「新羅本紀」の紀年修正に必要となる歴史上の定点は、三つあります。しかし、言い換えると、弱い定点ばかりが見つかるので、三つ合わせなければ定点の役割を果たせないと言うことでもあります。
第一の定点は、8代阿達羅(あたら)尼師今(にしきん)の20年の記事です。そこには、倭の女王卑弥呼が使者を派遣して来訪させたとあります。初めこの記事を信用して、年代修正をしました。すると、16代訖解(きっかい)尼師今の310年から中国暦を採用したことになりました。この場合、卑弥呼の記事を173年から242年に修正することになりました。ところがこの修正にはあとで問題が発生しました。
第二の定点は、15代基臨(きりん)尼師今の3年の記事です。そこには、楽浪・帯方の二国(二郡)が服属してきたとあります。この記事が、二郡からの難民の流入を示すとすれば、314年以後のことと理解できます。
この記事に着目して年代修正すると、17代奈勿(なもち)尼師今の356年から中国暦を採用したことになりました。この場合二郡からの難民の移住は328年のことになって、無理がありません。しかし第一の定点では、難民の移住は305年になって、不自然です。
また、第二の定点による修正では、卑弥呼の記事は265年になります。この年は魏が滅んで晋に変わった年で、女王台与が晋に朝貢した前年にあたります。これは一見無理のようですが、卑弥呼を台与の誤りと見れば、問題がなくなります。したがって二つの定点のうち、第二の定点が正しいと思われます。
新羅の王家には三つの姓があります。初めは朴氏の王がいましたが、次に昔氏の王が現れました。そして17代奈勿(なもち)尼師今からは金氏の王が続きます。この昔氏から金氏への変わり目が、半年暦から中国暦への変わり目にもなっています。この年代修正によれば、新羅の建国は150年後半です。
新羅は地理的には中国から遠いのですが、準王や徐福の例もあるように、昔から中国方面からの移住者が多いところです。「新羅本紀」の3代儒理尼師今の14年の条によれば、高句麗の3代大武神王が楽浪を滅ぼしたので、その国人五千人が新羅に投降したと書かれています。紀年を修正すると、この年は197年になります。
「高句麗本紀」の故国川王の19年(197年)の条によれば、中国に大乱があり、流入する漢人が多かったと書かれています。この時代は漢末の動乱期で、遼東郡では公孫氏が自立しました。公孫氏や高句麗が楽浪郡を滅ぼしてもおかしくありません。故国川王が公孫氏に降ったのもこの年です。楽浪郡は公孫氏の手中に帰したと思われます。そうすると、この事件は第三の定点となります。
儒理尼師今の記事は、「高句麗本紀」の大武神王の20年の条にもありますが、「新羅本紀」のほうが記事が詳しいですから、こちらがもとの伝承です。「高句麗本紀」の記事は、つじつま合わせのために、「新羅本紀」から転載したと思われます。ただし、「新羅本紀」のほうでも、「高句麗本紀」から大武神王の名を転載したことになります。
『三国史記』では、このようなつじつま合わせの記事が多く見受けられます。台与の名が卑弥呼に変わっているのも、おそらくつじつま合わせの結果でしょう。
なお、大武神王の15年の条にも、高句麗が楽浪を降伏させた話が、神話風に書かれています。この年の修正年はAD38年で、後漢の光武帝の時代になります。この年に楽浪郡が滅んだとは考えられませんから、20年の条の別伝だと思います。年代不詳の神話伝承を、ここにはめ込んだのでしょう。本来は197年の故国川王にかかわる伝承だったと思います。
図表27 新羅王の年表 |
代 |
王 名 |
修正しない
在位年数 |
修正した
元年 ~ 死亡年 |
1 |
赫居世 |
61 |
150年後半~180年後半 |
2 |
南 解 |
21 |
180年後半~190年後半 |
3 |
儒 理 |
34 |
190年後半~207年前半 |
4 |
脱 解 |
24 |
207年前半~218年後半 |
5 |
婆 娑 |
33 |
218年後半~234年後半 |
6 |
祇 摩 |
23 |
234年後半~245年後半 |
7 |
逸 聖 |
21 |
245年後半~255年後半 |
8 |
阿達羅 |
31 |
255年後半~270年後半 |
9 |
伐 休 |
13 |
270年後半~276年後半 |
10 |
奈 解 |
35 |
276年後半~293年後半 |
11 |
助 賁 |
18 |
293年後半~302年前半 |
12 |
沾 解 |
15 |
302年前半~309年前半 |
13 |
未 鄒 |
23 |
309年後半~320年後半 |
14 |
儒 礼 |
15 |
320年後半~327年後半 |
15 |
基 臨 |
13 |
327年後半~333年後半 |
16 |
訖 解 |
47 |
333年後半~356年後半 |
17 |
奈 勿 |
47 |
356 ~ 402 |
18 |
実 聖 |
16 |
402 ~ 417 |
19 |
訥 祇 |
42 |
417 ~ 458 |
20 |
慈 悲 |
22 |
458 ~ 479 |
21 |
炤 智 |
22 |
479 ~ 500 |
22 |
智 証 |
15 |
500 ~ 514 |
23 |
法 興 |
27 |
514 ~ 540 |
24 |
真 興 |
37 |
540 ~ 576 |
25 |
真 智 |
4 |
576 ~ 579 |
26 |
真 平 |
54 |
579 ~ 632 |
27 |
善 徳 |
16 |
632 ~ 647 |
28 |
真 徳 |
8 |
647 ~ 654 |
29 |
太宗武烈 |
8 |
654 ~ 661 |
30 |
文 武 |
21 |
661 ~ 681 |
以下省略 |
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