(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  Ⅰ伝説の巻  二章 邪馬台国(5・6・7・8)
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5 神話と邪馬台国の接点

神話と倭人伝と欠史八代

 3世紀の末、晋の時代に陳寿が書いた『三国志』の中に、邪馬台国の記事があります。通称を「魏志倭人伝」といいます。

 3世紀の中頃、当時倭国と呼ばれた日本に邪馬台国があり、南の狗奴国と交戦状態にありました。邪馬台国に卑弥呼と台与という二人の女王が現れて、使者を中国(魏)に派遣して友好関係を結び、狗奴国との争いを有利に運ぼうとしたことなどが書かれています。この女王の正体が、古くからの謎です。

 卑弥呼の人物比定には諸説ありますが、その中で注目されるのは、白鳥庫吉が卑弥呼と天照大御神は良く似ていると指摘したことです。最近では安本美典氏がこの説を発展させています。これをヒントに、日本神話と「魏志倭人伝」を読み比べると、神話の神々が、邪馬台国の女王とその他の人物に良く似ていることに気付きます。

 その一方で、神武天皇から10代崇神天皇の即位前までの時代が、邪馬台国時代にあたります。神武天皇と崇神天皇はハツクニシラススメラミコト(初めの天皇)という称号を持っていますが、神武天皇は初めて倭国に進出した天皇で、崇神天皇は初めて統一倭国(大和朝廷)を開いた天皇と推定できます。邪馬台国は九州北部にあり、邪馬台国が倭国を統一した後に、都を移して大和朝廷になりました。水野祐氏の年代観では崇神天皇の死亡年は318年です。即位は三世紀の後半で、台与の死に連続すると推定できます。邪馬台国と大和朝廷は、連続します。

 ところが『古事記』や『日本初期』によれば、神武天皇の九州進出は大和進出に変わっており、神武天皇に続く八代(欠史八代)はその事跡が伝わっていません。つまり崇神朝以前の歴史は空白の状態です。

 そこで思うのですが、神武天皇や欠史八代の話が、日本では神話に姿を変え、中国では邪馬台国事情として、後世に伝わったのではないでしょうか。7代孝霊天皇の霊の字などは、鬼道(宗教)に仕え、よく人々を惑わしたという卑弥呼にふさわしいと思います。続く孝元天皇は、台与と思われます。そこで、邪馬台国の人々と、神話の神々と、崇神天皇以前の天皇とを詳しく比較してみましょう。


卑弥呼と台与

 卑弥呼は鬼道(宗教)に仕え、巧みに人々を惑わしたと書かれています。いわば、教祖のような存在でした。アマテラス(天照大御神)もまた、高天原に君臨する教祖のような女王でした。二人は同一人物で、卑弥呼は日向(ヒムカ)の意味だと思います。

 そしておそらく、狗奴国王の名前もまた、日向
(ヒムカ)だったと思います。それを邪馬台国の人々が卑弥弓呼と呼んだのは、ヒムクカ・ヒムコカという悪口です。

 卑弥呼には弟がいて、補佐役を務めたといいます。一方、アマテラスにも弟のツクヨミ(月読命)がいて、夜の世界を治めた、あるいは日に並んで天を治めたといいます。ツクヨミはアマテラスの補佐役と見られます。

 また、アマテラスにはもう一人弟がいます。スサノオ(須佐之男命)です。スサノオは、根の国に追放された、あるいは海原を治めたと書かれています。海原を治めたことが海外との交渉を意味するなら、スサノオは伊都国にいた一大率にあたります。

 スサノオは謎の多い人物です。後に根の国に追放されたといいますが、自ら母の国へ行きたいといって、根の国(出身地の国)へ行ったともいいます。そしてスサノオの行った先は、出雲でした。その出雲は、いわば高天原の敵国のような存在でした。

 スサノオは、出雲への出発に先立ってアマテラスを訪ね、結果的に無法を働いてしまいます。怒ったアマテラスは、天岩屋戸
(あまのいわやど)に隠れたといいます。岩屋戸は、おそらく古墳のことで、そこに隠れたことは死を意味します。

 一方、卑弥呼の邪馬台国は、狗奴国と対立していました。対立を解消できないまま卑弥呼が死んで、径百歩ほどの塚に葬られたといいます。

 卑弥呼の死後は一時男王が立ちましたが人々が承服せず、有力者が集まって、13才の女王台与を共立したといいます。13才の女王では政治は見られないでしょうから、当然ながら摂政がいたと思います。

 一方、高天原でも、神々が集まって知恵を出し合い、天岩屋戸からアマテラスを引き出すことに成功しました。ところが『古事記』によれば、これ以後のアマテラスは、タカミムスビ(高御産巣日神)と一緒に登場するようになりました。このことから、岩屋戸事件以後のアマテラスは以前とは別人で、新しいアマテラスには、常に摂政のタカミムスビがそばにいたと思います。

 そこで、二人のアマテラスを2世・3世と呼び分けます。卑弥呼がアマテラス2世、台与が3世です。ここで1世と呼ばないのは、あとでもっと古い時代に、別のアマテラスが見つかるからです。

若様難升米

 アメノオシホミミ(天忍穂耳命)は、アマテラス2世の皇太子です。ただし、実子とは断定できません。「魏志倭人伝」には、卑弥呼には夫がいないと書かれているからです。父親は、スサノオではないかと思われる節があります。

 オシホミミは、成長するとアマテラス2世の命令を受けて、葦原中国に天降りました。ところが、「葦原中国はひどく騒がしい。」などと頼りないことを言って、すぐにタカミムスビとアマテラス3世のいる高天原に舞い戻ってしまいます。

 一方邪馬台国では、卑弥呼と台与の間に男王が即位して、すぐに退位しました。男王の即位と退位は、オシホミミの天降りと舞い戻りに対応します。男王が即位したときに、人々は承服せず争いになったといいます。それが、騒がしいということにあたります。争いは出雲との争いをさすでしょう。

 「魏志倭人伝」には男王の名前が書かれていませんが、注意して読むと男王は難升米だとわかります。なぜなら、魏使は台与が即位したときには台与に告諭しましたが、台与が即位する前には難升米に告諭したからです。これは、難升米が王だったことを示します。

 しかし、難升米はすぐに退位させられて、中国の面目がつぶれてしまいました。そこで、男王の名前を伏せたのです。難升米とは、(アメ)ノオ・シホ・ミミに、字数を省略して漢字をあてたのだと思います。

 オシホミミは、アマテラス2世の皇太子ですが、2世と3世が同一神と見なされたので、アマテラス3世の皇太子のように扱われ、ついには実子と誤解されたのです。

 天皇で言えば、開化天皇がオシホミミにあたります。神話と同様に、孝霊天皇(卑弥呼)と孝元天皇(台与)は連続すべきものとされ、本来は孝霊天皇の皇太子だった開化天皇が押し出されて、孝元天皇の皇太子として扱われたのです。そこで、孝元天皇と開化天皇の即位順序は、入れ替えたほうが良いと思います。

 神話では目立ちませんが、オシホミミは重要人物です。タカミムスビの娘を后にして子を産み、その子は統一倭国の最初の天皇(崇神天皇)になりました。オシホミミは失脚したのではありません。むしろ兵を率いて出雲と戦うために、后(台与)に皇位を譲ったと思います。

 タカミムスビの娘は、名前をヨロズハタトヨアキズシヒメ(万幡豊秋津師比売)といいます。豊の字を含みますから、この姫が台与でしょう。

 タカミムスビは実力者です。娘をオシホミミに嫁がせて女王にし、自ら摂政になりました。このようなことのできる人物といえば、皇族か有力氏族の長です。おそらくトヨアキズシヒメが神格化されてアマテラス3世になったときに、その父もまた、タカミムスビになったと思います。

卑弥呼以前の王

 難升米は、卑弥呼の生きていたときに魏への大使を務めましたが、そのときの副使は都市牛利でした。補佐役の副使には経験をつんだ外交官が必要で、一大率が適任者です。そこから都市牛利は、一大率のスサノオだと考えられます。都市牛利はタスグリで、天手勝(あめのたすぐり)と書くことができます。陳寿はグリ(牛利)とも書いていますが、これでは山のイガグリと間違えられそうです。

 『日本書紀』の神代上第八段、第四の一書によれば、スサノオとその子イタケル(五十猛命)が新羅に天降ったといいます。この話は、都市牛利と難升米の父子が帯方郡を訪れた話が変化したもので、イタケルは、オシホミミの別名です。『日本書紀』が書かれた頃は統一新羅の時代でしたから、朝鮮半島の意味で新羅と書いたのでしょう。

 スサノオは、6代孝安天皇で、その一生には謎があります。初めは天皇でしたが、なぜか姉に譲位して一大率になり、海外との交渉にあたりました。最後は出雲に渡り、出雲で亡くなったかのように見えます。スサノオは、根の国に追放されたともいい、高天原では悪人視されています。

 スサノオとアマテラスの父イザナギ(伊邪那岐命)は、5代孝昭天皇です。イザナギはイザナミ(伊邪那美命)と結ばれて、日本列島を生んだとされます。もちろんあり得ない話ですが、国生み神話には別の意味があります。たとえば、二つの王家が結婚によって結ばれて、協力して倭国の経営に乗り出した、あるいは統一への歩みを始めたと見ることができます。

 イザナミは出雲地方に葬られましたが、その墓を訪ねたイザナギは筑紫の日向に帰りました。このことから見て、イザナミは出雲の王女か女王で、イザナギは筑紫(日向)の王だったのです。しかし、出雲と筑紫に再び対立が生まれました。イザナミは出雲に帰り、出雲で亡くなりました。このときの対立が中国に伝わって、『後漢書』などに倭国大乱と書かれたのです。

 イザナギは、日本神話で事跡の伝わる最初の神です。それ以前にも神々はいますが、名前しか伝わっていません。しかも、日本列島はイザナギとイザナミが生んだとされます。これには重要な意味があります。

 おそらく、イザナギ以前の神々は皆、朝鮮半島に居た神々で、倭国との縁は薄かったのです。イザナギが倭国に都を移してから、次第に倭国になじみ、やがて統一への意思を持ったのでしょう。福岡では、イザナギと神武天皇を間違えた例がしばしば見られます。これは、初めて倭国に進出した天皇と、初めて倭国に都を移した天皇が混同されたためです。

 最初の天皇は神武天皇とする考えのある一方で、イザナギ(孝昭天皇)こそ最初の天皇とする考えも根強かったようです。最初の天皇は三人いたことになります。

  初代・神武天皇········ 倭国に進出した初めの天皇。
  5代・孝昭天皇········ 倭国に都を移した初めの天皇。
  10代・崇神天皇········ 統一倭国の初めの天皇。

図表7  日本神話と邪馬台国

       
┌─アマテラス2世
       
 (7孝霊天皇)
 
イザナギ  │ (卑弥呼)
(5孝昭天皇)
   
├――─┼─ツクヨミ
 
イザナミ (和邇氏の祖)
       
(弟・補佐官)
       

       
└─スサノオ―――オシホミミ
        
(6孝安天皇) (8開化天皇)
        
(一大率)    (難升米)
                  
 ├――――(10崇神天皇)
       
 タカミムスビ──アマテラス3世
               
(9孝元天皇)
                
(台与)

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