り、母も私も本来の自分をじっくりと見つめられたように思います。それぞれが自分の強さも弱さも素直に表現できたことが、関係を変える大きな力になりました。その状況にいる時はとても苦しかったのですが、今では信じられないくらい調和のとれた関係を保つことができています。

 親子関係だけでなく、夫婦・兄弟・恋人・友人や仕事での人間関係などにおいても、自分にとって不都合なことはとにかく相手のせいにしてきました。自分以外に原因を見いだすことが癖のようになってしまっているのが今の私達ですから、心の中はいつまでたっても満たされずに、見失われてきました。みどり先生によると、人間関係は本来の自分を取り戻すための学びの場だと話されます。私も今までは嫌な人に出逢えば、自分の心を嫌な感情で満たし、影で悪口(その時は悪口だとは気づいていない)を言ったりしてました。しかし、その人は私が前世で学び損ねた姿を再現し、どういう感情が自分の中にまだ残っているかを教えてくれる存在だったのです。そして、残っている感情(例えば、怒り・嫉妬・不安・悲しみなど)に対しては、自己嫌悪に陥る必要はなく、自分の中にはまだそういう感情が残っていたんだなぁ…と善悪の判断をせずに、その<感情の存在を知る>だけで良いとみどり先生は言われます。

 このように自分の人間関係を受け止めてみると、自分の中の様々な感情や考え方が認識でき、関係にも変化が表れます。過去にどうしてもうまくいかない上司がいましたが、結局嫌いだ嫌いだ…という気持ちばかりで、その上司を上司として認めていない自分がいたことに気づきました。それ以後、関係は不思議なくらいにスムーズなものとなりましたが、その時の学びは自分を認めて欲しければ、まず相手を認めること…だったような気がします。人は自分のフィルターを通して物事を見ているだけだそうです。バラ色のフィルターをかけて物事を見つめているのか、グレーのフィルターなのか…人間関係や出来事を通して自分の今のフィルターの色や状態(考え方の癖)を知ることが大切なようです。そして、そのフィルターを自由に選択できるのが私達です。自分の現実が望むものでなければ「そのフィルターは替える必要がありますよ」ということを示唆してくれているのでしょう。

 ですから、よく「相手は自分の鏡だ」と言いますが、こういうことなんだろうなぁ…と思います。対人関係を通して自分の考え方のパターンを知ることは、本来の自分へと近づく第一歩のような気がします。自分にとっての困った存在(月光菩薩)には心から感謝したい…とみどり先生は淡々と話されますが、今までにはとても考えられなかった価値観です。この人達がいなければ自分の過去世や自分の状態を知ることができないからだそうです。どうやら一番学ぶことが多い人と、関わりが深かったり縁があったりするようです。うまくいかない人間関係は、今まで相手のせいにすることが当然で、本当の目的からずれたものになっていました。人間関係の真の目的は、それから何かを学び自分を知り成長していくことですから、そういう視点で捉えることができると、自分を取り囲む人々は本当にありがたい存在なんだなぁ…と思えるようになるのではないでしょうか。

 私達はそれぞれに自分の魂を成長(進化)させるために、体験からの学びで得た智慧が必要で、輪廻転生を繰り返してきました。しかし、今世では二度と同じ過ちは繰り返さないと多くの魂が決心し、日光菩薩や月光菩薩の役目を持つ人々を協力者として要請し生まれてきているそうです。最初は私も半信半疑でしたが、その話を聞く前の段階で過去を振り返って見て、自分の中では「人間関係はそういう仕組みかも知れない…」という想いもありました。無意識の内に問題を通じて自分自身を見つめ、解決してきたことが皆さんもたくさんあると思います。すべての存在が自分自身を知るためだと本当にわかり始めたら、苦手な人にも素直に心からの「ありがとう…」の言葉が飛び出してきます。そして、なにより自分自身がクリアになっていくのが感じられるようになります。私も少しずつではありますが(宇宙から見るとまだまだでしょうが)、クリアな自分自身に近づけているような気がしています。「宇宙の仕組みって本当に本当にすごいなぁ…!」と感じる今日この頃です。

∞ 月ノ宮 沙季 ∞

        
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