前のページに戻る | 次のページへ | 日記の目次へ戻る |
3月16日 | 3月17日 | 3月18日 | 3月18日 | 3月21日 | 3月22日 | 3月23日 | 3月24日 | 3月25日 |
3月26日 | 3月27日 | 3月28日 | 3月29日 | 3月30日 | 3月31日 | * | * | * |
99年3月31日: 現場終盤に向かって再始動した! 朝は「Shangrila」ホテルでゆっくりしてから出かけようと考えてきたが、結局何時もの通り7時には出発した。宿舎で着替えて、10時には現場に入った。午前中は阪上、西、保里の各氏と簡単に会議、千葉の様子を伝えた。各人が忙しく、今後のことは明日話し合うことにした。小職自信も、貯まっていたメール、日経に簡単に目を通すのが精一杯で余裕のない一日であった。 |
早く西PM体制にして、自身は身を引くことを実行したい。あと1ヶ月も専任出来ないのだから。西、保里の重複をさけて、身軽な体制を確立することが重要であることを両者にも理解してもらいたい。この仕事は、客の理由で相当に長引くことは避けられない状況であり、早めに長期戦の体制としておくことが大事である。 日本でも忙しかったので、疲れも溜まっているようだ。今夜は幾分早めに寝ることにしたい。 |
|
* | * | |
99年3月30日: 同じ飛行機で多くの友と出会った! パイトン最後の長期滞在のために、インドネシアへ帰ってきた。今年も桜の満開は見ることなく、日本を発つことになり、これで3年続いて花見に縁がなかった。 成田からスラバヤまで、三井の緒方氏、久野氏とたまたま一緒になった。成田のラウンジで長谷川(元)君とも出会い、また機中(実際はジャカルタで降りる時)で荒栄氏(アイワ)とも出会った。荒栄氏とは、3月初旬日本へ帰る時も、搭乗時に出会っており、偶然が続いた。今日はビジネス・クラスは空席が多く、約3割位の席が埋っているだけであったが、ジャカルタ線では何時も誰かに会う。それほど日本人の移動が多いということだろう。ジャカルタ通いも、当面は今回が最後となるので、些か感慨の深い旅であった。 何時もの通り、「Shangrila」ホテルに一泊した。客も多くないのか、普通の料金でHorizonに泊めてくれた(最近は宿泊機会が多いので半数以上がこの待遇をしてくれるが)。スラバヤも本格的に雨季があがったようで、爽やかな天候である。幾分暑さはきつくなるが、ゴルフも快調となろう。 <インドネシア語の話> |
インドネシア語は日本人には習得し易い言葉である。文法的にも日本語との共通点も多いし、発音も一部を除けばローマ字読みでよい。日本語と同じように、主語を省いても通じるし、単数・複数の差がない。また、時勢(過去、現在、未来)がなく、語彙も少ないので、ある程度まではすぐさま到達できる。数少ない基本的な文法と基本用語を覚えれば、後は語彙を増やすことに注力するだけ、発音を気にすることなく会話出来るのだ。 言葉を覚える最短の道は異性の友達(恋人)を持つことであるというが、この歳ではもはやその気力もない。女性のいる飲み屋(バー、クラブ)に通って、女性との会話を楽しみながら上達をはかる道もあるが、酒を嗜まない(正確に言えば、健康上で医者から注意されている)小生はそういう場所に出入りすることは1年に1度程度しかない。 半年ほど前に勉強を思い立った時、自由な時間を持てるのは日曜日のゴルフ場しかないことに気付き、その時間を活用するほかに道はない、と思い立った。 さっそく、「ゴルフに行って、インドネシア語を覚えよう!」と題して、超初級者向け会話集と最低限必要な単語を纏めた「ミニミニ インドネシア語辞典」の作成に採りかかった。自分の会話の早期習得を狙いとしたが、同じような境遇の後続者が望めば利用を妨げないことも念頭においたものである。 後日記:一気に数ページを作り上げたが、その後、進展することなく今に至っている。残りのインドネシア滞在が少なくなったこと、やりたい事が多すぎて時間が上手く配分出来ない事が言い訳であるが、何時かはケジメをつけておきたい。 |
|
* | * | |
99年3月29日: 最後の現場方向に向かう前の日本での最後の日! 最後の日まで忙しかった。午前中は広瀬次期社長と会談で、病院には行けずしまい。午後は、計画センター本部長会で、今後の運営方針の討議を6時半まで実施。慌しく用事を済ませて帰宅後は、家族3人で近くの寿司屋へ夕食に出かけた。 帰国中に電話出来たのは、野沢氏と崎元氏のみ。近くに住んでいる兄弟達にも、暫く電話もせず、会うこともなく時が過ぎてしまった。日頃の無沙汰は、5月帰国後に一気に片付けることにしたい。 |
このところ、日記の内容も味気ないものばかり。千葉での生活が復活すれば、こんな状態が続くのかと思うと、些か寂しい気持ちになるが、その中でまた楽しみも出て来よう。 広瀬次期社長の了解を得たので、予定通り明日インドネシアへ向けて出発することにした。明後日は、何時もの様に朝早くスラバヤを発つことにせず、昼までにパイトンに到着できればよいよう、ゆっくりして、疲れを現場まで持ち込まないようにしたい。 |
|
* | * | |
99年3月28日: 今日のゴルフは千葉国際だ! 日本にいる時の恒例で、今日は設計の連中と千葉国際カントリーでプレイ(中野、鈴木、山下の土建設計の面々)した。久しぶりの日本での2日連続プレイであった。 雨はあがったが、昨日と違い寒さが戻った薄曇の一日で、疲れが増幅したようだ。ただ、足は二日間とも痙攣することもなく、無事に終了出来たことが何より嬉しいことと言えよう。プレイのほうは、千葉国際特有の早いグリーンに泣かされ、相変わらず3パットが多かったが、何とか45、42で廻った。 |
今日もキャロウェイは不調で、1,2回しかナイス・ショットはなかった。その代わり、プロギアのスプーンは悪くないし、距離も良く出ていた。まだまだ、若者にも負けていないし、帰国後も楽しみが持続出来そうである。鈴木君が不調で今日も勝ち頭となってしまった。 今回の帰国は、仕事も遊びも忙しく充実していたように思う。その分、疲れてしまったが!。明後日は予定通りインドネシアへ向けて出発するので、明日も慌しく一日が過ぎることになりそうである。 |
|
* | * | |
99年3月27日: TEC習志野会で9回目の優勝をしてしまった! ![]() 第63回TEC習志野会のコンペに久しぶりに参加した。小雨のなかで条件もよくなかったので、つまらぬミスもあって、午前中キングINは45とあまりよくなかったが、午後OUTは42(3パット2回)であがり何とかベスト・グロスで優勝も貰った。63回のうち、凡そ40回は参加したと思うが、今回で9回目の優勝を経験した。一時は、1年で3回も優勝して仲間の不評を買ったが、今回は久しぶりの参加であり、気楽にやれた。 |
ドライバーはプロギアに慣れすぎたためか、キャロウェイは今一つしっくり来なかった。ドラコンは一つ取ったものの、1−2割程度の満足感しかなし。早くプロギアで、日本のコースを廻ってみたい。方向性、飛距離ともに、日本のコースでも問題無く使いこなせるとは思うが、早く確認がしたい。寒さのせいか、雨のせいか、全身に疲れが貯まった感じで、疲労の極点に達している。明日が心配である。 「握り」を5人とやって、合計で120枚の勝ち。友達よ、申し訳ない! |
|
* | * | |
99年3月26日: 忙しいと言うことは良いことだ! 午前中は副社長との懇親会、午後2時から大成建設とタイROCの追加問題の話し合い、その後社長との電話会談と今日も多忙であった。人事から依頼されている幹部職の多面観察評価が手つかずのままである。月曜は午前10時から副社長との打ち合わせ、午後は計画センター本部長会と予定が入っているので、その準備もやりたいが、明日,明後日はゴルフで時間が少ない。月曜の朝の病院行きは今回は無理のようだ。薬も何とか1ヶ月はもちそうであり、本格帰国時に行くしかなかろう。 |
毎日日記を書くのが精一杯の状態である。このような生活が帰国後も続くとしたら、予定の書き物もなかなか進みそうにない。在インドネシア中にも、出きるだけ精出したいものだ。毎日少しでも実行することが何より大事であると思う。 明日は何年振りかで出場するTEC習志野会コンペ。道具が最近使っていない昔のものであり、条件は悪いが何とかなりそうな気がする。少なくともベスト・グロスは貰えそうである。それにしても、習志野会も老齢化してきて、明日も故障者が多くて、3組のコンペとのこと、寂しい限りである。先輩諸氏への義理も果したと判断して会員券を手放してもよい時期であるが、今(倒産で和議申請中)となっては如何ともし難しである。何はともあれ明日は楽しみである。 |
|
* | * | |
99年3月25日: 多少お疲れ気味か! 午前中は経理部との会議、午後は三井造船との工事追加費用の交渉で一日つぶれる。 |
関係者の協力が思うように得られず、些か不満である。プロジェクト担当者にしては、どうにも納得いかない。暫く引き伸ばしながら、成り行きを見守りたい。虚脱感で日記もまともにかくきがしない。今日はこれにて終わり。 |
|
* | * | |
99年3月24日: 工事業者との追加請求問題処理に終われることになりそう! 4月1日付け新組織とライン長人事が発表された。当然だろうが、予定通りの役職が表示されていたので、これから変りようはない。多少は気が重いが、やらねばならぬ。 東亜建設の田崎福社長が挨拶に来られた。パイトンが完全に片付いたことへのお礼ということであったが、一方 タイ ROCプロジェクトの大成問題は暗礁に乗り上げたままであったので、今日から小職が乗り出すことにした。大成の草柳部長へ電話してみたが、真意はよく掴めず。金曜日午後、面談することにした。時間的に厳しい状況ではあるが、最悪の事態に陥らないよう手は打っておきたい。また、パイトンで未解決の三井造船も、明日三井物産とともに来社したいとの申し入れあり、やむを得ず受けることにした。物産と一緒であれば、当方にとっては好都合であり、今回で完全に決着をつけたい。 |
当面、工事業者の追加請求問題に忙殺されそうだが、これが小職の役目の一つであろうか。次の役職である調達の仕事とは、完全に異質の仕事とは思うが、多くの人は同じとみているふしもある。 担当部分の査定(人事考課)は、今日で全部終わった。残りは年俸者の多面観察のみで、明日中には終了できるだろう。帰国の主目的は完了するので、あとは工事業者対策と新担当部署の立ち上げ準備に時間をかけたい。今回の帰国は、毎日無駄のない充実したものとなり、有意義であったと思う。 住友電設の野沢氏から電話あったが、今回は面談の時間をもてそうにない。完全帰国後ゆっくりと会うことにしたい。竹永氏、中村氏、児玉氏ほか会いたい人も多いが、どうも機会が作れない。ゴルフは、土、日曜ともに予定を入れたが! 風邪が完治せず、そのため喘息がでて夜中に発作がおきる。 |
|
* | * | |
99年3月23日: 本社へ帰れば新しい任務準備が始まった! 午前中は設計部門の各部長と話があり、瞬く間に時が過ぎてしまった。午後はプロジェクト統括本部内の人事考課の調整会議で、7時過ぎまで、残務を済ませて家に着いたのは、凡そ9時。この日記を書くのがやっとで、他の書き物には手がまわらず。 今週一杯と来週月曜日の予定がアットいう間に決まってしまった。長く居れば、毎日予定が入りそうであり、ケジメも着け難いので、早々に30日には出発したほうがよさそうだ。 |
とにかく残りの1ヶ月で、パイトンの今後の方向性を見極めて、残務を西PMへうまく引き渡したい。まだまだ先行き不透明で、不安要素も多いが、新任務も早く軌道に乗せねばならず、ゆっくりもしておれない。 娘達は会合で出かけており、一人で夕食のあと、日本にいる時に常連としている「火曜サスペンス劇場」を観た。インドネシア生活と違い、日本に帰ればテレビにとられる時間も増えそうで困ったものである。 |
|
* | * | |
99年3月22日:![]() 日本では春の花が咲き出していた! 日本は寒波が来ていて、冷たい強風(関東の各地で暴風注意報が出ている)が吹き荒れている。春分の日で休日であったので、家でのんびり出来たが、外へでる元気もなかった。 |
庭では、「御岳つつじ」が満開、「スイセン」が咲きだし、最近まで戸外に出していた「シンビジューム」の幾鉢かも開花、「枝垂れ梅」も満開に近く春が始まっている様子が窺える。昨年はチャンスが無かったので気になっていた「カタクリ」の花が、「大紫つつじ」の下でひっそりと咲いているのを観ることが出来た。この家に越して来た年に園芸店で購入した1株が10年近くも生き続けて、毎年可憐な花を見せてくれる。今年はもうチャンスがないが、来年はもっと株を増やしてみたいと思う。1年間家を空けたが、日本にいればまた楽しみが増えてきて、退屈する時間もなさそうである。 |
|
* | * | |
99年3月21日: ゴルフをやってから帰国の途へ! 昨日、小生が纏めた「ゴルフの科学」の要約のコピーを太田氏へ提供したら、すぐさま山崎、保里両君他へ再コピーが渡ったようだ。山崎君などは昨夜中に読んだらしく、今日のゴルフで早くも応用していた。素人の目で、素人が分り易いよう纏めたので、自分でも利用価値があると考えている。皆に利用してもらい結構なことだ。 |
今日の帰国にそなえて、昨夜は「Shangrila」ホテルに宿泊した。今日のゴルフも1ラウンドできりあげ、マッサージをしたあとホテルに3時半に着いて6時のチェックアウトまでゆっくりした。こんなゆったりした時間を持ったのは全く久しぶりである。体を休めるほか、いろいろ書き物もできた。大相撲春場所のテレビ放映を観ながら、今日の日記もホテルで書いてしまった。有意義な時間であった。また、このような機会をつくることにしたい。 スラバヤ空港で三井の久野氏と会い、東京まで同行した。インドネシアの総選挙前の政情不安を心配して、日本人家族の帰国が増加しているとのことで、JALも満席状態である。ジャカルタ空港で、何時もの免税店に立ち寄り、娘への土産にモンブランのボールペンを買い求めた。 |
|
* | * | |
99年3月19日: またもや日本へ帰る予定が入ってしまった! パソコンも立ち上がった。環境は整った。今後の現場体制の見直しを、西、保里両氏と討議。当初予定と約2週間遅れ程度でいけそうである。 |
疲れはさほどでもなく、何とか体力が回復したような感じである。風邪が完治せず、長引いているため喘息を誘発しているのが、疲れの原因のようだ。当面夜更かししないで体を休めることとしたい。21日のゴルフも1ラウンドだけで、少し休んでから飛行機にのることにしたい。 |
|
* | * | |
99年3月18日: 疲れも貯まってゴルフも上手くいかず! 昨夜2時前に一度目を覚ましたあと、また寝入ってしまった。電話で起こされたのは5時40分、こんなに寝込んだのはこの1年で初めてのことである。疲れが極限に達しているようだ。 ゴルフは先週の日曜日と同じで、パッチングが信じられない位悪い。長いゴルフ生活でもこんな状態は思い出せない。ショットは、特にドライバーとバンカーショットは申し分ないが、パッチングがどうにもならない。50cm程度も5−6回外しており、全く信じ難い状況である。今までも、FINNAのグリーンは苦手ではあるが、ここまで悪い状態は初めてである。それでもスコアは82、86で勝負には勝ってしまったが。次回から暫くパターを変えてみることにしよう。 数少ない、インドネシアの貴重な祝日であったが、ゴルフのために使ってしまった。ゴルフは、日本に帰っても何時でも出来るから、インドネシアにいる内にもっと有意義な時間の使い方を考えたほうがよいとは思いながらも、なかなか実行できない。観光地まで足を延ばす時間も無いし、政情不安のため気楽に何処へでも出かける状況にないこともあるが、ゴルフに関連したことしか情報が無い。 数年前までは、インドネシアのゴルフ場のほとんどで、Caddieは男性であったが、最近の新設のコースでは若い女性に変ってきている。重いクラブのキャリーバッグを担いでの重労働であったのが、手引きや乗用のカートが発達して女性でも容易になったことも大きな要因であろうが、ゴルフ場側の客寄せ目的もあるように思われる。小生もこの傾向は大歓迎である。男性Caddieのなかにはボールや小道具を抜き取る不逞の輩もいて、気が抜けないことが多かったが、女性に変ってからそのような事も無くなり、雰囲気も何となく和らいだものに変ってきたように思う。 |
小生が通っているスラバヤ郊外のコースでもCaddieは全員女性である。Caddieの年齢は20−28歳位がほとんどで、既婚者が半数以上を占めているようだ。この国では、女性が実によく働く。男性よりも、むしろ女性のほうがよく働くと言っても過言ではない。小生の現場事務所で、事務職として採用している女性の多くが既婚者であり、また最近結婚した女性の全員が結婚後もそのまま働き続けている。企業のトップは別として、多くの職場で男性よりも女性が重要な役割を担っている例は数多く見られる。 この国では、一般的に結婚年齢も低く、Caddieの多くが既に子持ちで、一家の家計を担っていると思われる。そのため、仕事振りも真面目で手抜きがなく、馴染みの客の好みも心得てまめに働く。グリーン場のラインも一生懸命勉強しており、日本のCaddieの場合よりも頼りになることも多い。 何よりも、若い女性Caddieと一日中一緒にコースを廻るというだけでも、楽しめるものがある。小生が毎週通ってゴルフ場でも、多くの客が(Caddieに左右されることはない、と言いながらも)それぞれ好みのCaddieを指名し、馴染みとなっている傾向が見られる。一日に2ラウンドも廻れば、約10時間も行動を共にすることになるから、出来れば好みのCaddieであって欲しいのが人情であろう。小生も大体同じCaddieを指名していて、あまり変えることはない。時折気分転換に指名を変えると、指名された本人が「どうして、あの子でなくて私なの」と言われるくらい周囲に知れ渡ってしまったようだ。 小生は、この10時間をもっぱらインドネシア語の勉強に使っている。ほとんどのCaddieが英語は全く話せないないから、こちらがインドネシア語を話さないと会話が続かない。メモ帖なしでしかもインドネシア語以外は全く駄目な相手との勉強のため、非効率でなかなか成果が出ないが、この10時間は貴重である。少しでも英語の単語を理解するCaddieを探し出せれば、もっと効果的とは思うがなかなか巡り会えないものである。 |
|
* | * | |
99年3月17日: 明日のゴルフにそなえて今夜も山のホテルへ! 明日はインドネシアの数少ない祭日だという。また、FINNA通いである。 |
日本から送ったパソコンが到着し、早速メールを起動させたいと思ったが、容易ではなさそうだ。帰国前には貯まっているメールに目を通せるようにして欲しいものである。さもなくば、約1ヶ月もメールを開けないことになり、多方面に迷惑をかけてしまう。 疲れがなかなか取れず、Tretesのホテルに着いたらすぐベッドに入った。 |
|
* | * | |
99年3月16日: また現場に戻って最後の仕上げに邁進だ! 東亜の久保氏から電話があった。追加工事費の入金があったことに関しての、お礼の電話であった。小生帰国時に田崎副社長共々、挨拶にきたいとのことである。この件は完全に終了した。残るは三井造船問題、相変わらず先行き不透明。 西PMが歯痛でダウン。疲れが溜まると再発する西PMの持病、休日にゴルフを休んで疲れをとれば回復も早いが、ゴルフ魔力から逃れられない。早い回復を祈りたい。おかげ?で、今日は打ち合わせも無くゆっくりした一日であった。 |
計画センターの組織見直しを考えてみた。まだ、文章化していないが大筋は頭の中で整理できている。先の改正時の会社トップの拘りも感じられ、話の出し方、出す時期については慎重にならざるを得ない。来週の帰国時には、考えを文章化して関係者に提出しておきたい。出だしを間違うとその軌道修正は容易ではないから。それにしても、これからの会社運営の全容が固まる前に、スリム化だけが先行し過ぎた感じがしないでもない。 ![]() |