(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  
Ⅱ古暦の巻  五章 古代朝鮮の年代論 (15・16・17・18)
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17 百済(中)

腆支王の謎

 『日本書紀』には、4世紀の近肖古王から6世紀の威徳王に至るまで、百済王の在位年代を示す記事があります。その記事は、大きく前半と後半に分けることができます。前半では、7人の王の在位が120年繰り上げて記録されています。後半では、7人の王の在位が繰り上げなしで記録されています。二つのグループの間には、記載から漏れた王(毘有王)が一人います。

 120年の繰り上がりを修正すると、『日本書紀』には欠けたところや細かな違いはあるものの、おおむね「百済本紀」の年代記事と一致します。このことは、互いに相手の正しさを証明し合っているようなものです。細かな違いについては、「百済本紀」のほうが正しいと思います。全ての年代がそろっていることを重視します。ただし、「百済本紀」にもいくつか問題があります。

 まず腆支
(てんし)王の死亡年に問題があります。『日本書紀』では、直支(とき)王(腆支王)の死を414年(修正年)としています。ところが、「百済本紀」では420年としています。さらに「宋書百済伝」によれば、余映(腆支王)が424年に朝貢したと書かれています。日本・朝鮮・中国の記録がみな違っています。

 この件について、『日本書紀』に興味深い記事があります。応神天皇の25年の条に、次のように書かれています。

   百済の直支王(ときわう)(みまか)りぬ。即ち子久爾辛(くにしん)、立ちて王(こきし)と為(な)る。王、年(とし)(わか)し。木満致(もくまんち)、国政(くにのまつりごと)を執(と)る。王(こきし)の母(いろは)と相(あい)(たは)けて、多(さは)に無礼(ゐやなきわざ)す。天皇(すめらみこと)、聞(きこ)しめして召す。

 この記事のポイントは、直支王が亡くなった時に、幼少の太子とその母が残されたことです。幼少の太子は後の毘有(ひゆう)王でしょう。母は、久爾辛王だったと思います。

 「百済本紀」では腆支王の子は久爾辛王で、久爾辛王の子を毘有王としています。しかし分注には、腆支王の子を毘有王とする別伝があると書かれています。その分注を重視して、太子の毘有王が成長するまでのつなぎとして、母の久爾辛王が即位したと考えます。

 百済では、女王久爾辛の存在を中国に対して隠し通し、さも腆支王の治世が続いているかのように装ったのでしょう。日本でも推古女帝の存在を隠した例があります。女王を戴くことで中国に軽んじられることを避けたのかも知れません。

 そこで、腆支王から毘有王までの年代については「百済本紀」をそのまま採用し、系図については次のように考えます。

 18腆支王
    ├────20毘有王─────21蓋鹵王
 19久爾辛王

 次に蓋鹵王以後の七代については、年代は「百済本紀」が正しく、系譜は『日本書紀』が正しいと思います。「百済本紀」で系図を作ると、5世紀の100年間に六世代が収まって不自然です。100年間に三世代か四世代が収まるのが普通で、この点で『日本書紀』のほうが信用できます。

 次に、前半の枕流
(ちんりゅう)王と辰斯(しんし)王の二代は在位が短く、近仇首(きんきゅうしゅ)王の弟と考えたほうが良さそうです。阿華(あか)王が近仇首王の子だと思います。ついでになりますが、近仇首王以前の系図については、8代・9代・10代の三人の王は、4代王の孫とすると収まりが良くなります。三国の中では、百済の系図に混乱が目立つようです。

 図表23  百済王の比較年表
王 名 百済本紀
元年~死亡年

日本書紀
元年~死亡年

13 近肖古 346~375   ~255
14 近仇首 375~384 256~264
15 枕 流 384~385 264~265
16 辰 斯 385~392 265~272
17 腆 支 392~405 272~285
18 阿 華 405~420 285~294
19 久爾辛 420~427 294~  
20 毘 有 427~455 記載漏れ
21 蓋 鹵 455~475   ~475
22 文 周 475~477 477~  
23 三 斤 477~479   ~479
24 東 城 479~501 479~502
25 武 寧 501~523 502~523
26  聖 523~554 524~554
27 威 徳     554~598 557~  
 

 図表24  百済王の比較系図

 ◯百済本紀

 13近肖古───14近仇首─┬─15枕流───17阿華──┐
               └─16辰斯         │
  ┌────────────―――――――――――――――┘
  │  別伝に
  │   18腆支───────────20毘有──
  │
  └───18腆支───19久爾辛───20毘有──┐
                           │
  ┌────────────―――――─────――┘
  │
  └─┬─21蓋鹵─―─22文周─―─23三斤
    │
    └──◯◯──―─24東城─―─25武寧──┐
                          │
                  ┌─────――┘
                  └─26聖──27威徳

 ◯日本書紀

 13近肖古───14近仇首─┬─15枕流──┐
               └─16辰斯  │
                       │
 ┌────────────―――――――――┘
 │
 └─17阿華───18腆支─19久爾辛──┐
                      │
 ┌────────────――――――――┘
 │
 └─(20毘有)

   ┌─女性─┬─21蓋鹵──25武寧──26聖──27威徳
   │    │
   │    └──◯◯───24東城 
   │
   └─22文周───23三斤

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