![]() (3-2:2000年02月01日〜28日<調達本部>) |
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00年2月26、 27日 ![]() |
:娘の健康状態がいささか心配! 高麗芝のグリーンにてこずっているが、スコアは何とか改善されてきつつある。昨日の習志野はKo42、Ki44の86、今日の千葉國際は竹i42(50Cmを1回外す)、竹o41の83。特に、竹oでは、1ピン位の距離を6回もピンに嫌われるという不運もあって17パット、しかしながら41に纏まったのは回復の兆しか、と喜びたい。新兵器のドライバーは飛距離が不満ではあるが、大きな怪我がないという点では役立っているということであろう。ゴルフは飛距離よりも方向性が大切ということだ。 娘の体調がまた良くないようだ。小生の帰国以来10ヶ月足らず、その間に数回以上も体調を崩して寝込んでしまった。30歳になったばかりで、この状態では、先行きが心配でたまらない。未熟児で生まれた後遺症がいまになって出て来たということはなかろうが、早く元気になって、母親と同じ道を辿らないよう願いたいものだ。こんな状況では、小生の転居もままならない。 |
00年2月25日 |
:内向きの仕事が多すぎる! 再建計画を一気に纏め上げる環境は、海外拠点との派遣要員の具体的な擦り合わせを除いて、ほぼ整ってきた。来週から精力的に纏め上げたい。当本部がロジスチックス本部も吸収合併することも決定的になったようで、やるべき事は多いが、スリム化された組織運営では、人材活用上は助かることと前向きに捉えたい。何はともあれ、内向きの仕事は早く済ませて、外に向かって仕事をしなければ、飯は食えないと言うことだから。 今週は何となく体調が優れない感じが強く、早めに寝る事が多かったので、この週末は1日はゴルフ抜きとも思ったりしたが、結局は2日間ともプレイすることになった。好きな事だけに断れない。相変わらず、練習するチャンスもない状況が続いてしまう。春が訪れて暖かくなれば、夜に練習する気力も出て来よう。その時が来るまで待つことにするしかあるまい。 田舎の町長選挙前に一度帰省する予定であったが、他人の選挙にそこまでと言う気持ちと億劫さの為に、電話で済ますことで兄の了解も得た。何れにしろ、当方の陣営の候補者が勝利し、後々に続くような状況が作り出せることが望ましいが、一方では後で自分が引き込まれることは避けたいという思いもあるのは事実である。 住友の野澤君が会社を訪ねてきた。前々から話し合っている退職後に備えたゴルフ会員権の購入計画を打ち合わせた。こんな話を進めていると郷里に帰る予定など立てられないということだ。先々の事で選択肢が多すぎて容易に決められないという悩みは、常に付き纏っている。 |
00年2月22日 |
:会社の再建も、自分の再建(再婚)も考えるべき? このところ会社では、毎日、「2次再建計画」の具体的な実施案作成に明け暮れているが、自分の私生活の再建(再婚)計画は考えなくてもよいのだろうか、という疑念が湧いた。きっかけは、ほぼ同年の滝沢氏が近く再婚するという話を聞いたことである。再婚を決断した経緯、考えを本人から直接聞いたが、それなりに理解出来る要素が多い。 いままで多くの知人に再婚を奨められたが、なかなかその気になれないで今に到った。娘夫婦と同居という恵まれた環境下にあるためか、私生活での不便、不都合は些かも感じない。また、一人身の気楽さに慣れすぎたこともある。何時までもこの状況に甘んじてよいのだろうか、と思わない訳ではない。しかし、今の状態は小生にとってだけでなく、娘夫婦にとっても、経済的な点からも、悪いことではないという思いがある。本当にそうであろうか、確信がある訳ではないが。 この年齢になってからの再婚には、多くの困難が伴うような気がする。気心がよく、疲れを感じることなく、自然体で付き合えるような相手を探し出すことは容易ではなかろう。残された人生は長いという人も多いが、現実は、自由に体が動かせる期間はそんなに長いものではなかろう。未知の世界へ飛び込む勇気と体力にも自信もあるとは思われず、あえて挑戦する強い気力もないように思う。加えて、経済的にも更なる努力が必要になることも、今後の退職後の気楽な生活設計から考えて、望むところではないという気持ちもある。休日を自由気ままに過ごせるいまの生活も捨て難い貴重なものである。このような気持ちをもっているうちは、再婚などありようがなかろう。 退職して時間を持て余して考えが変るか、今の気持ちを大きく変えるような別の環境の変化が発生するか、あるいは考えを一変させるような人との出会いがあるか、があれば話は変るであろうが!そんな事態が発生するか、どうかは今は神のみぞ知るということであろう。現実の世界は厳しい。思うようにいかない事が多い。何事も夢見ているうちが花。再婚以外にも夢見ている事が数多くある。今は夢に喜びを託しておきたい! |
00年2月20日![]() |
:寒中の雨の日でもゴルフはやった! 関東地方でも今年初めての積雪があるだろうとの天気予報であったが、終日寒い雨が続いただけで、雪を見ることはなかった。 スタート時点から雨が降りしきっているなか、プレイヤーも数少なかったが、懲りない面々は桜アウトから出た。新兵器のドライバーは、コースに出るまえに試し打ちしてみたところ、最近まともに打てなかった軽いドローも打てることが確認出来たので、赤チタンは持たず新兵器だけでプレイした。ドロー、フェードの打ち分けは、先ずボールの位置が大事であることも痛感した。当然、ドローはボールを多少右よりに置く事が重要である。相変わらず寄せとパットが不満ながらも、スコアは46,42で、終日寒い雨という悪条件にしては、悪くはなかったという感想である。 ドローを打とうと多少の無理をしたせいか、右腕が幾分痛む感じが残った。左肩は相変わらずと言ったところか。それにしても、ゴルフの病は容易に納まらない。こらからは、週末の1日を練習に使い、コースに出るのは週に1回だけにしたほうが結果が良くなるのではと思うが、実行出来るか? |
00年2月19日![]() |
:冬のゴルフは難しい! またもや情けないゴルフをした。KI50、KO49というスコアは体調だけの問題ではなく、寒さのせいでもなく、「寄せ」と「パット」が少しずつ狂ったうえに、「バンカーショット」も悪かった。握りも10年振りに大負けとなったが、時にはこういうこともあろう。言い訳はしたくない。後遺症が長引かないようにだけはしておきたいものだ。 今日のスコアの悪さとは直接関係ないが、肩痛が出てからトライしている「クローズスタンス」の打法は正解ではなかったようだ。クラブのヘッドを完全に振りきれない状況では、逆効果となってしまうように思えてきた。ヘッドスピードも落ちてしまうし、ボールも上がらない。昔通りの多少オープン目にした方が体にも無理がないことをプレイ中に強く感じた。明日は昔に戻して試してみたい。 また、ドライバー(Tour Big)を衝動買いしてしまった。スコアが悪いとすぐ道具に走ってしまう。無駄買いにならないよう努めたいものだ。 休日の恒例になっている歯医者へ出かけた。次回28日には、ようやく下の奥歯の入歯が完成するとのこと、長い時間を要したものだ。下の歯が終わっても、まだ上の入歯の遣り直しが残っており、後2ヶ月位は通うことになりそうである。今回は、兎に角総てが終わるまで真面目に通うことにしたい。 |
00年2月18日 |
:信和建設も経営の窮地に立たされている! 16日から今日まで信和との債権債務を整理するために韓国へ出張した。今ごろの時期に何回か韓国へは出張しているが、何時も寒く、今回も雪は全然ないものの朝はー7℃、昼間もー2℃という状況であった。何故か今回は寒さが身にしみた。 1年半以上に渉って小職が前面に立っての債権回収もようやく今回で片付いたが、信和には可愛そうなことをしたという思いが強い。当社も非常に苦しい状況になっており、やむを得ない処置であったが、こんな役回りはこれ限りにしたいものだ。倒産直前で毎日の資金繰りにも困っているなかで、当方の希望に添って対応してくれた李会長、Choi副会長には感謝したいし、我々も頑張って信和にも良い思いをしてもらう日が来るよう祈りたい。 人の一生は波乱万丈、全く分らないものだ。一代で従業員1500人の信和建設を興し、ソウルの中心地に自社ビルを持つまでの会社に育てて、一時期は隆盛を極めた李会長の最後は、なんとも寂しいものになりそうだ。信和建設は李会長の人柄の良さで成長したのも事実であるが、その人柄の良さが会社を苦境に陥れる結果となったことも事実であろう。当社の先行きも不透明で苦しい状況が続いているが、李会長にもこのままではなく、今一度盛り返して欲しいと思うものの現実はかなり厳しいと見ざるを得ない。これからも機会をつくって激励に出かけたいと思う。 在職中に処置すべき課題の一つは片付いた。残りは、ROCプロジェクトの大成建設との債権債務の決着、パイトンプロジェクトの本当の終結であるが、両方とも容易ではない。加えて、2次再建計画を軌道に乗せるための一翼を担うことも小職にも課せられた役務の一つということになるが、これも容易なことではない。まだ簡単には会社を辞められないということなのか! |
00年2月13日![]() |
:白鳳の月例競技は上手くいかない! 最初のハーフ(イン)はどうしようもないゴルフであった。Dもパットも最悪(ロング、ミドルのアイアンは好調)で、スコアは51という情けない結果。昨日の疲れか、入れ込みすぎか、白鳳に対しての苦手意識か、バックからの距離に負けているのか、定かではない。こんなゴルフはこれだけにしておきたいが! アウトはDもパットも少し安定してきて、なんと5番から上がり5ホールがパーで、スコアも42、とくにアイアンが安定していた。これでなんとか80台の前半で回れる可能性は出て来たように思ってしまったが、次回の結果は如何に、というところか。 左肩はまだ痛みがあるが、右腕の痛みは消えてきた。多少痛くても、動かすことが早く治る手段であるように思う。週末だけでなく、週の半ばに1度でもクラブを振れれば、もっと早く完治しそうなのだが、もっと暖かくならなければ出来ない相談ということ。 |
00年2月12日![]() |
:懐かしの「奥村学園」の1R半をやった! 2月中旬にしては暖かい快晴の1日であった。このくらいの気候であれば、関東、とりわけ千葉の冬も悪くはない。退職後に暖かい入地方への転居を画策する必要もなさそうだ。天候がよかったので、この1月1日に70歳になった桜井さんを筆頭に2組とも1.5ラウンドまわった。奥村さんが他界してから1.5Rはあまりなかったが、久し振りに以前の「奥村学園」らしいゴルフになったと言えよう。 練習の甲斐があって、スコア(KoはOBがあって41、Kiはぺナ、50Cmミスで42)も何とか纏まった。Dはそこそこに打てたが、高麗芝のグリーンにてこずった。バンカーショットは日の打ち所なく、2回も「砂一」を獲得。しかし、1.5目は疲れが出てスコアも崩れてしまったが!。明日の白鳳の月例大会に影響が出なければ良いが! 今日も現役は小生と青木さんだけ、残りは退職組。ますます退職組が増えてきているが、こうして週末に旧交を暖めながら先輩諸氏の近況を聞けるのは習志野だけと考えれば、ここの会員権を手放すのは止めるべきであろう。後5年位は様子をみることにしよう。肩、腕の痛みもさほど感じることなく、1.5Rを回れたが、夜になって疲れがどっと出た。今夜は早めに寝ることにしたい。 |
00年2月11日 |
:寒い冬の日は富士山がよく見える! 昨日までに再建計画の大方の方針もプロジェクト監査報告も纏め上げて、来週は慌しい日々とはならないだろう。火曜日か水曜日には韓国へ、信和との債権債務の最終決着のために出かけなければならず、安心して出かけられそうだ。 伊藤正巳君の次男の結婚式に出席する予定であったが、娘が体調が優れず寝こんだので、一人で出かけるには勝手が分らず、申し訳ないが電話をいれて出席を遠慮させてもらった。後日お祝いを届けることにしたい。 8,9日は富士山が鮮明に見える快晴で、その分寒さも一段と厳しかったが、今日は寒さも和らいで、快い天候となった。天気に誘われて、また左肩、右腕の調子を確かめるために、ゴルフの練習に出かけた。新打法(クローズスタンス)の練習も3回目で、前よりは違和感もなくなってきた。練習後の肩、腕の痛みもさほど感じなくなってきたように思う。当面は、力まず今の打法で続けて行き、春に暖い日々が訪れ、体調が戻ったら、飛距離アップ、スコア改善を目指したい。今は、ゴルフが出きることだけで幸せと思うことにしたい。明日、明後日の結果は如何に!! |
00年2月6日![]() |
:会社再建、ゴルフ、歯医者と忙しい!
この1週間は「2次再建計画」に係る本部内会議、経団連でのINCHEM TOKYO最終会議、海外ベンダー来訪等々で余計なことを考える暇がなく過ぎてしまった。東京の友人達にもなかなか会う機会がつくれない。来週は、各種の会議の合間に、「2次再建計画」の具体的なアクションプランを纏めあげなければならないこと、プロジェクト監査の最終レポートも仕上げなければならないことなどで、またもや忙しい1週間となりそうである。暫らくは友達に会う時間もないが、インドネシアの現場へ最後の確認に出かける時間もない状態が続きそうである。何はともあれ、再建計画は早く纏めて早く先を見て行動する態勢を整えたほうがよい。 昨日、2週間振りにクラブを振ってみたが、体が固く且つ左肩、右腕が痛く、相変わらずの体調の悪さに愕然とした。練習場で2籠ほど打って、何とか痛みが和らいだが、思い切ってクラブを振ることが出来ない。体調に合わせて、ドライバーはクローズスタンスに構えてヘッドを軽く振りきるように心掛けて、何とか飛距離をかせぐようショットのスタイルを変えた。その結果を今日の千葉國際で確かめたが、午前中は練習が効を奏して41(桜イン)で回れた。午後は不調で46となったが、今の体調ではこのスタイルは飛距離も出るし悪くなさそうである。ただし、週末だけでなく、週に2,3回はスイングだけは繰り返しておかないと痛みが採れそうにない。スイング用の小道具を購入するのがよかろう。このままでは、好きなゴルフを断念せざるを得ないことになりかねない。怖い事だ! ゴルフの後で、通例となっている歯医者へ顔を出し、そして久し振りに達史、文子を伴って寿司屋へ出かけた。常連となっている寿司屋も、不況で客足が落ちたのか、最近は値下げをしたようで、手頃な値段となり、通い易くなってきた。 |
00年2月2日 |
:久しぶりの帰郷! 夜になると疲れが出て日記帖も久し振りに開いた。 父の17回忌、妻の墓参り、そして兄の様子確認を目的に、28日から3日間鹿児島へ帰った。帰ってよかった。兄の元気な姿を見て安堵した。 28日は鹿児島市内に泊り、萩原、神田、横山(幸子)、隈俵(敏子)、睦夫等の諸氏と夕食を供にした。何があっても声をかければすぐ集まってくれる幼友達は貴重な宝である。29日は親戚、友人に挨拶回りをした後、兄と話し込んだ。とはいっても、引っ切り無しに来客があって、邪魔者なしで本当に話が出来たのは11時から午前3時頃までであったが。兄は、今では何時ものペースを取り戻し、町長戦の采配を遠隔操作し始めており、気力は充実しているように見受けた。取り敢えず安心である。 多少想像はしたが、町長の後任に小生をたてるという構想があったと言うことである。今回は見送るとしても、状況によっては次回はからりの確度でその可能性があるので、心の準備をしておくようにとの話であった。今の状況から敢えて反論はしなかったが、町長選に立つには、父、兄の実績も十分で地盤は心配ないものの「体力」も「財力」も自信が全く無く、加えて娘の同意も得られそうにない。これからは趣味を中心とした生活を夢見ており、自分の気持ちの中ではその可能性は少ないが、周りの強い要請に打ち負けて、引き受けてしまうことにならないよう注意しなければなるまい。頼まれれば嫌と言えない性格に要注意!! |
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