<2-5:1999年11月01日〜12月31日<調達本部>>
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12月28日 12月30日 12月31日

99年12月31日:ゴルフも含めて今年の終わりだ!

 三重苦(1999)の今年もようやく今日で終わりとなった。小生の会社に限らず日本中が不況に喘いだ1年であった。明治以来の最悪の不況は未だに回復の兆しを見せていない。振りかえりたくもない1年であったし、早く過ぎ去ることを期待したい。来年は年男、明日からの2000年が良い年になることを祈らずにはおれない。

 今日のゴルフ(習志野K,42、46)も思わしくなかったが、ドライバーで何が悪いかは掴めた。右脇の締めが不足、上体(頭)が左へ動いてボールを引っ掛けてしまう。少し力を抜いて,打ちこんでいけば解決しそうである。

 枇杷の木に「メジロ」が2羽飛来した。ここはまだ自然が豊かである。

99年12月30日:仕事は終わってもゴルフは終わっていない!

 昨日はどうしようもない、情けないゴルフであった。一時期TECのナンバーワンと言われた中村完二氏と「白鳳」で初めて対決したが、あろうことか両方とも最悪のスコアで、100以上を叩き、かろうじて1打勝った。後半のハーフだけで5個のOBを叩いて、スコアは49、53という10年振りの悪さであった。ドライバーもアイアンもパットも総て悪かった。何故かは分らない。フェードを意識した打ち方が、不安定の原因か。こういうことも時にはあるということか。

 最近の不調を一掃し、気分一新をはかるために新しいアイアンセットを買い込んでしまった。ミズノのTour Bigのチタン製で定価342,000円を約270000円で、はり込んでしまったが、結果が良ければよいが?早速1籠打ってみた。結果は上々、投資効果が出そうである。

玉筋も、方向も、飛距離も満足出来そうである。明日、コースで確認することにしたい。ドライバーも10球余り打ってみたが、フェードやフックを意識せず、ストレートを打つよう心掛け、最後まで振り抜くことを心掛ければ安定した玉が出ることを確認した。基本に戻り、変な加減をしないほうが良さそうだ。あくまでもオーソドックスが一番ということか。悪くなったら、基本に戻れということのようだ。早くこの事に気付くべきであったが。この休みの間に復調出来るよう祈りたい。

99年12月28日:今年の仕事は終わった!
 ようやく今年の御用納めとなった。このところ1年が早いようで、または時には遅いようで、複雑な気持ちである。早く過ぎれば早く退任出来るが、会社の再建もままならぬ状態でそんな気持ちでいることが、情けなくまた申し訳なく思われる。 

 久し振りに麻雀をやった。半ちゃんを3回だけであったが、ツキがあって一人勝ちの大勝であった。最近、若い人達も麻雀をやることがすくなく、なかなか機会がないが、時には気分転換にいいものである。来年は月に一度位はやりたいものだ。

99年12月26日:「時差ぼけ」は、やはりあった!
 20日、21日と夜中に目が醒めて寝つけない日が続いた。1週間が過ぎてようやく「時差ぼけ」がとれたという状況である。

 それにしても、このところゴルフが良くない。JGA HC11のゴルフではない。23日(千葉国際47,39)、25日(藤倉の社長、TECの社長とプレイ、柏48,40)、そして今日(千葉国際43、47)もスコアが不満であったが、ドライバーもアイアンもよくないために止む無い結果といえよう。従来と違って、パットはWOSSに変えてから何とか好調である。あれほど好調であったドライバーが悪くなった理由の一番は、左肩の痛みにあるようだが、打ち込み不足も大きな原因と思われる。練習場で確かめてみたいと思いながら、コースに出ずっぱりのためになかなか実現できないのが残念である。間違い無く「打ち込み不足」と思う。アイアンの不調は、「グリップのすべり」を気にして左手を強く引き過ぎるためであろうと思う。

このところ打つ度にグリップが気になって、安心して打てない状況が続いていたが、今日はその極点に到達した感があった。ゴルフの帰りにショップに立ち寄り、早速グリップの交換を行った。ゴルフショップの店員の話では、良く使うクラブでは半年位で交換した方が良いとのこと、随分にも交換無しで使ってきたものである。道具は本来の性能を出せるよう常にメンテしておくことが大事であろう。

 昨日は、柏GCの帰りに郁夫の家に立ち寄った。例によって、郁夫家の老後の住宅の設計の話になり、要望を聞いた上で、平屋の25坪程度の設計案を2、3作ってきた。3,4年前には自分も鹿児島へ帰る予定で、老後住宅の設計図面を数知れず作成したものだが、今はその気も薄れており、久し振りに住宅を考えた。

99年1220怒りを押さえて!
 昨夜早めに寝たために、多少の疲れは残っているが「時差ぼけ」は殆ど感じることなく体調は回復した。しかし、会社にでれば、腹立たしいことが待ちうけていた。如何も某本部長の遣り方が気に食わない。自分だけが総ての権限を保有しているような態度で、組織のルールを無視したような遣り方が鼻につく。

加えて、それに悪のりする馬鹿者が粋がっている様子が我慢ならない。部下を潰すような遣り方が許せない。近い内に小生の怒りが爆発しそうである。今日はここらで止めておきたい。

99年12月19日:久しぶりのヨーロッパ出張!

 慌しい出張であった。20年振りのヨーロッパ出張は、帰国して一度に疲れが出た。毎日移動がともない、宿泊も毎夜違うという過酷なスケジュールは、些か厳しいものであった。次回はこれほどに過激なスケジュールにならないようしたいものである。

14日:
JAL407 14.00NRT発   Frankfurt 16.10
      LH212 20.40FRA発   Duseldoruh 21.30      Dusel泊り

15日:
DEMAG
社で9時から19時まで打ち合わせ   
        終日小雪交じりの小雨   Oberhausen泊り

16日:
Ghh-Bortig
社で8時半から16時まで打ち合わせ

LH5442 17.40DUS発    Zurich 18.50着    
Sulzer社の社長他と夕食、雪はないが寒いZurich泊り

17日:
Sulzer社で9時から3時半まで打ち合わせ

朝はー7℃とのこと晴天なれど寒い
SR3876 16.40ZRHLuxembourg17.40着            IPS訪問Lux泊り

18日:
Osel河畔のワイン工場訪問、
12
時過ぎからゴルフ(13ホール) 

終日小雨、寒さはさほどなし。
LG9307 18.40LUX発 Frankfurt 19.40
JAL408 FRA発 

19日:
16時成田へ到着 

疲れがひどく、食欲も優れず早めにベッドに入った。

99年12月12日:遊びも仕事も忙しい!
 9日の夕方18時10分成田発UA831でソウルへ向かい、10日は朝から信和で債権回収の打ち合わせ(結果は予想とおり回収の具体的な目処立たず)の後、夕方のキャンセル便がとれたとの情報が入ったので3時にホテルをチェックアウトしてTMSに立ち寄りのうえ、ソウル発18時40分のKE705で帰国し、11日は66回目のTEC習志野会(スコアは43,47、疲れも在り1打差でべスグロも逃す)に参戦した。何とも忙しい毎日で疲れも溜まる一方であるが、週に一回のゴルフは生活のリズムでもあり、辞める訳にはいかない。

 今日は14日からのヨーロッパ出張に備えて、防寒用のハーフコートの他、セーター、シャツの購入のために「そごう」に出かけた。久し振りで、めったに出かけないので、いろいろ買い込んで約28万円ほどの買い物になってしまった。会社員生活も残り多いとは言えないので、普段でも違和感のない物を選ぶようにした。

99年12月8日:冬はいよいよ本格的になってきた!
 昨日も今日も、寒さが厳しく富士山がよく見えた。いよいよ本格的な冬の到来である。この状況で、韓国行きもヨーロッパ行きも気が重いが、仕事であり泣き言は言えない。ヨーロッパについては、凡そ20年振りであり、楽しみでもある。あまり身構えることもなく、自然体で出かけることにしたい。

 

99年12月7日:調達本部の仕事が本格化してきた!

 14日からのヨーロッパ出張は避けられない状況になってきた。パイトンの絡みでインドネシア、韓国(信和建設)への出張の必要性もあるが、身は一つ、しかも時間は限られているので思うように調整出来ない。今週中に韓国出張だけは片付けておかねばなるまいと思うが、飛行機が予約出来ない状況である。明日再度挑戦するしかあるまい。

 それにしても、副本部長として板倉君が転入してくれて、気分的に楽で動き易くなったように思う。尾形君の持ち味はそれなりに大いに評価はするが、板倉君の加入はもっと大きな力を得たように思われる。こらからは、小職も社内だけでなく外に向かって、本来の調達本部長としての機能を大いに発揮出来るような動きをして行けそうである。結構なことだ!

99年12月5日:久方の千葉国際の月例競技も撃沈だ!
 情けないゴルフとなった。出だしの難しい3ホール、しかもNo.2を2オン2パットのパーで切り抜けて、パーを拾い易いNo.4に入って気が楽になった途端に2連続OBのうえ3パットの10を叩いてしまった。これで総てが終わり、後は後遺症が続いて50,45の結果となった。昨日に続いてDが不調で、先月末頃とは大違い。

ただし、バックからの月例も何とかなりそうな感触を得たのは、負け惜しみでなく、収穫であったように思う。次回には今回の反省が活きるであろうことを期待しておきたい。

99年12月4日:苦手な冬が本格的になってきた!

 伊藤正巳君ほか清水建設の人達と白鳳CCでゴルフをやった。今年一番の寒さで、朝は田畑一面が白くなるほど強い霜が降りた。いよいよ苦手な寒い冬が本格的に到来したという感じを強くした。

 ゴルフも、バックからやったこともあるが、スコアが優れず90もたたいた。特に、最近一番良かったDが全く不調であった。明日の千葉國際の月例は不安だらけとなったが、久し振り(3年振りくらいか?)であり気楽にやることにしたい。

 妹から兄の件で電話があった。兎に角、1月の半ばには一度帰省して様子を直に確かめるしかあるまい。友人他に、どう勧められようとも、間違っても政治の道には足を踏み入れないよう毅然たる態度を保ちたい。それにしても、自分の人生も平坦な道だけではなかった。平均的な人に比較すると波瀾万丈のほうであろう。それもまた、人生であり、素直に受け入れて今後の糧にすれば良いことだ。

99年12月3日:富士山はやっぱり美しい!
 1年のうちで何日もない「富士の見える快晴」の日であった。富士山は当然として、会社の窓から新宿のビル群も、その向うに上州の山々までも鮮明に目にすることが出来た。冬場にしか経験できない天気であるが、今日ほどのクリーンな空は1年で一度位しかなかろう。富士は日本が誇る山である。雪を頂いたその勇姿は自慢するに足りる名山である。暗い話ばかりが多いこの頃であるが、この光景にふれると一瞬気分が壮快になる。富士を目に出来る地方に暮していることの幸運を味わうことが出来た1日であった。

 大林君から電話があった。希望退職を思い止まったようだ。一安心である。

99年度12月2日:再建、再建で気も滅入る!

 会社の「再建計画」の見直しが開始された。先の計画では生ぬるいとの銀行、大株主からの強い圧力があることもあるが、このままでは本当に会社が崩壊するという危機が迫ってきたという実態から、急いで計画を練り直し実施に移す必要性が高まって来ているということであろう。更に200人程度のリストラを含む大きな改革が迫られており、最盛期に比較して、社員で半数、社外者を含めると3分の1以下の陣容となろうとしている。それでも、上手く再建が出来ればよいが、まだ先行きは全く不透明と言わざるを得ない。寂しい限りであるが、これが現実である。

 企業は単一の商品で20年以上の生き残りは難しいという。当社に限らず、エンジ業界は40年にも渉って全く同じような業態を続けてきたように思う。業績の良かった時代も長く、それに溺れて(奢りと油断と)新しい転換を図れないままで今日に到り、苦しみもがいている。世はエンジ業界に限らず大型不況の真っ只中にあるが、特にエンジ業界が厳しいというのが真実であろう。個人的には、幸運にも良き時代を生きたと思うし、先行きの不安もさほどないが、会社の今後、若い社員のことを考えると言い様の無い暗い思いに陥ってしまう。

 このような状況下で、有能な人材に対しては、「希望退職」への応募を繰り返し慰留していることに、何か割り切れないものを感じている。会社の再建に必要な人材であることは間違い無いが、彼らのために本当に後悔のない将来となりうるか、悩みは大きい。また、自らもこのような環境下で本当に必要な無くてはならない人材であろうか、若い優秀な人材へ道を譲る好機ではなかろうか、という思いも強まっている。「再建計画」を纏め、それの実施が確実に動き出すまでは逃げられないと思うべきであろう。それが最低の義務であろう。

 今年は、義兄昭朗の死、実兄洋一の不運な出来事と、個人的にも暗い出来事があり、運の悪い1年であった。早く年が明けて、幸運の明るい1年が始まることを期待したいものである。

99年11月28日:法人会員権を貰った白鳳にようやく出かけた!

 3回目の歯医者への通院。かなり手遅れの感じはするが、何とか完治するまで(2−3ヶ月以上かかりそう)真面目に通うことにした。歯に限らず、健康問題は疎かにせず、今のうちに治療すべきは治療しておくことが大切と思うようになったことは喜ばしきかな。

 テレビ番組で、幾度とも無く映画化もされた中国最後の皇帝 溥儀の一生を放映した。改めて人間の一生はなんたるやを思い知らされた。人にはそれぞれの人生がある。自分には自分の人生があってもよい。サラリーマンとしての生活はもう十分味わった。これからは、もっと違った生き方をしてみたいものだが、きっかけが掴めないままで月日が経っていく。後半年が一つの分岐点であるという気持ちも強い。取り敢えずは、それに向けて準備は怠らないように心掛けたい。

 昨日、10年振りに白鳳CCに出かけた。会社の法人会員権を貰って3ヶ月以上も経ったが、きっかけがなくようやくTEC白鳳会のコンペがあったので出かけた。考えていたよりもトリッキーでもなく、距離もほどほどで千葉國際の竹コースよりも易しいかもしれない。しかし、バックからはかなり難しそうな感じのするコースであることは間違いなかろう。来週(4日)も清水建設の伊藤君とプレイすることにしているが、早く月例会に出場してみたい意欲を掻きたてられるコースであった。スコアは41、41で、可も無く不可も無し。Dは十分に満足したが、Iは多少不満が残る結果となった。

99年11月23日:ゴルフは常に反省しきり!
 南茂原CC,東京貿易 山本常務他 (38,40)寄せとパットには不満が残ったが、ショットは完璧で久し振りに満足のいくゴルフであった。特に、ドライバーは1回もミスもなく、飛距離、方向とも十分に満足した。「まだシングルを目指して行けそう」との思いを強くした。課題は寄せとパットいうのが、この頃の何時もの反省である。南茂原CCは、予想以上に素晴らしいコースであった。距離も十分にあり、フェアウェイは広々としているが戦略性に富んでいる。バンカーも多く配置されているが、習志野CCのようにテーショットで萎縮することもなく、欲しいメンバーコースの有力候補と考えてよいだろう。老後はこんなコースでにびのびとプレイしたいものである。ただし、遠いことと友人がいないことが難点ではあるが。もう一つの候補コースである真名CCにも早めに行ってみたいのだが機会がない。

 今日のチェックポイントは

Dはボールは少し左目、右脇締めてダウンに打ちこんでいくイメージ

Iは多少ハンドファーストにし、右脇締めて(頭を残し)打ちこむ

寄せは再考要。I9、8、7などの使用も試してみる

今週末に今日のようなショットが出きるかが、今後のゴルフを大きく左右するような気がする。楽しみと不安が共存。

99年11月21日:旧友が集まれば小生の再婚話になってしまう!
 郷里の柏原地区の出身者で東京近郷に住んでいる人達が「柏原会」という集まりをやっており、その会で昨日ゴルフコンペを開催(埼玉の東松山の高根CC)したので、小生も参加した。緊張感のないだらけたプレイとなってしまったが、新ぺリアで勝負を競って、幸運にも優勝、加えて馬券も取った。プレイは中学同期の児玉、中村、松園の3氏と同じ組みで、プレイ中も旧交を暖めることが出来たが、夜は3氏の細君も呼び寄せて、東京の永福町の寿司屋で小宴をもった。妻 良子が他界して3年半が過ぎたので、話題は何時しか小生の再婚話になってしまったが、男性陣が「絶対に再婚すべし」と主張するのに反して、女性陣は「娘との関係、遺産問題など煩わしい問題が発生しやすいから、再婚せず友達をつくるべし」と。幸いにも娘夫婦と同居出来ている現状から、再婚の必要性は感じず、どちらかと言えば女性陣の意見に同調する気持ちが強い。完全に退職した時点で考えればよかろうと思うのが実感である。

 下歯の2本が抜けてしまったので、重い腰を上げて今日は約2年振りに歯医者に出かけた。歯槽膿漏がかなり悪くなっており、下歯は抜けた歯以外は健全のようだが、上歯の前歯3本がもはや助からない(抜歯せざるを得ない)状態になってしまったようだ。長期間放置したつけが廻って来たということであろうが、何時かは無くなるものと思えば、どうと言うこともなかろう。さはあれ、食事をするにも不便であり、今回は完全に治療が終わるまで真面目に通って、十分な手入れをやることにしたい。

99年11月18日:久し振りに日記帳を開いた!

 エンジニアリング・センターの組織改正の労働組合への説明が今日終わった。先週火曜日には執行会議で、今週の火曜日は経営会議で討議し、今日の組合説明終了でようやく12月1日付けで新組織がスタートすることになった。小生が帰国してからでも6ヶ月余り、検討が始まってからでは約1年もかかっており、本当に長い道程であった。これほどまでに、時間と労力をかける必要があったとは思わないが、これがTECの現状であるということか。何よりも早い決断が必須である今の会社状況を考えると、無駄な月日を重ねたとしか言いようがない。ともあれ、良い結果に繋がることを祈りたい。

「さくら総研」のレポートが上がって来た。一読したが、TECの再建の道程の厳しさが滲んでいる。このレポートを参考にして、本当に効果のある再建計画が作成され実行されるだろうか、TECの現状を考えると不安は残る。不退転の決意をもって即刻実施しなければ、会社の死期は近いと言わざるを得ない。日本でのリストラ旋風は未だに吹き止まない。むしろ強まっている。NNT,日産自動車の2万人規模を筆頭に100社で25万人(今日の週刊誌の新聞広告見出し)とも言われている。TECでも、年末までにはさらなるリストラの必要性とその規模が明らかにされるだろう。生き残りをかけた最後の決断が迫られている。

 このような状況下で、工事部門の幹部社員から希望退職の申し出が月曜日にあった。会社の再建のために力を貸してほしい貴重な人材であり、電話で3回ほど慰留に努めたが、未だ快い返事を貰えていない。2,3日後に再度電話で話し合うことにしているが、気の重い役目である。彼の人生観、価値観から当然予想されたこととも受け取れるし、また、自分自身がこの環境から脱出したいという思いが強い(立場上から決して口には出せないが)状態で、他人を説得するという矛盾した行為に走っているような気がしてならない。なんとも言い様のない気分である。

「時間的に限られた人生で、何を一番重要視して生きていくべきか?」
「もう、自分自身のこれからの人生を中心に考えて行動を起こして良い時が到来したのではないか?」
「残された時は限られている。遣りたいことを遣り残すことになってはならない」

悶々とした日は続く。 

99年11月7日:疲れた、疲れたでゴルフのレンチャン!

 疲れがとれないといいながら、土曜(習志野)、日曜(千葉國際)とゴルフ場へ出かけた。家でぼんやりしているよりも、外へ出て動き廻ったほうが、疲れがとれそうである。それにしても、ゴルフは分らないものだ。土曜日は出だしから大叩きで散々なスコアであったが、一夜明けて今日は40,40の1R80で廻った。

4日はパイトンの対策委員会の第一回目の会議をもったほか、計画センターの組織改正の打ち合わせ、5日は組織改正方針の社長への答申と毎日が忙しい。まだまだ、小職へ課せられる任務も多く、会社を辞めたいということを言い出すタイミングは皆目見出せない。このような状態が続きながら、時が経ち、やがて退職を迎えることになるのだろうか。

サラリーマンだけで一生を終わるのは、一度しかない人生としては勿体無い。心行くまで自然に触れて、自分の欲するもの、やりたいことを堪能して人生を終わりたいものだ。仕事の手を抜いていると言うことはないが、こんな気持ちを持ったままで、会社の仕事をすることが、会社にとっても意義のあることであろうか?

兄の身に不運な事件が発生したようだ。その後の情報は不明である。状況が進展してきたら、一度帰って、自分の目でいろいろと確かめてきたい。人生、種々ドラマが待ちうけているという思いが強いこの頃である。

99年113日:本当の調達力強化は何だろう!
1日、2日の二日間に渉って開催された「調達力強化」の大会議は無事に終わった。会議の冒頭で、社長からは「改善では不充分であり思いきった改革を」との要求があったが、大したアイデアもないままに二日が終わってしまったというのが本当のところである。買い方だけで20%のコストダウンを達成しようという要求自体が所詮無理な話で、効果的なアイデアがあろうはずがない。買い方以外にやるべきことは沢山あるが、自分の身に振りかかることは避けて通りたいのが人の常、予想していた通り他人要求型の行動指針を取り纏めることになった。ムカツクことも多く、言いたいことも多いが、先ずはともあれ、やるべきことを早く実施に移すことが何より重要であろう。要求されているだけの効果が出るとは思われないが、やる前から「それ」を言っては仕方がない。先ずは実行してみることである。自分の指揮下で動く多くの社員、海外拠点関係者が「キレル」ことなく、前向きに行動出来るようリードし、環境を整えて行かねばならない。

   
 風邪の抜けず、体調の回復がおもわしくないが、ゴルフはやった。相変わらずパットが不調でスッキリしないゴルフであったが、スコア(竹I43、松39)はそこそこには纏まっている。練習も2-3ヶ月やっていないし、体調も悪いといいながらも、80代前半で納まっているということは、まだまだ改善の余地は多いということであろうか。今年の初め頃は、十分に練習をしてシングルを目指したいという希望を強く持っていたが???