<1-4:1999年4月01日〜15日>
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99年4月15日
帰国までの総べての行動日程が決まった!

 帰国時の日程、ルートを確定してチケット(JALのアップグレード券が、ケアンズー東京間で、有効期限が切れる直前に何とか使えそう。インドネシアに持ち込んでいて幸運であった)、ホテル予約等を手配した。また、谷輪君へも電話で予定変更を伝えた。今日は信和のChoi副会長から電話があって、小職の帰国前にパイトンへ来訪するとのことで、26日、27日の両日会うことにした。これで、22日から来月2日までのスケジュールが総て決まったことになる。日本でも3日間の休みはとれて、理想的な休暇計画とすることができたと思う。

 PECの黒田副社長(PPIC,輸銀と共に現場来訪)には帰国の挨拶を今日した。Landry社長へは、Mr.Schulerの手前もあり、敢えて挨拶することはない、というよりしないほうが良いとのアドバイスをもらったので、ジャカルタではPEC訪問は取りやめることにした。工事業者関係だけ廻れば用事完了となる。 

 今夕は早々と送別会を開催してくれた。全盛時と違ってメンバーも少なくなって、こじんまりとしたパーテーとなった。こうしてサイトも徐々に寂しくなって来よう。そうでなければ、コスト上からも大変なことになる。サイトイン後15ヶ月、当初予定を2ヶ月延ばしただけでの任務完了は首尾上々といえよう。サイトイン時に考えていたよりも、時の経つのは早かったという感想である。西PMあてに、今後の状況報告の内容と要領に関しての要望事項を纏め上げた。早すぎてもどうかと思うので、20日に手交することにしたい。

 <小さなことにくよくよするな!

 自己診断では、「くよくよする」ということは少ないが、「激し易い」性格であるとみている。年を重ねるにつれて、「激し易さ」も改まってきているが、まだまだ一般的には強いほうであろう。いま以上の心の安定を考えて、「小さなことにくよくよするな!」という本を買い込んだが、なかなか読む機会がない。部分的に拾い読みしただけで、保里君へ貸し出してしまい、今は手元にない。同時に買い込んだ「40歳を過ぎたら、好きなことをやれ」も同じような状況にある。部分的に拾い読みした範囲内で、思い違いもあるかもしれないが、両書には共通した部分、精神が多いように思えた。人生は平均的にみてた高々80歳までしか生きられない。この短い人生のなかの出来事は、総て小さなことに過ぎない。そのひとつひとつに敏感に反応して、心配したり、激怒したり、気をもんだりなど、「すわ一大事」的な生き方をするのでなく、客観的にものを見る習慣を身につけることが大事である。また、廻りに振り回されて自分の求める人生を見失ってはいけない、ということをいいたいように思われる。

 もっともは話で異論はないが、実行となるとなかなか容易ではないのが人生である。ただ、学ぶべきものが多いので、ゆっくりと読み込んでみたい。 
    

99年4月14日
帰国へ向けての行動計画はかなり進んだ!

 このところ、毎日変化のない生活の繰り返しである。これといったノルマがなく、刺激もないが、こいう生活が大切なのかも知れない。長い間に、忙しく動き回る生活が身に染み付いているので、生活のリズムが狂った感じがする。引き上げに向けて、身辺の整理を始めた。三井の要請で、当面はGTECのFMとして名前は残しておくが、今後は実質的には深く係ることはなかろう。書類も総て捨てる方向で整理しつつある。最近はE−メールもあまり入らなくなってきたし、徐々に環境は出来あがってきたようだ。

 ジャカルタの阿部君、CAPCの古賀君に電話して来週のスケジュールを決めた。22日CAPC現場、23日ジャカルタで挨拶廻り、24日ジャカルタでゴルフ後スラバヤ、25日は最後のFINNAということになった。来週草々には片付けも大方済ませておかないと、最後が慌しいことになりそうである。また、今日はケアンズの旅行案内をみて、ホテルの選定と3日間の過ごし方を考えてみた。ゴールドコーストより小さな町であるが、海、島、山、川と遊ぶところは多そうである。ゴルフだけでなく、一日は島へも出かけてみたい。(夕方になって、思いついて良かったが、うっかりビザの取得を忘れるところであった。1,2日遅れると取得が間に合ったか大いに疑問)

 週2回のゴルフの練習のノルマを果すためには、今日(明日は送別会で練習できない)も練習しなければならないが、雨で実行できず。昼から雨が降った。今年の天気はおかしい。雨季があけきらない。


 <選挙戦>

 日本の統一地方選挙で最も注目したのは、当然ながら東京都知事選であった。結果は全く予想通りに「石原慎太郎」の圧勝に終わった。

 バブル崩壊後の経済不況の中で、東京都も他の地方都市同様大きな財政赤字に陥っており、改善の糸口は全く見つかっていないという状況下にある。このような時期に求められる人物像は“強いリーダーシップ”、“実行力”の人であるが、前回の選挙で「青島幸雄」に“実行力”、“清潔さ”を期待した都民は、結果として同氏に期待を裏切られたという実感から、“強いリーダーシップ”の期待がもてる石原氏へ走ったということであろう。小生も、知名度の高い立候補者のなかでもリーダーシップと実行力と言う観点では、石原氏の右に出れる人は見当たらないという感触が強かった。自民党が担ぎ出した、元国連事務次長で国際的な場面でも活躍し知名度も高かった「明石康」氏の4位という結果には驚かされた。自民党が好まれなかったのか、明石氏自身に期待感が薄かったのか、小生には理解し難い現象であった。

 インドネシアでも、6月に国会選挙を控えて準備中である。スハルトの独裁から開放されて、しかも独立後初めての選挙らしい選挙(公正に行おうとしている観点から)が行われるということで、現在選挙民登録が進行中である。手を挙げている政党も60以上の数に及び大きな混乱が予想されるなか、その時に向かって着々と時は刻まれている。経済不安のなかで、政情も不安定化し、全土で小さな暴動が続発している現状であるが、選挙時期には益々大きな混乱が発生するという大方の予想がある。現地日本人学校は1ヶ月間の休校を発表するなど、早々と手を打っているし、経済活動の停滞も避けられないとの判断がなされている。昨年5月のスハルトを退陣に追い込んだ暴動と比較してどうか、いまは誰も正確には予測しきれないと言う状況である。

 小生の予想は、「選挙前は大した混乱はないだろう。選挙結果次第で、結果に満足しない連中が騒ぎ出し、選挙後からその後11月に予定されている大統領選出まで、大きな混乱が発生する可能性を秘めている」というものであるが、いずれにしろ、この国が早く安定し経済も回復することを祈らずにはおられない。

99年4月13日
インドネシアはやはり治安的には不安要素が多い!

 昨夜の1時半頃、細井君の部屋へ二人組みの賊が侵入しようとしていたところを、細井君自身が気付いて大声を挙げたため大事に至らず、事無きをえたとのこと。一つ間違えば、殺傷事故にもなりかねない事態であり、取り敢えずは安堵したが早急な対策が必要となった。インドネシアでは、20年ほど前に北スマトラの現場で、同じく夜間に宿舎が襲われて、TECの所長が負傷するという事故があったが、最近は特別のこともなく安全に推移していた。ただし、このところの経済破綻で強盗事件が続発しており、万全の対策がせまられているといえよう。今日から夜警の強化と一人住いの住民の移住(一棟に複数で住まわせる)を実施することにした。ここまできて最後に不幸な事故が発生しないよう、万全の対策を講じることとしたい。
 帰国時のルートはケアンズ立ちよりの気持ちが、ますます強まってきた。今後も暫くは纏まった休みはなかなか取れない状況であり、谷輪ほかには申し訳ないがこの機会を逃すわけにはいくまい。止めれば必ず後悔するであろうし。27日インドネシア発、5月1日にケアンズ発で切符の手配はOKの様子、明日にでも決定することにしたい。

 パイトンでは雨季が上がったと思いたい天気が続いているが、ゴルフ場近辺は果してどうか。今度の週末は2連休であり、雨のないゴルフ日和を期待したい。週2回の練習目標を達成するために、今日は練習場へ行った。糖のコントロールのためにも、また日本に帰ってもこの習慣を保つためにも、ここで、このペースは守っていきたいものだ。

 帰国が間じかになって、いろいろと名残の惜しいことが起こってくるようだ。人の世は所詮こんなものかも知れない。インドネシアの良さをたっぷりと味わって、後悔のないようしておかねばなるまい。日本に帰れば、土、日の連休を毎週楽しめる利点もあることであり、それで楽しみも増えるということではあるが。

 この2ヶ月でかなりの「かき物」が溜まったので一気にプリントアウトしてみた。3月8日から15日までの日記がデータ消滅していることが判明した。何かの操作ミスがあったということか。残念ながら、今となっては如何ともし難い。

99年4月12日
後に憂いを残さず帰国が出来そうだ!

 下半身に疲れがたっぷりと残った(朝の起き掛け時だけで、後はさほどでもなかったが)。雨中のゴルフは考えものだ。楽しみのないゴルフに時間を使うよりも、もっと有効な時間の使い方を考えたほうがよさそうである。それにしても、未だに雨季が空けきらない。このところ、毎回2ラウンド目は雨にやられている。とはいうものの、インドネシアを離れるまで、毎回2ラウンドのゴルフはやめられないだろう。

 3月後半頃から仕事がなくなった。GTEC内は山崎が指揮するようになり、EPC内は元々首を突っ込んでいないので、毎日やることが殆どない。残り少なくなって、あれこれ首を突っ込むより早く後の体制が起動することが重要であり、静かに情勢を見守っていきたい。現状を見れば、既に小生の帰国の条件が揃ってきたということと理解したい。

 ナカノコーポレーションの袴田取締とインドナカノの宮島社長が挨拶にみえた。ナカノとは長い付き合いで人だしを含めて、いろんな協力をしてもらっている。厳しい環境で、最近ナカノへの工事発注もないが、小回りのきくこのクラスのゼネコンと常時関係を保てるような受注状況になるよう願わざるを得ない。

 4月29日から日本では7連休であり、帰国時に途中で少し休んで帰りたいと思い、いろいろなケースを考えてみた。

マレーシアの現場訪問後、今まで行ったことがないセブ島か台湾(両方?)に立ち寄る
マレーシアをやめて、バリ経由でケアンズに渡り4,5日のんびり(ゴルフも)する

の2ケースに絞られてきたが、すっきりとは決めきれない。谷輪ほかマレーシアの連中にも会いたいが、一人でのんびりもしたい。ケアンズは、長い間、老後の生活の場として夢(空想)に見てきた場所であり、早く一度はこの目で確かめてみたいという思いがある。どうやら、後者に落ち着きそうであるあが。遅くとも今週中には決定しなければ、日本の大型連休に懸っているので切符の手配も難しかろう。

 19日付けで、小職の後任として山崎CMを指名したレターを関係先に発送しようと考えていたが、三井の加藤氏から小職の名前は当面消さないようにとの要望在り、客先の関係もありやむを得まい。

99年4月11日
東京都の知事に石原慎太郎氏が当選した!

 つまなぬミスもあるが、パッチングは練習の成果が出た。短い距離を2,3回失敗したが、結果的には3パットはなし、1パットも殆ど無く、スコアはまずまずというところに納まった(午前中は41,40の1ラウンド81、午後は大雨で条件悪く84)。パッチングを大いに気にしたゴルフを志して初めてのプレイにしては満足している。残り3回のゴルフは、パッチングのチェックを中心にしていきたい。アイアンショットも右脇の締めが大切、今日は3,4回は思ったようなアイアンショットが打てた。テクノフロンティアの福田君が3年半以上にわたる現場勤務を終えて、まもなく帰任するので送別ゴルフということで一日楽しんだが、福田君本人が満足なスコア(当人のハーフのベスト)を記録できて、意義のある送別会となった。午後は大雨で足元も悪く、何時もの日曜日よりも大分疲れがひどい。マッサージにも立ち寄らず、早々に帰ったが宿舎に衝いたのは7時半であった。

 NHKは統一地方選挙の結果発表の特別番組で、東京都知事には石原慎太郎氏が圧勝の様子、大阪では横山ノック氏が再選確実との情報あり。東京都知事選で自民党がたてた候補者である明石氏は予想以上に票が伸びていない。自民党員でも多くの人が石原氏に流れたようである。石原氏が立候補を表明した時点で、今日の結果は決まったような選挙ではあったが。はっきりとものが言えて、行動力もある石原氏の当選で、東京も大きく変ることを期待したいが如何なることやら。

99年4月10日:

やはりゴルフは最大の息抜きとなる!


 サミット会議のフォローアップ業務に入ってきたが、小職自身は自ら全面に出ていないので、状況の成り行きを見守っているだけ。帰国前には大方の方向は見えてこようし、先行きの見通しも何とか立てられよう。楽な立場に甘んじているようで、些か心苦しいがGTECの責任者という立場を貫く限りやむを得ないことと思うしかない。必ずしも現場にいることもない状況となってきたので、見通し立ち次第引き上げることにしたい。

 長い一週間が過ぎて、ようやく明日はFINNAでゴルフとなった。仕事も一段落で、多少の余裕も出来たので、一週間が長く感じられる。ここ4,5日真面目にパッチングの練習をしてみたが、効果がでるか。結果を気にせず思いきってやってみたい。今はいろいろ試してみる時期であり、その内に結果が出ればよい。何しろ、目指そう「シングルへの道」は既に歩み始めたのだから。

 昨夜、食後に30分足らずの運動(ゴルフの練習)をしただけで、今朝の血糖値は91まで下がっていた。体を動かすことが、これほどに効果があることを再確認した。毎日この程度はやろうと思えばやれるのだが、強い意思を持続出来ない。これからは、何を置いても先ず健康が第一であることを、何時も念頭に置くことにしたい。

 何時もの通り、5時には現場を引き上げ6時過ぎに米谷氏を同乗させ宿舎を出発して、ゴルフ場近くのホテルへ向かう。山崎氏の言ではないが、この日のために1週間の仕事を頑張っているようなものか!。FINNAでのゴルフも今回を入れて残り3週となってきた。名残惜しいことである。


 <日本の歌>

 今年(99年)1月19日のNHK 歌謡コンサートは、「夫婦(めおと)演歌」と題して夫婦間の情をテーマにした歌を取り上げて放映された。共通点がなくかなり矛盾があると思われるが、小生は元来、「演歌」と「ディスコ調ダンスミュージック」が好きであり、興味を持って耳を傾けた。そのなかで、大津美子の「ここに幸あり」も大津本人によって歌われ、実に、約25年前に香港のダンスホールで中国語(香港の歌手)で歌われているにを聞いて以来の懐かしい歌声に感動した。

 日本にいる時に、歌謡番組を観ることは全然ないわけではないが、殆どないといってよい。シェラトンホテルのディナーショウには時折出かけたが、自らチケットを買い求めたわけではなく、年に2回ほど招待状を頂いたからである。日本を離れて外国で暮す時間が長くなると、つい日本の歌も懐かしく感じられ、NHKの国際放送で「二人のビッグショウ」も欠かさず観るようになってしまった。日本語恋しさでというほど、仕事場でも宿舎でも日本語から遠ざかっている訳でもない。ただ他に観るべきものも少ないという単純な理由が一番かも知れない。

 週末に片道2時間半かけて通うゴルフ場までの車中は小生のコンサートホールである。自分で日本から持ち込んだテープ、誰が残したか不明のテープを交えて約8割が日本歌謡である。毎週末の往復5時間繰り返し、イヤというほどに聞く羽目になった。テレサテン、谷村新司、堀内孝雄、五輪真弓など数少ないテープを数十回も聞いていると、感動も薄れるというものだ。それでも他に代替がないので、毎回この繰り返しである。

99年49
工事業者との追加交渉は未だ終わらず! 

 午前、午後と打ち合わせが多かったが、人事から依頼の「昇格査定(多面観察)」を完了させて、人事部宛FAXをいれた。若い主査候補者は面識のない人が多く、世代の違いを実感せざるを得ない。このところの担当部署の関係もあるが、小生も年をとったということでもある。

 信和のChoi副会長、三井造船の山口理事から電話があった。何時まで経っても工事業者との交渉事は減らない。難儀なことであるが、これも大事な仕事ではある。機器調達と違って工事の場合は、発注までよりも工事途中や完了時の追加交渉で難儀する。7月から担当する調達本部長は、現職よりも楽(?)な役職という感じがする。

 一昨日に続いて、今夜もゴルフの練習をした。体に疲労が残らない程度に軽く30分位に止めて明後日にそなえることにした。本格的な練習の開始は日本帰国後とすることにして、ここでは体が鈍らない程度に、週2回はクラブを振っておく事にしたい。

<ブロモ山の話

 インドネシアは、日本と同じように火山、しかも活火山の多い国である。小生が暮している東ジャワも例にもれない。宿舎から頂上まで自動車で約2時間の場所にも複式火山で、ご来光参りで有名なブロモ山という名山がある。東南アジア各国から観光客が訪れており、時折日本からの観光客もあるらしい。絵葉書も発行されており、名称の地であるという。近くに住んでいて、今まで訪れる機会がなく気掛かりであったが、本社から押田専務が来訪したのを幸いに、この機会を逃せば二度とチャンスはないという思いで44日に初めて訪ねてみた。

 ブロモ山地区は、昔イスラム教徒に追われたヒンズー教徒(イスラム教が入る前、インドネシアはヒンズー教徒が支配していたという)が逃げ込んで住みついた場所で、山麓から頂上近くまでインドネシアらしからぬ独特の情景をみせている。今は、高原野菜の産地としても有名になり、生活も豊かな様子である。畑の形態は、バリ島でみる有名な段段畑ではなく、山肌の急斜面にその斜面なりに開かれており、少しの隙間もなく有効活用しようという苦心の作品と見受けられる。その畑では、キャベツを中心にネギ、ニンジン、ジャガイモ、サトイモなど日本の畑と錯覚するような野菜類が栽培されており、今はキャベツの収穫の最盛期であった。イスラム教徒から追われて、山中に身を隠すようにしてひっそりと暮していた住民も、この高原野栽の成功で暮しも安定し豊かな農村と変化しているようである。ブロモ山の西側山麓では、南地リンゴも栽培されているという。

 外輪山の頂上まで登りつめると、そこは別世界、ミニ阿蘇山を思い出させるカルデラが一望でき、ミニ草千里も存在する美しい景観を楽しむことが出来る。外輪山の一番高い山が海抜やく2,700Mもあり、そこはひんやりとした冷気が漂い、薄いセーターが欲しいほどの気温となっている。ブロモ山は活火山で、いまでも休み無く噴煙を吹き上げておるが、阿蘇山同様、その火口を観ることも可能である。日本の都市近傍であれば、連日観光客で混乱するであろうと思わせる景勝の地である。ブロモの山並みの連なりの南端には、インドネシア ジャワ島で一番高い活火山(海抜約3,800M)が噴煙を上げているの観ることもできる。帰国前にこの機会をもてたことは幸運であった。

 <食事の話>

 東南アジア各国は何処へ行っても、日本人にとって食事に関しての違和感はない。日本よりも油を多く使った料理、揚げ物が多い傾向はあるが、暑い気候で生物(なっもの)が傷み易いことから当然の現象であろう。

 日本では「焼き」もの、例えば焼き飯、焼き蕎麦と「揚げ」もの、例えば鳥の唐揚げ、魚の唐揚げは区別して表現する。インドネシアでは、英語の「フライド」と同様、同じ表現「ゴーレン」で言い表している。「ゴーレン」の前に、ナシ(飯)、ミー(麺)、アヤン(鶏)、イカン(魚)をつければ、それぞれ焼き飯、焼き蕎麦、鳥の唐揚げ、魚のフライとなる。この4種類の料理はインドネシアでも最もポピュラーな食べ物でもある。

 味付けも大きな違いは無いように思う。日本独特の醤油は、日本食屋以外では使用しないが、塩の味付けは共通のものがある。塩で味付けた鶏がらスープ(ソトアヤンという)は、薄味の関西(特に九州か)風の味付けと共通した趣があって、九州育ちの小生にとっては好みの料理である。インドネシア風スープ(ソトーー)はバングラデッシュの一流ホテルでメニューに入っていた記憶があり、ナシゴーレンはサウジアラビアのヤンブーという都市のホテルのメニューでもお目にかかれた。それほどにインドネシア料理も世界的なものなのかも知れない。

 小生は、週末以外は毎食キャンプの食堂で食事しており、日本人コックが夫婦で働いているので、大方日本食あるいは日本食まがいをとっている。この1年も食事で苦労したことは全くない。食欲不足や腹具合をおかしくしたことも、一度たりともない。食事が小生に合っているのか、小生の内臓が丈夫なのかは詮索することもなかろう。

99年4月8日
余裕の一日、夜はパソコンで書き物!

 昨日のゴルフ練習の疲れが体に少し残った感じがする。何時も体を使うようなことをしていないということである。この程度の運動では、翌日体に何も感じないくらいの状態を常に確保していないといけないと思うのだが。

 「ゴルフ狂団」のかなで、中途半端になっていたものを書き上げたので、今夜も10時を回ってしまった。疲れが溜まらないよう、ケジメをつけて寝ることにした。

99年4月7日:
帰国に向けて関係先への挨拶も始めた!

 サミット会議の状況が、西PMの電話で、大方掴めた。小職としては、最悪の事態も想定していたので、予想と違った好ましい方向への進展であり、安堵した。これから詳細を煮詰める中で、具体的な影響度がどうか明らかになってくるが、何れにしても最悪の事態は避けられた。対客作戦の多少の変更は必要であるが、基本戦略は不変で進めていきたい。当方の武器を早めに放棄する必要はなく、何時でも戦える準備・体制は整えておきたい。何はともあれ、小職の4月末の帰国は、予定通りに実行出来そうである。早めに、予定を固めることとしよう。

 今日は、TECのジャカルタの 阿部所長、五洋の中村所長、高田の石田所長、CAPCサイトの古賀氏など、ジャカルタ方面に電話した。帰国時に立ち寄り、挨拶廻りも必要だろうから。また、凡そ4ヶ月振りに、ゴルフの練習をした。約40分間程度であったが、休みなしでボールを打ったので、気持ち良い汗をかいた。一日おきには、30分でもやりたいと思うが果して実行出きるか。

99年4月6日
何となく余裕の感じられる一日であった!

 日経新聞は、朝日新聞と同じく何となく好みでない、と思い込んでいたが、この1年間日経を読み続けてみて、その思いが変ってきた。じっくり読めば読むほど興味のある記事が多いことに気がついた。特に、日曜日版は、話題の本の紹介ほか、小生が欲している情報やその他有用な情報が多い。これを期に、日本(自宅)でも、読売から日経へ変えることにしたい。

 マレーシア現場の谷輪君へ電話した。元気な様子で安堵した。工事遅れ、本社からの圧力など心労が多い上に、まだ体調が完全でない状態であり、大事に至らず乗り切ってほしいと思う。帰国時に、出きる限り立ち寄って、慰労したいとは思っているが。

 今年になって初めて、ゴルフの練習をしようかという気分になったが、夕方から大雨で中止した。雨季も既に終わったかと思っていたが、夜になれば、時折大雨があってすっきりとあがってくれない。昨年の雨季空けと同じ現象である。運動不足の解消にはならないが、部屋の中でパターの練習だけでもやることにした。

 <庭の草花・ハーブの話>                          
宿舎の庭に幾種類かの花が1年中絶えることなく咲き続けている。その何本かを手折って、部屋に持ち込みウィスキーの空き瓶に刺してみた。一瞬部屋の雰囲気もなごやいだような気持ちになれる。

 庭の草花の一つに、日本でも馴染みのハーブの一つがある。ハーブはイギリスなど寒い国で栽培が盛んで、日本でのブームもイギリスあたりの影響が大きいと思い込んでいたが、必ずしもそうではないようだ。東南アジアの各国の山中で暮している原住民が重宝している薬草が、その源流である物が多いようである。

 2、3月前であるが、ある新聞記事で、マレーシア在住の若いオーストラリア人がハーブを加工した飲料、菓子を販売して大成功している例が紹介されていた。彼は新しいバーブの種類を探すために、東南アジア各国の山岳民族を訪ねまわり、原住民が昔から薬草としている草木の中から貴重なハーブを見出しているという。原住民は定住している場合が少なく、同じ人物を探し出すのが容易でないらしいが。勉強不足の小生にとっては、これは意外な事実の発見という気分である。

 前にも書いたが、ランを例外として南の国では「花」に感動する場面が少ないように思う。何時でも、何処にでも、それなりに存在する「花」、一瞬目を見張るような場所と瞬間に出会うということはない。

 日本の我が家の庭も、ここ数年の海外出張の多さとこの1年の長期インドネシア滞在で、すっかり荒れてしまった。春の花の全盛期は過ぎてしまうが、帰国してからも今年の花がまだ楽しめそうである。何とか早く前の状態に戻したものである。

99年4月5日
現場を離れる準備は着々と進みだした!

 客とのサミット会議に出席するメンバーが、今日シンガポールへ向けてサイトを出発した。成果のある会議となることを期待したい。

 残留組で、保里APMを中心にして、今後の実行方針の煮詰めを行った。出来るだけ口出しを控えて、保里APMのリードに任せたが、短時間で効率よく進められたと思う。まだ、再度詳細を詰める必要のある項目も残ったが、当面は先へ進められよう。

 小職の現場滞在は残り3週間となった。その間に何をなすべきか、十分に計画を立てて実行に移し、悔いの残らないよう心掛けたい。このところ、気持ちが半分退けたようなところがあって、西、保里両氏に申し訳ない思いがあるが、何時までも深く入り込むよりは、早く西・保里体制を確立することも大事と考えている。

 ここ数日夜更かしが続いて、少し疲れが溜まってきたようだ。今日は早く寝て、明日はすっきりとしたい。   

99年4月4日:

ゴルフをやめて名山ブロモへ初めて登った!

 念願のブロモ山に初めて行った。押田専務を案内しがてら、小生にとっても最後のチャンスと思い、日曜日のゴルフをはじめて止めて、ブロモ山に出かけてきた。長い間気になっていたことが、一つは片付いた。7時にキャンプを出発したが、予想以上に近く、途中でゆっくりしても、3時前には帰着し、春の高校野球で「沖縄尚学」が優勝する場面をテレビで観戦出来た。もっと早く行っておいても良かった!

 道中は、外輪山の頂上までヒンズー教の住民の住いと高原野菜の畑が続き、独特の景観を呈しており、このようなインドネシアもあることを知る良い機会であった。高原野菜の畑は、段々畑ではなく、山の急斜面なりに開かれた独特のもので、かなり厳しい条件下での作業を強いられる形状のものである。作物は、キャベツ、ネギが主体で、他にジャガイモ、ニンジン、サトイモなど日本の畑を見ている錯覚に陥りそうなものである。

 山は、完全な複式火山で、外輪山(海抜2200M位)に囲まれたカルデラはかなり広くその全面が草(茅と思われる)に覆われた大平原といった様相を呈している。そのカルデラの中にあるブロモ山の噴火口は、海抜約2400Mで、今も噴煙を吹き上げている。日本の阿蘇の山を思い出す景色が展開されていて、久しぶりにインドネシアらしかなぬ場所に出会ったという思いであった。

 この程度の高地(展望台は約2700Mの地点にあり)に来れば、赤道に近いインドネシアといえども、ひんやりとした寒気(冷気?)に包まれており、身の引き締まる思いがする。時々この冷気に触れたいという願望も湧いてくる。

 夜は社員全員を集めて、押田氏を囲んで食事会を持った。

99年4月3日
専務を迎えて夕食会!

 スラバヤを7時に発って、9時半には現場に到着した。午前と午後に分けて、押田専務を現場案内した。その合間を利用して1時から1時間は、メンバー全員を集めて今後の実行方針の徹底を図った。何処まで理解をしてくれたか、多少の不安は残るが繰り返し徹底するしかなかろう。小職が何時までも口出しするのは控えたいし、早く軌道に乗って欲しいものだ。

 夜は、幹部社員と押田氏との会食をもった。土曜日で出かける予定者が多いので、マネジャー・クラスに限定して9時頃まで、食事をしながら雑談。会社の暗い話はせず、遊びの話に終止、和やかな時を過ごすことができた。

99年0402
ゴルフの後で押田さんを出迎えにスラバヤ空港へ!

 インドネシアの数少ない休日の一日であったので、何時ものようにFINNAへゴルフに出かけた。例によって、2ラウンドをこなしたあとで、押田専務を迎えにスラバヤ空港へ向かい、一緒にShangrilaに宿泊した。

 ゴルフは何時ものように、遅いグリーンでパットが悪いが、全般にはまずまずである。バンカー馴らしが全く為されていなくて、8打も叩いたホールがあったが、41であがるなど悪いゴルフではない。パットは、朝の露が多くて極端に遅い状態の時が、特に悪いようだ。こんなに長期に悪い状態が続くのは、大きな問題と云わざるを得ないが、日本の早いグリーンでは悪くもないので、遅いグリーンの克服に集中すればよいか。

99年04月01日
現場に帰って2日で明日はまた休日だ!

 年度も改まった。本社では予算示達も行われ、緊迫の新年度が始まったと思う。当プロジェクトの現場もいよいよ正念場、この2ヶ月が特に大事な時期である。サミット準備でEPC内の足並みが揃わず西PMも苦労しており、TEC内部の会議もなかなか実施できない状況であったが、午後から何とか話し合った。この結果をメンバー全員に徹底することも重要であり、3日の会議をそれに当てることにした。

 明日のゴルフにそなえて、Tretesへ泊まる。