藤田令菜の日記3 -恋愛編-


6月13日土曜日(晴れ)



なんで今まで忘れていたんだろう?
そうだ・・・そうだよ。私は『闇の扉』という本を手にし、願いを託したんだ。
私が変わり始めたのは、その次の日からだった・・・・。
不思議なほど綺麗に忘れていた。
本に願いを書いた事。『闇の扉』という本を持っている事。

私は少し恐さを感じながらも、もう一度その本を手にしました。
そして、ゆっくりとページをめくってみます・・・・・。



・・・・・・・・・・・・・やっぱり。



白紙だったはずの場所に、新しく何か言葉が記されていました。
≪あなたの願いは聞き入れられました、只今願い実行中≫
それだけ書かれています。

本当に願いが叶えられているの?
・・・・確かに、確かに前と比べれば私は変わり初めている。
これが本の力?


そして試してみたくなりました。

私の願いは『茂原直樹さんが、憧れるような女性になりたい』です。
本当に願いが叶っているのなら、あの茂原直樹さんは私と出会ったら興味を示してくれるはず・・・。
そして、私を憧れる?
そんな事ある訳がない・・・・、けど、試してみたくなりました。



いつも窓の外から見ているだけだった、大きな建物。
茂原直樹さんが築き上げ、そしてまだまだ成長をやめる事のない会社。
茂原直樹さんがいる、ビル。
来てしまいました。
目の前から見ると、やっぱり大きくて綺麗な建物です。
私は勇気を振り絞って中に入ってみました。自分とは場違いな感じがするほど圧倒される感じがしました。まるで機械のように人が早足で歩き不思議なほど無機質。

でも、実際入ったはいいもの、ここからどうやって茂原直樹さんに会えばいいのか解りません。受け付けの人は話も聞いてもくれないし、エレベーターに乗ろうとすれば警備員に止められる・・・・・・。
考えてみれば当然です。
ここの会社の人間ならともかく、私みたいな学生が社長なんかに会える訳がない。
いや、会社の人だってきっと偉い人しか会えないと思う・・・・。
茂原直樹さんは、それだけ凄くて手の届かない存在なんだ。

一時間くらい、色々と考えたけど何も良い考えが思いつきませんでした。
私は疲れたので、ロビーにある椅子に座りました。
・・・・何だか馬鹿みたい。
一人で浮かれてこんな所まで来ちゃって。
やっぱりあの本も嘘なのかもしれない。ただの偶然だっただけで。
・・・・ただ、それだけの事だったのかもしれない。
もう諦めよう。 ・・・・・・・そう思った時でした。


・・・・・チン。


自分の目の前にあるエレベーターの扉が開きました。
思わず顔を上げてそれを見ると、エレベーターの中には誰もいません。
誰かボタン間違えて押しちゃったのかな? それだけ思いました。
けど、5分たっても10分たってもエレベーターの扉は開いたままでした。
よく見ると、警備員がいません。
さっきは2・3人交代でこの辺をうろうろしていたのに、誰もいません。
受け付けを見ると、受け付けの人も誰もいません。

今なら、乗れる・・・・・。


私は多少の不安を感じながらもエレベーターに飛び込みました。
すると、私がボタンを押すよりも早く扉は閉まり勝手に上へ上へと動きだしました。
ずっと、ずーっと、ただひたすら上へ上へと行く。

・・・・チン。

ようやくエレベーターが止まりました。
止まった場所は・・・・・・・・屋上?



今までの狭いエレベーターの中とは反対に、清々しい風が吹き抜けます。
遠くの方まで町並みが見え、空には雲一つありませんでした。
そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

屋上には、茂原直樹さんがいました。

彼はビルの下を覗き込むような体制で、手すりにもたれかかっていました。
その表情はとても深刻で・・・・・今にも、今にも飛び下りそうな雰囲気を漂わせていました。
私がそっと彼の方へ歩いて行くと、彼は私の存在に気づきました。
けど一瞬だけこちらを見ると、また地面を見つめました。別に怒る訳でもなく問いただす訳でもなく私がまるで空気のように、彼は何事もなかったようにさっきと同じ格好のままでした。
そして、彼は小さな声で言いました。
「見せ物じゃないぞ・・・・・・」
それだけいうと、また彼は黙ったまま地面を見つめます。
私は訪ねてみました。「何をしているんですか?」すると彼は答えてくれました。
「何をしてると思う?」と・・・・・・・。
彼の質問に答えられなく黙ってしまった私に、彼は一瞬だけ呆れるように笑いました。「ここから飛ぼうと思っていたんだよ。今日で七回目の挑戦だ・・・・、だがどうしても決心がつかないんだ」
彼の信じられない言葉に、私は思わず絶句してしまいました。
「意外と私は臆病な人間なのかもしれんな・・・・、ここから飛びおりる事なんて簡単な事のはずなのに」
彼は少しだけ遠い目をしました。
「・・・・飛びおりるって、死ぬって事?」
私は分かりきった質問をしてしまいました、でもどうしても確かめたかったんです。
「飛びおりた後は空でも飛ぶのかい? 死ぬ以外に何があるんだ。君はおかしな人間だな」
そこで初めて、彼は私の方に向きを変えてくれました。
確かに・・・テレビや雑誌の中で見ていた茂原直樹さんでした。とても無表情で整った顔だち。まるで引き込まれそうな魅力的な瞳を持っていました。
自分の胸が高鳴っているのが解ります。
「見たところ学生のようだが、君はどうやってここまで来たんだ? ここは私以外入れないはずなんだがな」
私でも解りません・・・と言いたいけど、どう説明すればいいか解りません。
「・・・言いたくないなら別にいい。その変わり、もう帰ってくれないか?私は一人になりたいんだ」

私は思い切って、言ってみました。

「あの・・・・、またここに来てもいいですか?」
彼は一瞬だけ眉を寄せ、そしてまた向きを変え地面を見つめます。
「・・・・好きにしろ」
彼はそれだけ言い、後は何も言ってくれませんでした。




今日、初めて彼に会う事ができました。
けど、私のイメージしていた茂原直樹さんとあそこで出会った茂原直樹さんがあまりにも違っていたので、顔の同じ別人じゃないかなって思ってしまいます。
本当にあの彼が真実の茂原直樹さん?

何だか不思議な感じです。



6月14日日曜日(晴れ)



また来てしまいました。
昨日のように、なぜか警備員もいなくエレベーターも開いていて、ここまで何の苦労もなく来られました。

昨日と全く同じ時間、昼から夕方に変わる直前の時、彼は昨日と同じ格好でそこに立っていました。
考え込むように地面をただ見つめ、とても悲しそうな表情をしていました。
まるで昨日の出会いをもう一度再現しているような気分です。
「またおまえか・・・」私の存在に気づいた彼は、特に私の顔を見る事もなくそれだけ言いました。
「また、飛ぼうとしているんですか?」私の質問に彼はフッと笑った。
「どうせ本気にしてないんだろう?」その言葉に私は「どうしてそう思うんですか?」
「普通はそんな事聞かないよ。本気だと思っていれば少しは動揺するさ」
「・・・・・・・・・」
私が黙ってしまうと彼は「図星か?」と言います。
確かに、私はこの事実を目の前で見つめながらも心のどこかで否定している。
あんなに憧れてあんなに手の届かなかった彼が、ここから飛びおりようかと悩んでいるなんて・・・・・信じられなかった。
「だって、あなたには死ぬ理由なんてないから」
「私のどこが死ぬ必要がないというんだ?」
彼は私を見ました。とても真剣で辛そうな瞳をしていました。
「だってあなたは完璧で、どんな事だって不可能がない・・・。それにこの会社だって順調だし皆からも憧れられているじゃない」
私の言葉に、彼はまた私から目を逸らし地面を見ます。
「私も人間だ・・・・。完璧なんかじゃない。人の心のように時には怒りも感じるし悲しさを覚える事だってある・・・・・」
「だが・・・・、どうやら周りの人間には私の心というものが邪魔らしい」
そして、彼はこう言ったんです・・・。

「わからないだろう? 君のような何の苦労もした事がないような人間には」



彼のあの言葉。
自分の中でたった一つだけ光り輝いていた光を、突然消されてしまったような気分がしました。酷く悔しかった。
彼が、あんな言葉を言うなんて・・・・・。
私の事を何も知らない癖に。
私が今までどんなに苦労して、どんなにあなたを支えにして生きてきたのか知らない癖に。

あなたの何倍も死のうと思っていた事も知らない癖に・・・・・。
少しだけ、茂原直樹さんが嫌いになりました。



6月15日月曜日(曇り)



そういえば最近、クラスの男の子にあまり苛められなくなったような気がします・・。
女子の方は、前にもましてヒステリーのように私に嫌がらせばかりしてくるのだけど、男子は何も言わなくなりました。
・・・・・・・・・・どうしてだろう?



今日もビルの屋上に行きました。
昨日は日記に茂原直樹さんが嫌いって書いたけど、やっぱり気にはなります。
もし彼が本当に飛びおりてしまったら? とか考えてしまうとどうしても行かないといけない気分になってしまいます。

彼はいつもと同じ格好で地面を見つめていました。
私が彼の側へ行くと、少しだけ嫌そうな表情をします。
「懲りない女だな・・・」私の方を見る事なくそれだけ言いました。
何だかいつにも増して今日は機嫌が悪そうです。
私は何となく彼に話しかけづらかったので、彼の横に行き彼と同じように地面を見つめてみました。
ビルの下は、人と車で埋めつくされていました。人々は忙しそうに早足で歩き車は排気ガスをまき散らしながら徒歩よりも遅いスピードで走っています。

何か、その光景を見ていたら可笑しくなってきました。

「何か、ヘンテコな世界だね」その言葉に彼は一瞬だけ私を見ました。
「たくさんの数えきれない未来があった筈なのに、どうして人はこんな世界を選んじゃったんだろうね。まるで人形が忙しく仕事してるみたい・・・」
私のその言葉に、彼はフッと笑いました。「君は面白い事を言うんだな。人形、か。確かに今の人間は人の形を持つ人形かもしれないな」そして地面を見ます。
「全く・・・・滑稽な景色だな」
彼はそう言うと、さっきの神妙な顔つきとは裏腹に面白そうに人の流れを見ています。そして何かを思い出したように私の顔をみました。
「そういえば聞いてなかったな。名前」
一瞬誰の名前だろう? と考えてしまいまいました。「私の名前?」と聞くと
彼は私を馬鹿にしたように笑いました。「君以外に誰がいるっていうんだ? 下の人形にでも聞いているっていうのかい?」その言葉に少しムッとしたけど、私は正直に答えます。
「藤田令菜だよ」すると彼は面白くなさそうにまた地面を見てしまいました。
「なんだ、普通の名前だな・・・・・。つまらん」
・・・・・・・・かなりムカツキました。
「普通の名前で悪かったわね!! 全く!! 失礼な男!!!!」
私の言葉に彼はこう答えました「文句があるなら来なければいい。私は正直に言ってやったまでだ」



昨日より彼が嫌いになりました。
・・・・ほんっとーにムカツク。

だけど・・・気になるの。



6月16日火曜日(曇り)



今日は生まれて初めて家の手伝いをしてしまいました。
朝いつもより早く起きて、何となくお母さんが朝食の支度をしているのを見ていたら自分もやってみたくなったんです。
私がお母さんに「何か手伝う事ある?」って聞くと、お母さんは顔を真っ赤にして凄く慌ててその後に笑顔を作って「え、ええ! 勿論よ!! お母さんちょうど大変だなーって思ってたの!!令菜が手伝ってくれたら助かるわー」そう大げさに返してくれました。
・・・・こんなに慌てたお母さん初めて見たな。いっつも怒ってるお母さんの記憶しかない私。
私はそれだけお母さんを怒らせる事ばかりしてたんだ・・・・・。



今日もビルの屋上に行きました。
ちょっと学校で色々あって、今日は屋上へ行くのが遅くなってしまいました。
もういないだろうなと思いながらも慌てて屋上に行くと、彼はまだいました。
私の存在に気づくと、いつも何にも興味を示さない筈の彼は私の方へと振り返りました。
そして、私の姿を見た途端驚きの表情をします。
「えへへ、びっくりした??」私は出来るだけ笑顔でそう言いました。
「・・・どうしたんだ? その髪」
いつも温かかった両肩が今日は何だかスースーします。
「切られちゃった、クラスの子に」
学校の下校時間、女子達に無理やり押さえつけられました。
そして髪の毛を鷲掴みにされて裁縫ハサミで私の髪を切りました・・・・・。
・・・・・・・・こういう時、一人ぼっちという弱さを深く実感してしまいます。
「・・・・・・・おまえ、苛められてるのか?」
いつも私を馬鹿にした態度をとる彼は、今日だけは真剣でした。
「いつかあなた言ったよね。おまえみたいな何の苦労もした事がない人間には解らないって・・・。私もこう見えてもね、色々悩みあるのよ」
「・・・・・」
「私が苦労も悩みも知らない能天気馬鹿だとでも思ってた? 悩みがあるのはあなただけじゃない、死にたいって思う人もあなただけじゃないのよ。これで少しは解ってくれた?」
彼は酷く動揺しているようでした。
とても困った表情をしていて・・・・、こんな苦しそうな顔をした彼は初めてみました。
彼はゆっくりと空を見上げ、そしてもう一度私を見ました。
「すまなかった・・・・・。けど・・・・、おまえには何も悩みなんてないと思ってた」
「?」
「・・・・・・・君は・・・・」
そこまで言うと彼ははっとしたように黙ります。
「・・・・なんでもない。とにかくすまない事をした」
彼はそれっきりまた黙ってしまいました。



・・・・・・・何だろう。
自分の心臓の音が聞こえる。
その音は、とてもリズム感がなくゆっくりでした。
・・・・・・・・・まるで止まってしまいそうな重たい感じ。



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