<7-2:2006年01月01日〜12月31日<PIM,隠居へ>>
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06年12月24日:早くもバリ島行きの準備が出来た!
 12月10日、11日は真名のコテージに1泊しての六和会(九大卒のに日野氏も参加)の忘年ゴルフを実施。18日は昼飯時に金川さん、平田さん、大神君と忘年会を兼ねた昼食会、夜はTEC国内事業部の幹部との夕食会。20日は昼はTECの前社長の広瀬氏のお別れ会(パレスホテル)、夜はPIMの忘年会、と行事が立て込んだ。その合間にゴルフもやったが、疲れがひどく心臓が気になっていたので、21日のNTT関東病院の定期診断時に「狭心症」の検査もやってもらった。結果は、多少の異常はあるものの「陰性」の範囲内であるとのことで安堵した。気分的にはかなり楽になったものの、その後昨日(23日)にやったゴルフの疲れが今日まで少し残った。1月中には、前立腺の検査などもやっておくことが必要であろう。  バリ島への出発(26日)も迫ってきた。例年になく、早々と今日から荷造りなどの準備にかかった。新しく大型のトラベルカバーを購入したので、その機能チェックもしたくて衣類も詰め込んでみた。本当に使い勝手が良さそうで、購入の甲斐はあった。バリ行きは、暖かい所でのんびりと出来るので体調も良くなるであろうと期待している。ただ、無理をしてゴルフをすることだけは止めようと思う。体調と相談しながら、がつがつしないで楽しみたいと考えている。

06年12月9日:天気も悪くて寒い日が続いている!

昨日は、年に1回開催される喜友会(TEC OBの会)が141名(その他TECの役員)の参加で海浜幕張のホテルであった。会社の業績が回復してきているので、会の雰囲気も明るく全体に活気が感じられたのは幸いであった。2時間はあっと言う間に過ぎて、話したい人とも話が出来ないままに別れるということになってしまったが、何とか楽しい一時を過ごすことができた。 

このところ天気が悪いのでゴルフに出かける意欲も湧かない。今日もゴルフの練習にも出かけず寝巻きのままで一日を過ごした。とにかく冬は好きになれないが、ゴルフに対する執着も幾分薄れてきている感じもする。

 今日は、各の如しで、時間もたっぷりあったので、早々と年賀状を仕上げた。約90枚の印刷も完了して、投函の時期を待つだけである。これほど早く仕上げた年は無かったように思う。昔は沢山の年賀状を貰いながら返信もしないということが続いていたが、パソコンで年賀状を書きようにしてから億劫さが無くなり、マメに書くようになった。

06121日:早くも今年も師走、慌しく時は過ぎていく!
 今年は、時間的には余裕が出来ているのに、この日記帳を開く機会が本当に少ない。日記も、過ぎ去った日々を振り返りながら書き込むという形態が多くなりつつある。あまり好ましいことではない。

この間(10月初めの日記以降)にも、幾つかの記録すべきことがあった。

1110日から13日まで高校の同窓会(11,12日に霧島で開催)への出席を兼ねて帰省してきたこと<慌しかったが、兄弟3人にも夫々会う機会が持てた>

212日から22日まで、娘を帯同して、前々から念願のニュージランド旅行に出かけることを決断して、インターネットを利用して一気に切符、ホテルの手配を実施したこと<パック旅行ではなく手作りの個人旅行>

会社では海外顧客対応を担当していた女性が退職して、その対応のために週に2,3日出勤せざるを得なくなったこと

1127日に、TECの前社長の広瀬俊彦氏が、71歳の若さで癌のために他界され、29日通夜(真名ニ木会の宿泊忘年会(トリニティー)出席をキャンセルして通夜に参列)、30日に告別式が執り行われたこと

 暑い夏の日々に悩んだという思いも消えぬうちに寒さが迫ってきて、今日は早くも師走に入り、あっと言う間に一年が過ぎてしまうという実感が強い。このような思いを繰り返しながら年月は過ぎ去っていくのであろう。

 このような状況を勘案すると、さほど長くはなかろう今後の人生を見据えての生活を心がけねばなるまい。

先ずは、やりたいと思いながら先送りしていることを確実にやって、後々に後悔の念に苛なまれることの無いようにしておくことであろう。今回決断したニュージランド旅行もその一環であると考えてよい。

 何年にも亘って記録してきた手帳の記録をパソコンに取り込んで整理しておくこと(何のために?という疑問も湧くが、日記帳と同じく大げさに考えず、「自分史の一部みたいなものであり、やりたいからだ」という単純な理由でよかろう)も、遣り残しの幾つかの中で気になる一つである。

 心筋梗塞で入院して以降、左肺の近辺で痰が絡むようになったが、最近は症状が強くなってきている。長年に亘ってタバコを吸いすぎてきたので、その影響が出ているということであろうが、年齢上からも肺ガンも幾分気になりだしたので、近日中に病院で調べてもらって安心するようにしたい。

06104日:長く生きているうちに色々なことに出会う!

 今日、何時ものようにYahooで読売新聞の鹿児島版を覗いてみたら、兄らが「現東串良町長の奥園氏が市町村合併に積極的でないことを理由に、同氏の解職請求(リコール)に向けた署名活動を進めていたが断念した」という記事に出くわした。署名集めに絡めて、町を二分する騒ぎになっているようである。11月に高校の同窓会で帰ったついでに、霧島まで行って妻の墓参りにも帰らないというのも些か気が滅入るが、状況を調べた上で決断しよう。

 人間は、権力の場に長くいると組織をおかしくしてしまう場合が多い。昨日もスケート連盟の会長として君臨していた久永氏が公金の私的流用(背任行為)で逮捕されるという事態になった。どのような世界であれ、皆に尊敬され、惜しまれているうちに身を引くというのがよいと思う。<ただ、自分の社長、会長退任は少し早すぎたか?>

06年10月1日:早くも秋の訪れた!

今日は、久しぶりに真名CCのシニア選手権の予選を10位で勝ち抜いた。スタートのGP1番で何と8も叩いてしまったが、我慢のゴルフに徹してアウトは44、インでは17番が終わった時点で3オーバーでこれで予選通過も安泰と思った瞬間にティーショットで右にOBを打ってしまい、1番と同じくまたもや8を叩いて42。これで、予選通過は危ういかと思われたがスコア86ながら何とか10位に落ち着いて安堵した。トータルスコアとドライバーショットには不満足ながら、そこそこにパーが取れたのはパットがよかったことが大きく貢献したということであろうという思いで気分は悪くない。パットは、このところすっかり自信を失っていたが、9月28日の夕方に購入した「スコッティーキャメロン」の新パターを初めて使ってみて、結果は上々(3パットも1回あったが、1メートル前後は全部入ったし、1ピン以上も入ってバーディーもとれた)であった。何よりもパットの安定が一番の喜びである。

 マッチプレーの1回戦は、予選7位通過の新井氏と戦うことになったが、今日のゴルフが出来れば(ホールマッティ戦での)負けはないであろう。ただ、ドライバーショットが後半になると不安定なので、改善(思いっきりが重要)を心がけなければなるまい。

それにしても、3月18日以来、本当に長い間、この日記帳を開くこともなかった。

どうしてか?

心に余裕がなかったか?

日記に残すべき出来事もなかったということか?

日記を記す事に飽きてしまったか?

いずれにしても時が大きく過ぎてしまったのだ。

その間にも、身の回りでは次のようなそこそこに大きな二つの出来事があった。

先ずは、6月に真名CCの二木会の有志13名(男性7人、女性6人)でバリ島にゴルフ遠征(自分が案内役として)したことだ。この時期のバリ島は自分にとっても初めてのことであったが、約1週間の滞在中は晴天に恵まれ、しかも涼しい毎日で楽しい旅となり、参加者に感謝された。バリ島は、良き相棒があれば長期滞在したい場所であるが、そのためだけに結婚するということもなかろうし、残念ながら実現は難しいということだ。今年は、2月に沖縄、3月はグアムとそこそこの旅が重なることとなった。秋には、田舎暮らしの調査を兼ねて、再度、沖縄(今度は宮古島中心で)を訪ねたいという願望もあったが、11月の高校の同窓会のための鹿児島行きもあるのでこの計画は難しい状況となってきているので、年末年始のバリ島ゴルフを充実したものするようにしたい。

次は、仕事の面で、自らの意思で7月末でPIMの会長職を退き、顧問となって週に1日の出勤としたことである。このことで、かなりの時間的な余裕が出来たが、未だに時間を有効に使いきっていないのが実態である。本気で今後の生活スタイルを考えて確立しなければという思いは強い。週1日出勤の会社でも時間的に余裕がありすぎるが、この余裕の時間を利用しての唯一つの成果は、、長年に渉って放置していたPIMのホームページをIBMホームビルダーを使って前面改定(会社の現状に沿って完全に作り替え)したことであろう。ホームページの改定は、社長の松浦君の強い要望であったが、小生が完全に退任した後の更新については些か不安はあるものの当面は見直しも必要なかろう。

この間のゴルフについては、年齢的にも期待は持てず、大きな変化は見られないが、このところ少しは安定してきているように感じられる。

06318日:我が家の御岳つつじと同時に梅の花が満開となった!

 今冬の寒さで何処でも梅の開花が大幅に遅れたとの情報が多い中で、我が家の庭の梅は例年にないほど沢山の花をつけて、時期的にも真名CCの梅などと同じく今が盛りである。また、例年、関東地方で春一番が吹き荒れる頃に満開となる御岳つつじ(約30年前に鹿児島から持ってきたもの)もちょうど満開となった。木々の花が全く見られないこの時期に、賑々しく咲き誇っている様は見事である。これは、寒かった冬の終わりを教えるものでもあり、寒さ嫌いの自分にとっては嬉しい限りである。

 2月の10日頃から、堀越女史の退職もあって、かなり忙しくなってきているが、寸暇を見つけて33日から6日までグアム島に行ってきた。この時期のグアムは、気温が30℃を切るくらいで、前回12月に行ったときよりも想像以上に過ごしやすく、永住したくなるような気候であった。いずれにしろ、暖かいということは素晴らしいこととだと痛感する4日間であった。

 6月の19日からは、真名ニ木会のバリ島で実施する海外研修会に参加するし、秋には再度沖縄(特に宮古島)を訪ねたいし、11月は高校の同窓会を兼ねて鹿児島に出かけることになるし、年末には当然バリ島に出かけることは間違いないし、と何かと忙しい1年になりそうである。このような状況を勘案すると、今年は会社を退く潮時が訪れたといえようが、松浦社長からは会社に残ってくれるようにとの強い要請がある。5月初めごろには状況を見極めて、最終的な決断をせねばなるまい。
3月3日から6日までは、年末年始のバリで一緒だった伊藤氏や横山弘君に誘われて、グアムに出かけることにした。このところ1ヶ月に1回のペースで旅に出ており何かと忙しい日が続いている。

06年2月9日:関東はまだ寒いが沖縄は暖かであった!

雲ひとつない晴天であるが、完全な冬型の天候(当面の寒さの山場ということのようだ)で、風邪も強く強烈な寒さ(最高気温7℃)が襲来しているので、「二木会」への参加をキャンセルした。このところ強い寒さの中でゴルフして、体調が気になる(心臓にかなりの負担が罹っているような感じ)ことがしばしばだったので、用心することとした。

この機会にパスポート(有効期限は1年余あるがスタンプの余白スペースがない)の更新あるいは増補の手続きに出かけようかとも思ったが、今日が最も寒い一日ということなので、これも寒さに負けて先延ばしにした。

明日か、来週中には手続きを申請しなければ3月3日のグアム行きがトラブリそう(年末のバリ島では、ビザのための余白スペースがなくなっていてインドネシア入国時に大いにトラブった)なので!

しかし、運動不足にならないように午後からゴルフの練習には出かけて、ボール2カゴ分、ドライバーだけ打った。久しぶりにr7も打ってみたが、やはりNANOVが方向性がよい。r7は処分すべき時期になったか?

06年2月7日:131日から22日まで3日間、予定通り沖縄に行ってきた!
 初日は昼頃の到着時から終日雨、2日目は朝の早い時刻から薄曇りながら終日強風、3日目は薄日の差す穏やかな天気、と3日とも変化があって、この時期の沖縄の気候を体感する目的からは好都合であった。この時期は、沖縄の「避寒桜」の満開のころで、関東の4月上旬ごろの気候であろうか、寒さに弱い自分でもシャツ1枚で過ごせる快適な気候であった。この旅の後で、5日と7日に真名CCにゴルフに行ったが、2日とも強烈な寒さに滅入ってしまい、ますます沖縄の気候の温暖さを痛感させられた。気候の体感のほか、添付の「行動記録」に示したように意欲的に走り回った3日間で、沖縄での生活に関して多くの情報(大部分がゴルフ場の情報であるが)を頭に叩き込むことが出来た。

 結論を言えば、「沖縄は悪くない。寒い間だけでも、是非住みたいものだ」という気持ちが強い。しかし、単独での移住は寂しくて耐えられないであろうという危惧も大きい。慌てず、よく考えてから最終的な判断をしよう。
 また、その前に宮古島も調査してみたい。宮古島は、ゴルフ場でも、病院(大型の県立病院も一つあることが大きな安心要素)でも、魚釣り場でも、車で30分位で行ける大きさであり、さらに田舎暮らしの良さも味わえそうである。昔憧れた離島暮らしは、いまや体力的に無理な状況となっているが、宮古島は病院を含めて条件が整っているように思える。早いうちに出かけてみることとしたい。

06年1月29日:ようやくゴルフ場もオープンした!
 コースの各所に残雪が残っていたが、それでも何とかゴルフが出来てよかった。久しぶりに歩いて、足もいくらか軽くなったように思えて、歩くことの重要性を痛感した今日であった。最近、足に軽い痺れが感じられて足の動脈硬化が気になるが、毎日動いていれば痺れも軽減するようであるので、出来るだけ外へ出るよう心がけたい。それにしても、今冬の寒さでは、つい家にこもりがちになってしまう。

 

06126日:残雪はまだ溶けきらずゴルフ場は閉鎖が続いている!

 8年ぶりの大雪ということであったが、1週間経っても10年に一度もない(自分としては記憶にない)ような残雪の多さで、ゴルフ場は1週間も閉鎖続きとなった。練習場も閉鎖されており、この前の土曜日、日曜日に続いてこの三日間も家にこもりきりで運動不足に陥ってしまう。寒いということはいいことではない。

 この休みの間に、沖縄でのレンタカーを利用した三日間の細かい行動表を作成した。短期間に出来るだけ多くの情報を得るべく、また無駄な時間を費やさないようにという思いから細かく作成したが、些かやりすぎか! あと一日多く滞在すれば遣り残すことなく回れるように思うが、会社を休むのも気になるのでやむを得まい。今回の沖縄訪問の最大の目的は冬場の気候を体感することであり、現実的には、無理をしないで、体調をみながら実行することとしよう。

 23日にLIVE DOORの堀江社長が逮捕された。検察の家宅捜索が始まった時点で、堀江社長の逮捕は予測されたが、時期的にはかなり早い逮捕となった。株の大幅(最終的には数万)分割と粉飾決算を繰り返しながら会社を急速に拡大する手法で急成長(?)し、悪いことをしながら浮かれ過ぎが続いていたが、ついに人生を棒に振ったということだ! 何となく、戦後の「光クラブ」事件を思い起こす事件となった。悪いことをした人がいい思いをしないように世を正す検察の姿勢は敬服する。ただ、先の選挙で堀江を強力に応援した自民党の小泉首相、武部幹事長、竹中郵政民営化相の見識にはあきれるほかはない。いま放映される当時のビデオをみると「おろかさ丸出し」という感が強い。

06年1月22日:雪でゴルフ場は閉鎖、球道会も中止となった!
 東京地区は8年ぶりの大雪となったようで、今日一日ではとても解けることは無理であった。夕方になっても、我が家の庭では残雪が多く残った。練習場に出かける気分にもなれず(確かめていないが、練習場も閉鎖されたであろう)、一日中部屋でテレビを観て過ごした。この二日、全く外へ出ていないし、運動不足が危惧される。寒いといったら家にこもりがちであったり、また出不精の自分の正確からすれば、全く仕事をしなくなったら、かなり意識的に動かなければ運動不足となること必須であるようだ。暖かいところで暮らし、魚釣りや簡単な畑仕事でもしなければ体調を健全に保つことは難しかろう。

 幼馴染で誕生日が全く同じ、昭和15年1月24日の町田さえ子氏から、昨年末頃に「誕生日を一緒に祝わないか」との連絡が入っていたので、今日確認の電話を入れてみた。最近、1ヶ月のイタリヤ滞在(イタリア人結婚している娘さんの看病)から帰ってから体調が優れないようで、当面取りやめにすることにした。お互いに体に故障が目立つ年齢になってきているということだ!

06年1月21日:本格的な今年の初雪は終日降り続いた!
 朝目覚めたら、既に庭は雪化粧で、その後も終日一時もやむことのなく降り続く大雪(明日のゴルフは中止であろうと思わせるに十分な降雪量)となった。今冬は記録的な寒さで、日本海側は大雪も続いており大雪による死者も100人を超えるほどの被害も出ているが、千葉県など関東地方の平野部では本格的な降雪は初めてである。「気温が低くても風がなければ何とか凌げるかナ」と思い始めていた矢先での大雪で、些かうんざりである。ますます、沖縄辺りでの越冬生活の願望が強まってくる。

 昨日は、取りあえず3日間の沖縄の調査旅行の予約を完了した。当初、HISを利用して安いパックを組み立てようと思ってHISの船橋店を訪ねたらHISの国内旅行は新宿店のみが取り扱うとのことだったので、インターネットで「JAL」と「楽天トラベル」に直接アクセスして航空機もホテルも予約した(後で気づいたが、ホテルもレンタカーもJALで予約すればトータルで安くなることが判明。今後は要注意)。気になることは先送りしないで、まずやってみることだ!

 高校の同級生の崎元氏から今年初めての電話があった。東京の中野区辺りも雪が激しく降り続いているとのこと、春になればゴルフをやりたいことなど話した。

06年1月19日:今年も、また、バリ島でのゴルフで年が明けた!

 昨年の92日から日記も書いていなかったが、昨年に続いて今冬もバリ島へ出かけた。仲間よりも早め(1227日)に出かけてクタ地区(正確に言えばレギャン)に2泊し、ウブド・キタマーニの観光も出来たし、帰路も仲間よりゆっくりした(16日の夜にバリ島を発った)のでクタ地区の海岸を散歩する経験も出来て、今回は例年よりも充実したバリ島生活を味わえたように思う。クタ地区では、昨年の夏にオープンしたばかりのAll Seasons Resort Legain (以前にハンダラにいたMs Noviが勤務している)という新しくて、安いホテルを利用したが、こじんまりとしていて、しかも海岸にも近いので今後も機会があれば、ぜひ使いたいホテルとなった。また、6月に予定されている「真名二木会の海外研修会」参加者を引率してバリ島を訪問することになっているので、いろいろな情報を得ることが出来て有意義であった。

 今回は、自分自身(現地での会話をもっと向上させること、ボケ防止のために頭に刺激を与えること)とバリ島でのゴルフ仲間のために、出発前(11月から約1ヶ月余りで)に、「ゴルファーのための超初級インドネシア語講座」なるテキストを自ら作成し、自らも持参した(横山家と岩上家にもコピーを提供した)。この1ヶ月余の勉強が大きく功を奏して、自らのインドネシア語能力はかなり向上したようで、今回は殆どの会話がインドネシア語で可能であり、インドネシア人にお褒め(お世辞ではあろうが)の言葉を頂いた。

 その他、今回のバリ島遠征については、いろいろ書き残しておきたいことも多いが、追々、後日少しずつ書き留めることとしたい。

 昨年12月から記録的な寒さと雪で今冬は厳しい状況となっている。昨年12月には、例年になくゴルフもかなり控えた。今年になってバリから帰国後も、12日の「二木会」、15日の「クラブ月例」、18日の「新桜会」の3回だけに留まっている。ゴルフの調子も、バリ島では絶好調だったのに、帰国後は目も当てられないような酷い状況が続いている。全く、寒さには弱い男である。

いよいよ、前々から考えていた「冬場の間の沖縄暮らし」を調査すべく、この31日から3日間くらい沖縄へ出かけてくることにした。冬の沖縄を少しの間だけでも経験してきて、来冬(1月バリから帰国後から、3月の初め頃までの2ヶ月位でも)の「沖縄暮らし」を決断するかどうかの資料を集めて来たいと思う。既に、パソコンで「大型病院」、「ゴルフ場」および「ホテルなど」の場所の情報を集めて地図上にプロットしたり、「ウィークリーマンション」の情報を調べたりと、準備は着々と進んでいる。23年短期滞在を経験して、将来的には本格的な転居の可能性が出てくるか否か、それはもっと先の話だ!

それにしても、「誰か仲間が出来ないかな〜」というのが、偽らざる気持ちである。