徒然の日記
(3-8:2000年12月01日〜31日<TMEC>)

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001231 

:とうとうやったのだ年間100回のゴルフ!  

 この3日間天気も味方してくれた。2000年、60歳という節目の年に、念願(?)の年間100回は達成した。100回に特別の意味がある訳ではないが、90数回で終るくらいならばせめてケジメの100回をやっておきたいということと、体力的にも今年をおいてはなかろうという思いがあっての挑戦であった。ただし、回数が多いということは、疲れと緊張感の欠落で、スコアの面では決してよいことではない。適度に練習を挟んで、週に1回くらいのペースでラウンドするのが理想的と思うが、好きなことゆえ来年も80回以上はやることになろう。

 仕事も遊びも中途半端ではなく、やるときは徹底してやるということを実践してきた一つの証しとなったことも事実である。老いて体が動かなくなった時にも、やり残しを悔いるということはなかろう。来年も、仕事も遊びもバランス良く、かつ十分にやりたいものである。

  − 2000年の間抜けの日記もこれで終り −

001228日 


:よいニュースで今年も終った! 

 昨日、日石化学からリフォーマーチューブの内示を貰った。当社にとって初めてのハードの受注であり、嬉しい年末となった。T−MECをひきうけて6ヶ月が過ぎたが、多少の手応えはあっても具体的な受注に繋がらず、幾分焦りを感じてのが一気に吹き飛んだ思いである。年が明けたら、種まきが済んだ案件が一気に芽を出すことを期待したい。

 それにしても、TECの仕事をしながら当社の案件に真剣に取り組んでくれるのは、数少ない。彼らには近日中に業績表彰で報いてやりたい。それにひきかえ、自分の事しか頭にない人も多い。

 調達サービスは幾分見えてきたように思う。来年は早々にISO関連のコンサルティングを軌道に乗せるべく活動したい。それが目処がつけば小職の務めもほぼ終ったとみてよかろう。ゴルフだけではなく、絵画や釣に時間を割ける生活に入りたいものだ!

001224日 


100回プレイまで、年末の3プレイを残すのみ! 

 23日は保坂君が生涯自己ベスト(42,44)を出して、ニギリも70数枚の勝ち頭となり、初めての「中2階」を振舞った。喜ばしいことであった。この1年間、月に3回くらいのペースでプレイしてきた効果があったということであろう。これを契機にもっと腕を上げてくれることを期待したい。

 夜は、地域医療の功績(甑島という鹿児島の小さな島での長年の医療活動)で藍綬褒章を受賞した瀬戸上健二郎君のお祝の会が、24日に志布志で開催されるというので、お祝の電報を入れた。我々の年代も60歳を過ぎて、定年退職あり、叙勲あり、いろいろと人生の大きな変化の中にあるようだ。これからが本当の自分の人生を楽しむ時だということを心に置いて頑張って行きたい。

 24日は真名で野澤君とプレイした。このところ長尺のドライバーの調子が良くないので、従来のドライバーでプレイした。距離もそこそこは出るし、方向は悪くない。当面、寒い間は従来のドライバーに専念したほうがよさそうだ。

 真名CCの冬の景色を写真に収めておきたいという衝動にかられる。1年間を通して、真名の四季を記録に残してみたい。近日中にデジカメを購入しよう。

001220


:年間100()プレイを達成するぞー!  

 60歳、しかも西暦2000年という節目の年に、あと1回足らずというような中途半端な終り方で、後になって後悔しないように、年間100回(日)のゴルフのプレイを実行することを決心したので、今日は会社を休んで真名CCに出かけた。昨夜は麻雀で午前2時過ぎにベッドに入り、寝不足であったためかパットが冴えなかったが、ショットは普通といったところ。

 冬場のせいか、1年間の疲れの集積なのか、ゴルフが終った後の疲れは大きい。朝もゆっくりと起きて、終日十分な休息をとった記憶がないので疲れが抜け切らないということもあるだろうし、61歳近い年齢のせいもあるだろう。しかし、大晦日まで含めて残り5回(日)、しかも最後の3回はレンチャンのプレイとなるが、何とかやりとげねばなるまい。 

 今月8日から12日まで、兄と弟が開いた絵画の個展は大成功であったという。来年は小生と妹も含めた兄弟4人展を計画しているようで、40年ぶりに「絵描き」を再開しなければならなくなったようだ。ゴルフだけでなく、絵画も正月早々にも始められるように、画材と教材を買い込んできた。「絵を画きたい」という願望は心の内から消え去ったことはないが、実際には40年も筆を握っていない。どこまで出きるやら、全く分らないが、始めてみることにしよう。

001217日 


1年の疲れが貯まりに貯まった! 

 1年間殆どの休みをゴルフで費やしたので、身体全体に疲れが貯まっているという感じが強い。土曜日はスコアも纏まっても日曜日は散々な結果となる傾向がある。来年からは疲れが蓄積しないような計画的なゴルフを心掛けたいとは思うが、好きなことゆえ果たして実行出来るか、些か疑問的ではある。

 昨日は千葉国際で、竹INは3パットもあったが38、OUTは1OBもあったが43と纏まった。18番では2打目が180ヤード、ということは1打目が約300ヤードと初めての飛距離も経験した。バーデーも3個あり、握りはおお勝ちとなり、谷輪には悪いことをしてしまった。

 1夜明けて今日は何とも情けないゴルフ。寒さと疲れのためか、OBは1個ながら、パットが決まらず予想外の不振であった。このところ真名のGPではスコアが良くない。難しいコースとは思わないが、怪我はしやすい。苦手意識は持たないようにしていきたいものだ!

 年間100回(日)のプレイ記録を達成すべく努力すべきか否か、迷っている。100回という記録に意義があるということもないが、9899で終らせるよりも、せっかくだからケジメをつけたほうがよい、という思いもある。来年はどうなるか分らないので、出来るうちにやっておくべき、という考えが勝ちそうである。

 ノーベル賞を受賞した白川英樹博士が「職業としての科学者、教育者は卒業したつもりでいた。これからは自分の好きなこと、例えば植物を育てることなど、をして自分の好きなように生きるつもりである」というようなことを言っている。全く同感である。自分としても、職業としての仕事は卒業して自分の好きなことをやって生活していきたいという願望が強い。何時そいう生活に入れるか、来年6月末か、再来年の6月末か、自分自身で決断すべきであろう。今時点では、来年6月末という可能性が一番高い。それに向って、来年は1月からは心積もりして、しかも計画的に生活習慣を改めて行かねばなるまい。

 001214 

:思わぬ結果が待っていた!! 

 火曜日から三菱化学エンジニアリングへ派遣した技術者が、4日間だけの仕事で解約となってしまった。相手は「ボタンの掛け違い」というが、派遣者に対する不満もあったのか、どうかは不明である。初めての三菱との契約で、今後の進展に期待もしていたが、こういう結果になり、当面は話は来ないであろう。一つの貴重な経験をしたと理解して、次の仕事に活かしていきたい。こういうこともある、ということだ。

001210日 

:「球道会」に入会したのだ! 

 9日は野沢君と三上夫妻と真名のGPでプレイ。10日は「球道会」というゴルフ好きの中高年の集まりに入会させてもらい、初めての月例会に参加した。両日ともスコアは不満の残る結果となったが、「球道会」への入会は今後の真名でのゴルフ人生を楽しいものにしてくれそうである。会員は55歳位から75歳位までの46人の集団で、毎月1回のコンペを行っているという。年齢もほぼ同じ位で、気の置けない人達も集まりという感じで、長い付き合いができそうである。5年後、10年後、欲を言えば15年後、20年後の自分のゴルフ人生を想像しながらゴルフが楽しめるだろう!

0012月8日 

:遊びも仕事も順調な1週間であった!  

 6日には三菱化学エンジへの派遣が決定。8日にはタイホー工業のサウジ案件の引き合い(協力要請)、出光化学の来年度の定修用機器資材の調達サービスの内示(と受けとってよい)、オルガノとの調達サービス契約サインと仕事の面では進展が大きかった。このような動きが毎週あれば、当社の先行きも心配なしということになるのだが

00年12月3日 

:2日は真名、3日は千葉国際と頑張った! 

 2日は真名のつつじ、楠で45,40、3日は千葉国際の竹O,Iで47,38と共に85であったが、いずれも前半が悪過ぎた。真名のシニア会でも同じ傾向で、このところ悪い癖がついてしまったようだ。それに加えて、47インチDの調子があまり良くない。早く悪い癖を断ち切れるよう努めたいものだが!!

 2日は、真名で初めてバックからプレイした。思ったより難易度は高くない。唯一楠の2番ホールを除けば、残りのホールはパーオンも容易である。1月からはAクラスでプレイすることになったが、心配することはなさそうである。AクラスがBクラスよりも入賞が容易であり、1月からの月例が楽しみになってきた。

 この二日で、Dを失敗しないコツを掴んだ(いつもそのように思うが???)。

 今日で今年90回目のプレイを終えた。残りの休日を総てプレイすると、今年は98回プレイすることになる。平日に休暇をとって、ケジメ良く100回を目指すか、どうか悩ましいところである。せっかくだから100回にしておきたいという気持ちと回数に拘ることはないという気持ちが半々である。成り行きに任せることにしよう!

00年12月1日 

:TECは過去の蓄えを売って生き延びるだけ!  

 今日、TECの中間決算及び年度決算の見通しが発表されたが、内容は40億円からの有価証券を売って何とか赤字を免れるだけというもので、再建はまだまだ先のことになりそう。その後、関連会社の社長会が開催されて、決算内容も明らかになった。B−ENGとエステートを除けば、TECの決算改善に貢献する子会社は見当たらない状況である。再建も容易ではなく、生き延びられるかどうか、これから2年位が正念場となろう。

 今週は、先週の「ちば銀総研」と同じく、「さくら総研」とISO認証取得コンサルティングの仕事について話し合った。何とか仕事に繋がりそうな感触は、ちば銀の場合と同じである。大久保君を中心とした遂行体制を早めに立ち上げるべく、当人およびTECの人事部長とも話し合いをもった。仕事量を確保して魅力のある事業に育てたい。