みなさんも経験されたことはありませんか?
誰かのたった一言にさっきまで元気だった心がシュン…となったり
ある人の一言で急に力が湧いて心が明るくなったり、言葉って本当に不思議なものですよね!
今回は<言霊>をテーマに言葉の持つその不思議な力についてお送りいたします。
あくまでも私自身の考えですのでこれが絶対というわけではありませんが
過去の様々な体験から<言葉には見えない力がある>ということは真実のように思えます。
みなさんはどう思われますか…

<言霊>

 こと−だま【言霊】 言葉に宿っている不思議な霊威。
           古代その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。



 古代日本は<言霊の幸う国>つまり言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国と言われていました。古代の人々は言葉を大きな存在、特別なものとして考え、言葉の力をとても重要視していたのです言葉として発している一言一言に魂が宿っていて、悪い波動(エネルギー)を持った言葉を使えば悪い事が、良い波動を持った言葉を使えば良い事が起きるというのです。果たしてこれは古代に限ったことなのでしょうか?

 <言霊>というと精神世界の言葉で、精神世界のことは現実とかけ離れていて全くの別物と思われている方もあるかも知れません。しかし今回のテーマである<言霊>と次回のテーマ<想念>ほど、私達の現実にかなりの影響を与えていて、自分自身を取り巻く世界を生み出しているものはないのでは…と思えてならないのです。


 古代の人々はこの事を熟知していましたが、世の中が物質的に豊かになるにつれて人々は言霊の重要性をすっかり忘れてしまい、気にもとめなくなりました。たった一言で人を傷つけることも傷つけられることも…たった一言で人を心地よい気持ちにさせることもさせられることも…誰もが体験したことがあると思います。このように私達がいつも何気なく使っている言葉は、一瞬にして人間の気持ちを左右してしまうほど想像以上に恐ろしくもすばらしくもあるとても重要なものなのです。

 何かを伝えたい場合でも言葉の選び方や使い方一つで全く違ったものになります。例えば近くにある本を取って欲しい時に「ちょっとそこの本取って!」と無愛想にしかも命令口調で言うのと「申し訳ありませんが、そこにある本を取っていただいてもよろしいでしょうか?…ありがとうございます。」と言うのとでは大きな開きがあります。親しい人であれば「悪いけどそこの本取ってもらってもいい?ありがとう。」でしょうか…いずれにしても本を取って欲しいという気持ちには変わりありません。しかし、何が大きく違うのでしょう?

 前者は自分の気持ちのみです。後者には自分の気持ちとその人の知恵・想像力・感謝が込められているのを感じます。松尾みどり先生のコーナーをご覧になられた方は<自分の直感つまり内なる声(魂の声)を言葉にする>ということの大切さをご理解されているとは思いますが、私自身が思い違いをしていたことの一つに我や欲を魂の声だと思っていたことがあります。自分の顕在意識(表層意識)がこうしたいああしたいと思うことを深く考えずに口にしていました。しかし、それでは何かが違っていて反応が自分の望むものではなかったりするのです。そこで自分自身を振り返り、心の深い部分に問いかけてみました。「私の魂は何を一番望んでいるの?」と…何度尋ねても私の答えは同じです。きっとみなさんの魂の深い部分と同じ答えだと思うのですが、それは愛や平和そして調和です。何だかくすぐったくなるような響きの言葉ですが、みなさんもたぶん同じだと思います。

 ここでもうおわかりでしょうが、自分の内なる声が愛や平和や調和を求めているのなら、それらが自然と言葉一言一句の選び方・使い方に表れてきます。さきほど後者には、知恵・想像力・感謝が込められていると書きましたが、知恵とは過去の体験を生かし、その状況に一番適した言葉を選択できる力です。想像力は立場を置き換え、自分だったらこう言われたいと思う言葉を想像できる力です。感謝は言うまでもなく自分の時間や行動を本を取るためにさいてもらったということへの感謝の気持ちです。このように気持ちの良い言葉を使うと気持ちの良い反応が返ってきます。そこにはお互いの思いやりの気持ちが存在し、自分自身と他者との繋がり(愛)がそういうことで広がっていく可能性を感じます。

 内なる声が愛・平和・調和を求めていなければ、どんな言葉を使ってもかまわないと思います。そして私達は親子・兄弟・夫婦など親しければ親しいほど何故かぞんざいな言葉を選びがちです。自分の深い部分(内なる自己・魂)は、周りの人々との良い関係を望んではいないのでしょうか。自分の周りの大切な人たちと自分はどう繋がっていたいのかを、もう一度自分自身に問い直してみる必要があると思います。今まで私達は言葉に意識を向けていなかっただけで、言葉にこのような法則があることを忘れてしまっていただけなのです。

 ですから、もし自分の魂が愛や平和や調和を望んでいるのに、誰かに「ちょっとそこの本取って!」と無愛想に言うのは、自分の気持ちをストレートに言っているようで実は自分の魂にとっては、正直な言い方をしているとは思えません。このことに気づくと言葉の使い方・選び方ががらりと変わりますし、それを実行していくうちに自然と自分の置かれている状況や人間関係にも変化が現われます。そして自分が今から使おうとしている言葉によってどういう状況になるかさえも一瞬にして想像できるようになります。このように<言霊>の法則は決して過去のものではなく、現代社会においても十分に力を発揮しています。

 私自身いつも言われた言葉には敏感に反応し、心が傷ついたことはすぐ知覚できますが、自分が発している言葉には鈍感で(望んではいないのに)周りの人を傷つけていることに全く気づいていないことが多々あります。言葉の持つ重要性を意識せずに、いやな言葉を使えば相手からいやな言動・行動が返ってくるでしょうし、どちらかがこのことに気づかない限りは望まない波動(エネルギー)をぶつけ合うだけでお互いの心を傷つけるだけです。望まない波動を持った言葉とはどういう言葉なのでしょう。悪口・不平不満・怒り・憎しみ・嫉妬・無愛想・悲観的・消極的・否定的・懐疑的などマイナスのエネルギーを持っている普段何気なく口にしていることが多い言葉です。

 ここで<言霊>の法則を思い出してみましょう。悪い(マイナス)波動を持った言葉を使えば悪い事が自分自身に降りかかってくるのです。自分に不都合(望まない)な事が起きた場合、私達は自分の価値判断基準を正しいと信じ、自分が間違っているなどとは簡単に認めることが何故かできません。そしてそれを他人や状況のせいにして自分の外側へと原因を求めます。しかし<言霊>の法則からすると、そういう事が起きるということは究極的には自分の内面…つまり想念から何気なく発したマイナスの波動を持った自分の言動に事の発端があるということになります。そうなると身の回りで起きる出来事は、結局は自分自身の言動・行動が引き寄せているということで、誰のせいでもなく自分自身が原因であるということです。

 人は誰しも優しい言葉をかけられたり、大切にされると嬉しいですし、平和で幸福な人生を送りたいと願っています。そして<言霊>の宿る言葉の使い方・選び方一つで自分自身を、さらに自分以外の人々をもより良い方向へと導くことが可能です。私達は自分が言われたいと思っている言葉を周りの人に対して使うことができているのでしょうか。私達が言葉として与えた波動が自分の受け取る波動なのです。プラスの波動・マイナスの波動…どちらの波動を人に与え、自分自身が受けたいのかは私達一人一人の選択次第です。

 古代日本人は言葉を<言霊>として大切に扱ってきました。しかしながら現代社会は“言葉の暴力”という言葉が生まれるほど人々は言葉の重要性を見失い、<言霊>の法則を無視してきたため<言霊の幸う国>どころかイジメなどの多くの問題を抱えた国の一つになってしまっています。誰もがそういう問題が解決されていくことを願っていますが、その中で私達にできる事の一つが、自分が普段使っている言葉を見つめ直す…ということなのではないでしょうか。内なる自分の声を的確に表現できているのかどうか…魂が愛や平和や調和を求めているのであれば、なるべく心地よい波動を持った言葉を多く選び、使っていこうという意識することが鍵のようです。

 私自身もまだまだ完璧にできているわけではありませんが、言葉への意識を以前よりも強く持ち始めた時から様々な人間関係が良い方向へと向かい始めました。<言霊>は昔々のことではなく、とても身近なもので毎日使っているものです。その法則をみなさんも確かめてみてください。今までの人生の流れをより良い方向へときっと変えてくれることでしょう。<言霊>とは、そういう力を秘めているものなのです。
 

∞ 月ノ宮 沙季 ∞



     
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