こんにちは!お元気ですか?
私達はいつも様々な人々との関わりをもって生きていますよね。
身内や友人、恋人、学校・仕事関係など多くの人々との繋がりがあります。
今日はどのような交流があって、どのような出来事が起きたでしょうか?
楽しかったり、うれしかったり、時には腹立たしい気持ちになることもありますよね!
しかし、そのすべてが自分自身を知るためのものだ…と最近思えるようになってきました。
どんな小さな縁でも出来事でも、それは偶然ではありません。
これには大きな秘密が隠されているようですが、
あくまでも月ノ宮流の解釈です。
さあ、皆さんはどのように感じられることでしょう。

<魂と縁>

 私は現在、日本人の一女性として存在していますが、時々夢の中では自分自身が外国人だったり、男性だったりします。夢の中の時代も様々で、登場人物も顔や性別が今と違っていても「あっ…○○さんだ!」とわかったりもします。そして、目覚めるといつもの夢とは違うことをとても実感します。これは本当に単なる夢なのでしょうか?夢の主役は私達の潜在意識だと言われており、その潜在意識は過去世(前世)からのすべてを記憶しているとも言われています。皆さんも過去世という言葉は今までに何度も耳にされたことがあると思います。人間は何回も生まれては死んで、また再び生き返るという輪廻転生を繰り返しているというのです。しかし、新たに誕生した時には過去世のことはほとんど忘れていて、まるで今だけの生を受けているかのような気さえします。もしかすると、人間は死んでしまえば灰になって何も残らない…と思っておられる方もあるでしょう。しかしながら、私達が存在するということや意味がないと思われる些細なことも含めて、すべての事には理由があると言います。
 マチュピチュ遺跡
 皆さんはある国のある場所にふと心惹かれたりすることはありませんか?美術館や博物館でエジプトやアンデス・インカ帝国などの催しがあると大勢の人々が集まって来て大盛況です。私自身、子供の頃からある時期、ある特定の国(場所)に次々と興味が移っていきました。自分でも何故その土地に惹かれるのか理由などはわかりません。10年程前にペルー展に行った時のことですが、いきなり畳2枚くらいの大きさのマチュピチュ遺跡の写真がど〜んと目にはいってきました。初めて真剣に見つめたマチュピチュ遺跡の写真だったのかも知れませんが、じっと眺めている内にとてもその場所が懐かしく思われ、涙が溢れ出てしまいました。そして、瞬間的に私はこの場所にいたことがある…と思ったのです。現世では行ったこともないところに何故こんなに懐かしい気持ちが湧いて来るのでしょう。とても不思議な感覚でした。

 このような思いを体験するのは国だけではなく、趣味・嗜好などもそうです。あるジャンルの音楽や本、絵画やスポーツがとても好きだったり、食事やファッションの傾向・好きな色などいろいろとあります。これらはすべて自分の過去世を探るヒントとなります。そして、忘れてはならない人間関係があります。現在、縁がある人やこれから先に出逢う人々とは、過去世でも繋がりがあった関係のようです。よく結婚したカップルが出逢った瞬間に結婚すると感じた…という話を聞いたりしますが、実際に初めて逢う人なのに昔から知っているような気がしたりすることはあると思います。知り合ってわずかで好きになったり、お互いをよく知らないのに何故だか嫌いだったり…人間関係は面白くも不思議なものです。

 以前、<想念>で肉体と魂の関係は、私達が車に乗っている状態と似ていると書きましたが、車が壊れると新しい車に買い換えます。今まで肉体がなくなったとしても私達には次の肉体が与えられてきました。私は自分自身の体験から輪廻転生を信じていますが、肉体を変えていくことにどんな意味が込められているのでしょう。シャーリー・マクレーンは著書『ダンシング・イン・ザ・ライト』の中で過去世を探求していきますが、自分と恋人との関係が過去世では4回も親子関係だったことがあると書いています。私も両親が自分の子供だったり、弟が夫だったりした夢を見たことがありますが、それもきっと過去世の一部を潜在意識が見せてくれたことのように思えます。

 米国の精神科医が書いた『前世療法』(ブライアン・L・ワイス著・PHP研究所)に登場するキャサリンは退行催眠中「あなたは地球上に何回生まれましたか?」という質問をされて「86回です。」と答えています。そして、「その過去世のすべてを思い出す必要があれば、思い出すことは可能だ…」とも語っています。このように私達の魂は国や性別・姿かたちを変え、存在し続けているもののようです。魂が輪廻転生を繰り返すということは、魂にはある目的があるからだとは考えられないでしょうか。

 昨年の5月に私は車を運転している時に接触事故を起こしました。駐車中の車にぶつけたのですからほとんど私が悪いことになります。案の定、目の前でTELをかけていた見るからに怖そうなおじさんが、血相を変えて怒鳴り始めました。それはもう心臓が止まるかと思うくらいに激しいものでした。謝罪しても許してくれる気配は微塵もなく、私にとっては大金である額を要求されました。その時の私は何故か冷静で、松尾みどり先生のある言葉が頭に浮かんできたのです。「自分が今一番困っていると思われる人は、あなたの過去世を演じてくれている人です。そのような人と出逢った時は、自分のカルマ解消のチャンスです。」果たしてこのおじさんは本当に私の過去世を演じているのでしょうか?とても信じられないし、いつかの過去世がこんな風だったとは絶対に思いたくはありません。(おじさん、ごめんなさい!)

 しかし、その日の夜に一日の出来事をずっと振り返っていましたが、ちょっとだけ素直になってあのおじさんを自分の過去世の姿だと思ってみることにしました。どこかの過去世では、あのように一方的に攻撃的に周りの人々に接していた自分がいたのだと思います。きっと自分自身に満足しておらず、自分がとても嫌いだった時代なのかも知れません。そう思えるとおじさんに対しては、不安や恐れや憤りなどの感情はまったくなく、自分の過去世をただ演じてくれた人として感謝の気持ちが湧き上がってきました。私のカルマ解消のために現れたおじさんですから、何を言われても誠心誠意で接しようと決心しました。事故を起こしたことで周りがオロオロする中、私の心はとても平穏で何故だかグッスリ眠ることができた記憶があります。

 次の日の朝、私には事故処理の手続きが待っていました。例のおじさんにもこちらから連絡をいれる約束をしています。私は昨夜に決心したことを思い出しながら、身支度をしていました。その時、電話が鳴り、受話器を取ると昨日のおじさんでした。私から午後電話をするはずだったのになぁ?と思いながらもおじさんの話を聞くと「昨日のことはもういいから…」と言うのです。一瞬自分の耳を疑いましたが、おじさんの話は続きます。「お互い様ということもあるし、これからは気をつけて運転しなさい。じゃ…」と言って電話は切れました。狐につままれたような顔とは、たぶんこの時の私の表情のことを言うのだと思います。

 後日、おじさんのところへはお詫びとお礼に伺いましたが、とても紳士的で車を接触させた時と、とても同じ人物だとは思えません。この頃、私はみどり先生と面識はありませんでしたが、講演会には何度か足を運んだことがありました。講演会に行き始めて「私が探し求めていた答えだ!」と確信しつつも、心のどこかでは本当にそうなのかな…と信じきれていない自分がいたように思います。特に「困った人・自分との間に問題を投げかけてくる人は、自分の過去世を演じてくれている」「自分と繋がりのある人間関係は自分を映す鏡の役目である」という部分などはフムフムと頭では理解していたつもりですが、私の魂はまだそのことを体験として学んでいなかったのでしょう。

 みどり先生の話によりますと、人生の前半は過去世で感じた同じ気持ちを思い出す作業が必要だそうで、それは過去世での過ちを繰り返さないためのものだそうです。日々生活をしていると様々な感情が湧き起こってきます。特に人間関係においては頭にきたり、腹が立ったりと思い通りにならないことはたくさんあります。しかし、それらすべては魂が学びきれていない部分を私達に知らせるためのもので、湧き起こってきた感情に関わる人々は、誤った過去世を教えるために登場してくれた人達です。私も今までは相手を何とかしたい…と思いがちで、自分は何も変える必要はないと思っていました。接触事故のことも、以前の私でしたらおじさんの態度に憤りを感じていたでしょうし、ましてや感謝の気持ちなど湧くこともなかったでしょう。まったく新しい(魂はすでに知っている)価値観を取り入れ、自分が日常の出来事に対して反応を変えていくだけで、状況は面白いように変化していきます。

 自分の魂が、思い出せない多くの過去世での様々な体験をくぐり抜け、今日までやって来た魂なのだと想像すると、とても愛しくなってきませんか?そして私達を取り巻く人間関係は自分を知るための共演者で、共演者自身もそれぞれが主役の学びがあるようです。魂は学んでいくために国籍・性別・関係を変えて輪廻転生をしているような気がします。私達の魂は皆、たくさんの過去世を乗り越えて来た同一線上にあるもので、それぞれの立場の違いがあっても<魂の学びを与えられている>という点においては平等だと思われます。しかしながらあまりにも長い間、二元的な思考(成功失敗・上下・優劣・善悪・男女などのように物事を二つに分けて差別化する考え方)に包まれた三次元の世界にドップリと浸かっていたために、何かを追い求めつつも回答が得られないままでした。

 もうまもなく新世紀を迎えますが、時代の流れは新しい価値観へと移行し始めています。このHPを真剣に見てくださっている皆さんの魂とのご縁も偶然ではないでしょうし、いつかどこかの過去世でもきっとご縁があったはずです。共に自分探しをして答えを求めていた時代があったのでしょう…過去世では思うようにいかなかったのかも知れませんが、今世は大丈夫!という感じがします。私達は一人一人が主役であり、周りの人にとっては協力者である…という存在価値があります。存在するというだけで自分を知るというチャンスを与えられ、ありのままの自分を表現することで共演者に奉仕をさせていただいているということにもなります。何だか宇宙のしくみは想像を遥に絶するもののようです。しかし、冒頭にも述べましたが、今回のテーマは私流の解釈ですので、皆さんはご自分に湧き起こる感覚の方をどうか信じてください。自分の感覚の中にこそ、求めている答えが隠されているはずですから…

∞ 月ノ宮 沙季 ∞


       
ホーム       ネクスト