球磨盆地(人吉盆地)の須恵村 |
以前、図書館でアフという言葉を調べたときに、牛島盛光氏の『写真民族誌・須恵村・1935~1985』という本を見つけました。昭和10年頃、シカゴ大学から派遣されたジョン・F・エンブリー夫妻が、熊本県球磨(くま)郡須恵(すえ)村(今はあさぎり町)に滞在して民俗学調査を行い、帰国後に『スエムラ・ア・ジャパニーズ・ヴィレッジ』を出版しました。その内容とエンブリー夫妻を紹介しつつ、50年後の須恵村を追跡調査したものが『須恵村』です。
アフに関する本は見つからなかった代わりに、『須恵村』を手に取ったことから、人吉盆地に須恵村のあることを知りました。そこで人吉盆地の地図を開いて、高千穂峯を見つけることができました。
人吉市に隣接する相良(さがら)村の北岳と北岳神社は、粕屋郡の若杉山と太祖神社に対応します。川辺川と支流の藤田谷川は多々良川に対応します。球磨川と支流の松ヶ野川は須恵川に対応します。ここにもトンボの交尾の地形が見られます。
北岳の東南の旧須恵村は、若杉山のふもとの粕屋郡須恵町に対応します。須恵村には諏訪の原という地名があって、スワがスエの語源であることを暗示します。
北岳に向かって須恵村の右手の、球磨郡多良木(たらぎ)町にある王宮神社は、宇美八幡宮に対応するでしょう。北岳に向かって須恵村の左手には、球磨郡山江村に山田の地名があり、粕屋郡久山町の山田に対応します。
球磨盆地の球磨という地名は、高句麗の蓋馬(ケマ)高原に由来します。球磨盆地は山中の盆地で、高句麗の都のあった集安盆地を連想させます。球磨盆地には邪馬台国だけでなく、高句麗からも地名移植されたようです。
霧島連山と都城 |
高千穂峰の東には、霧島東神社と東霧島神社が並んでいます。三宮の跡です。高千穂峰の南には鹿児島県
トンボの交尾の右岸方向にある
ちなみに、大和で山田や都城に対応するのは、桜井市の三輪山のふもとになります。そこはかつて、アマテラスを祭る笠縫邑(かさぬいのむら)のあったところとされます。いよいよもって意味ありげです。
高千穂町 |
高千穂といえば、宮崎県北部の西臼杵(にしうすき)郡高千穂町も忘れてはいけません。高千穂町の焼山寺山は、粕屋郡の若杉山に対応する高千穂峯です。その周りは五ヶ瀬川とその支流に囲まれ、トンボの交尾の地形ができています。少し背の高い天香山は、乙犬山(天の香具山)に対応します。高千穂町には、高千穂神社・槵触(くしふる)神社・天岩戸神社などがあります。神社の名前からは、神話の影響が強く感じられます。伝統神楽(かぐら)が伝わっていることでも良く知られています。
ついでに言えば、熊本県の阿蘇山を白川と黒川が囲んで、トンボの交尾の地形を形成しています。しかし残念ながら、明確な聖地移植は今のところ見当たりません。
26王宮神社 | 祭神は神武天皇のようですね。となれば、この神社は宇美ではなく、須恵の旅石八幡宮に対応しています。訂正します。 |