徒然の日記
(3-3:2000年3月01日〜31日<調達本部>)

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00331


:今年も庭で「カタクリ」が咲いてくれた!   

 我が家の「御岳ツツジ」も終わり、「スイセン」が庭のあちらこちらで満開となって、春到来の感が強い。「大紫ツツジ」の下では、「カタクリ」が10年目の花をひっそりと開いているのを発見した。この「カタクリ」は、ここに転居した時に近くの花やで買い求めたものであるが、未だに毎年可憐な花を見せてくれる。10年も健在であるのは、「大紫ツツジ」の下の木漏れ日が適しているということであろう。買い足して寄せ植えしたいが、その後花屋に出まわることがないのは、残念である。これから、庭を花でいっぱいにして楽しむ時期である。今年から本格的に庭いじりの趣味が活かされそうである。退職後どのような道を進むにしろ、1年間近くはここでの生活が必要であろうから、先ずはこの1年だけでも、庭いじりを楽しんでおきたい。

00年3月29

:調達本部長の仕事もほぼ終わった!

 仕事が無くなってきつつある。再建計画も人事考課も早めに終わって、来月からはやるべき事がなさそうだ。早めに次の役目が決まらないと落ち着かない。この間は休みが取れるのであれば、それで結構なことなのだが、そう簡単な話ではない。多くの役員が同じような状況に置かれている。会社にとってマイナスと思うのだが!

 このところ忙しい状態が長い間続いていたので、久し振りに2週間はのんびりと出来ることを喜ぶべきであろう。チャンスを与えられたと思って、これから先のことをじっくりと考えてみることにしよう。人生にはこれくらいのささやかな余裕があってもよい。6月末の退任を決断したら、3ヶ月もの長い間にわたって、中途半端な時間を持たねばならないから、その時の訓練にもなろう。退任も視野にいれて考えを纏めておきたい。

 今年の決算の落ち着きが大方見えてきた。60億円もの資産(株式、子会社、土地など)を売却してようやく黒字決算が出きる状態である。このような苦しい状況は来年も変らないと予想され、当面は、本当の再建は難しいと言わざるを得ない。若い社員のためにも、何とか業績が回復して夢のある会社に戻って欲しいが、現実は残念ながら悲観的と見ざるを得ない。このような状況から逃げ出したい訳ではないが、自分が会社に残ることが、現状打破にどれだけ効果があるか、正直に言って、些か自信がない。いずれにしろ、暫らく様子を見ながら、考えてみよう。

00年3月25日、
26日


:小職の次の任務が周りで憶測されている!  

 25日:  TEC白鳳会のコンペに参加した。出がけに2籠打って行ったが、実践ではショットが今一つという状態で、ダブルボギーが多かったために、結果は43,45とふるわなかった。ベストグロスも中村氏に1打差でとられた。初めて白鳳でプレイした前回のTEC白鳳会ではダントツのスコア(81)であったが、このところ白鳳での成績は良くない。月例で90台後半が多くて、すっかり自身を失ったということか。早めに苦手意識を払拭しておかねば今後に悪い影響が残ることになる。ドライバーは何回か練習の成果が出て、今後に期待が出来そうである。

 今日のプレイを同伴した某氏の話によれば、確定的ではないが、社長は小職の次の職務としてTTCLを考えているらしい。この会社の生い立ち、現状を勘案するとその話は難しかろうと思う。どう進展していくか興味のあるところ!

 26日:  野澤氏と弟で千葉国際の桜In(45)、松(40)をプレイした。パットが不調であったが、ショットは安定しつつある。コスモ石油の高橋さんという人(HC14)が加わったが、昭和17年生まれでほぼ同年ながら、その飛距離はなかなかのものであった。自分も同年輩では飛ぶほうでるが、20ヤード位は置いていかれることが多かった。飛ぶだけがゴルフではないと思いつつも、負けられないという気持ちもない訳ではない。体を鍛錬して、もっと飛距離を延ばすよう努力することにしたい。

 ゴルフ場からの帰路、野澤氏が小宅に立ち寄ったが、娘夫婦が出かけていたのでお構いなしであったものの、久し振りにゆっくり話が出来て、貴重な時間が持てた。野澤氏も昨年から子会社へ移って、会社でものんびりとしている様子。後2年位は努めが続きそうであり、小生が会社へ居残れば同じ時期に退任となりそうである。退任後は、釣、山登りと同じ趣味を楽しむことも多くなりそうで、野澤とは今後も長い付き合いが続くことになろう。数多い友人の中でも特別な関係が続いてきたと思う一人である。

00年3月24日

:新組織へ向けての体制整備!

 大倉、板倉君を交えて、朝一番で、4月からの調達本部内の新組織を確定した。その後は、参事捕以上の管理職の人事考課のための面談を夕方まで実施して、一気に終了した。面談は、2次再建計画に基づく新本部体制、国際化などへの理解と協力を求めることも兼ねて行ったが、万事希望通りに進展したと思う。3月中にやるべきことはほぼ完了したというのが実感である。来週は、最終確認と部分的な手直しをやるだけで済みそうで、先ずは安堵した。新体制が軌道に乗るよう、4月中旬までは見届けることになるが、気分的には楽な状況となろう。

 役員クラスの委託辞令の発表は、新組織のライン職に限定されており、専務を含めて、小職他多くのメンバーが「社長特命」という形のままとなった。4月半ばに具体的に決定する予定らしいが、中途半端な状態は早く終わらせて欲しいものである。さて、小職に何を委託するつもりであろうか。いきなり発表するということではなく、当然、事前に相談(打診)はあるだろうから、その時点で自分の意思を固めて、決断したい。退任希望を申し出るきっかけが掴めるか、どうかは、今は全く予測出来ない。退任を先送りするに十分な魅力ある任務がまっているか、どうかも全く予測出来ない。その時が来たら考えればよかろう。

00年3月23日

:分化未定、社長特命の身分は気持ち不安定! 

 この2,3日他が企画した会議、来客等が少なく自分の時間が持てたので、再建計画関連の仕事が大分進展した。今日はPC/TL連中を集めて、計画案に対する最終の意見徴収を行ったし、海外拠点へ派遣するバイヤーの人選も拠点側の要望を踏まえたうえで、人事、経営計画と確認のうえ決定した。4月からの新組織の構成を明日決定すれば、後は事務的に計画書を整理すれば万事終了というところまで到達した。予定通り3月末の完成は間違いない状態にした。先ずは一安心。

 明日、役員の社員職委託が決定すると言う話である。事前に、各人に社長が内示したのかどうか不明だが、その様子もない。少なくとも自分に対しては何もない。いきなり取締役会へ付議し決定するということであろうか。今までのやり方と大分違うように思われるが、何らかの意図があるのか。最近社内に不透明な部分が多くなって来ているようだ。こんな状況は早く終わって欲しいものだが。いずれにしろ、明日になれば大部分が分るだろう。早く前向きの仕事に向かいたいものである。

00年3月21日

:我が家の庭にも春の訪れがみえる!

 会議が二つ、来客(Sulzerの副社長)1組、面談2人(1人は子会社への転出打診)をこなし、合間に書類とメールに目を通したら1日が過ぎた。

 こんな形で1日が過ぎることは良いことであろうか?

 これがライン長の本来の仕事であると言うべきであろうか?

 兎に角、前向きよりも後向きというべき仕事が多いと、いろいろ考えてしまう。雑念が入り込む暇がないほどに前向きの仕事で忙しい状態が好ましいが、情けないことに、忙しさはあるものの、ここ数ヶ月はそんな状態はなかなか現れない。

 自然界では、春は確実に近づいている。今日は気温が多少低めであったものの、陽射しは春の近いことを思わせるものであった。我が家の庭でも「梅」が満開を過ぎて、「御岳ツツジ」が8分咲きとなって、それを強く教えてくれる。自然界では冬が過ぎれば、確実に春が訪れる。自然のサイクルは多少の差はあっても狂うことはない。会社の経営状況は悪化すると、なかなか回復が難しい。

 児玉愛司君がこの5月で退職して郷里へ移住することを決心した最大の理由は、長年に渉って庭のない(自然の緑がないと言うべきか)箱の中での生活からの脱出であるという。その点では、自分は恵まれているものの、自然に恵まれて育った田舎出身の同じ境遇として、彼の気持ちは十分に理解出来る。平均的なサラリーマンと比較して格段に恵まれているとはいえ、もっと豊富な自然(海、川、野山、田園)に触れられる生活への願望は消えることはない。ゴルフが好きな理由のなかには、競技としての面白さに加えて、四季折々の自然に触れられるということもあるように思う。緑が映え、花が咲き誇り、小鳥が囀り、栗鼠が走りまわり、紅葉に彩られる、落葉樹の隙間から冬日がもれる。1年を通して、ゴルフ場はいろんな顔を見せてくれる。この20年ゴルフに熱中するあまり、海や川や山という自然で楽しむ時間をもてないという境遇(?)が退職願望へと繋がっているのか?

00年3月20日


:幼友達と群馬でゴルフ!  

 中学校の同窓の連中が集まって20人のコンペを「小幡郷」(群馬県富岡)で開催した。雨はあがったが、強風が吹き荒れるなかでのプレイで、すっかり萎縮して練習時のショットは出なかった。易しいコースでありながら、情けないの一語につきる。

 スコアは不満足であったが、幼友達に久し振りに会えたのは楽しかった。特に、古川君とは3年振り位で、しかも同じ組みで回れたのは幸いであった。このような企画をもっと頻繁に実施して欲しいものである。ただ、富岡は遠い。家から200Kmはあり、行きは朝早くて2時間余、帰りは渋滞もあって3時間半はこたえる。千葉方面と交互にやって欲しいものであるが!安い場所探しに問題があるので見込みないか?。

 小生の再婚相手にと話題になっているT.A女史もコンペに参加した。取り止めのない話を少ししただけで、相手の人となりを知るまでに到っていないが、何となく気になる相手ではある。又の機会を作ってみるか、と思わないわけではないが、迷うところである。これから先何年生きるか分らないが、一人暮しを続けることは不自然であろうか。娘という肉親と何時までも同居を続けることは不自然か。今の生活に不便を感じていないだけに、考え込んでしまう。慌てる事はあるまい!

00年3月19日

:花の季節も近づいた。手入れも必要!

 昼前に鉢植えのバラ3本を植え替えた。花屋には美しい春の草花が数多く出揃っており、欲しいものが多かったが、休みはゴルフ三昧で手入れが出来そうにないので、購入は諦めて眺めるだけにした。週一の休み(ゴルフなし)が取れそうになったら、思いっきり買い込むことにしたい。

 夕方は、ゴルフの練習に出かけ、ドライバーを中心に軽く2籠打った。夕方でも気温が高く、気持ち良く練習が出来た。成果は一進一退という感じもするが、最後に何とかドライバーの打ち方のコツを掴んだように思う。

 ポイントは

多少オープンスタンス

ボールは左過ぎず、多少中に入れる

クラブフェースは被らないよう(ロフトを正しく使うこと)

スウェイせず、頭を残して振りきる
(振り切りを良くするために右足は左へ引き寄せる)

といったところであるが、明日の実践で上手く活かせるか!

00年3月18日

:「若気のいたり」とならず、幸せだったか!   

 千葉國際で久し振りに1.5ラウンドプレイした。不調回復のために、いろんなことを試みているが、スコアもそこそこに纏まっている。確実に良い方向へ向かっていると考えてよさそうである。兎に角、練習を怠らないように心掛けたい。

 31年前にブラジルへ移住した人達のその後を追いかけたテレビ番組(NHKスペシヤル)が、今日と明日に分けて放映されており、興味をもって見入ってしまった。人生の目標を達成出来た人は数少なく、多くの人達にとって予期しないドラマが待ち受けていたということであったようだ。自分も、若い時期に南米移住を計画したことがあったが、今にして思えば、途中で思い止まったことが、今の幸せに繋がっているということであろう。何時も、南米移住者の話題を取り上げたテレビ番組が放映される度に、他人事とは思えず、我が身に照らして考えてしまう。

 明日はゆっくりとして体を休め、明後日に備えたい。

00年3月17日

:今日の強風は「春一番」か?

 晴天で陽射しは暖かであったが強風が吹き荒れて寒さを感じた。千葉地方で25m以上の瞬間風速になったとのことである。お陰でこの時期としては珍しいくらい鮮明に富士山が見えた。特に、夕日を背にした黒富士が美しく、暫し見入ってしまうほどであった。しかし、春は確実に近づいており、今日ほどに美しい富士を見られるのも、今冬では最後かもしれない。このところ冬型の気圧配置も崩れてきており、春の訪れも遠くはない。会社の業績も冬を越して春を迎えて欲しいものだが!

 再建本部の全体会議が、社長も出席して開催されたが、まだまだ前途は多難という感を強くした。現在の再建本部の主要メンバーは、4月からスタートする新組織のラインから外れている人が大部分で、さて、これで良いのだろうか?社長の人選は長期的な観点でなされているのだろうか?瞬間的な情報、思いつきでなされていないか?多少の疑問は残る。

00年3月16日

:若乃花の引退に刺激されて退任を思う!

 大相撲春場所の5日目が終わった今日の時点で、横綱若乃花が29歳の若さながら引退をするというニュースがNHKの9時のニュース番組のトップで報じられていた。本人の弁によれば、「体力の衰えを補う気力がなくなった」ということである。小さな体ながら横綱まで上り詰め時点で、既に頂点を過ぎていたという感じが強く、引退も止むをえない状況と思うのが妥当であろう。あの体でここまでこれた才能と努力に拍手を送りたい。

 体力の衰えと気力の衰えは別々のものであろうか?

 体力の衰えが先か、気力の衰えが先か、は判じ難いが、両者は対になって現れて来るように思われてならない。自分自身も、ここ何年か体力、気力の衰えが出てきていることは、残念ながら否定出来ない。正直に言って、残り少ない会社生活に情熱の総てを注ごうという強い気力はないように思われるし、自分でなければ他の誰も出来ないという仕事もあるという自負もない。仕事で手抜きをしているわけではないが、こんな状況で会社に残っているのは、会社に対しても同僚に対しても申し訳ないという気持ちが強まってきている。60歳にして老け込んだということではないし、60歳に相応しい生活を前向きに、心から享受したいという気持ちが強いということにしておきたい。

 何れにしろ、この辺が引きどきか!

 今日、本部員の全員を集めて、再建計画の進捗状況の説明と4月からの新組織の内容、体制の説明を行った。何の寂しさも感じないというと嘘になるが、やるべきことはやってきたという気持ちと張り詰めていたものが取れて肩の力も抜けた、平たく言えばホットしたというのが実感である。今後何を担当することを言いつけられるか、それを確認してから最終判断をするが、徐々に退任に向けて気持ちと身辺の整理に密かに取りかかりたい。

00年3月12日


:ゴルフなし(練習はした)の休日!

 今年になって2回目のゴルフなしの休日であったが、相変わらずテレビのスポーツ番組をみて1日がつぶれた。体は、久し振りの休養で昨日の疲れもすっかりとれたようである。それでも、日記の半分以上はゴルフのことばかり、今日もゴルフの練習には出かけて、ドライバーを中心に2籠打った。ようやく、好調時に近い打球が出るようになったように思う。寒さが和らいで、肩の痛みも少なくなってきたこともあるが、実践ばかりで練習を怠っていたツケがようやく無くなりつつあるということか!。

 60歳は、サラリーマンゴルファーにとっては技術的に最高点であり最強の時期である、という見方もある。自分の周囲を見渡しても、それは否定出来ない真実であると思わせる現象が数多くあるようだ。自らもそれを実現すべくトライしたいものである。そのためには、謙虚に練習に励むことであろう。コースに出るだけでなく、適度の練習を怠らないことが重要ということであろう。気候も良くなって来たので、週末だけでなく、週の半ばで一度は練習するよう心掛けたい。

 家で仕事をするつもりで、資料を持ち帰ったが、何時もの如く手付かずで過ごしてしまった。土曜日と違って、日曜日は好きなテレビ番組が多くて、テレビに目が向かいぱなっしで、どうもイカン!週一ゴルフにするとしたら、土曜日に休んで日曜日にプレイすることにしたいが、仲間の都合もあり思うようにはいかない。春も近づいて、バラやシンビジューム他の植え替えが必要な鉢物が数多く、忙しい週末が控えている。

00年3月11日

:名誉のベストグロスはとれた!  

 TEC千葉国際コンペ。2位(1位は佐藤仁)、ベストグロス(桜IN42、松40)。

 朝一番、桜の出だしでいきなり左へOBし、8でのスタートとなったが、我慢のゴルフで42に収めることが出来たのが、結果としてベストグロスに繋がった。前半が終わった時点では、佐藤君と堀脇君がともに40で、小生が2打出遅れていたが、後半で逆転する予感或いは自信は十分にあった。このところ千葉国際では82、83位で回っており、何時ものスコアであるものの、白鳳他のコースで成績が悪いので、多少の不安はあったが大きな怪我も少なくて事無きを得たというところか!。

 今日の最大の喜びは、このところ好調でハンデ頭となっている堀脇君にグロスで2打勝って、ベストグロスが取れたこと。今日の勝因は、ショットは不安定(ドライバーを中心に練習したにも拘らず)ながらもパットが大きな失敗がなかったことであろう。今日から、グリーンも高麗芝から自分の好きなベント芝に変ったので、これからパッチングは安定してくるだろうし、肩の痛みも大分和らいできたので、一時期の体調不安は春が近づくにつれて徐々に解除されてくるだろう。

00年3月8日

:国内出張も久しぶり!

 6日(月)から今日まで広島(全日空ホテルに2泊)、呉地区に出張した。

 シンコウ、日本製鋼、三菱重工、新日造という回転機メーカー4社を訪問した。いずれも、夫々に個性があって頑張っているが、長期に渉る不況のなかで苦戦が続いている状況である。我々日本のエンジ会社が不況のなかにあるため、韓国エンジ会社からの受注が増えてきているようであるが、我々に対する期待感が大きいのも事実である。何とか早く受注不振を払拭して、期待に応えられるように頑張りたいものである。自分にとっては、初めての日本の回転機メーカーの工場見学であったが、学ぶことが多く貴重な出張であった。時間を作って、これからも出来るだけ出かけるよう心掛けたい。

 広島は久し振りであったが、思ったよりも山が多く、新しい宅地の開発には苦労が多いようだ、ということを知った。広島から呉までの沿線も海岸近くまで山が迫り出している場所が多く、住環境としては優れた場所ではないようだ。瀬戸内海の島々も平地が少なく、高い山のある島が多くて、何となく抱いていた印象が完全に覆させられた。時間があれば、呉の海岸線から江田島の眺望を経験したいという気持ちもあったが、果せず仕舞い。それにしても、意外だったことの一つは、広島地域は東京・千葉地域よりもかなり寒いということ。今冬も15Cm位の積雪もあったという。

 6時半には自宅に辿りついたので、ゴルフの練習に出かけたいという気持ちもあったが、多少の疲れがあって、結局は出かけず、早めに寝ることにした。週の半ばで一度は練習をと思いながらも、未だに実現したことはない。春も目前で、夜の寒さも大分緩んできたので、近いうちには実現するであろう。

00年3月4、5日

:ゴルフの春も近づいているか! 

 4日は佐藤仁、山崎、保坂各氏と千葉国際の桜IN,松コースをプレイした。3パットを3回もやりながらも、41,41(82)で、悪いスコアではなかったが、5日は白鳳で3度目の月例に挑戦して、またもや惨敗(47、46)した。

 白鳳では、OBも多いし、パットも悪い。バックからは距離がたっぷりあるので、力み過ぎが原因か。土曜、日曜のレンチャンで、疲れがとれないことも原因の一つか。体調が万全になるまで、暫らく月例会への挑戦は見合わせたいという気持ちが強くなってきた。このままでは、自信を無くするだけである。このところ習志野でも成績が良くない。この辺で、週に1回は休んで練習に打ち込むことを真剣に考える時期が来たように思う。

 今日はプレイ中には汗ばむほどの暖かさであった。春はそこまで来ているようだ。暖かくなって、肩の痛みもとれる日が近いことを待つ気持ちが日増しに強くなって来ている。まだ、体力の衰えを口実にする歳ではない。

00年3月3日

:同僚の息子の悲報に驚かされる!

 調達本部員で東北大学の後輩でもある小田島君の一人っ子のお通やに出かけた。3月1日に、首都高速で渋滞のため停車中に大型トラックに追突され、3人の大学生が亡くなった内の一人が小田島君の20歳の一人息子であったという。何とも、不運で、腹立たしく、悲しい出来事で、慰めの言葉も見つからない。大型トラックは、場合によっては、大量殺人の道具となり得るものであり、それを操る者が十分に自覚していないと、怖くて道路は走れないということだ。それにしても、人の一生は運と言うしかないように思う。車の位置が一台分違えば、車線が違っていれば、または出かける時間を少しでもずらしていればなど、この不幸な事故に遭遇しないですんだのではと思ってしまう。心から冥福を祈りたい。小田島君には、慰めようがないが、兎に角早く立ち直ってほしい。

 自分自身も妻、甥と病気で突然になくしたし、会社でも部下が若くして病死するという事態に遭遇しているが、多くの場合、病気にかかるということ自体を含めて、人の一生は自分ではコントロール出来ず、運命的なものがあるように思われてならない。かといって、健康に気を払わないということではないが!

 自分も糖尿病という持病はあるが、寝込むことも入院ということもなく、還暦を迎えられたということは、この幸運に感謝するほかはない。これから、どれだけの長い間ゴルフにうちこめるか、好きな事をやりながらのんびり暮らせるか、全く解らないが、元気なうちに人生を堪能しておくことが大事であるということであろう。