私は探険隊の旅を続けながらもいろんな角度から私なりの自分探しをしてきました。
その中で印象に残っているものの一つに<エニアグラム>があります。
皆さんも今見ている世界が昨日までと違って見えたことはありませんか?
私自身エニアグラムを知り、意識の一部が確実に変化したことを実感しました。
そしてそれを体験したことで、ある発見があり心がとても楽になりました。
さあ、エニアグラムとはどういうものなのでしょう…ちょっと一緒に覗いてみましょう!
エニアグラムという言葉を初めて耳にされた方もあるかも知れませんし、すでにご存知の方もいらっしゃることでしょう。私が初めて<エニアグラム>の存在を知ったのは、10年程前のある情報誌に紹介されていた講演会の案内文でした。『エニアグラムで変わるあなたの生き方・考え方』というもので、精神的な世界がとても大好きだった私は「エニアグラムって何?何?」と思いながらも当日は一人で会場に足を運んでいました。私が知らない世界をまた一つ知ることができる喜びと何が起きるのだろうという楽しみで何だかワクワクしていた覚えがあります。
エニアグラムは性格分析のような相性診断のような感じを受けます。しかし、その根源にあるものはどんな苦しみや悩みの中にあっても自分自身を生かし、幸せに生きる力がそれぞれに存在するというものでした。起源は約二千年前のアフガニスタンにまで遡り、その頃に基本的なものが構築され、中世にはイスラム教の神秘主義的宗派であるスーフィー派によって継承されてきました。
二十世紀を迎えてからコーカサス出身の神秘家ゲオルギイ・グルジェフ氏が西欧に紹介し、学者の注目を集めるようになりました。最近では1970年代にアメリカ・スタンフォード大学で物理学・心理学の学者達を中心に科学的な検証が加えられ、現代でも十分通用するすぐれた人間学として高い評価を得るに至っています。そして「エニア」というのはギリシャ語で「9」を意味し、「グラム」というのは「その力がどう動くか」を意味しているそうです。
日本では聖心女子大学教授の鈴木秀子女史が、’80年代後半に初めて日本に紹介し、現在も日本でのエニアグラム第一人者として各地で講演やワークショップを開催されています。私が参加した当時は今ほど知られていなかったはずであるにもかかわらず、会場には約200名程の方が集まっておられました。最初に<エニアグラム>についての簡単な説明があり、その後10ページ程のチェックシートがそれぞれに配られました。
チェックシートは、最初に自分の性格タイプを想定するためのもので、大きく9つに分けられた各20項目について該当するものをチェックしていきます。そして、1〜9までの中で一番チェック数が多かったものが取りあえずの自分の性格タイプということになるのです。約20分かけて各々が自分の性格タイプを知ったところで、同じタイプの人同士がそれぞれグループを作って集まり会話をするというものでした。200人が9つに分かれるのですから、単純に考えると1グループは約20人程になるはずですが、あきらかにそれよりも多かったり少なかったりするグループもでてきます。
私はと言いますとチェック数がほとんど同じで、どのグループに属して良いのかがわからず困ってしまいましたが、一つだけが飛び抜けて多かった方やいくつかが同じ数だった方などそれは本当に様々でした。そして、性格タイプが重複される方は該当するグループを渡り歩き、会話をしてみることで自分にぴったりの一番居心地の良いグループを見つけ出します。私も9つのグループに参加してみましたが、正直なところどれもピッタリのようなちょっと違うような感じがしました。数に差がなかったので当然の結果なのかも知れませんが、一人立っているわけにもいかないので、取り合えず楽天家の集まりである7のグループに座っていたような記憶があります。
各グループ内は同じ性格タイプの集まりですから、どのグループに行っても初対面とは思えないくらい話がはずみ和気合いあいとしていました。しばらくすると一つの同じテーマが各グループに与えられ、その状況にどのように対処するかをグループの代表が発表することになりました。そこで判明したことは、同じ状況の中での対処の仕方が9タイプあるということでした。どのグループも自分達の対処法が一番ベストだと思っています。そして他のグループの意見が自分達のグループ内では考えられないような対処法だったりすることに驚きます。それでも各グループが発表した対処法はそれぞれにとっての最善策であるわけです。私もこの光景を目の当たりにして、人はそれぞれが自分の価値観こそ正しいと思って生きていることがよくわかりました。
しかし、この結果では180人の人がいても同じ価値観の人は20人で、自分の価値観が絶対に正しいと思っていたとしても、他の160人の人々にとっては信じられない価値観だということもわかります。ですから自分の価値観だけを認めて他を間違いだと決めつけて生きていくのは、悩みや苦しみを生み出すもとになるような気がします。この世から人間関係での対立や宗教・民族の争いが無くならない理由もこういうことに原因があるのかも知れません。
私自身の過去を振り返ってみても自分の価値観と違う考えや行動をする人を理解できずに嫌っていた時期がありました。私の価値観だけが唯一正しいと信じて疑わなかったからです。しかし、エニアグラムのこの体験で目からうろこが落ちた思いがしました。「何だ…人は違って当たり前なんだ…どうして今までこのことに気づかなかったのだろう?」と不思議な感覚になりました。
自分の価値観だけを正しいと思って生きていくと、それ以外の価値観を持つ人々をおかしい…変だ…と認めることができませんが、大抵の場合は相手も同じようにそう思っていることがあります。そして違っていて当然だと思えない間は、自分にとって嫌いな人が増えていく一方です。エニアグラムを体験し、人は違っていて当たり前だという新しい価値観が自分の中に入ってくると、今度はこの違いとは一体何なのだろうという素朴な疑問が湧きあがってきました。
例えば自分と接するすべての人々が同じ価値観だとしたら、それはそれはとても居心地の良いものでしょう。しかし、心の方向性が同じなため短所も似ていて、欠点がぶつかり合った時にはどうしようもない状態になってしまいます。そして自分達の価値観が方向違いのほうを向いていたとしても、自分達は正しいと思っているのでなかなかそれに気づく事ができません。
そういう時に登場する価値観が違う人々は、いろんなヒントを与えてくれる貴重な存在です。違う価値観を理解するとまではいかないにしても、違いを知るということで自分の方向性を再確認することもできますし、違う価値観を自分の新しい価値観として取り入れ、新たな自分として再出発することもできます。このように違っていることでいろいろな学びを得ることができ、そのことで今の自分の価値観が本当に必要であるかそうでないかを知ることさえできます。
体が子供から大人へと変わっていくように私達の魂(精神)も変化し成長して進化していくものです。成長して進化していくためには変わらないでいることの方がむずかしいことのように思えます。変化のきっかけとなるものは日常のいたるところにあるのですが、それはある出逢いであったり、感動であったり、時には自分が今まで正しいと信じて疑わなかった価値観を捨てる勇気が必要なほど辛くて苦しい出来事かも知れません。
進化していく過程において自分自身が自分の邪魔をしていることはたくさんあります。人との違いを自分に優越感や劣等感を植え付けるためのものとして受けとめるのではなく、自分というものをより深く知るために存在するものとして捉えることができた時、また一つ自分の邪魔をしていた価値観を手放すことができます。ある人に本来の自分とは違うように受けとめられたとしても自分に自信があれば一向に気にする必要はないと思いますが、少なくともその人にとってはそう見える自分がいるということは事実なわけです。その事実も本当の自分を見つけるためのヒントなのかも知れません。一つ一つの出来事を変なプライドを捨て謙虚に見つめ、その中で自己発見と自覚を繰り返していくことで、本来の自分に近づくことができるのでは…とも思います。
エニアグラムを知ってから私自身、価値観は違っていて当然だということに気づかされ、そのことだけで人を嫌いになることはなくなりました。その価値観が今の自分に必要か必要でないかは別として、もし自分がその人と同じような人生を送ってきたとしたら、その人と同じ価値観を持つ可能性もあると感じたからです。違う価値観のおかげで自分が思いもしなかった方向から助言をしてもらえることもたくさんあります。いろんな価値観をもつ人々と話をしていくことで様々な角度から自分を知ることもできます。
その時に大事なことは、どの人に対しても本来の自分で接していくことだと思います。見せかけの自分のまま人間関係を続けていても本当の自分を知るためのヒントは見せかけのヒントになってしまいます。本当の自分で接していくことで相手にとっても自分にとっても、本当の自分を知るヒントが与えられるのではないでしょうか。自分にとって必要でない価値観を尊重し、その不要な価値観に義理立てしていくことはもう卒業していきたいと思っています。そして自分にも自分以外の人にもいつも本来の自分でいられるようなナチュラルな生き方をしていきたいと感じる今日この頃です。
最近、新聞やニュースで<価値観の崩壊>という言葉をよく耳にします。そして実際にそのことを根底に感じてしまうような様々な出来事が、私達に問題提起をしてくれています。信じられない驚くような事件にも意味があり、大きく取り上げられるほど社会全体で考えていかなければいけないことなのかも知れません。しかし、そのことは私達に何を訴えかけているのでしょう。
今まで社会で通用してきた価値観、突き詰めると私達個々人の価値観の方向性を見つめなおすように…と教えてくれているような気がしてしょうがありません。遠く離れた地での出来事でも身の回りの小さな出来事でも、その事実を自分が知るということに何か意味があるのではとも思えます。その事実は私達個人や私達が存在する社会をより良い方向へと向かわせるために私達の目の前に現れている…そんな感じがします。
価値観が違うことで一方的に否定し、社会の枠に入らないからと言って除外していくというのが今までの価値観の一つです。しかし、違いを認め合うことで各々の学びの自由を尊重するという価値観に転換していくだけで、社会のいろんなことが変化していくのではないでしょうか。人それぞれに学びが違うことで環境・状況が違うのであれば、価値観は違っていて当然なのですが、日々私達は自分の価値観だけがすべてのように思って物事を考えるため、自分の価値観の枠に入りきれないものを自らが悩みや苦しみとしています。私もその事になかなか気づくことができず、重たい心を抱え続けていた時期がありましたが、<エニアグラム>と出逢えたことでとても軽やかに生きていけるようになったのは事実です。
世の中のより良い変化を望んでいても何から始めて良いのかわからないのが私達ですが、このようにちょっとしたきっかけが自分を大きく変える出来事があります。ということはひとまわり視野を広げて考えてみると、小さな存在のように思える私達個人の意識の変化が、大きな変化をもたらす可能性も否定できないような気がします。もしかすると世の中は私達の意識の変化を心待ちにしているのかも知れません。∞ 月ノ宮 沙季 ∞
参考 : 9つの性格に送る言葉 鈴木秀子著 PHP研究所刊