(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  Ⅰ伝説の巻  一章 神武天皇34
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4 地理的対応(後)

球磨盆地(人吉盆地)の須恵村

 以前、図書館でアフという言葉を調べたときに、牛島盛光氏の『写真民族誌・須恵村・1935~1985』という本を見つけました。昭和10年頃、シカゴ大学から派遣されたジョン・F・エンブリー夫妻が、熊本県球磨(くま)須恵(すえ)村(今はあさぎり町)に滞在して民俗学調査を行い、帰国後に『スエムラ・ア・ジャパニーズ・ヴィレッジ』を出版しました。その内容とエンブリー夫妻を紹介しつつ、50年後の須恵村を追跡調査したものが『須恵村』です。

 アフに関する本は見つからなかった代わりに、『須恵村』を手に取ったことから、人吉盆地に須恵村のあることを知りました。そこで人吉盆地の地図を開いて、高千穂峯を見つけることができました。

 人吉市に隣接する相良(さがら)村の北岳と北岳神社は、粕屋郡の若杉山と太祖神社に対応します。川辺川と支流の藤田谷川は多々良川に対応します。球磨川と支流の松ヶ野川は須恵川に対応します。ここにもトンボの交尾の地形が見られます。

 北岳の東南の旧須恵村は、若杉山のふもとの粕屋郡須恵町に対応します。須恵村には諏訪の原という地名があって、スワがスエの語源であることを暗示します。

 北岳に向かって須恵村の右手の、球磨郡多良木(たらぎ)町にある王宮神社は、宇美八幡宮に対応するでしょう。北岳に向かって須恵村の左手には、球磨郡山江村に山田の地名があり、粕屋郡久山町の山田に対応します。

 球磨盆地の球磨という地名は、高句麗の蓋馬(ケマ)高原に由来します。球磨盆地は山中の盆地で、高句麗の都のあった集安盆地を連想させます。球磨盆地には邪馬台国だけでなく、高句麗からも地名移植されたようです。

霧島連山と都城

 宮崎県と鹿児島県の境にある霧島連山は、火山群の総称です。最高峰は韓国(からくにだけ)ですが、主峰はやはり、東南の一角を占める高千穂峰(たかちほのみね)です。これは文字どおり高千穂峯(たかちほのたけ)にあたります。地図を確認すると、高千穂峰を囲んで、トンボの交尾の地形が見られます。須恵川に対応するのは、高崎川です。多々良川に対応するのは、大淀川と、支流の庄内川と、そのまた支流の千足川です。

 高千穂峰の東には、霧島東神社と東霧島神社が並んでいます。三宮の跡です。高千穂峰の南には鹿児島県
曽於(そお)郡もあります。曽於は、もちろん日向(ひむか)(そ)(須恵)に由来するでしょう。

 トンボの交尾の右岸方向にある
都城(みやこのじょう)市は、粕屋郡久山町の山田に対応します。山田は大和に通じるだけに、山田と都城が地理的に対応することには、何か意味がありそうです。邪馬台国の時代に、山田に都があったのでしょうか。

 ちなみに、大和で山田や都城に対応するのは、桜井市の三輪山のふもとになります。そこはかつて、アマテラスを祭る
笠縫邑(かさぬいのむら)のあったところとされます。いよいよもって意味ありげです。

高千穂町

 高千穂といえば、宮崎県北部の西臼杵(にしうすき)郡高千穂町も忘れてはいけません。高千穂町の焼山寺山は、粕屋郡の若杉山に対応する高千穂峯です。その周りは五ヶ瀬川とその支流に囲まれ、トンボの交尾の地形ができています。少し背の高い天香山は、乙犬山(天の香具山)に対応します。高千穂町には、高千穂神社・槵触(くしふる)神社・天岩戸神社などがあります。神社の名前からは、神話の影響が強く感じられます。伝統神楽(かぐら)が伝わっていることでも良く知られています。

 ついでに言えば、熊本県の阿蘇山を白川と黒川が囲んで、トンボの交尾の地形を形成しています。しかし残念ながら、明確な聖地移植は今のところ見当たりません。

 
 26王宮神社 祭神は神武天皇のようですね。となれば、この神社は宇美ではなく、須恵の旅石八幡宮に対応しています。訂正します。

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