<5-2:2003年01月01日〜06月30日<PIM会長へ>>
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03年5月19日:心待ちしていた大石社長の手紙が届いた!

 15日に電話で話があった内容を認(したた)めた大石社長の手紙が今日届いた。当方の提案を全面的に容認したものであり、これで逃げ出すわけにも行かないことになってしまった。3年間やるかどうかは1年後に考えることにして、取敢えずは新任務に真っ当から取り組まねばならない。23日にもっと詳しく話を煮詰めることにしたが、今週中にTECの関連会社担当部門にも当社の役員改選内容を報告しておかねばならない。

 当面は余裕が出来た時間の多くをゴルフのために割り当てることにすれば、体調もかなり回復してきたし、練習時間も十分にとれそうなので、ゴルフのスコアも回復してHCも改善することを楽しみにしたい。今の調子をキープできるのはあと数年のことだろうと推測されるので、今のうちに精出してゴルフに打ち込んでおきたいものだ。

 今日、元TECの役員でPIMの初代社長を務めた淡輪氏が会社を訪ねてきてくれた。今年で79歳になるという。ゴルフも去年に止めたということである。この1年間くらいで急に老け込んでこられたように見えるのは自分の思い込みか。自分も何時かはこういう状況が訪れるのかと思うと寂しくもなるが、その時は確実に来ることを覚悟して、今出来ることは今のうちにやっておかねば、ということであろう。その意味でも、これからの立場を上手く自分の希望の方向へ導かれたのは幸運であった。

03年5月15日:終に念願の非常勤役員の立場を勝ち取った!
 12日(月)に来期の役員候補推薦依頼書を非破壊検査の大石社長宛てに出状した際に自分の残留条件もしたためておいた(下記に添付:取りやめ)ところ、今日大石社長から電話があって、返事の手紙は作成中であるが小生の提案を全面的に受け入れることにした、との知らせがあった。ただし、期間は1年間ではなく3年間くらいは頑張って欲しいとの条件がついたが、そのことは1年後に考えればよかろう。この年齢で、しかも不景気で仕事が無い時代に強く慰留されていることは、有難く感謝しなければなるまいが、先ずは、ようやく、念願の隠居の身に一歩近づいて、仕事一辺倒ではない余裕の生活が始まることになったということは喜びとしたい。

 健康上のことを言い訳には使ったが、また仕事がきつくてこのような生活を望んだのでもなく、実際はむしろ仕事が暇で時間を持て余すことが多くなり、残り少ない人生の貴重な時間をもっと有意義にしたいという思いから発想したことであった。そのことを踏まえて、7月からは今までよりも週に2日間の休日が増えることになるので、この時間をどのように使って後で悔いの残らない生活を送るか、周到に計画しなければなるまい。

03年4月26日:リハビリは順調に進展している!!

 22日の夕方に左胸に激痛があって慌てた。関東病院へ電話したら、救急車を呼んで近くの救急病院で診察を受けるようにとの指示があって、救急車を呼んで船橋市立医療センターへ行って診察を受けたが、心臓には異常は見られないとのことであった。また、同センターの医師の勧めも会って、翌23日は関東病院の循環器内科の診察も受けた。結果は、船橋の場合と同じで、心臓には異常な兆候は見られないので筋肉痛の一種かも、との診断であった。ただ、今回のように胸の痛みや異常な症状を感じたら直ぐに病院へ駆け込むことは大事だということであった。先ずは安堵したが、胸の痛みは24日の夕方まで続いたので、何らかの原因があるのだろうと考えられるものの、今のところ原因は分からない。このようなことを繰り返しながら、自分自身が心臓の異常とその他の症状との差を理解していくことになるのだということである。

 胸の痛みは多少残っていたが、心臓の異常はないとのことであったので、24,25日は大阪に出かけた。ただ、24日の夕方は伊倉君に会う予定もしていたが、今回は用心してホテルで静かにして早くベッドインした。約束している姪御の可南子との夕食も実現していない。あと暫くは様子見るのが無難であろう。

 25日には小生の退任の時期について話を切り出したが、大石社長も「その内に」ということで具体的な話には乗ってこない。先日TECの監査役と歓談した際に、「小職の後任をTEC役員クラスの中から人選することに関しては、その可能性は殆ど無いと思っておくべきであろうこと。その理由は、TECに適当な人材がいないこと、誰かを推薦しても経営結果に責任をもてないこと、などである」とのTEC側の考えが示されたことは大石社長にも伝えておいた。従って、時期は別途決めるとしても、後任は松浦君を念頭において今後の計画を進めるは大石社長と確認した。今回の胸の痛み騒動なども考えると、健康管理に万全の自信も無いので、社長退任の意思は変わらない。週に2,3日出勤する非常勤の顧問という形態が自分としては最も好ましいのだが!いずれにしろ、山口会長が具体的な話し合いに加わってくれないと、最終的な結論はでない。どんなに遺留されようとも強い意志をもって自分の思いを通すかの決断は暫く先になろう。

 先週も土、日のレンチャンでゴルフをやったが、今週は上記の胸痛があったので用心して、今日は北村氏等との予定をキャンセルして、明日(27日)千葉国際で山崎君等とプレイすることにした。千葉国際に出かけるのは、心筋梗塞を患ってからは初めてであり、アップ・ダウンの激しいコースでのプレイで体に支障をきたさないよう注意しながらならねばならない。

03年3月31日:いろいろあって、3月も終わったのだ!
 29日、30日とゴルフのレンチャンをやった。27日の診察で症状も安定してきたので薬も2か月分もらえたこともあり、体力もかなり回復してきたという実感がある。昨日のプレイを一緒したH氏(片手シングルのプレイヤー)は狭心症で5回も入院し、ステントも5,6個入れているとのこと、同じような病気の人が結構いることが解り、心配の度合いがかなり薄らいで来た。また、今日に疲れが残ることも無く、この2,3日間で急に体力に自信が湧いたように思える。喜ばしいことである。

 25日非破壊検査のトップ(会長、社長)との小生の退任に関する話し合いは予定と反してしまった。大石社長の事前の手紙では小生の希望を了解する旨のことが記されていたが、会長の意向ではあと1、2年間は続けて欲しいとのことで、大石社長もそれに引きずられたと言うことだ。自分としては、せっかく話を出したのだから、この機会に何としても希望に近い形にもっていきたい。協力するとしても、非常勤の形で出来るよう両者にとってメリットのある形態を考えて提案していきたい。

03年3月19日:役員達にも退任の意をはっきりと伝えた!

 月曜日(16日)にNDICの大石社長から手紙が届いて、当方の申し入れを前向きに検討する旨の考えが伝えられた。具体的な話し合いの開始は来週25日の役員会のタイミングとなろうが、それに先立って松浦、稲毛両氏の意見も聞いておくべきという判断から、今日状況を話した。1ヶ月ほど前に退任の可能性については1度話しておいたので、その時ほどの動揺は無く、冷静な雰囲気の中で話が出来た。

 ことは順調に進展している。いよいよ念願の隠居の身分が確立できるということである。「ついに来た 俺も週休 七日制」は近年のリストラばやりの世相を背景に読まれたサラリーマン川柳(第一生命保険が主催)の一句で、その意味するところは自分がこの苦を口にする場合と大いに違うが、自分にとっても待ちに待った(?)週休七日が実現できる日が近づいてきて心騒ぐところがある。ただ、娘にとっては、口うるさい父親が毎日家にいることになるのが苦痛の種と感じているふしはあるが、そのうち慣れてくることを期待したい。

 明日は抜歯の予定である。心筋梗塞の薬を飲んでいると出血が止まりにくいとのことで、医者から抜歯前の5日間は薬をやめよとの指示をうけて実行中であるので、明日を逃せば日時の再調整が必要になる。何とか明日は抜歯を終えたい。

 アメリカによるイラク攻撃も明日が山場となりそうである。アメリカがイラクに対して48時間の時限つきの最後通告を突きつけているが、イラクも聞き入れる様子も無く、明日午前10時のタイムリミットでアメリカの攻撃が開始されることになる可能性が高い。

→20日:予定通りアメリカはイラク攻撃を開始し、小生は虫歯を抜いた!

03年3月15日:退職準備は進行しつつある?

 2月21日の非破壊検査の役員会の時にはタイミングを逸して、持参していた「退任のお願い」の手紙を非破壊のトップに手渡すことが出来なかったが、今週火曜日に郵送した。今週中には何の反応もなかったが、事態は動き出したということである。来週からは、色んな面で動きが出てきて、自分としても忙しく行動することとなろう。

 体調は徐々に回復の方向であるものの、歯痛がひどくなったり、聴力がさらに落ちてきたりと気にかかる部分も多くて、この面からみても仕事の引き時ということであろう。仕事も、来年度の原予算を作成しながら、受注見通しに対する先行きの不透明さと厳しさを痛感した。この1,2年も我慢の年を続けなければならないことは明白である。この2年間で、売上高は平行線であったものの、営業利益を大幅に改善したので、社長としては十分な成果を上げたという評価を貰えるだろう。評価のいい内に身を引いて後進に道を譲ることが精神的にも楽である。

 退任の意思表示が3月半ば近くになってしまったので、実際の退任は早くて4月末、最も可能性があるのが6月末ということになろうが、いずれにしても退任後の会社運営が動揺することのないよう十分な対策は実施することとしたい。

 世の中では、テロ支援国と見なされているイラク攻撃に関して、国連の決議が無くても爆撃に踏み切りたいアメリカと武力に訴えなければならない理由が見当たらないというフランスとの間での攻めぎ合いが激しさを増しており、緊迫の1週間が続いている。両国の間に挟まれて明確な態度表明を躊躇っている中間国も何らかの決断を迫られており、近日中には歴史的な事態へと向かうことになりかねないようだ。小さな我が身の出来事などどうでもよい思える大きな波が蠢いているのだ。

03年2月16日:終日寒い雨が降り続いて真名CCの月例競技は休んだ!

 15日の朝になっても16日の天気予報が芳しくなかったので、神庭さん達との月例競技参加は諦めて、15日にゴルフに出かけた。その判断は正解で、天気予報通りに今日は終日寒い雨が降り続きゴルフが楽しめるような天気ではなかった。寒い雨に打たれてのゴルフが出来るほどには体力も回復していないので大いに助かったということだ。

 昨日は山下忠次氏の奥さんと茂原の伊藤さん、世田谷の小西さんという始めての人達との同伴であった。病後2回目のプレイで、パーの数も各ハーフで3個(計6個)とれて、何とかゴルフになってきたことは喜ばしい。暫くはスコアよりも先ずは1ラウンドをトラブルなく回れることを目標にするゴルフを目指すべきであろう。

 昨日のゴルフ後に、学園前で近日中に売り出されるマンションのモデルルームを見に行った。バブル期に建設されて売れ残っていたものを改装して再売出しした物件で、売値も当時の半値以下まで下がっていて、なかなかの人気物件である。久し振りに高層建物の上層階に上がってみたが、建物の西側に広がる景観はすばらしいものがあって、しかも部屋の間取りも我が家向きであり、すっかり気にいってしまった。後数年もすれば庭の手入れも苦痛となってくることは明白で、いずれはマンション暮らしが望ましくなるので、今思い切って買い換えてしまうことも考えられるのだが。ただ、娘夫婦との同居を今までどおり続けていくことが、お互いの幸せにつながるのかどうかを考えなければならない時期になってきた。「親の老後は子がみる」という時代ではなくなったし、何時までも拘束しておいていいものか、迷いは深い。その辺をはっきりと方向付けてから家の買い替えは決めることとしたい。

03年2月14日:退任の意を社内の役員達に話すタイミングが難しい!

 山口会長、大石社長宛ての退任願いの手紙を21日に手渡すべく、12日には既に書き終えているが、松浦、稲毛の両君にその意を伝えるタイミングを掴めずにきてしまった。昨日はTECのOBとも久し振りに会い、3時間くらい話したなかで、自分の退任の考えも伝えたし、PIMおよびNDIC関係者以外にはかなり話してしまっているのだが、当事者には話すタイミングが難しい。会長、社長に話す前に両君には話すべきであろう。

 高額の医療費を支払った場合に、ある一定の額以上分については払い戻される制度(高額医療費制度)があることが判明したので、早速社会保険事務所に出かけて手続きした。12月の入院で約80万円ほど支払ったのに対して半分強の約42万円くらいが返ってきそうである。予想していなかったので有難いことだ!という思いで一杯である。

 先週末ほどではないが、今週末もそこそこに暖かそうで、明日か明後日のどちらかにはゴルフが出来るであろうと期待している。今時点の予報では明後日は終日曇りで明日の方が天気は安定していそうであるが、明後日は月例競技であり神庭、北村、巳波各氏のいつもの仲間と久し振りにプレイ出来るのでそちらに気持ちが傾いている。

03年2月11日:今日も練習に励んで、何と5籠も打ってしまった!

 雨は殆ど降らないながらも終日どんよりとした天気で、一方では風は殆ど吹かず気温は3月上旬並と暖かく、絶好のゴルフ日和になったが、朝の天気予報では雨の可能性が高かったので、体調を考慮してゴルフはやめた。先週末の疲れが多少は残った感じがあるのと夜に息苦しさを多少感じるときがあって、ここで無理をすべきではなかろうという判断も働いたこともある。好きなゴルフも我慢するほど体調が気になるという状態が続いているということであり、体調回復までにはまだまだ時間がかかるということであろうか。

 さりながら、練習はたっぷりとやった。何年ぶりかで5籠も打った。日曜日(一昨日)に購入したXXIOのアイアンは悪くないので、つい練習に熱が入ってしまう。惜しむらくは4番アイアンがないことであるが、そのことを除けば今回の買い物は申し分ない。プロギアの前のツアービッグを手にした時よりも自分にフィットしている感じが強い。病後の体調回復も未だしという状況ながら、これで今年は大きな大会で何とか入賞を狙いたいものだ、という欲(夢?)が出てくるとはいい気なものだ。

 ゴルフは自分の健康状態を計るバロメーターという思いもあるので、今のところはゴルフだけに気が向いていて、それ以外の趣味に全く手が出ない。仕事を完全に辞めて十分な時間が持てたときにも、先ずはゴルフが優先で時間割が出来てくるということになろう。   

さてさて、他の趣味にどれだけの時間が割けるだろうか?。

 体が動くうちはゴルフ以外の趣味の時間はかなり少ないということになりそうである。

03年2月9日:アイアンセットを買い換えて(XXIOに)4日籠練習した!

 昨日よりも気温が上がって3月下旬並の15度位となり、かなり暖かい一日となった。無理をしないよう自粛してコースには出なかったが、練習場には出かけた。午後3時過ぎから練習を開始しても汗ばむような天気で、寒がりの小生でもセーターを脱いで練習した。このような暖かい日が続いてくれれば有難いが、まだ2月半ばであり残念ながら寒い日が帰ってくることは間違いない。

 練習に先立って、前々から気になっていたアイアンセットをビクトリアで買い換えた。昨年の秋にいさんで買い込んだプロギアの中空アイアンは、今までの買い替えの時と違ってどうもしっくりこず選択失敗という気持ちが強かった。買い込んだ直後から自分には合わないということが気になっていたものの、高い買い物なので、練習しているうちに慣れてくるであろうと期待もしたのだが、何時までたってもしっくりこないので、ついに決断した。

この際に、プロギアとその前のセットであるツアービッグの使い古しをビクトリアで下取りしてもらうために査定させたら予想よりかなり安かったので、近くに出来た中古屋さんで買い取ってもらった。新しいアイアンは、最初はキャロウェイの低重心ものを予定していたが、最終的にはゼクシオのチタンヘッドのものとした。惜しむらくは、中古やさんで買えばビクトリアよりも3万円も安く買えたことが、後になって判明したことである。これからクラブを買う時は、先ず中古やで確認して、中古やにない時だけビクトリアで買うこととしたい。

 娘夫婦は所沢方面に泊まりこみで出かけたので、久し振りに独りだけの夜を迎えることになった。時にはこういう時間があってもよいものだ。

03年2月8日:ついに復帰第一線を真名CCのつつじ、くすのきでやった!
 寒さが続いていたが、この週末は待ち焦がれた3月並の暖かさが戻るとの天気予報を信じて真名CCに出かけた。練習は始めていたのでスウィングには不安はないものの、寒さの心配のほかに1ラウンド回るのに耐えられる下半身が戻っているかどうかが心配であったが、つつじ、くすのきコースを何とかトラブルもなく完走できた。スコアはあまり気にせずにボギーペースを目指したが、ほぼ目標どおり(Dは好調ながらIが不調)44,44で上がれたのは上出来というべきであろう。

 2ヶ月前の心筋梗塞の発症で運良く一命を取り留めて、今日は早くもゴルフが出来たという幸運に感謝せねばなるまい。これからも無理をせず体調を確認しながらやれば末永くゴルフが楽しめるであろう。明日も温暖な好天となるとの予報であるが、今日のゴルフで体調に自信が出て心ははやれど、今日が問題なかったからといって調子に乗ることなく長くゴルフを楽しむためにも当面は連荘はやめておくことにしたい。

03年2月5日:意を強くして退任準備にかかるのだ!

 今期の決算を見届けたら念願の退任をすべく意を決したが、先ず退任の意を決するに至った要因を体力面、気力面、仕事の面、趣味・人生観の面から整理してみた。

 簡単に言えば、今回の病気で気力、体力ともに衰えたことは間違いないが、従来より心中にあった
1)今の仕事に全力を傾けるだけの魅力を見出せないこと、
2)体力や年齢を考えると早く自分の時間を多く持って趣味の生活を堪能すべきだという
二つの思いがますます強まったということであろう。

 ただ、少しの迷いというか、未練が感じられるのは何によるのだろう。収入面か、有り余る時間の使い方に不安を感じるところがあるのか、社会との接点が多少減ってくることへの不安か、40年近くも続いた会社員生活への決別に寂しさを感じるためか、それらの総てが微妙に絡んでいるということであろう。いずれにしても、現状のままよりも仕事を辞めることに大きな喜びを感じるであろうことは間違いない。顧問あるいは相談役として、フルタイムではなく週に2,3日の勤務であれば仕事を続けてもよい、という気持ちもあるが、中途半端なことはやらないほうがよかろう。

<添付:退任決心要因>

03年2月2日:ゴルフの練習は本格化だ!

 退院して1ヶ月が過ぎた1月28日に、退院後初めての診察を受けるために病院に行った。経過は、多少の立ち眩みなどは感じたが特記すべき支障もなく、取敢えず順調で、薬も一部(利尿剤)を取りやめて様子を見ることとなった。また、ゴルフは暖かい日を選んで無理をしなければやってもよい、との医者の許しが出た。思っていたよりも早い回復であるようだ。

 昨日、今日はゴルフが解禁となって始めての週末となったが、寒い日が続いているので、好きなゴルフもコースに出るのは自粛して練習だけに留めた。昨日は150球、今日は200球と、病気前にもめったにやらなかった量のボールを打った。練習は本格化したということだ!病気のために飛距離が落ちたとも思われないし、1ラウンド回る足腰が戻っておれば、すぐにでもコースに出たいものだ。10km位歩き回ってみる時間的な余裕もないので、ぶっつけでコースに出てみるしかないだろう。来週末(11日も休日となる)に暖かい日があればチャンスということだ。

 ゴルフも出来ないので絵も始めようという気持ちもあるが、なかなか実行に移せない。精神的に余裕もないことと、先ずはゴルフが出来るような状態(環境?体調他)整備を急ぐことに頭が一杯で、まだ他のことには気が回らないということだ。

 望まないことではあるが、心筋梗塞の再発時の対応を考えれば、何時までも五反田の関東病院まで通う訳にはいかず、早く家の近くで適当な病院を選んでおかねばなるまいということで、昨日は千葉県循環器病センター(鶴舞)と労災病院(辰巳団地)を調べに出かけた。両病院共に休日のために病院関係者に情報をもらうことは出来なかったが、中に入っていろいろ見て回ることは出来た。循環器病センターは、家から35分程度と多少遠いが心筋梗塞の専門病院であり、CCUなどの設備も十分で安心感は強い。労災病院は、家から10分程度で近いという利点はあるが設備や専門性に疑問がありそうだ。姉ヶ崎の帝京大学付属病院も調べたうえで、循環器病センターと千葉大学付属病院を加えた3病院の中から選ぶことになりそうだ。3月の診察からは新しい病院で受けられるようしたいと思う。

03年1月27日:明日は病院だというのに今夜も寝付きが悪い!
 昨日の娘の言葉がまだ心に引っかかっているところへもってきて、家に帰ってみたら面白くない事態が発生していた。いろいろ考えると、男として情けないことながら、また寝付けない状態に陥ってしまう。ストレスも蓄積してくることとなり、心筋梗塞のためにもよくない。こんな心理状態から脱却する手立てを講じなければ、これから長い先までの生活が難しいことになってしまう。ストレスのたまらない生活を目指すべし!

 

03年1月26日:3日連続でゴルフの練習に励んだが夜は寝つきが悪し!

10時過ぎにはベッドに入ったが、珈琲の飲みすぎか、寝る直前に娘に小言を言われたせいか、12時半になっても寝付けず(病気になってからは初めてのことであるが)、1時前に起き出してこの日記を書いている。

娘夫婦との同居は色んな点で助かっている、というか助けられているが、人生の価値観が大きく異なる者同士の同居は精神的には苦しいものがある。病気前のように、平日は毎日会社に出て働き休日はゴルフ場に皆勤して、一緒にいる時間が少なければ気にかからなかったことも、自分が家にいる時間が増えてくるとつい気になることも多くなって来よう。

勤勉を尊び、休みも殆ど採らずに働き続けてきた世代の典型的な自分と、宗教を生活の中心において仕事は必要最低限しかしないという生活スタイルは馴染みようがない。大きく異なった人生の価値観を持った者達の同居は難しいのだ。 
 
娘達も親父の束縛から解放してやるべきではないか?。

一般的に言って、男寡の独り暮らしは難しいと考えられるが、仕事を辞めてしまえばなんとかなりそうな気もする。世の中には数十万人の独り暮らしの老人がいるはずだ。

2時近くになってきたので、取敢えずベッドに入ることにする。

03年1月25日:またゴルフの練習に出かけてしまった!

 昨日と同じで、晴天であっても風が強くて寒い一日となったが、今日もゴルフの練習に出かけてみた。これといった不都合も感じないので、無理をしない程度であれば練習は本格的に開始してもよさそうだ。

 夜は、達史の一番下の弟の結婚披露宴に出かけた。出掛けに夕暮れの富士山が美しく、くっきりと見えた。家の近くでは1年に数えるくらいしかなく、この時期にしか見られない富士山、写真に納めておきたかったが。

 その披露宴の席で、心筋梗塞の先輩にあたる高見沢氏にあった。彼は、発病後すでに7年以上が過ぎたが再度症状が出ることもなく順調に経緯しているとのことである。このような話を聞けば徐々に安心感が高まってくるし、仕事を辞めるまでのことではなさそうだという気持ちにもなるのだが! もう十分に働いたという気持ちも強いということか!

03年1月24日63歳の誕生日だ!大阪出張は見合わせて、休みをとった!

 祝ってくれる人もいないのですっかり忘れており、夜になってようやく気がついたが、何と今日は63歳の誕生日であった。気がついてみると、病気療養中でありかつ今後の人生設計に悩みが大きい時だけに、今日は特別に感慨深い誕生日であるような気分になってしまう。63歳を迎えた今年は自分にとって大きな人生の節目となることは間違いない。今までの誕生日にはなかった色んな思いが頭を去来するが、何はともあれ、よくぞここまで仕事を続けてこれたものだ、という感慨が大きい。先ずは自分を誉めてやりたい。

退院して約1ヶ月、出社を初めて3週間が終わろうとしている今日は、非破壊検査の月1回の役員会で、本来ならば大阪にいなければならないのだが、まだ医者から出張の許可が出ていないので大阪行きは取りやめて、会社も休んだ。

 退院して約1ヶ月が経過しようとしているのに、体調が回復したという実感が湧いてこない。大した運動もしていないので、当然ながら運動能力の回復状況も解らない。今年の冬は例年よりも寒く、外で動いてみたいという気分にもなれず、しかも会社に出勤するだけでも疲労が蓄積されてくるようで、精神的にもあまり優れない日々が続いている。退院してまだ1ヶ月しか経過していないのだから仕方がない、というか、当然と思って気長に体調の回復を待つべきなのかも知れないが!(ここまで書いた後で、昼間の暖かい時間帯にゴルフの練習場に出かけて、1籠だけ軽く打って体調を確認してみた。まだ医者には禁止されているので力まずに少しだけ打ったが、何の苦痛も伴わず、しかも、さほど力は落ちていないようで安堵した)

 この1週間は、そこそこに忙しかった。
 20日はBTBで韓国の大慶機械の社長、専務との面談、21日は三井物産プラント訪問や橘氏の来訪、22日は丸善石油化学の小野社長訪問他、と社外への出歩きも多かった。そのためもあったか、疲れが蓄積した感がある。

しかし、少しでも時間的な余裕があれば、すぐさま頭には退職のことが浮かんでしまう。心筋梗塞を患っても、その後も以前と変わらず仕事を続けている人が多い事実は知っているが、自分は仕事に対する執着心が格段に落ちた。病気以前から幾分かは意欲減退で退職時期を密かに探っていた傾向があったのに、今回の病気がその気をさらに強める結果となったようだ。病気による体力減退や不安感によって仕事を続ける自信を失ったということではなく、むしろ「早いうちにやりたいことをやっておかなきゃ」という焦りみたいなものが主たる原因であるように思う。ずるずると引きずられて時が過ぎてしまうことがないようにしたいものだが、上手くことが運ぶか!

03年1月13日:出社して1週間が過ぎての休みは3連休だ!

 退院して2週間以上、6日から会社へ出勤し始めて1週間以上が過ぎた。退院後から正月5日過ぎまでは寒い日が続いていたが、このところ暖かくなり特にこの3日間は温暖な天候となったので、3日間とも散歩に出た。11日が約3km、12日が約4km、今日が約3km程度であったように思うが、足のふくらはぎに違和感(特に歩き始めの500m位が厳しい)があり、リハビリの大変さを予感させられている。発病から1ヶ月が過ぎたばかりであるから、まだ無理をしてはいけないようだが、早くゴルフが出来る状態に持っていきたくて足の訓練には気持ちが強く入ってしまう。

 3月まではゴルフも出来そうにないが、今日は天気も快晴で温暖だったので、昼前に真名CCにも約40日振りに足を運んでみた。暫くはコースに出られないがコースの空気を吸えただけでも幸せな気分になれた。また、予想通り神庭、北村、巳波の3氏がGPコースでプレイ中であり、彼らが丁度ハーフ終了した時間帯になったので、久し振りに会って懇談できたのも幸運であった。

 居間のエアコンの取替え、風呂場内にヒーターの設置と寒さ対策は万全を期した。これから約2ヶ月の寒さを乗り切れば、明るく楽しい春が近づいてくるということだと期待しつつも、仕事をこのまま続けるか否かはよく考えねばなるまい。リハビリのことを考えれば出来れば今期末(3月末)、後任者の選定や引継ぎを考えれば早くとも6月末ということになろうが、本気で考えてみたい。先ずは、NDICのトップとも相談してトラブルのないようにして進めていくこととなろう。そのためには、今月の大阪での役員会には出席して、その機会に1回目の意見交換をしておきたいのだが、医者から大阪出張の許可が得られるかどうか?