(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  
Ⅱ古暦の巻  章 邪馬台国の年代論 (1920・2122)
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19 日向三代(後)

ヤマトタケル

 日向三代について考えていると、孝安天皇(スサノオ)と開化天皇(オシホミミ)の事跡が仲哀天皇(ヤマトタケル)の事跡に似ていることに気付きます。

  ①.三人は退位して出征した天皇である。
②.三人は女性(姉・后)に皇位を譲った。
③.三人の女性(姉・后)のうち、二人はアマテラス2世と3世である。神功皇后もアマテラスに似ていて、アマテラス4世と見られる。

 この共通点から、三人はヤマトタケルと考えられたのではないでしょうか。ここには生まれ変わりを信じる思想が伺われます。また、ヤマトタケルとアマテラスは夫婦もしくは姉弟で、つまり必ずペアで出現すると考えられたようです。

 この三人がヤマトタケルであることは、実は『古事記』の系譜によっても確認できます。『古事記』の景行天皇の条には、不思議な系譜が伝わっています。ヤマトタケル(倭建)の曾孫のカグルヒメ(迦具漏比売)を、景行天皇が后にしたというのです。景行天皇はヤマトタケルの父ですから、この系譜はいかにも不自然です。しかし、ヤマトタケルが複数いたとすれば、話は理解できます。『古事記』の系譜と、天皇の修正系図を並べると、次のようになります。

 ◯古事記の系譜

 ──倭建──若建──須売伊呂大中日子──カグルヒメ
                      │
                     景行────倭建

 ◯天皇の修正系図

 ┌7孝霊
 └6孝安──8開化
         ├─10崇神─┬─11垂仁
       9孝元      └─12景行─┬─13成務
                       └─14仲哀
                            ├─16応神
                         15神功

 これによると、カグルヒメの曽祖父のヤマトタケルは、孝安天皇と同世代となります。その子のワカタケルもまたヤマトタケルと思われますが、開化天皇と同世代です。孝安天皇と開化天皇がヤマトタケルであることは、間違いないでしょう。もちろんヤマトタケルと仲哀天皇が同世代になることも注目されます。

 ところで『日本書紀』によれば、ヤマトタケルの墓は三つあるとされます。三つの墓は本物ではありませんが、重要な情報を秘めています。仲哀天皇の墓が別にあることから、三つの墓は移植された聖地であり、仲哀天皇の他に三人のヤマトタケルがいたことを示します。この三つの墓については、「古里の巻」で詳しく触れますが、孝安天皇より前にもう一人のヤマトタケルがいることになります。当然ながら、アマテラスももう一人います。

 ヤマトタケル4世(仲哀天皇)は、東国遠征と朝鮮半島遠征を行いました。

 ヤマトタケル3世(開化天皇)は、出雲遠征と東国遠征を行いました。

 ヤマトタケル2世(孝安天皇)は、南九州遠征と出雲遠征を行いました。

 ヤマトタケル1世もまた、どこかに遠征したに違いありません。ヤマトタケル1世の遠征先については、景行天皇(実は孝安天皇)の九州遠征物語の中に、よいヒントが隠れています。

42ヤマトタケル3

 景行天皇の九州遠征をよく見ると、物語は前半と後半に分かれます。後半では、日向の高屋の宮を出発して、南九州でクマソを倒し、西九州を北上して筑後に入ったところで話が終わります。この後半が、実は孝安天皇(ヤマトタケル2世)の物語です。日向の高屋の宮とは、福岡県前原市の高祖山(高屋山)のふもとのホデミ(孝安天皇)の都をさすと考えられます。

 そうすると、豊前・豊後を征服する前半こそが、ヤマトタケル1世の物語となります。前半で活躍する人物は、多氏の先祖の武諸木(たけもろき)です。武の字を含んでいますから、武諸木こそヤマトタケル1世です。また、多氏の先祖は神武天皇の子の神八井耳命とする伝承もあります。だとすれば、武諸木は神八井耳命の別名と考えられます。そして神八井耳命は、3代安寧天皇の別名でもあるでしょう。

41景行天皇の九州遠征
 
 図表30  3世紀の修正年表    ◯印は即位年の翌年が元年
                  他は即位年が元年
天皇 修正した
在位年数
    即位年  ~  死亡年
          または退位年
5 孝昭 24.5  174年前半 1月~198年前半 8
6 孝安  9.5  198年後半 1月~207年後半 1
7 孝霊 38.0  208年前半 1月~245年後半 2
       
9 孝元 28.5  247年後半 1月~275年後半 9
8 開化  1.5 245年後半 11月~247年前半 4
 

 
図表31  3世紀の修正系図

 ◯天皇系図

  5孝昭─┬─7孝霊
      ├─ 天足彦(和邇氏の祖)
      └─6孝安───────8開化
                    ├─────10崇神
                  9孝元


 ◯神話と魏志倭人伝

  イザナギ─┬─アマテラス(卑弥呼)
       ├─ツクヨミ(男弟)
       └─スサノオ(都市牛利)──オシホミミ
                    
(難升米)
                      ├───10崇神
                    トヨアキヅシヒメ
                    (台与)


           天皇の修正在位年表と系図(1世紀~6世紀の通し)

歴史は呼応する!まさかね。(2010・4・12追記)

207 劉備、三顧の礼で諸葛孔明を迎える。
208 卑弥呼即位。勝利の女神?まさかね。
   赤壁の戦い、曹操50万の兵で大敗する。

220 曹操、死。
223 劉備、死。

234 諸葛孔明、五丈原で病死。54才? 司馬懿、53才?
237 司馬懿、公孫氏を討つ。
238 卑弥呼、使者を送る。勝利の女神?まさかね。

245 難升米、即位。
247 台与、即位。
251 政変。司馬懿、曹氏を排除。 司馬懿、病死。70才。

265 司馬炎、晋の帝位に就く。
266 倭国の女王(台与)、使者を送る。勝利の女神?まさかね。

275 崇神天皇、即位。大和朝廷。
280 司馬炎、呉を討つ。中国統一。
??? 大和で疫病の流行。ん?なんのこっちゃ!


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