<7-1:2005年01月01日〜12月31日<PIM,半隠居>
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05年9月2日:まだ残暑が厳しい!

 足の肉離れが良くなって(まだリハビリには通っているが)以来、昨日の浜野CCでのいつもの真名の平日プレイメンバー(神庭、山中、北村各氏)達とのプレイおよび84日を含めて、連日の真夏日の中、既に14回もゴルフをやった。ゴルフの回数が増えてきた理由の一つは、今回の足の怪我でお世話になった本田先生から定期的に水曜日のプレイ(今後も月に2回程度は付き合うことにしたいが)を誘われていることもある。プレイは、熱中症の対策を含めて、出来るだけ乗用カートを使用するように心がけたが、足の筋力もまだ十分には回復していないものの、そこそこに回復してきており、またスコアもまずまず(中古店で買った「スコッティー・キャメロン」のパターが、感触がいいということが大きいか?)で、先ずは喜ばしいことだ。

 今日は、本田先生の病院で球道会仲間の木曽さんと会った。昨日メールが入って、腰と両膝の不調のために本田先生の診察を受けたい旨の内容が記してあったが、今日早速病院(病院の場所と電話番号をメールで教えておいた)を訪れたようだ。診察の結果はあまり芳しくないようであった。早く完治することを祈りたい。

 いっぽう、昨日は西君から嬉しい電話があった。西君は、甲状腺の部分の癌の大手術(8時間にも及ぶ手術であったという)を825日に国立がんセンター東病院(柏市)でやったが、その経過が良好で1日には抜糸済み、来週の前半には退院も出来るであろうとの知らせであった。手術前の23日に聞いた時には、転移が大きいので大変な手術になりそうとのことで幾分落ち込んでいるようにも感じられたが、昨日の電話では喜びで声が弾んでおり、当方も嬉しさがこみ上げるような嬉しい知らせであった。早速、TEC同期入社者のなかで家にメールを持っている連中には、メールで知らせておいた。こらから早く体力も回復し、また一緒にゴルフを楽しむ日が近からんことを願いたい。

 先日、真名CCのキャディー一人から、突然に「手縫いの浴衣」(本人が和裁の先生の資格を持っているとのこと)のプレゼントを受けた。どう言う理由でのことか(ゴルフ場で会えば、良く言葉を交わす中ではあるが)、全く理解しがたい点もあるが、お返しするような失礼なことは出来ないし、純粋に好意に甘えて受け取ることにした。

娘とほぼ同じ年齢の女性に対して、どう対応すべきか些か戸惑いがあるが、取りあえず、お礼として、T&Fのゴルフコンペでベスグロの商品として貰っていたゴルフクラブの「キャリーバッグ」をあげて、今後の成り行きを見守ることとした。

0587日:ようやくゴルフのOKが出て、早速プレイした!

 4日には、本田先生のOKを取り付けることもせず、「ゴルフフェスタ千葉」で申し込んでいた「東急700CC」に、予定通り、神庭、山中、北村氏と出かけた。かなり注意を払いながらの1ラウンドであったが、心配するような事態も発生せず、プレイ内容もパーが4個取れて、先ずは目出度しのゴルフ復帰であったと言ってよかろう。

 5日は、前日のゴルフのことは伏せたままで診察を受けたが、ようやく晴れてゴルフのOKが出た。時々リハビリには通うことを前提として、ボツボツやっても良かろうということであった。また、嬉しさのあまり、その場での先生の申し出を安易に受けて、早速12日に「こぶし」を本田先生と一緒に回る約束もしてしまった。

 OKが出たら、もう止まらない。昨日も、但馬、岡氏とGPを回ったし、来週は9日が神庭、北村氏と、11日は二木会、12日は本田先生と、14日は月例競技と、9日間のちに5回もプレイすることとなってしまった。約4週間のブランクの反動もあってか、来週の予定は多少無理をしてしまったが、状況をみて、出来るだけカートを使用するとか、プレイ後の足のケアーに気を配るとかして、再発することがないように注意をしていきたい。

 足のトラブルは、糖尿病に起因する「閉塞動脈硬化」の影響のためではと危惧していたが、まじめにリハビリをやれば直ぐに完治することが分かって安堵した。ただし、足の筋力がかなり弱っていることも判明したので、これからは、無理をせず、状況を見極めながら、かつ準備運動と事後のケアーを十分にやって、再発すことがないようにしながら、長くゴルフを楽しめるよう気をつけていきたい。

05年7月31日:リハビリの効果が出てきているようだが?
 昨日に続いて今日もゴルフの練習を少しだけやった。痛みを気にすることもなく、完全に復調したといっても良さそうである。ゴルフのやり過ぎの為か慢性的に疲労感があった足から幾分そのような感触が失せてきたように思う。これからは、筋力の増強は勿論として、ゴルフ後のケアーにも気を配って足のトラブル防止に注意したい。まだ10年間位はゴルフもやりたいし、そのためには相応の努力をせねばなるまい。

 最近(心筋梗塞を患って以後)、ゴルフでは神庭さんに大きく遅れをとっている。彼が大きく力を伸ばしたことが一番大きな原因であるが、一方で、自分は心筋梗塞前の力に戻せない状況が続いているために、その差は大きいものとなってしまった。もはや、無理して追いかけ、追い越そうとすることもなかろう。今の自分の力なりで楽しめば良いのだ!

05年7月30日:怪我後はじめてゴルフの練習をやった!

 梅雨も明けて、いよいよ猛暑の時期が到来、27日には千葉、東京地区で36℃を記録した。これから、8月半ばの盆の頃までが、高気温に加えて湿度も高くて、一年で一番厳しい時期である。熱中症に注意して生活しなければなるまい。

 肉離れを発症後に通院を始めてから直ぐに開始した電気治療に加えて、19日からは理学療法によるリハビリもやることとなった。早く回復してゴルフをやりたい一心で、ほぼ毎日リハビリに励んだかいあって、2,3日前から痛みも完全になくなってきた。ここまで来れば、31日の「合同真名会」に参加できるのではというスケベー心を持って、28日に本田先生に打診してみたら、足の筋力を測定したうえで「ノー」の回答があった。この体重を支えるには筋力不足であるということでもあるようだ。今回の怪我を反省材料、教訓として、ゴルフに復活しても、筋力の鍛錬は継続していくようにしたい。これからも長くゴルフを続けるには、足にトラブルがないことが条件となるので、今回はその点で良い教訓を得たように思う。

 昨夜は、わが社の嘱託であり、長年TECの検査部へ派遣していた原節子氏の「オツウヤ」に出かけた。昨年十二月に食道癌の手術をしたが、既に手遅れの状態であったようで、59歳の若さで力尽きて、ついに帰らぬ人となった。TECでも50歳を少し出たばかりの笠松君の訃報があり、また小生が建設本部長時代の部下であった藤田君も亡くなったという情報が入ったように、自分よりも若い人達が自分の周りでも多く亡くなっている。

加えて、TEC同期入社のN君、PIMを定年退職して間もないF君の二人が、ごく最近になって、癌を発症したというニュースも届いた。考えてみるまでもなく、自分もそのような年齢層のなかにいるということであるが、2年半前に心筋梗塞(28日に最新の定期診察にNTT関東病院にいったばかり)でも一命を取り留めた幸運があったことと、今回は足の肉離れ程度の怪我ですんでいるということは、まだ幸運に恵まれているということであろう。せっかくの幸運を無理をして失うことのないように気をつけながら、また健康の有り難味を噛みしめながら、もう暫くはゴルフも楽しみたいものである。

 「ゴルフフェスタ千葉2005」を利用して、怪我をする前に申し込んだ東急セブンハンドレッド(700)CCでのゴルフプレイが8月4日に予定されているので、リハビリは当然継続するもの、今回はゴルフプレイの可否を本田先生に確認することはせず、これをゴルフ復帰日とするよう自分自身で目標を定めた。そのために、今日は練習場でボールを少し打ってみた。3週間ぶりであり、最初は戸惑いもあったが、怪我をする前の感じを思い出しつつ、ほぼ問題なく練習することが出来た。ただ、当然とは言え、ドライバーの飛距離は幾分落ちているようで、怪我の後遺症が皆無という訳ではない。明日も、無理でない程度に少しだけ練習して、8月4日に備えるようにしたい。


05年7月16日:ジャック 二クラウスの今日で引退した!!

 メジャー18勝をなしとげ、「ゴルフの帝王」と呼ばれて、プロゴルフ史上で最大の名プレイヤー(今回の全英でも初日からトップを走っているタイガー ウッズに、今後、記録は塗り替えられるかもしれないが)といわれているジャック 二クラウス(1940年生まれの65歳は、我輩と同じ年齢である)が、今年の全英オープンを最後に現役を退くということになった。二日目の終わった今朝の時点でスコアが2点及ばずに予選通過がならなかったために、決勝ラウンドへ進むこともなく、今日で彼としての最終日を迎えることになってしまったが、何とも感動的な18番ホール(大群衆の見守る中でバーディでホールアウト)であった。これで、また、一人の偉大なプレイヤーがコースから去っていった。自分と同じ年齢であり、感慨もひとしおである。

 足のトラブルは、間違いなく「肉離れ」であるようで、14日から電気と光線の治療も始めて、しかも松葉杖生活に突入して安静(会社も休んで)にした結果、痛みも少し和らいできつつある。14日になっても痛みが増幅しているように思えたために、他の原因もないかと危惧されたので、再診察をお願いしたが、「典型的な肉離れ」という本田先生の言葉で、先ずは安堵した。

今日入った吉田拓郎氏のメールに寄れば、彼も以前に肉離れしたとのこと。その際に、2週間位でゴルフをやったら、最終ホールのティーショットで肉離れが再発したという。先ずは、完治するまでは無理をしないということが肝要であるということだ。また、このような事態が繰り返されないように、予防策についての本田先生からのアドバイスも受けて、今後は十分に注意を怠らないようにしたい。

 外を出歩くことも出来ずに退屈な生活になっているが、幸いなことに、大相撲と高校野球の千葉県予選が放映されていることと、全英オープンの録画(毎日約5時間分)を撮っているので、それらで何とか時間つぶしが出来ている。

今日は松葉杖なしでも多少は歩けるようになったので恐る恐る庭に出て、鉢植えに水をやった。来週の月曜日か、火曜日あたりに松葉付けが不要になれば、会社にも顔を出せるであろう。

05年7月13日:足のふくらはぎの肉離れを引き起こした!

 何とも久しぶりに日記帳を開いた。気がつけば、今年も半分は過ぎ去ってしまったのに、日記を記したのは数回しかなかった。

 この間に、次のイベントがあったことはここに記しておこう。

1) 4月25,26日は甲南高校の同級生である、柿内、福中、崎元の3人の仲間と、真名CCで泊り込みのゴルフ→これが終わったら、福中君は三菱重工での非常勤嘱託の仕事を最終的に終えて、田舎の東串良に引き上げていった。柿内君も既に仕事からは完全に引いているので、高校の同級生は阿部、竹永、陣内などを除けば、殆どの人が年金暮らしとなったようだ。

2) 7月18日から20日までの3日間は、旧七帝国大学の柔道対抗戦の応援とゴルフと、そして旧友の神原君に会うために福岡へ出かけた→対抗戦では、我が母校東北大学は九州大学に続いて2位で些か残念ではあったが、神原君とは2日間行動を共にして十分に旧交を暖めることが出来たのは何よりの収穫であった。

 さて、今日(昨日、津田沼中央病院で塗り薬は貰っていたが)は、月曜日朝から続いている左足のふくらはぎの痛みが増大しているように感じたので、会社を休んで専門病院の本田整形外科へ診察を受けに出かけたら、「ふくらはぎの肉離れ・全治3週間」という診断が下った。心配した「閉塞性動脈硬化症」ではなさそうなので、幾分安心はしたが、これほど簡単に肉離れを引き起こすこと自身は、今後に心配の種を残したということである。

痛みが明確になったのは月曜日の朝になってからであったが、原因は、土曜日の1.5ラウンドのゴルフの疲れが残っているのに、日曜日の夕方に練習に出かけドライバーを力一杯振り回したことであろう。ゴルフのやり過ぎによる肉離れは、過去にも2,3回あるが、今回のように、いとも簡単に発症するとなると、これからのゴルフが心配となってくる。先ずは、慌てず、完全に治すしかあるまい。明日の二木会、17日の月例競技は出場辞退を連絡したが、今月一杯はゴルフは出来ないということになりそうで、気分は晴れないが!

 身体の衰えは、間違いなく足からであろうということは、常々感じてはいるが、今回のようなことを繰り返しながら、望まないことではあるもの、徐々に、思うように動けない状態が近づいてくるのかと考えると幾分憂鬱になってしまう。上手く体を騙しながら、出来るだけ長くゴルフも楽しめるように工夫が必要であろう。そのためには、先ずは、「無理をしないこと」が最も重要であろうと思う。何事もほどほどに、しかも十分な準備をしてから、ということに注目したい。

 久しぶりにゴルフも出来ない休日を送ることになり、疲れていない時間を十分にもてることになって、日記帳を開くという気持ちが出たことは、幸いと思うことにしよう!

05年4月12日:2年ぶりの同窓会(中学)は盛会であった!
 全くのご無沙汰で、2ヶ月ぶりに日記帳を開いた。同窓会への出席をかねて、7日から10日まで鹿児島へ帰ってきたのでメモしておこう。

7日はレンタカーを借りたらすぐ和子の様子見に出かけて、しばらく話を聞いた。予想していたよりは、気丈に病に立ち向かっており、先ずは安堵した。手頃な老人ホームが見つかれば、早めに入所したいという希望があるようであるが、一人暮らしよりは安心であるので、その方向で協力していきたいと思う。ただ、年齢的には、まだまだ老け込むには早いので、気力で頑張って欲しいものだ。和子が知っている国分の寿司屋で夕食を共にした後、よく利用する「京セラホテル」に宿泊した。

8日は、妹を鹿児島市の桜ヶ丘という高台のほうにある鹿児島大学付属病院まで送った後、桜島を経由してのんびりと家に向った。桜島は数知れず通過しながら、ゆっくりと立ち止まったことがないので、今回は西桜島港の周りを散策した。温泉もあり、きれいな海(魚も釣れる)があり、生活するに素晴らしい立地で羨ましいかぎりである。その後、垂水で昼食、町役場(収入役に就いている愛司君訪問)、池之原の義姉宅を経て17時過ぎに家に到着した。夜は、池之原の義姉家族、同級生の義正君と久雄君、明子などを交えての夕食(義正がもぐりで採ってきたカキほかの海産物も食卓に上がった)。

 9日は、14時前に会場の「ワコー」に集合し、バスで「志布志石油備蓄基地」の見学とルーピンの花見をやってから16時頃に「ワコー」に帰って、朝倉先生、永田先生、音楽の先生(旧姓は忘れた)の参加をえて、約70名(関東、関西から多数参加)が集まっての、卒業後5回目で2年ぶりの同窓会の開始。毎回、ほぼ同じ顔ぶれが集まることになるが、小学生時代によく遊んだ永野克明君(中学生時には相撲部でも一緒)に卒業後初めて会うことが出来たのが嬉しかった。例のごとく、11時過ぎまで2次会(西串良で)をやり、その夜は「ワコー」のホテル(新しく開業した新築―洋室のシングルルーム)に古川君、新原(旧姓迫田)さん、黒木(旧姓北山)さんらと宿泊した。次回は、2年後か、3年後か、意見が纏らないままであったようであるが、2年後が本命であろう。

10日は、何時もの大隈CCで、何時ものメンバーである児玉、松園、田辺、松元、中村、中和田、中尾、古川各君に小生を加えた9人でゴルフをやった。鹿児島は関東地方よりも春の訪れが早いようで、すでに大方の木々の新芽が出揃っており、つつじもかなり咲き出していて、セーター無しでも汗ばむほどの気候であった。帰路は、鹿児島空港発19時40分のJAL最終便で、しかも天候のためか30分以上遅れたが、最終の22時30分羽田発のリムジンバスを利用して、12時前には家でお茶を飲むことが出来た。

ということで、慌しく過ぎた4日間であったために、池之原の福中家と村山実盛君(法事のために同窓会を欠席)を訪ねるチャンスを逸したことは心残りであった。

0528日:冷たい冬の雨、ゴルフは止めて家でのんびり!

 終日冷たい霧雨が降り続いた。天気予報も芳しくなかったので、神庭、北村の両氏と予定していたゴルフは急遽取りやめて、家でのんびりした。今年になって、雨か寒さでゴルフを止めたのは3回目、例年よりも多いようだ。それでも、練習場には出かけて、3カゴほど練習した。

 仕事をやめてから何をやったら良いだろうか? 1,2年はゴルフ中心の生活で過ぎてしまうだろうが、その後の生活が長いのだから、大きな課題である。体が動く間は何かやらなければ、時間をもてあそぶことになり、精神的にも良いことではない。

ゴルフばかりやっているような生活は経済的にも無理が出てくるし、もっと生産的なことをやってみたいという気持ちも強い。野菜作りか、魚とりか、木工か、陶芸か、と言ったようなことがやれればと思うが、体力との兼ね合いで何が良いのか見当がつかない。若い頃には、年老いたらあれをやろうという夢が沢山あったが、いざそのときが近づいてくると、何とも決めかねるということになってしまう。4月の中学時代の同窓会の機会に、田舎での生活についてもよく調べてくるようにしたい。

0525日:今年も、今日は早くも25日、時のすぐるは早い!

 インドネシアへ1月11日に送った写真は、まだ到着していないようだ。アチェ沖の大地震・津波の影響で国内が混乱しているためか、この程度の遅れは通常ありうることなのか、全く予想がつかない。2月末までに到着しないようであれば、別の手段(例えば、DHLなど)で再送することにしたい。

 今冬は、典型的な冬型の天気が続いており、関東地方では晴天が多く最高気温も10℃前後はあるが、冷たい風が強くて寒いと感じる日々が続いている。このような中で、週に2回はゴルフをやれているので、「よし」とすべきであろう。ただし、寒さで体が硬くなっているためか、ゴルフのスコアもよろしくない。このような時にも運動不足解消のため(それ以上に好きというのが本当か)にもゴルフは止められない。

 今年も、早くも1ヶ月が過ぎてしまった。早いものだ。このようにして1年がすぐさま過ぎ去ってしまうということだ。5月末の株主総会で役員は引くということは決めているのだが、その後非常勤の顧問として継続してPIMに関係するか、どうかを、松浦君の希望も確認して、早く決めなければなるまい。その後の人生設計も本気でやらねばならない時期にさしかかっているから。

05年1月11日:バリ島は予想以上に快適で良かった!

 先月の28日の出発時にも心臓が気になって、不安感いっぱいの旅立ちであったが、飛行機に乗ってしまえば如何ともし難いという気持ちが強まって、気持ちも落ち着いた。やはり、病院もない所(デンバサールの町から来るまで1時間半程度の海抜1200Mの山の中)へ出かけるということもあって、非常時について気にし過ぎたということであったようである。バリ島でも、胃腸が張るという現象が12回感じられたが、気候が良く(暑くも寒くもない。朝夕は予想していたより寒かった)て、心臓を気にすることも少なくて快調にゴルフ(毎日1.5Rか2R)を楽しめた。思い切ってバリ島へ出かけたことが、体について自信をつけることとなり、収穫の多い旅であったと思う。暖かい気候が心臓には薬でもあるようだ。来年もまた出かけることとしたい。

 ゴルフも、3日には39,38,41,36という素晴らしいスコアも出て、暖かい所で冬場を凌ぎたいという願望がますます強まってきた。今年は、取締役を退くので、次の冬には12月中頃から3月中頃まで、寒さを避けて生活できるような場所を本気になって物色することとしよう。

 6日の朝に日本に帰ってからは寒い日が続いているが、晴天で風もさほど強くないので、9日は山中氏の誘いに乗って真名CCに出かけて、谷間氏、星氏とプレイした。「ほっかいろ」を体中に張って重装備の体制で出かけたが、プレイが終わったら疲労がドッと出た。寒い中でのゴルフは、体力の消耗が激しいことが明白である。体調が良くなってきているとはいえ、これから長くゴルフを楽しむためにも、寒い間は無理をしないようにしたいものだ。

 スマトラ沖地震・津波の被害は、状況が分かるにつれて増大しており、現時点での死者は、インドネシアのアーチェ地区で約10万人、スリランカ、タイその他の国を加えて全体で15万人と報じられているが、最終的には20万人に達するであろうと言われている。全く、空前の大惨事ということになった。全く予想していなかった地方での大津波で、このような大惨事となったということだ。<後日談:2月になったら30万人となった>

 昨日は、サッカーの全国高校選手権の決勝で、我が郷里の鹿児島実業が千葉県の市立船橋高校を破って優勝した。何となく、自分にとっても幸先の良い年となりそうな気分になるのは、自分に都合の良い性分と言われるか。

 今日は、火曜日だったので、会社は休んで、家で雑用を片付けた。バリ島でデジカメで撮影した写真のプリントが終わったので、横山氏、岩上氏、郡山氏のほかにハンダラのゲストリレーションのMs Novie-mailも発信)へも発送した。トラブルなく、無事に各自の手元に届くことを念じたい。