(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  Ⅰ伝説の巻  二章 邪馬台国 (5・6・7・8)
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7 女王卑弥呼の都(後)

卑弥呼の墓

 そしてここには、もう一つの三宮があります。若宮八幡宮と、粕屋町戸原の伊賀薬師堂と、博多区東平尾の牛頭(ごず)天王八幡宮が、一直線に並んでいます。牛頭天王八幡宮の裏には天王山と呼ばれる小山があり、頂上に石垣をめぐらした円丘があります。これが卑弥呼(孝霊天皇)の墓だと思います。

 福岡市の教育委員会に問い合わせたところ、青柳種信の『筑前国続風土記拾遺』にこの円丘の記事があるとして、コピーを送ってくれました。思えば、これが青柳種信との初めての出会いで、以後ずいぶんお世話になりました。福岡の神社を調べる時、『筑前国続風土記拾遺』は欠かせない本です。

 さて、その記事によると、この神社は
祇園(ぎおん)と八幡宮を合祀(ごうし)したものといい、祇園社はもと天王山にあったといいます。そしてさらに、次の文章があります。

   祇園旧社の地古松一株立てり、其下に大石あり。此所に古(いにし)への神体を乱世に埋めしといふ。さて此神の嫌ひ給ふとて村中に古来より芦毛の馬を飼事を忌む。

 今は円丘の上に古松は無く、大石も見あたりません。すでに後世の人が整形したことは明らかです。教育委員会でも、この円丘を古墳とは確認していません。今のところは地面の高まりと呼んでいます。

 神話によれば、スサノオが芦毛の馬の皮を
(は)いで、アマテラスの服屋(はたや)に投げ込んだとされます。この事件のために服織女(はたおりめ)の一人が亡くなりました。怒ったアマテラスは天岩屋戸に身を隠したといいます。スサノオが出雲に向かう前のことです。

 祇園社の神が芦毛の馬を嫌うのは、この神話にかかわりがあります。普通、祇園社の神は牛頭天王といって、スサノオのこととされます。しかし、ここの神は芦毛の馬を嫌うというのですから、神の実体はアマテラス2世ではないでしょうか。

 芦毛の馬を飼わないのは、久山町猪野も同じです。『筑前国続風土記拾遺』に、伊野村では「農家に芦毛の馬を飼時は
祟有(たたりあり)とて禁ず。」とあります。皇太神宮のアマテラス2世が芦毛の馬を嫌うのです。

 スサノオは、高天原を追われたといいますが、アマテラス2世とのウケヒの場では、身の潔白が証明されたとも言います。もしかすると、後に名誉回復されたスサノオが、アマテラス2世の墓前で祭られているのかもしれません。もしそうだとすれば、この円丘がアマテラス2世(
孝霊天皇・卑弥呼)の墓であることは動かないと思います。

 「魏志倭人伝」によれば、
卑弥呼の墓の径は、およそ百歩だといいます。四分の一にすると二十五歩、およそ36メートルです。天王山の円丘は、歩測してみたら、30メートルほどでした。大まかに一致します。円丘は、歩測してみたら、30メートルほどでした。大まかに一致します。

 

 ただここで、伊賀薬師堂が中津宮になったことについては、説明が必要です。薬師堂といえば普通は仏教のお堂であって、神社ではないからです。現地に行ってみると、薬師堂の境内に、推定樹齢450年という大きな楠の木があります。入り口には二本の石柱が建っていて、鳥居のように見えます。名前は薬師堂ですが、たたずまいは神社です。地図にも神社のマークが付いています。そこから800メートルほど南に若宮という地名があるのは、中津宮に由来するかもしれません。

 粕屋町の教育委員会が立てた案内板によれば、昔このあたりに東円寺という大きな寺があったといいます。ところが1586年に、島津氏の兵火によって寺が焼失しました。幸いに本尊が無事だったので、土地の人が薬師堂を建てて本尊を安置したといいます。寺は再興できなかったようです。

 思うに、兵火で消失したのは寺だけではないでしょう。一緒に神社も焼失したと思います。予算の都合もあったでしょうから、神社の旧地に薬師堂を建てたと思われます。

宝満旧社

 『筑前国続風土記拾遺』の那珂郡の巻に、宝満旧社の見出しで次の文章があります。

 宝満旧社
   五領に在。所祭玉依姫、応神天皇、神功皇后なり。──略──。今農家にある社記に、此社は玉依姫の山陵なり。故に地名をも御陵という。古昔御陵の上に神廟を立て崇祭(まつ)れり。景行天皇、神功皇后などこの神廟に御祈念の事あり。その後、斉明天皇の勅願により、天智天皇元年再建し給ひ、同十年奉弊使を下され宝満宮と勅号をまゐらせらる。御陵の北なる大岳塚は文武天皇藤原広嗣を勅使として、初天智天皇の御奉納の御劍を埋め給ふ表なり。などあり。皆孟浪の説にて信用し難し。昔の社は今御陵の松と云伝る樹の東傍に有在しと云。◯扨享和二年今社の南の山中より古鏡及太刀を掘出せり。鏡径七寸、裏に細紋并に □「天王」 如此の文字有。今破て数片になれり。太刀は朽損して三段に折たり。これらをもって考ふれば、いづれむかし、由縁ある所なるべけれども、今は徴(しるし)をとるべきものなし。御陵といふこと故あるなるべし。上の農間にある所の社記の説は悉くは取がたし。暫書して後人の考勘を(まつ)のみ。

 宝満旧社とされるのは、大野城市中一丁目の宝満神社です。神社の横には御陵(ごりょう)中学校があります。大野城市の北端にあたり、昔は那珂郡に属しました。地形的には、井野山の西のふもとにあたります。井野山から西北に向かって月隈丘陵が伸びていますが、その南端にあたります。

 月隈丘陵の東は粕屋郡
志免(しめ)町で、西は昔の席田(むしろだ)郡です。席田郡は、志免町と面積がほぼ等しい小さな小さな郡です。北と西と南を那珂郡に囲まれています。今は博多区に属しています。席田郡の中北部に卑弥呼の墓と牛頭(ごず)天王八幡宮があります。席田郡は、おそらく卑弥呼の墓を守る人々だけで構成された、特別な群だったと思います。

 初め、宝満旧社の記事はどこか怪しいと感じました。それは、宝満山(
竈門(かまど)神社)に祭られる玉依姫(たまよりひめ)以下の神々は、宇佐から移って来たことがわかっているからです。しかし、御陵の地に席田(むしろだ)池という溜め池のあることに気付いて、意味がわかりました。

 
御陵の地は那珂郡に属していても、席田(むしろだ)郡と地続きで、北の席田郡と地縁・血縁の濃いつながりがあったと想像されます。

 旧平尾村の祇園社(牛頭天王八幡宮)と御陵の宝満神社は、本家と分家のような関係にあって、もとはともに卑弥呼(アマテラス)を祭る神社だったと思います。のちに、祇園社は八幡宮を合祀して今日に至り、宝満神社では祭神が入れ替わって今日に至ったのでしょう。

 青柳種信は、宝満旧社の来歴を信用し難いといいます。しかし、祇園社の来歴が分家の宝満神社に移ったと考えるなら、怪しい話ではありません。宝満神社の来歴は、天王山が卑弥呼の墓であることを示す傍証になると思います。

 なお、福岡黒田藩には、藩命によって書かれた地誌が三部あります。それぞれ通称があり、『
本編(ほんぺん)』・『附録(ふろく)』・『拾遺(しゅうい)』といいます。

 貝原益軒…………………『筑前国続風土記』
 加藤一純・鷹取周成……『筑前国続風土記附録』
 青柳種信…………………『筑前国続風土記拾遺』

参考 ブログの記事へリンクします。

   番外2.もう一つの卑弥呼の都

規則正しく45度ずれているという指摘 追加 20080416

 邪馬台国を文章に書き起こそうと考えたときから、先人の業績はできるだけ紹介したいと考えてきました。しかし困ったことに火災で本を失ったこともあって、思うようになりません。これは誰かの本で読んだことがあるとはっきり覚えているのに、著者の名前も本のタイトルも覚えていないということがあります。狗邪(こや)韓国から不弥国まで、方角が規則正しく45度ずれていると最初に指摘したのは誰か、あるいは誰の本を読んだのか、というのもその内の一つです。

 候補者が二人いました。奥田正男氏と佐藤鉄章氏です。お二人の名前は記憶があります。奥田氏の場合は、別に雑誌で読んだ記憶もあります。そこで今日、荒本の大阪府立図書館へ行ってお二人の本を読んできました。

  奥野正男 『邪馬台国はここだ ― 鉄と鏡と「倭人伝」からの検証』 毎日新聞社  1981年
  佐藤鉄章 『隠された邪馬台国 ― ついにつきとめた卑弥呼の都』  サンケイ出版 1979年

 困ったことに、どちらの本も「この本を読んだ」という確かな記憶がありません。その代わり、奥野正男氏によれば、原田大六氏が『邪馬台国論争』の中で論証していると、紹介しています。そこで、その本も読んでみました。すると、355ページに「方位と距離・再論」と題して自説が展開されています。

 夏至の頃には東から30度北寄りのところから太陽が昇ります。魏の使者は夏至の頃に倭国にやって来て、日の出の方角を東と判断しました。その結果、実際の方角とはおよそ45度のずれが生まれてしまいました。というのが、原田大六氏の考えです。

  原田大六 『邪馬台国論争』 三一書房 1969年
  (ウィキペディアによると、初版は1961年らしい。)

 この本も読んだ記憶はありません。しかし原田大六氏なら『実在した神話』か『卑弥呼の鏡』を読んだと思います。そのなかでも同じ主張をしたと思われます。原田大六氏は糸島の人ですから糸島の地理に明るく、そのことが大変参考になって強く印象に残りました。その分だけ、方角が45度ずれているという説の印象が薄れたかも知れません。昔私が読んだ本がどうであれ、方角が45度ずれているという説の初見は、原田大六氏の『邪馬台国論争』で間違いないと思います。


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