(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  
Ⅱ古暦の巻  章 邪馬台国の年代論 (1920・21・22)
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22 神話の初め(後)

宋史日本国伝

 984年に東大寺の僧の奝然(ちょうねん)が宋に渡り、『王年代記』等を中国に伝えています。その内容は、『宋史』の「日本国伝」に紹介されています。日本神話にかかわる異伝を含む貴重な史料です。それによると、初めの主を天御中主とし、23世のナギサに至るまでみな筑紫の日向宮に都を置いたと書かれています。23世はかなり引き伸ばしており、次のような形に理解できます。

 王年代記の系譜         対応する人物
 ……………………………………………………………………………
 ①天御中主  (朝鮮半島)    東明王
 ②天村雲尊             后
 ③天八重雲尊          二 瑠璃王
 ④天弥聞尊             后
 ⑤天忍勝尊           三 大武神王
 ⑥贍波尊              后
 ⑦万魂尊            四 閔中王
 ⑧利々魂尊             后
 ⑨国狭槌尊           五 慕本王
 ⑩角龔魂尊             后
 ⑪汲津丹尊           六 神武天皇①
 ⑫面垂見尊             后
 ⑬国常立尊           七 綏靖天皇②
 ⑭天鏡尊              后
 ⑮天万尊
             安寧天皇③
 ⑯沫名杵尊             懿徳天皇④
 ……………………………………………………………………………
 ⑰伊奘諾尊  (高天原・日向)
  一 孝昭天皇⑤
 ⑱素戔烏尊           二 孝安天皇⑥
 ⑲天照大神尊            孝霊天皇⑦ 孝元天皇⑨
 ⑳天押穂耳
            開化天皇⑧
 ……………………………………………………………………………
 21天彦尊   (繰り返し)   一 ニニギ(孝昭天皇)
 22炎尊             二 ホデミ(孝安天皇)
 23彦瀲尊
             ナギサ(開化天皇)
 ……………………………………………………………………………
 24神武天皇以下省略(これも実は繰り返し)

 これを見ると、東明王から綏靖天皇までの高句麗王の七代に后を配して、14世と数えたことがわかります。これは「神世七代」の流れを汲む時代区分法です。しかし、次の安寧天皇と懿徳天皇も夫婦であることや、朝鮮半島に都を置いたことを考えるなら、「神世八代」という区分法があってもおかしくありません。事実、今でも各地に八王子の地名や神社がありますが、それはこのためだと思われます。

 八王子の区分法を採用した人々は、おそらく女王の存在を認めなかったことでしょう。日向三代のケースと同じです。したがってこの人々は、都を移した孝昭天皇(イザナギ)に時代の画期を認め、八王子の後には日向三代が続くと考えたことでしょう。

 このように見ると、古代の人々は時代をいくつかに区分して、歴史を理解したことがわかります。ただ、時代の区分法には見解の相違があったため、複数の区分法がありました。区分法は、少なくとも三つありました。『古事記』でも『日本書紀』でもこのことを理解しきれずに、誤解を含んだ記述になりました。複数の区分法を一つにまとめてしまったのです。

  ①.神武天皇に画期を認める。

      
別天つ神五柱 ⇒⇒ 神武天皇

  ②.高句麗・小国・大和朝廷の時代に分ける。

      
神世七代Ⅰ ⇒⇒ 神世七代Ⅱ ⇒⇒ 崇神天皇

  ③.朝鮮半島・九州・大和朝廷の時代に分ける。

      
八王子 ⇒⇒ 日向三代 ⇒⇒ 崇神天皇

 三つの区分法の中では、①だけが神武天皇に画期を認めています。したがって、神武天皇以後の在位年数を伝えた人々は、①の区分法を取る人々だったと考えてよいでしょう。

 『王年代記』は、アマテラス2世と3世を同一視するなど、基本的な構成は『古事記』や『日本書紀』と同じです。『王年代記」のユニークなところは、イザナギに続いてスサノオを配したことです。孝安天皇はスサノオであると考えたのは、まさにこの系譜を見たからでした。一般的には、史実とは無縁とされることの多い日本神話ですが、歴史上の定点を押さえて読むと、神話と歴史の接点が見えて史実が浮かび上がります。

 神話の書き出しを、天地の分かれや生命誕生について語る世界化成神話と捉える見方もありますが、日本神話は多重神話と見るべきでしょう。建国神話の上に、古い世界化成神話を重ねていると見たほうが良いと思います。

藤原氏の系図

 天皇家の系図が復元できると、そこで得た方法を活用して、他の氏族の系譜についても理解の糸口を発見できます。例として、藤原氏の『尊卑分脈』を取り上げます。

 藤原氏の系図を見るときのポイントは二つあります。一つは、10代アメノコヤネ(天児屋根命)の存在です。藤原氏が氏神とする春日大社にはアメノコヤネが祭られていますから、事実上の先祖はアメノコヤネです。この神は、天孫降臨のときに皇孫ニニギに従ったとされます。

 二つ目は、21代雷(いかづち)大臣の存在です。雷大臣は仲哀朝の人物とされますから、この人物を歴史上の定点として利用してみます。仮に一世代25年として時代をさかのぼると、アメノコヤネは1世紀終わりごろの人物となり、神武天皇の時代と一致します。

 これによって、アメノコヤネは神武天皇の時代に地位を築いたことがわかります。このことは、天孫降臨の主人公が、実はニニギではなく神武天皇であることを再確認させます。同時に、アメノコヤネ以後の藤原氏(中臣氏)の系図は、修正しなくてもそのまま信用できることを示します。

 問題はアメノコヤネ以前の系図です。こちらは信用しないほうが良さそうです。アメノコヤネ以前の系図は、『日本書紀』が成立したあとで、日本神話とのすりあわせによって創作されたと思われるからです。

 『日本書紀』の系譜では、まず神世七代があって、その7代がイザナギです。そのあとにスサノオ・オシホミミと続き、天孫降臨のニニギは10代にあたります。


 一方、『尊卑分脈』の系図では、天御中主から直系で7代が津速魂で、そのあとに市千魂、居々登魂と続き、10代が天孫降臨のアメノコヤネになります。

 ニニギとアメノコヤネが、共に10代として一致することが気に入りません。『日本書紀』の初めの部分は誤解に基づいており、しかも人物は重複して登場します。そのような系譜につじつまを合わせた系譜など信用すべきでないでしょう。確かなことは、アメノコヤネが藤原氏の遠祖であり、神武天皇の時代に地位を気づいたことなのです。

 図表37  藤原氏の略系図

 
1天御中主──(2)─(3)─(4)─(5)─(6)──
──(2)──(3)──(4)──(5)──(67登魂──
 ┌─────────――――――――――――――――――┘
 │ ┠→ 1世紀
 └──
7津速魂──8市千魂──9居々登魂──10天児屋根

 3)──(4)──(5)──(6)──7津速魂──居々登魂
 ┌─────────────────―――――――――――┘

 │ ┠→ 2世紀
 └──(11)──(12)──(13)──(14)───┐
└)──(12)──(13)──(14)──(15)─7)

 ┌────────────────―――――――――――┘

 │┠→ 3世紀
 └──(15)──(16)──(17)─(18)──┐
                            │
 ┌────────────────―――――――――┘
 │ ┠→ 4世紀
 └──(19)──(20)──
21雷大臣──(22)──┐
 └─(18)──(19)──(20──(2──(25)
 ┌――――――――――――――――――――──────┘

 │ ┠→ 5世紀
 └──(23)──(24)──(25)──┐
                      
 ┌───────────────―─―――┘
 │ ┠→ 6世紀
 └──26黒田大連──27常盤大連──28可多能祐大連─
  └─(18)──(19)──(2          )
 ┌――――――――――――――────────────┘
 │ ┠→ 7世紀
 ──29御食子──30藤原鎌足──

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