<5-3:2003年07月01日〜12月31日<PIM,半隠居>>
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03年12月31日:ゴルフを休んで年末の雑用を片付けた!

29日に「そごう」に出かけて、コートやゴルフのキャリーバッグなどを買い込んできた。31日にゴルフに出かけようかという衝動もあったが、疲れも残っていたので家で雑用を片付けることにした。また、今朝になって、「今夜から外房のホテルに1泊して初日の出を迎えたい」と急に思い立ち、ホテルの予約を試みたが不調に終わって、諦めるしかなかった。家でやるべきこともあるので、結果は良かったということにしておこう。

 ヴィクトリアでPRGR TRXDUO ソフトのM40(新製品)とテーラーメドのXR‐05の新製品を借りて練習場で仕打してみた。M40M37よりはフックファイスが弱く違和感はない。ただ、今使っているTRX‐385のM40と飛距離も変わらないように思える。XRO5はヘッドが460CCもあってでかすぎる嫌いはあるが、高い弾道で飛距離もTRXよりも伸びるように思えた。もし、買い換えるとしたらXRO5ということになろう。

渋木の実家に夕食を誘われたが、ゴルフクラブの掃除やら、この日記帳の書き込みなどやりたいこともあったので遠慮して家で独りで大晦日を迎えることとなった。ここ何年間も正月らしいこともやっていないし、大晦日も同じことで何時もと格段の違いはない。

 来年もいい年になるように祈りつつ!

03年12月30日:今年最後のゴルフは千葉国際でやった!
 28日は真名で阿部、斎藤、小林健二の各氏とプレイし、今日は千葉国際で山崎、長谷川、小池の3氏とプレイした。今年1年間は、ゴルフ以外の趣味はさておいて先ずゴルフの調子を病気前に戻すことと、体調も昔に戻すことを中心にして生活してきた。どちらも、自分が望んだところまでは回復していないが、年間で100回のプレイを消化出来たのだから「よし」とすべきであろう。パッティングの時に病気の再発を気にかけることは避けられないので、パッティングは最後まで回復が遅れた。ただし、北村氏らとやる時を除いて、特に千葉国際CCでは「サオ1」が1ラウンドで3回位も出るようになっているので、精神的な要素が大きいようである。あまり勝負に拘らずにやれば結果もついてくるようだ!

 PRGR TRX-DUOソフト M37を「そごう」のゴルフショップから借りて今日のプレイで使ってみたが良くなかった。ヘッドがかなりフックファイスに出来ており、アドレスの時から違和感があり、ボールも左へ出易い。飛距離も現在使っているTRX-385よりも出ないように思えるし、自分にとっては方向性も良いとは思えないので、衝動買いをしないでよかった。

 2,3年サボっていた1年間のゴルフの記録を、ここ2,3日で整理した。スコアに拘っているわけではないが、1年間の経過が見えて今後の参考になるデーダが残せる。

031227:今冬の初雪の後は寒い一日となった!
 昨夜から降った雪がうっすらと積もって、真名CCのクローズということであったが、神庭氏らとお茶を飲んで時間を潰しているうちに雪も解けてきたので、11時前からプレイした。ただ、今冬一番の寒さで、風も強く最高気温も7℃前後(?)までしか上がらなかったようで、かなり体調を気にしながらのプレイであった。昨年の心筋梗塞の発症時は、初雪(かなりの大雪)の降った12月9日の翌日だったので、かなり気にしながらのプレイであったが取敢えず、問題もなくプレイを終えることが出来た。しかし、こんな無茶はやってはいけない。取り返しのつかないことに陥る前に勇気をもって止める決断が出来なければならない。健康であれば、まだまだゴルフは出来るのだから。

 娘夫婦は今夜も友人達と会食へ出かけた。このところ、夜は独りで部屋にいることが多い。これから仕事を辞めて家にいる時間が増えてきた時には、どんな時間の過ごし方になるのだろうか?娘夫婦を煩わすことがないように、かといっても独りの時間が多すぎて寂しい思いをすることがないように、といろいろ考えると、再婚しない限りにおいては、老人施設に入るのが無難なのかもしれないという思いが強くなってきた。ボツボツ真剣に考えなければならない。

03年12月26日:今年の仕事も今日で終わった!
 24日はNDICの事業本部会議、25日は今年最後の役員会で大阪へ出かけてきた。今年も、病後間もない1月の役員会を除いては、役員会出席は皆勤賞ということになった。今回は二日間に渉って山口会長の何時もの話を聞かされ、特に仕事上のトラブルに関しての苦情が強く印象に残ることとなったが、何はともあれNDICの今年度の決算予想も好調で、この厳しい時代に「あっぱれ!」というほかはない。

当社に限っていえば、売上高は原予算を大きく下回りそうで営業利益も満足行くものではないが、そこそこの利益は計上できそうなので、創立20周年記念の一時祝い金を支給することとし、山口会長の了承も快く得られた。まだまだ、PIMの経営に関しては小生に対しての期待が大きいようなので、後暫くは仕事を続けざるを得ないということになろう。

03年12月21日:何と、今年最後の月例競技で入賞したのだ!!

 昨日は今冬一番の寒さで、しかも風も強い中で千葉国際の仲間とプレイして体調がかなり気になった。今日も寒さが続いていたので、心筋梗塞を気にして月例競技は参加中止としたいとも思ったが、好きなことだけに続けてやってしまった。結果は、年末近くになって予想だにしない3位入賞という成績で、いい思い出をつくることとなり、連荘をやってよかったということになった。

 1年前の心筋梗塞発病から後の競技では満足の行く結果が出たことはなかったので、今日の3位入賞は本当に嬉しかった。昨日のパッティングの好調さに反して、今日は3パットが多すぎてスコアは不満足なものであったが、3位に入賞できたということは他の人達もスコアがよくなかったということなので、それなりに満足していいということであろう。

ちなみに、今日の競技はツームストーン方式で争われ、3位は4人で18番ホールの第一打で競うこととなってしまったが、その中で一番のロングドライブ(結果として18番のカップに一番近いボール)を出すことが出来たという勝負強さを発揮した結果であって、感慨深いものがあった。我ながら、まだまだ飛距離も捨てたものではない。

 この1年間、プレイ中に病気のことが頭から離れないので、スコアも纏まらず、特にパットが安定しないので、もはや月例競技などで入賞などするとは思いもしない状況となっていたので、今までにない喜びとなった。まだまだゴルフが出来るのだ、という自信が持てたことが来年に向かって何とも喜ばしい。

 先週末もそうであったが、今週末(昨日、今日)も寒さが押寄せたためもあって富士山がよく見えた。ゴルフの行き帰りにデジカメで写真に収めているが、日本の名山富士山はやはり美しくて素晴らしい。

03年12月12日:心筋梗塞の発症後1年目は無事に過ぎた!
 1年が過ぎた! 思いは複雑というか、感慨深いというべきか!

心筋梗塞を発症した去年の12月10日は、前日9日の積雪が日陰に残る寒い日であったが、今年はさほどの寒さもなく迎えられた。今年の12月10日は、1年に1回開催されるTECOB会である「喜友会」の総会(於:ホテル スプリングス、166名の会員とTECの役員が参加)と重なり、多くの先輩・同僚との懇親をはかりながら過ごしたので、また忘れられない一日となった。このところ体力回復してきてゴルフも発病以前と同様に出来るようになったので安堵しているが、寒さが厳しくなりつつあるので、気をつけて生活する必要はあろう。

 「喜友会」の出席者は、思いのほか年配者が多く、我々の前後が少ない。先日グアムへ一緒した近藤氏、溝口氏も欠席で、また安田氏は予想したとおり昨年に続いて今回も出席していなかった。毎年10数名の会員が亡くなっており、年長者にとってはこの会が旧交を温めるための貴重な時間であろうが、我々の年代はまだ働いている人も多くて、時間の都合をつけにくいということもあろう。ただ、自分にとっては、この会でしか会えない人達もおり、1年に一度この会合に出席するのは楽しみである。

 11日は、昭和42年にTECへ入社した同期の連中の集まりが数年ぶり(凡そ10年ぶりかも?)であった。未だにTECビルで働いているのは3人に過ぎないが、同期入社男性21名中の17名(欠席者4名中で2名は海外で仕事中、1名は重病、1名が仕事で欠席)が集まるという盛会であった。

ここに到って、各人の生き様が各人各様となってきたような面白さが感じられる。若い時のように肩に力が入っているような感触もなく達観したなかで生活を送っている人もあれば、80歳まで仕事を続けることを宣言する人もあって、人生観も様々であるが、夫々が自分自身の意思で動き出しているナ、という感触をもった。結構なことだ

何年ぶりかで年賀状を出すべく、幾つか原稿を作ってみた。長いことご無沙汰、特に年賀状に関しては全くのご無沙汰ということであったが、日ごろの失礼を詫びる意味からも年賀状の出状を再開することにした。

03年12月6日:グアムへのゴルフの旅は素晴らしかった!

近藤洋右さん、溝口慶昭さん、宇田敬さんの3人と1日から5日までグアム島へゴルフの旅に出かけてきた。行き帰りの飛行機は自分だけがJAL(マイレージを活用)であったが、現地は3人と同じくHISHighest International Standardの略語とのこと)を利用して彼らに合流する形式で、安いホテル(グランド プラザ H)に宿泊したので安上がりの旅となった。当方の希望に同意して、この旅に3人が参加してくれたことで素晴らしく、楽しい旅となった。3人には心から感謝したい。

ゴルフは、貪欲にプレイするということではなく、一日に1ラウンドだけで、あとはのんびりと体を休めるというスケジュールで、しかも行きの旅行日の1日と帰りの旅行日の5日はゴルフ抜きにしたので、疲れも出ないゆったりとした旅になった。プレイしたコースは、2日がマンギラオ(MangilaoGC,3日がCC of The Pacific,4日はGUAM International CCということで、3コース共に自分にとっては初めてのコースであった。

  

 3日間ともゴルフは好調といえる結果であった。特に、5,6番のアイアンが好調で、160ヤード前後のショートホールで殆ど(12ホール中9ホールで)ワンオンした。マンギラオCCの名物ホールの海越えのショートホールでも唯独り1オンし、しかも1ピン程度に乗せられて溜飲を下げることが出来た。また、4番ウッドも好調で200ヤード前後が3回ほど見事にオンした(パー5での2オンを含めて)のは久し振りであったように思う。気楽にプレイしたためか、このような好調なプレイは久し振りであった。ただ、グリーンは極端に重く、バーディーが3回はあったものの、3パットも多かった。

ゴルフ主体の旅であったので、グアムに来ながら海に入ることもなかったが、3日にはゴルフから帰ったあとで海岸を散歩したほか、5日には自分より3時間早いコンチネンタル航空で帰国した3人を見送った後でハイヤットホテルのプールサイドを散策しながら南国の草花を写真に収めた。3日に撮影した「タモン湾に沈む夕日」の写真は南国の風情を漂わせているので、ここに添付してみた。これは、早速、自分のパソコンの壁紙となっている。

グアム訪問は10数年ぶりで、友人達との一緒の訪問は当然ながら初めてであった。こういう仲間との旅を時折計画したいものである。

03年11月24日:「勤労感謝の日」の振替休日は南極で初の皆既日食だ!

 今朝は南極で初めての皆既日食で、NHKが大々的に実況放映してくれたので、その幻想的で美しい光景を楽しむことができた。はるかに遠い南極での出来事を日本の我が家でリアルタイムで楽しむことが出来る時代が到来して、このよき時代に生きていることを神に感謝せねばなるまい。この50年間の技術の発展はすざましいものがる。

 今日も寒かった。休日であったが、ゴルフの3連荘は止めてゆっくり休養した。明日と明後日は大阪で非破壊検査の役員会へ出席せねばならないので、午後からは散髪に出かけて、そのついでに書店に立ち寄って来年度の手帳(早めに来年の予定も書き込むために)も購入してきた。

 1年が経過するのは本当に早い。心筋梗塞を発症してまもなく1年目(12月10日)が到来する。1年目を目前にして、体力的にはかなり自信が戻ってきたように思う。12月に入れば、近くの海外といことでグアムへ1日から5日まで出かけることにした。これでさらに自信をつけて来年はニュージランドに何としても出かけたいと考えている。

10日位からは忘年会などが幾つか予定されており、アッという間に今年もおわるといことだ!

03年11月23日:真名CCの紅葉も今が盛りだ!
  昨日は千葉国際CCへ今年3回目として出かけ、山崎、中野正、中野朗とプレイした。パットもショットもまずまずで桜コースを38、40のスコアで回れた。「ニギリ」も58枚勝ちで、中2階接待となり気分は爽快であった。
 今日は、初冬を思わせる寒さの中で真名CCのシニア競技に参加したが、昨日のパッティングの好調さは残っておらず43,42の平凡なスコアとなってしまった。一日違えばこんなものである。苦手の冬の到来が近いことを知らせるような天気で、幾分暗い気持ちになってしまうが、これも日本の四季なのだから快く受け入れることにしなければならない。

 昨日、今日共にゴルフのプレイをしながら銀杏やかえでの紅葉の姿を写真に収めた。特に、真名CCの紅葉は素晴らしく、今年の「秋の風情」を収めた我が写真集のなかで一番美しい写真となった。日光か裏磐梯あたりに紅葉の写真を撮りに出かけたいと思っていたが、真名あたりでも十分に鑑賞に耐える紅葉があるということだ!

03年11月18日:入院中の神庭氏のお見舞いに出かけた!

 神庭さんが扁桃腺を痛めて千葉市立「青葉の森病院」に入院して手術をしたとの報が入ったのでお見舞いに出かけてきた。今日は火曜日であり、何時もの如くゴルフをやる予定であったが、仲間がいなくて久し振りのゴルフなし休日となったので、お見舞いに出かけるのに好都合であった。木曜日頃には退院できるとのことで、先ずは一安心! 「青葉の森病院」は、今年5月に新装オープンしたばかりで建物もきれいであり、我が家からも遠くないので、時期を見て心筋梗塞の治療をNTT関東病院からこちらへ変えたらどうかとの思いがあった。

しかし、循環器内科の存在やCCRなどの設備の有無等を確認していなかったので、そのへんの情報を入手することも目的であったのだが、確たる情報は得られなかった。循環器内科は一般内科の一部としてありそうであるが、CCRはなさそうであり、遠いために交通費と時間のロスは多いくても、NTT関東病院の方が安心感は格段に高いと言うことだ。

03年11月16日:ゴルフばかりの生活は健康回復のために必要か!

 このところ週に3回以上のゴルフが続いており、相変わらずゴルフ中心の生活が繰り返されている。千葉国際CC1日)にも出かけたし、鶴舞CC(8日)にも出かけて、2週続きで土曜、日曜の連荘もやった。スコアは良かったり悪かったり(総てパットの良し悪しで決まっている)であるものの、体力的には自信がついてきた。まもなく発病後1年が経過するので、リハビリも完了ということにしたいものである。

 11日は、甲南高校の同級生である崎元、柿内、福中の3氏と真名CCでプレイした。霧雨模様の不安定な天気であったが、終わりの3ホール以外は何とか傘なしでプレイできたのが何よりであった。12月には同じメンバーで真名のコテージに宿泊しての1泊2日2プレイをやることを約して別れた。

 12月の1日から4泊5日で、グアムへゴルフをやりに近藤さん他と出かけることにして準備が終わった。参加メンバーは、近藤さんの他は溝口さん、宇田さん(初めは坂口君、新井さんも参加希望であったが、その後キャンセル)で総勢4名ということになった。無理をしないで、1日に1プレイで合計3プレイの余裕のある旅となりそうである。楽しみだ!

 <13日も16日(月例)もスコアは悪く不満足なゴルフとなった。無念!>

03年11月3日:ようやく石榴と柿を総て収穫した!
 一昨日は今年(病後)2回目の千葉国際CCで、昨日は真名CCの会場記念杯で連荘のゴルフであったが、今日は気になっていた石榴の残りと柿の収穫をようやくやった。

特に、石榴はかなりの量を見収穫のままで駄目にしてしまったものの、今日も1000CC以上のジュースを作るほどの量が残っており 、今年の石榴の豊作ぶりをうかがわせるものであった。

柿は2回も襲来した早めの台風が災いしたのか、熟す直前にかなりの量の柿が落下すると言う現象が見られたが、半数以上は正常に熟して残っていたので、一気に全量を収穫した。秋は、このような収穫の楽しみがあって、大きな庭のある生活はなかなか捨て難い。

秋もいよいよ佳境に入ってきたので、1日の千葉国際CCでのゴルフの帰り道で、「秋の風情」を求めて、本千葉CC 周りの森周辺のススキや七かまど、赤く色づいたおゆみ野の街路樹、我が家の庭のつわ蕗などなどを写真に収めてきた。時間を作って紅葉の名所である日光や裏磐梯などへ出かけて、今が盛りの紅葉をも写真に収めてきたいと思うものの、休日はゴルフ優先でなかなか小旅行が実現しない。ゴルフもようやく回復してきたようなので、ゴルフ以外にも時間を振り分ける余裕も出て来そうである。

パットが安定してきて、このところのゴルフが楽しくなってきた。1日の千葉国際CCでも、松コースでは3パットも2回あったが1パットも5回あって40(3番ホールでバーディー)、桜では3パットは1回だけで2番ホールではバーディーもとれて41というスコアで、久し振りのプレイながら満足のゴルフとなった。

2日は、くすの木コースでは3パットは1回もなくスコアは39(5番ホールでバーディー)、こぶしコースで42(4番ホールでバーディー、3パットは2回)という好調を持続できた。パットが上手くいけばストレスもたまらない。こういうゴルフが帰ってくることを長いこと待っていたのだ。ペリア方式でのHCが何と2.4となってしまい入賞は出来なかったが、ゴルフの内容が良かったのでストレスもたまらず、いい一日であった。同伴した千葉大学の医学部の教授の谷口さん(千葉真名会の仲間であり、最近は心筋梗塞に関していろいろとアドバイスを頂いている)が38,40で、しかもHCが7.2もついて優勝されたのが何よりであった。

03年10月28日:雨の中で今日もゴルフに出かけてしまった!

 天気の良い休日に取り残している石榴と柿を収穫したいと目論んでいるものの、18日(土)も午後からは雨で、ゴルフもない休みとした22日(水)は一日中止む間のない雨となり、25日の土曜日の午後からは2年ぶりの関東-東串良町人会(九段会館で午後4時半から8時半過ぎまで、約160人余り参加)で、今日こそはと思っていたら終日の雨となってしまった。石榴も柿も今週末まで落ちないでもってくれればと祈るのみである。

 そんな雨の中でも、ゴルフには出かけた。何時ものごとく、神庭、北村両氏とこぶし、つつじを回った。26日に続いて2回目となった新パターは悪くはない。

まだ不満の残るパッティングも多いが、3パットは殆どないし長いパットも2回入ったので、よしとすべきであろう。26日に好調であったサンドウェッジでの寄せは、今日は不調であった。雨のために下がぬかるんでいるために、同じような力で軽く打ち込んだものが総てショートすると言う結果であった。軽く、しかも薄く打って寄せる場合と、多少打ち込んでいく場合ではかなり違った寄せ方になるし、またライによってどちらの寄せ方を選ぶかを間違わないことが重要であると分かっていながらも、まだサンドウェッジで打ち込んで寄せるやり方を実践していないので力加減がつかめていない。色んな場面を想定しての練習あるのみ!

03年10月26日GPで開催の球道会で久しぶりに2位に入賞した!

 心筋梗塞を発病して以来、不満足のスコアが続いていたゴルフ(特にパッティングが悪い)もこのところ回復の兆しが見えてきているが、今日は思い切ってパターを買い換えてしかもヘッドを重くして初めて使ってみた。まだ不慣れな部分もあって短いパットを2回ほど外したりしたが、全体的には以前よりも良くなってきたようである。暫くは、これで落ち着かせてスコアも安定化の方向としたいものである。

 風が強い中でのGPのインでは、名人達がスコアを崩す中で、16番ホール(パー3)で3パットしてダボしたもののパーが5個あって41で上がった。アウトでは、難しい前半の5番まで1オーバーで来ながら、6番で3パット(50cm位)してから連続ボギーとして同じく41となってしまった。結果はグロスのトータルが82で、強敵の但馬、五十川、松橋の各氏を抑えて、竹内氏に続いての2位となった。病後、惜しいケースも2,3回はあったが、入賞したのは初めてのことで嬉しい限りである。これで回復の道を歩いていると言う実感が湧いてきた。

 今日の最大の収穫は、サンドウェッジを使った短い距離の寄せ(フェイスを開いて軽く揚げる打ち方)が非常に上手くいったことである。パットが決まれば、楽に70台となる内容のゴルフが出来た。これから冬に向かって芝がなくなるので、段々と難しくなってくるとは思うが、名人山本氏の域を目指して暫くはこれに集中してみたい。

03年10月21日:久しぶり(約2ヶ月近いか?)にGPでプレイした!
 久し振りにトリッキーなGPに神庭氏、北村氏と出かけたが、WIも安定(短いパットだけがまだ不満足)してきており、42,39(3番と5番でバーディー)というスコアで満足の行く結果であった。病気をしてからの長い間の不調からようやく脱出出来そうで楽しみが出てきた。残るはパッティングであるが、これも徐々に回復しつつあるので、年内にはスコアももっとよくなるであろう。

パッティングの改善は、先ずは自信を取り戻すことであるように思うが、そのためにはもっと練習もすることが必要であろうし、道具の多少の改善(ヘッドの重みをもっと大きくするなど)も必要かも知れない。いろいろ試して見たいものだ。

0310月19日:シニアの決勝は今年も2回戦止まり!

試合の終わる直前まで負けるとは思わなかった。後半に疲れが出てアッという間の負けであった。しかも、未だに回復していないパッティングのミスが大きく響いた負けであったといえよう。

各ホール毎の様子は、

「こぶし」で、パーで勝ち、ボギーで流れ、1ピンを外すもパーで流れ、パーで勝ち、1打目を左バンカーに入れてボギーとして負け、パーで流れ、パーで勝ち、ボギーで流れ、ボギーで負け、となり5パーで1アップで午前中のハーフが終了。

「つつじ」は、2オンして絶対勝ちと思っていた1番ホールで伊藤さんが145ヤードからの3打目を直接入れるチィップインバーディーで負け、パーで流れ、3パットのボギーで負け、バンカーに入れてもパーで勝ち、パーで勝ち、左バンカーに入れてボギーとして負け、3パットしてボギーとして負け、共に3パットのボギーで流れ、最後はボギーで負け、という4パーながら(相手は後半はグロス38)2−0での負けとなってしまった。

 前夜の寝不足(言い訳がましいが2時半位から寝付けず)で後半に疲れが出て、上がりの4ホールが情けない状態であった。特に、つつじでは3回の3パットの内の2回が7,8番ホールでの連続3パットで、勝負どころでパットの自信のなさが出てきたようだ。これが自分の現在の実力と言うことであろう。ただし、病後のゴルフでは、かなり良かった部類のスコアであったので満足の結果であったと言う気持ちが残った。16日の1.5ラウンドの練習でも40,42,42で回っており、ようやくスコアが安定化してきつつあることが嬉しい。

03年10月13日:3連休は多忙にして実りあるものであった!

 11日は色づいた石榴を収穫して、一箱分は弟の郁夫へ水彩画の材料として送り、残りの中から自分でも水彩画に納めてみたいと言う願望をかなえてくれそうなものを選択して、取敢えず写真に納めておいた。先にも書いたように、成りすぎのために果実は小さめであるものの、大量に収穫したので一部(約1リットル分)はジュースにした。残りも全部収穫すれば、5,6リッター分くらいのジュースは取れそうであるが、文子の友達にも裾分けすることにしているので、今年はジュース2,3リッターをゲットということであろう。

 12日は、シニア選手権の決勝トーナメントの一回戦(マッチプレイ)が開催された。予選は最下位の32位で通過しながらも、予定通り(?)、越野氏(HC13 予選17位)を破って2回戦へ向かうことになった。予選ではグロスでも負けているにもかかわらず、今回は3個のハンディをやることになる相手であったが、2,3ホール回った時点で勝てる感触を掴むことが出来た。

HCが2個ある「こぶし」では、ハンディホールは2個ともボギーとボギーで落とし、4番ホ−ル終了時点で2ダウン、5番で1個戻し、6番でまた落とし、8番で1個戻して、結果として1ダウンで終了したものの、精神的にはかなり余裕を持つことが出来た。

 「つつじ」に入って、2番で左バンカーからの2打目が50cm位によってバーディーとしてようやくマッチイーブン、3番ロングホールでパーをとって1打逆転(初めて1アップ)、5,6番と連続で3パットしてまたもや1打の逆転負け、この時点でも慌てることはなく、すぐさま7,8番は連続パーで1ホール残して1アップとなり勝利を確信した。最終ホールは相手のショットを見ながら引き分けに持っていくことに徹して、最終的に1-0の勝利であった。

2回戦の相手は元千葉真名会の会長でコースの理事でもある伊藤善治氏(HC7)となったが、過去の実績から判断して彼には何とか勝てそうな気がする。何とか勝ち進んで、セカンド・フライトの決勝戦で神庭氏と決戦を繰り広げたいものだがどうなることか?(予選が絶好調で自信満々で決勝トーナメントに望んだ北村氏と巳波氏は敗退、神庭氏は山中氏のの棄権により不戦勝)

 今日(13日)は北村、巳波氏とこぶし、つつじを回った。来週の日曜日の決戦を頭に置いて、いろいろなショットを確かめながらプレイした。こぶしが5パー、つつじが4パーでまずまずのスコアながら、78番の試しのショットが2回ほど失敗したので、試合までの間にもう一度チェックしておきたい。

03年10月09日Yahoo Photoで写真を整理し、公開することにした!
 神庭氏、北村氏等とのゴルフが1時半位には終わり、自宅に帰ったのが3時前だったので、我が家の庭でたわわに実った石榴の実を写真に納めた。
今年は実を付け過ぎて、個々の実は小さめであるが、ようやく色づいてきて見事である。弟、郁夫へ絵(水彩画)の画材として送ってやる約束をしているので、今度の土曜日には一部収穫して送ることにしたい。

 久しぶりに写真を撮ったので、Yahoo Photosを使ってアルバム作製もした。 


03年10月8日:真名のシニア選手権予選も通過、今日は「新桜会」へ参加!
 パッティングが悪い。それに集中する(主治医からは集中しないように注意されている)と心臓と頭にかなりの負担がかかるような気分に陥ることがある。そのために、ショット(特にドライバー)は安定してきているが、パッティングが災いしてスコアがまとまらない。こんな状況ながら、5日の真名CCのシニア選手権の予選会にエントリーした。結果は、こぶしは22パット(3パットを5回)でスコアは47、つつじは3パットを2回もやりながらもスコアは40、グロス87もたたいてしまった(最近は前半が45,46前後で、後半が40前後というスコアが非常に多い)。当然予選落ちと思っていたら、昨日届いた連絡で最下位ながら予選を通過したことが判明した。この程度の内容で予選を通過しても、さほど嬉しくもないが、棄権することなく決勝トーナメント(マッチプレイ)へは出場することにし、気楽に戦いたい。

 今日は、3ヶ月ぶりの「新桜会」のコンペが、長南CCで20名の参加を得て開催された。ドライバーはすこぶる安定していて、1ホールだけフェアウェイを外しただけであったが、PAなどのショートアイアンの距離感が悪かったのと、重すぎる高麗芝のグリーンで苦労してスコアは満足のいくものではなかった。

 新桜会のコンペは、ゴルフの結果如何によらず、3ヶ月に一度顔を合わせる面々との語らいが何よりである。平均年齢、おおよそ67歳(?)と推定する面々の集まりであるが、皆が3ヶ月に一度のコンペを楽しみにしており、毎回の出席率はかなり高い。今後も変わらず長く続いて欲しいと思う。

03年9月18日:ゴルフの3日間レンチャンもやったし体調も良い!

先月の27,28日に実施した心エコーとホルター心電図の検査結果が9日に判った。このところの体調から予想していた通り心臓は全く安定しているとのことで、先ずは安堵した。1ヵ月半位前に血圧が下がり過ぎて立ち眩み現象があって、かなり不安を抱いたが、薬の調整をしてもらってから体調が急激に安定してきたように感じていたことが事実であったようだ。これからは大きな無理をしなければ、特に不安な状況には陥らないであろう。

NTT関東病院で小生の主治医を務めて頂いた「上野先生」が、10月1日から仙台の病院へ移ることになったと言う話があった。後任の主治医は女医さん(上野医師の後輩とのこと、入院時に一度世話になった女医か)になるようである。今年一杯くらい様子を見て、薬も確定し体調も万全になったら、千葉地区の病院へ変わることにしたいと思う。ゴルフ仲間の山中先生の意見では、千葉大付属病院か、鶴舞の千葉循環器病センターのいずれかにしたほうかよさそうだ。もう少し時間をかけて情報を収集してから最終決定したい。

 14
日は神庭、吉田、北村各氏の何時もの面々と「こぶし」から1.5ラウンド、15日は敬老の日杯で五十川氏、山中氏らと同じく「こぶし」から1.0ラウンド、その夜は七柔会の仲間達(野澤、菅沼、只野、角田(京大)、山口(九大))と真名のコテージに泊まり込んで懇親会、16日は同じメンバーでGPで1.0ラウンドと3日連続のゴルフをこなし、17日は会社へ出て終日仕事をこなして、今日(18日)はまた神庭、北村氏と「こぶし」から1.0ラウンドと、5日間で4日もゴルフをやった。

多少、無茶をしたと思うし、滅茶苦茶に疲れたことも事実であるが、これくらいゴルフがやれる体調になったのだと喜ぶことにしたい。体調に自信が持てるようになって、ゴルフも少しだけ良くなってきたように思う。今回のシリーズでは、アイアンも大分復調してきたと思われ、スコアも「つつじ」では15日、18日と連続で39が出た。10ヶ月ぶり(昨年の11月以来)に月例でも70台を出せるよう頑張りたいが、それは欲のかきすぎと言うことか。10月にはシニア選手権もあるので、昨年同様にファーストフライトの16人以内に勝ち残れるよう、これから体調を整えていきたいと思う

いろいろあったが、ようやく発病前の体調に近いところまで回復してきたと言うことであろう。しかし、調子に乗って無茶をしないよう常に心しておかねば、爆弾を抱えた体は何時爆発するか分からない危険性を帯びているという事実を忘れてはならない。

03年9月5日:1.5ラウンドをこなしても疲れがさほどない!

31日も2日も、30度C前後まで気温が上がったので、1ラウンドのゴルフでも結構な疲れが残った。まだ体調の回復は不十分かと思ったりしたが、4日は涼しかったのでゴルフを1.5ラウンドした後で東京に宿泊予定(東京ドームH)で友人との会食に出かけても、大した疲れも感じなかった。これでかなり自信が持ててきた。調子に乗って無理をしてはいけないが、もはや体調を気にしすぎることも良くないということだ。

ゴルフの調子もボツボツ心筋梗塞発病前まで戻したいと思うが、なかなか思うようにいかない。随所に素晴らしいショットも出来るように回復していると思うときもあるが、特にパッティングがよろしくない。安定していたと思っていたドライバーショットまで、時として不安定となり、OBを出すことが多くなってきている。ゴルフが安定しないと、他の趣味に手を出す気分にもなれない。先ずは、ゴルフを安定させて、かつ満足(やりたいことを遣り残していない状況)した後で他の趣味にも本格的に取り掛かりたいものである。気候も良くなってきつつあるので、これからゴルフは格段によくなってくることと期待して起きたい。

03年8月31日:8月も終わり秋風が吹き出す季節に入りつつあり!

 今日は気温が30度を越す暑い日となったが、今夏は夏らしい天候も少ないままで8月も終わろうとしている。海水浴場などの商売は全く不振で救いようがないようだ。子供達も海水浴にも行けなかった夏休みが今日で終わることになる。昨日、一宮に魚(一匹5000円のヒラメの活魚)を買いに行ったついでに一宮海岸も訪ねてみたが、海は海水浴客は皆無でサーファーだけが多く群れているだけという異様な光景が繰り広げられていた。

今日も何時もの通りゴルフ(球道会の8月の例会)に出かけたが、コース(真名CC)に到着してすぐさま驚きのニュースが北落氏、但馬氏から入った。

何と、スポーツ用品の大手メーカーであるアシックスの常務取締役である片山氏(59歳)が24日にゴルフの練習中に「大動脈瘤破裂」で急死したとのことである。片山氏とは1ヶ月余り前(7月19日(土))に五十川氏、但馬氏を交えてゴルフをやったばかりで、その後もほぼ毎週コースで顔を合わせていた間柄であった。今まで健康そのもので、全く突然の死であったようだ。この年齢になれば何時このような事態が訪れるか分からないというのが真実であり、明日は我が身であっても不思議でないということである。遊びでも、仕事でも無理をしないで、多少の異常を感じたらすぐさま止める事が肝要と言うことである。

03年8月29日:ホルター心電図の検査も終わった、結果は??

 27,28日に24時間のホルダー心電図の検査と心エコーの検査を行った。結果はまだ不明(9月9日の定期検診で説明がある予定)であるが、このところ、かなり体調がいいので心配するようなことはないであろう。

 26日は非破壊検査の役員会(大阪本社)に出かけ、27,28日は病院だったので、今週はこのところ通例となっていた火曜日、木曜日のゴルフはやらなかった(というより、出来なかった)が、手帳の記録を見たら、体調を気にしながらも、心筋梗塞を患ってから既に53回もゴルフをやっている。医者に話したら怒られそうであるが、ようやく体調の心配が薄らいできたので、ますますゴルフが増えてくるであろう。

 7月から会長となって、週に3日間程度しか出勤しないと言うことにして、はや2ヶ月が経過した。平日ゴルフをやったり、病院に出かけたりすることが気楽に出来るようになって、いい生活のリズムが保てている。仕事の面でも、手持ち無沙汰の感がなくて、効率が上っているように思う。体調が安定して病院への回数が減ってくれば、いよいよ絵画も始められるであろう。

03年8月24日:今年最高の猛暑、東京で34度以上!!
 12日に病院へ行ったりして不安定な一時期を過ごしたが、このところすっかり体調が回復してきたように思う。医者の注意に背きながら、日曜日(17日)に月例競技に出てから、火曜日(19日)、木曜日(21日)、そして今日(24日)と立て続けにゴルフをやったが、体調に不安を感じるような事態には至らなかった。特に、21日と今日は強烈な暑さで、汗も大いにかいたが、脱水症状などやその他のこれと言った不安定な症状は出なかった。このようなことを繰り返しながら、体調を正確に掴んでいけるのだろうと思う。27,28日の不整脈の検査結果が問題なければ、いよいよ、かなりの自信が持てるようになるだろう。

 今日と来週の日曜日はクラブ選手権の予選会である。昨年は予選を通過して、マッチプレイの2回戦まで進んだが、今年は体調不安のために予選会へのエントリーを取りやめた。多くの仲間が参戦しており自分にも参戦を薦めてくれたものの、この暑い時期に一日で2ラウンドやれる自信も持てず、しかもスコアも安定性が不十分で、あまり気が乗らなかった。来年には、十分に練習をつんで自信を取り戻して、迷わず再挑戦できるであろう。

03年8月14:また、12日は病院へ行って検査した!

11日に関東病院の担当医の上野先生へ最近の立ち眩み症状の件について電話したら、「軽い脳梗塞と脱水症状が危惧されるので、12日に病院へ来て検査しろ」との指示があり、12日は神庭、北村氏らとのゴルフを止めて病院へ行った。

検査の結果は、これと言った特定できる異常があった訳ではなく、多少の「脱水症状」と夏場の暑さが原因で低血圧となっているというのが実態のようだ。また、小生の場合は心筋梗塞の結果として心臓の機能が半分に低下しているのだから、体の動きに心臓の動きがすぐさま追随できない現象が起きているとのことで、夏場などは無理をしないことが寛容との注意があった。当面は、大汗をかくような運動(暑い日のゴルフ)はしないよう注意されたことを守ることにして、加えて「アーチスト」という薬を半分にして様子をみることと、27,28日に主として不整脈を調べる検査を実施することになった。

このようなことを1年間位繰り返しながら、どの程度の症状までが要注意なのか、あるいは安全なのかの自分の体調を徐々に掴んでいくことになるのだろう。その後も、血圧は上が102から108程度が続いていて、多少のふらつきは感じられたが、昨日は午前、午後ともに夫々2籠ほどゴルフの練習をやって、体調(ふらつき具合)のチェックをやった。

今日は、昨日時点での天気予報も芳しくなく、雨模様で気温も低そう(実際に最高気温が20℃にも満たない寒い日になってしまった)とのことだったので、今の自分にとっては暑い晴天の日よりも好都合であり、早速好機到来とばかりに、神庭氏らとゴルフに出かけようと期待していたが、昨夜来小雨が降っていたために今朝になって「ゴルフ中止」の電話が入った。予報通りに終日冷たい雨が降り続いたのでゴルフを止めたのは正解であったが、今日もゴルフの練習(3籠)はやった。

今日の午後になってから血圧が130〜140程度までに上ってきた。薬の量を変えたのが効を奏したのか、気温が低くなってきたのが効いたのか、あるいはその他の理由があるのか、全く分からないが、ここ1週間以上続いていた低血圧状態は抜け出したように見受けられる。その結果、ふらつきや立ち眩みらしい感じはなくなったように思うが、本当にそうであろうか?2,3日様子を見ないと何とも言えない。

後日録

14日から振り出した大雨は、殆ど降り止むことなく16日まで降り続き各地に土砂崩れなどの被害をもたらした。今夏は夏らしい天気が殆どなく、海の家などの商売は「あがったり」であるが、農作物も不作で、厳しい経済状況になお更明るさが見出せない事態となっている。

03年8月10日:体調に異変あり!回復したはずの体調が!!

 九州から北海道まで日本列島を縦に走り抜けた台風10号が去って、今日は台風一過の晴天に恵まれ、斎藤氏、友野氏、清水氏と「こぶし」からスタートして、スコアーも悪くなかった(41、苦手の高麗グリーンでもパッチングが良かった)が、ハーフが終了した時点で勇気を持って(?)プレイを止めた。6番ホール辺りから9番ホールのホールアウトまでに数回の軽い立ち眩み現象があり、「最悪の場合には気を失うかも?」との危惧があったので、斎藤先生に相談したところ、「夏は血管が広がるので、血圧を下げるために飲んでいる薬による低血圧であろうけれど、用心してゴルフは止めたほうがベター」とのアドバイスを受けたので、無理をせずプレイ半分で上った。

 家に帰って、早速血圧を測ってみた結果は、上が110程度、下が65程度と、以前の135,80程度に比較するとかなり低くなっていることが分かった。立ち眩みの原因はやはり低血圧の症状であったようだ。先週の大汗をかいた火曜日のプレイ終了時点で最初の軽い立ち眩みを感じたあとも気(違和感)になっていたが、原因も分からず、木曜日のゴルフの時(薄曇で猛暑ではなかった)にはゴルフを中断するまでの症状は出なかった。だた、昨日は家でのんびりしている時に、3、4回ほど、はっきりとした立ち眩みを感じてはいたので、今日は朝から体調を気にしながら出かけたのは事実である。先ずは、立ち眩みの原因は薬による低血圧症状であることがはっきりしたので一安心であるが、今後どう対処すべきかは医者に相談しなければなるまい。それに加えて、夏場には体調に細心の注意を払いながらゴルフをしなければということも痛感した。

 家に帰ってからは、クーラーをきかせた部屋で甲子園球場での高校野球のテレビ放送をみて時間をつぶしたが、気になるような低血圧症状の出ずに一日を送ることが出来た。先ずは安堵。

 この年齢になれば、多くの人が「死と隣り合わせ」の生活の状況にあるように思う。特に、心臓病もちの人にとっては何時最悪の事態が発生するか分からない。谷間氏が言うように、「今日が自分の命日なるかも」という覚悟を持って毎日を送る(好きなことをして日を送る)してことが必要なのかも知れないが、まだまだやりたいことを十分にやりとげたという気持ちには到達しきっていないので、今しばらくは元気でいたいものである。

体調に十分自信が持てるようになるまではゴルフも控えたらと思ったりするが、どうも我慢が出来ない。情けないが、そこまでしても、好きなこと(ゴルフ)は止められないというのが本音のところか。

03年8月7日:夏へ向けて体調を整えて、猛暑を無事に乗り切ろう!

 例年よりも約10日ほど遅れて、8月の2日(観測史上2番目に遅い梅雨明け)に梅雨が明けてから夏の猛暑が始まったが、小生のゴルフプレイは、先週から日曜日、火曜日、木曜日の週に3日間ベースとなって、今週もそれが続いている。幸いにも、気温が30度を超えるような猛暑の中でのゴルフは3回ほどで、何とか天気には恵まれているようだ。暫くはこのペースで好きなゴルフをやりながら自分の体調をしっかりと掴むようにしたいと思う。

 このところ自分の体調にかなり(幾分かな?)の自信がもてるようになってきた。一時かなり気になっていた胃のもたれ(あるいは張り)や強い違和感が殆どなくなってきたし、プレー中に体調を気にし過ぎるということも少なくなってきた。心筋梗塞の病持ちの大部分の人が真夏と真冬はゴルフをやらないという話をよく聞くが、自分はこんな感じでゴルフをやりながら徐々に体調に自信が持ててくると言うことであろう(そうありたいと願っている)。

 今日は、球道会会長の谷間氏、成田日赤病院の医師の山中氏、何時もの相棒の神庭氏とつつじ、こぶしをプレイした。谷間氏は、小生と同じく糖尿病と心筋梗塞の両方の病を持っていて、一方年齢は小生の一回り上で75歳なので、将来の自分の姿を見るような思いを持って、何時も同氏を興味深く観察している。同氏はHC1の実力者であり、ゴルフが好きなことにかけても、小生らの比ではないと思われる人物で、最近でも体調を気にしながらも、「今日が俺の命日になるかも!」と言いながら毎週プレイしている。

ただ、このところ急激に腰痛やその他体調不良が目立つようになってきた。今日も関節痛で18ホールを回り切れず、4ホール残して途中リタイヤーとなってしまった。年齢的にそういう限界に達したと言うことか、病に負けてきていると言うことか、何とも複雑な思いに駆られてしまう。いずれにしろ、誰でも何時かはそういう時が到来することに違いはないのだから、覚悟をしておくべきであろう。

 我々も、技術的にも今のペースで競技にも参加しながらプレイできるのは残り5年程度かもしれないし、上手くいっても残り10年程度(乗用カートを利用してようやくプレイしている今里顧問などを見るにつけ)であろうから、北村氏が言うように今ゴルフが出来るうちに精一杯ゴルフをやっておいたほうが良さそうだ。

 台風10号が沖縄、奄美大島地方で猛威をふるっている。今年は、5月始め頃に2回ほど台風の上陸があったあと暫くなりを潜めていたが、本来の台風シーズンになって10号が発生、このままの進路をとれば九州から本州へ登ってきそうだ。ここ関東地方では9日(土)あたりが要警戒と思われる。

03年7月24日:新生活のリズム確立へ向けて動き出した!

 昨夜中降り続いた雨も夜明けととに降り止んで、昼頃からは薄日がさす天気となり、少し動けば汗ばむほどとなった。いよいよ、例年より大幅に遅れている梅雨明けが近づいてきている気配が感じられる。この異常天気(冷夏で、かつ日照不足)のために農作物にも大きな被害が出てきているようである。暑過ぎる夏も好きではない(ただし、寒い冬よりは好き)が、夏は夏らしくほどほどの気温まで上がらなければ、次に秋も来ないということである。

 さて、火曜日、木曜日が休日の生活が始まったが、とりあえず火曜日にゴルフをやって、木曜日はのんびりしながら絵画やその他の趣味に時間を費やす日とすることにした。その方針に沿って、一昨日は神庭、北村両氏とGPコースでプレイ、今日はゴルフは練習だけにして水彩画開始の準備(と言っても、絵の具、パレット、絵筆、画用紙などを買い込んできただけ)やその他で時間を費やした。

 週休4日制になってゴルフの練習量も増えてきたので、スコアも少し回復して来つつあるように思う。特にアイアンが良くなってきており、22日には久し振りに神庭氏にグロススコアで勝てた。病後で、しかもこの年齢であるから大幅な改善は望めないが、この秋までには、少なくとも、公式HC9が嘘でない、それで十分に戦えるところまでは回復するよう練習を重ねたい。そこそこの体調を保ちながらゴルフを堪能できるのは、5年程度(欲目でみても10年程度)しかないのだから、当面はゴルフを最優先した休日の使い方を心がけたいと考える。絵描きはその後も長く出来るのだから!

 水彩画を本格的に始めるに当たっては、時期を見計らって絵画教室に通うようにしたほうが良かろうと思う。最初から基礎をしっかりと学んで、かつ繰り返しの練習に励むことが上達の早道である。行着く先は水彩画のままか、水墨画か、油絵か、文人画など(俳画)か、今は全く予想できないが、先ずは水彩画でスタートすることにしたい。

 7月6日の同窓会時に撮影した写真のプリントを21日には完了し、23名の旧友宛てに挨拶状を添えて封筒に納めていたので、今日投函した。この作業の過程でデジカメのプリントソフト(EPSON)と携帯電話の写真プリントソフト(MySnc)を使ってみて、一応使いこなせるようになったが、両方とも限られた機能しか持ち合わせていないので、以前に使ったソフトも文子に頼んでまたインストールしておきたい。ただ、新しいデジカメは以前のものよりも室内で撮った写真の画質が優れていること、携帯電話のカメラは小型(ハガキ半分程度)の写真には十分使いものになることが分かって、これからは使い分けが出来そうだ。これからは、水彩画の画題となりそうな場面を出来るだけ写真に納めておきたいと思うので、デジカメや携帯電話での写真撮影の機会が一段と増えてくると思う。

03年7月10日:中学の同窓会その他で帰省してきた!

 帰省する度にゆっくりと国分地区で温泉でも楽しみたいという願望をもちながら、未だに目的を達していないが、今回も同じことになってしまった。

4日(金)は17時ごろ鹿児島空港に到着してその夜は鹿児島の郁夫の家に泊まり、5日は愛司宅訪問、池之原の義兄宅で焼香などの後で田舎の兄の家に泊まり、6日は妹和子を国分まで送ったあと霧島のロイヤルホテルで泊り込みの同窓会で、7日は高千穂CCでゴルフのあと17時30分発のJASへ鹿児島を発ち家へ向かうという慌しい4日間をレンタカーで駆け回った。同窓会とは不思議なものである。昔もその後もさほど親しく付き合っていたわけではない人達でも、会えば懐かしく心温まる感情に包まれる。特に、中学時代までの幼馴染に対してその感情が強いようで、誰もが中学時代の同窓会が一番楽しいという。

 今回は、会場が遠くホテルに一泊での同窓会となったので、前回までの参加者よりも少なく、約300人の卒業生のうち約60人(男女の比率はほぼ同数、バーちゃん達の方が元気がよい)が集まったが、既に、卒業生のうちの約一割に相当する30人が死亡しており、そのうちの5人はこの3年間で亡くなっていたという事実は参加者に少なからず驚きをもたらしたようである。皆がそういう年齢になってきたということであり、これからはますますそのような話題が増えてくることになるだろう。小生の心筋梗塞の話もほぼ全員に知れ渡っており、皆が気にかけていていたようであるが、想像以上に元気であったことが皆を安心させたようでもある。いずれにしても、病気や死亡という事態が遠い他人事として放置しておけない問題となってきているということである。それもあって、次回の同窓会は3年後ではなく2年後に開催することになった。

 今回は4回目の同窓会であったが、初めて参加した友達も何人かいた。兵庫県警から山口組の幹部になった永山君、横河電機でコンピューター関連の仕事をしていた東洋一郎君などが特に懐かしかった。逆に、何時も参加しながら今回は参加できなかった萩原君、松園君など何人かが気にかかったが、元気でいてくれることを祈りたい。また、一度も参加せず気にかかっているのが池端君、西田君など数人は存在する。

 6日に鹿屋から霧島へ向かう道中を錦港湾沿いにとってみた。桜島から国分までは初めての経験であったが、予想していた以上に距離があったものの、素晴らしい海岸線の連続であり、楽しいドライブが出来た。また、妙見温泉から霧島へ向かう沢沿いの道も素晴らしい景観で、このような素晴らしい場所を目にすると、こちらへ移住したいという願望がまた強まってくる。独り身になり、しかも心筋梗塞を患った今となっては、容易に実現することは難しいと考えざるをえないが、夢は簡単に消えうせることはない。

03年7月2日:週3日仕事の生活が始まったのだ!

 思いがけないときに思いがけない病気に見舞われて、これから先の生活が体調に大きく左右(拘束)されるという事態になって、今出来ることは今やっておかなければという気持ちが強くなったことは言うまでもない。このような事態を踏まえて、6月の10日の株主総会および取締役会をもって、希望通り代表権を持たない「取締役会長」ということになったが、7月からは実際は週に2,3日だけ会社に顔をだせばよいという身分をも確保した。ここまでは、総て自分が希望した方向で物事が進展しており、有難く幸運なことである。

また、たとえ取締役といえども、所定の就業時間の3/4以下しか働かない非常勤の場合には、社会保険の対象者としては認定されないとのことなので、この条件を前向きに受け入れることにして、7月1日には健康保険も自分で入り、厚生年金も全額貰うことで手続きを行った。

 年金を含めた年間収入は約900万円となるが、保険等を総て自分で負担しなくてはならないとはいえ、半分しか仕事をしない身分としては恵まれた境遇と理解すべきであろう。このような環境での生活が1年間なのか、3年間なのか、その時点で体調等を勘案しながら判断すればよいことと考えて、先ずは気楽にスタートすることにした。

 休みが増えた分を総てゴルフに振り向けていくわけには行かないし、徐々に絵画やその他の趣味に取り掛からなければ、と思いつつも直ぐには実現は難しそうである。ということで、今日は早速気兼ねなく仕事を休んで、TECOBで結成された「新桜会」の14回目のゴルフコンペに長南CCへ出かけた。結果は、20人中4位であったが、課題のアイアンが復調しつつあり、収穫のあるゴルフとなったと評価したい。

 また、4日(金)から7日(月)まで、中学時代の同窓会(霧島で泊り込みで開催)への出席をかねて鹿児島へ帰省することにした。まだ体調に一抹の不安を抱いているので、7日のゴルフは様子を見て参加することにしているが、心筋梗塞発病後では初めて大阪よりも遠方へ出かけることになるので、注意して行動することとしたい。

 こういうことを繰り返しながら体調にも自信を取り戻していくことであろう。