研究紹介:創傷治癒を発生学的視点でとらえる

 学部4年生向けの研究紹介記事をもとに一般の方や高校生にも読んで頂くために書き改めた文章です)

 私たちは,からだの一部に傷を受けてもしばらくすると,見た目にも機能的にもほぼ元通りの状態にもどす力を備えています(傷のことを創傷といい,これが治ることを創傷治癒といいます)が,そこにはかなり複雑な仕組みが働いていることが知られています。例えば,そのような仕組みに欠かせないとされる何種類もの細胞が未成熟であることなどから,生まれてすぐの新生児には大人と同じ洗練された仕組みが十分備わっているとは考えられません。しかし,生物とは不思議なもので,(多くの動物種で)胎児期や新生児期の傷は,大人の傷に遜色ないどころか,最近の研究では,かえって,治りやすいらしいことが分かってきて,専門分野でも注目を集めつつあるのです。

 創傷治癒とは身近で当たり前の生命現象と思われがちですが,実は分かっていないことが山積しているので少し整理して考えてみましょう。創傷が生ずる,すなわち,からだの一部が失われたり正常な状態でなくなったときに,どのようなことが起こるかは,それだけ問われても答えようがないほど,さまざまな条件や要因に依存します。目で見える変化に限っても,動物種が何か;その動物(ヒトももちろん含まれます)の老若度はどうか;臓器は何か;創傷の大きさや形はどうか,などの重要なチェックポイントがあるわけです。創傷治癒は一言で複雑多様ということになりますが,私はここで,創傷治癒のなかでかなり普遍的な要素といえる「傷が塞がる」(創閉鎖)ということに的を絞り,先ほどから手掛けている発生学的視点での議論をさらに進めたいと思います。具体的には次のような問題を挙げることができます。

  1. (前述のとおり)胎児期や新生児期はかえって治りやすいということには,速やかに治ることと,成体期の創傷治癒と異なり,傷跡が残らない無瘢痕治癒といいます)という二つの意味がある。その原因については多くの研究者が現在研究中だが,未解明である。
  2. 傷が塞がる仕組みあるいは様相は,前述のように個体発生の過程のどこかで変わるらしいが,それが,いつ,どのように変わる(転換する)のかは不明である。動物種による違いもあるようだ。
  3. 個体発生をさかのぼると,臓器の形態形成の時期になるが,この時期は組織分化だけでなく,多くの場合形態形成運動(細胞が塊で移動運動する)が活発であることが知られている。そのことは上記の未成熟期の治癒の特徴と深く関係するのではないか?
  4. 傷を覆う役割を果たす組織(上皮組織。体表では普通,表皮)に起こる変化のなかで何が重要か,変化を起こすシグナルは何であり,組織の中をどう伝わるか?未成熟期の治癒の特徴をそのことで説明できないか?
  5. 上皮組織とは隣り合う細胞同士が接着した状態を保っている。注目すべきことに,多くの場合,創閉鎖の間も細胞接着が保たれている(形態形成運動も同様と言える)。この状態の維持には細胞表面に存在する細胞接着分子という分子同士の結合が欠かせないが,こうした細胞接着は,まさに創閉鎖を行っている上皮組織の「動き」のじゃまにならないか,あるいは細胞接着という装置は,じゃまにならないようどう制御されるのか?とくに,未成熟期創傷の上皮の細胞接着はどうなっているのか
  6. 未熟期の組織の修復能は(たとえばイモリの四肢にみられるように)"再生"的であってもよいと思われるが,実際は,必ずしも(たとえばカエルの四肢のように,動物種によって)再生的でないのはなぜか?創傷治癒と再生とはそもそもどういった関係があるのか?

 当研究室では,以上に列記したような,創傷治癒(あるいは創閉鎖)の発生学的な側面を常に念頭に置き,生物学的問題の核心を最重視しながら研究課題を設定し,「創傷治癒」という生命現象を生物学的に理解することにより,関連研究領域との協調を通じ社会的貢献を果たしたいと考えております。研究課題の決定に当たっては,研究室に参加する学生,院生の自主性を重視し十分話し合い,必要に応じて研究の第一当事者の興味や関心に即した内容に調整した上で研究に着手することに決めております。現行研究課題は以下の通りです。卒論・修論・博論一覧も参照して頂ければ幸いです。 

現行研究課題:

主要な実験系:

注1:創閉鎖に直接関係した研究課題にほぼ共通した注目点は,細胞が"シート(塊)を保ちながら動く"中で細胞接着はどうなるのかを知りたいということです。

注2:課題に共通の技術:動物の飼育・実態顕微鏡下での手術・動物組織培養・一般組織化学・免役組織化学・抗体関係の生化学・ 基礎的分子生物学的実験操作(なかでも,未成熟期の表皮再生の迅速さを考慮し,タンパク質の細胞への導入法の確立・適用に取り組みたいと考えております)。

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