ゴルフ見聞録
(3.隠居のゴルフ道入門記)



グランドシニア選手権を制す 隠居のゴルフ道入門
月例競技参加常連者 目指そう「シングルへの道」
ホールインワン達成! 糖尿病治療薬


グランドシニア選手権を制す  所属クラブの2011年度のグランド選手権を獲得(2011.10.30)した。ゴルフを始めて約31年、月例競技の優勝は何回かあり、またホールインワンンも習志野カントリーで経験してしていたが、この歳になって選手権と称するものを初めて手にした。クラブ選手権とか理事長杯は全く手の届くものではなかったが、一応選手権という名のつくものを獲得してアマチュアゴルファーとしては名誉の一言に尽きる。
 
 16名が選出される予選会は8位で通過だったが、決勝トーナメントのマッチプレイは、1回戦が予選8位通過者を5−3で、準々決勝では予選1位通過者を3−2で、準決勝はパットが絶不調だったが予選4位通過者を19H1−0で、決勝は前半で2バーディもあり後半は追いかけられる場面もあったがが2−1で逃げ切っての優勝であった。勝因は、幸運に恵まれたことも言うまでもないが、全般を通して寄せが安定していたこととパットも準決勝戦を除いてはそこそこに安定していたことであったと思う。各マッチプレイとも、3ホール位消化したところで、何となく勝てそうな気分になり緊張することもなかったのは不思議でならない。ちなみに、昨年度は予選は通過したものの、1回戦で優勝者に完敗であった。

 後何年ゴルフができるか分からないが、80歳前後まで続けられるとしたら、最後の望みはエージシュート達成である。

             <2011年12月記>


隠居のゴルフ道入門

 「ゴルフの最大の欠点は面白すぎることである」との格言を、何かの本で見た記憶がある。自分にとっても、この言葉ほど身につまされるものはない。「面白過ぎるゴルフ」に取り付かれたがために、ここ10数年に渉って、休日のほとんど総てをゴルフのために費やして、他の事に使う時間を作れない。海外出張が多い生活のなかでも年間80数回コースに出てきたので、日本滞在時に、休日に体をゆっくり休めた記憶が無い。そのために、他の趣味が全く手付かずになってしまった。ゴルフを始めるまで熱中した「海釣り」も、ここ20年近く全くやっていないし、「盆栽いじり」も中途半端となり手入れも行き届かない。海外出張時にも、偶の休日があってもゴルフに出掛けてしまい、観光などした記憶がない。何処の国に行っても、仕事場と近隣の都市それにゴルフ場しか知らない。それほどまでに面白いゴルフとは何物であろうか。

 ゴルフを始めたのは、丁度19年前の1980年、40歳の誕生日を迎えた直後であり、決して一般のゴルファーより早いわけではない。むしろ遅いほうであろう。それより10年余前に、ゴルフ道具一式は買いこんでいたのだ。周りの友人に強引に誘われて、一人娘の誕生祝金として会社から支給された金の全額をつぎ込んで、ミズノ製品を買いこんだ記憶がある。当時は、毎週末に泊りがけの海釣り(船釣りも磯釣りも)に出かけており、ゴルフに当てる時間など皆目なかった。買い込んだ道具も10年余り日の目を見ることなく、倉庫の片隅で埃を被ったまま放置されていた。当時、ゴルフに気持ちが向かなかったのは、もう二つの理由があったように思う。一つは、常日頃の生活で全く「マナー」に無頓着な先輩ゴルファー諸氏<無礼な表現で申し訳ありません!>が、ゴルフの話になると「マナー」を連発し、会社内ではしかるべき責任ある人が平日ゴルフに出かけては翌日仕事中にゴルフ談義に花を咲かせる、という情景を目の当たりして、どうしても馴染めないものを感じていたことである。二つ目の理由は、最初の道具を買い込んだ数ヶ月後に重症の椎間板ヘルニアを患い長い間苦しんだことである。ヘルニアが多少癒えた後も時折再発し、ゴルフは一生出来ないものという軽い不安あるいは思い込みがあった様に思う。

 「それが、どうして今では?」という話である。

 当時(に限らないが)海釣りでの事故が頻発し、母と妻(共に今は故人となってしまった)に、口すっぱく「海釣りは危ない。ゴルフは波に浚われることもなく、溺れることもない。安全な遊びだ。頼むから釣りは止めてゴルフにしてくれ」と、ゴルフへの転向を薦められたことと、釣り帰りの睡魔のために車の運転に些かの不安を持ち始めていた時期が偶然に一致したため、ということにしておきたい。さらに、ある雑誌で「椎間板ヘルニアの患者がコルセットを着けてまでゴルフをしていること、しかもゴルフはゆっくりと歩くから腰に良くヘルニアのリハビリ効果がある」との記事を目にしたことである。これがゴルフに対する不安感を一掃してくれた。ところで、釣りとゴルフをほどほどに、どちらも楽しむことは出来ないか?。否である。小生の性格から、あり得ない話である。何でも始めると熱中してしまうので、貴重な休みを分散して中途半端に何にでも手を出すということはあり得ないだろうと、一気に釣り道具を処分し新規にゴルフ道具を買い換えて、方向転換をはかってしまった。 

 練習場に通い始めた当初、先輩ゴルファーに数回同行してもらい、クラブの振り方を教えてもらったが、後はひたすら我流で練習に励み条件反射の反復・強化に努めたのが、ゴルフとの付き合い初めであった。その後は、うしろを振り帰る事も無くこの道をまっしぐらに突っ走り、気がつけば魔力に取り付かれて逃げ道のない囲いの中に入り込んでいた。

 多くの初級ゴルファーの例に漏れず、初めてのコースお目見えは、利根川沿いの河川敷コースであった。先輩ゴルファー(実体は部内の若手)3人に伴われて、朝霧の中でチーグランドに立ったが、第一打は大きなスライスでいきなり川へ飛び込み、同伴諸氏を大いに喜ばせた。しかし、この一打がそれまでの緊張を一気に解きほぐしてくれた。後は先輩諸氏に対して遅れを執ることも無く、何とか着いて行けたと記憶している。特に、河川敷特有の小さい砲台グリーン廻りで、先輩諸氏が行ったり来りを繰り返しているところを、何故か苦も無くグリーン オンを先にやってのけた事が大いに自信となり、其の日のゴルフを楽しむことが出来た。18ホールのグロスは4人揃ってほぼ同じ(120余)であったと思う。

 この初プレイはその後の小生のゴルフ道に大いに貢献した。既に2−3年の経験を積んでいるはずの先輩ゴルファー諸氏(あくまでも同日の同伴者に限定)と言えども、こんなものかと言う安心感を与えてくれた呉れたので、その後臆することなくゴルフの道に入り込めたと思う。
この日の同伴者には、
・ゴルフは上手くなくてもそれなりに楽しめるもんだ。
・少々やっても簡単に上手くなるもんでもなさそうだ。
・本来故人競技であり自分なりの力でやればよい
という事を教えられた。その点で諸氏には大いに感謝しなければなるまい。        

 これが小生の幸運なゴルフ道入門であったように思う。
              <1999年05月記>

月例競技参加常連者

 始めたらブレーキが効かない性癖は、誰よりも自分が一番良く理解しているので、初めてクラブを握って数ヶ月後には3人の仲間を誘って、家からもあまり遠くない房総地区で安いコース「一宮CC」を探して会員権も手にいれた。準備万端整い、後はコースに出るだけという状況はすぐさま出来あがった。

 最初に貰ったハンデキャップは35。月例競技他のクラブ公式戦はハンデキャップ30で打ち切りであるが、30以上の人も30で出場する限り制限なしということで早速月例競技への挑戦を始めた。小生が会員権を購入した「一宮CC」は会員数もさほど多くなく、月例競技でも当日の飛び込みでもOKという余裕があって、殆ど毎月出場が可能であった。凡そ2年間毎月欠かさず月例競技に出場したように記憶している。数回の入賞も果して、ハンデキャップも順次改善され、2年経たない内に仲間をBクラスに残して、一人だけAクラスのハンデ14まで到達できた。

 Aクラスへ移行後は、月例競技での仲間との同伴も不可能となり、また、その頃会員権を入手した習志野カントリーへの出番も増えてきて、ギャンブラー・グループ(奥村学園)の魔力(月例競技以上に魅力的?)に執り付かれてから月例競技への参加意欲も薄れてきた。 

 一宮CCでは会社の仲間と一緒の時もあれば、一人で出かけて見知らぬ人達ともよく廻った。会社の同僚の安田氏、大学の先輩の久保田氏がよく付き合ってくれた。歴代のクラブ・チャンピオンの幾人かを含めて、多くのシングル・ハンデキャップの人達とプレイする機会も何回となくもてた。お陰で、多くの事を学ぶ機械に恵まれ、今でもそれが我が身の血となっていると感じる時がある。特に、会員になってすぐさまクラブ・チャンピオンになった江島氏には、多くの事を教えられた。ゴルフ上達の早道は、“上手な人と廻ること”であると言うが、まさにその通りであることを実感しているものの、その後このような機会に恵まれないのが些か残念である。 
            <1999年05月記>

目指そう
「シングルへの道」

 この項を書き始めて、些か気恥ずかしい気持ちが溢れている。小生のハンディキャップは、実力が今でもその通りかどうかは別として、習志野カントリー(JGA)で11、千葉国際で10というのが現実である。千葉国際では、ハンデ10を獲得後に月例競技で2回アンダーパー(−2、−5)でプレイしたが、容易にシングルハンディはもらえない。シングルハンディに魅力を感じていない訳ではないが、あまり執着していることもない。コースに出る回数はかなり多いが、練習の回数は決して多くない。ゴルフはこの上なく好きであるが、真面目な努力タイプではない。ここ何年かは、仲間に合わせて、ほどほどにプレイ出来て楽しめればよいというスタンスでやってきたように思われる。

 「サラリーマンでシングルハンディとなると、会社で何を言われるか分らない。妬み半分で、仕事をしていないと言われるのがおちだ」

 「シングルハンディをキープするのは、並大抵の努力では出来ない。毎日クラブを握らないと直にも駄目になる」

 等など、とてもその気になれないようは話ばかりが聞こえてくるのも事実である。

 それでいて、何故、目指そう「シングルへの道」なのか?。

 60歳まであと僅か1年足らずとはいえ、「サラリーマンゴルファー60歳ピーク説」の先輩の言葉を全面的に肯定しているわけではないが、まだ体力的にも余裕があり努力によっては改善の余地も残されているという実感がある。会社生活もおそらくあと3年足らず、周りに気を使うこともあるまいという気持ちも強まってきた。それよりも、「長いゴルファー生活の内、一度はシングルの域に達してみたい。それを達成するためには、今すぐに挑戦を開始するしか道はない」という思いが嵩じて来ているのである。1年余りに及んだインドネシア滞在もまもなく終わろうとしている。この期に気分一新、仕事にも遊びにも最後の力を振り絞って立ち向かい、有終の美を追求してみるのも悪いことではない、という気持ちに我が尻を叩かれだしたということである。

 大橋巨泉の「シングルへの道」は、数年前に読んだ。ゴルフ好きの“挑戦”の一つとして、学ぶべきものが多いとは思ったが、「左下がりのライで、7番アイアンを繰り返し練習させられた」という記述の他は、殆ど記憶に残っていない。シングルを目指して意欲的に学ぼうという気持ちがあって、この本を読んだわけではない。ただ、素人ゴルファーのシングルへの挑戦の一つの記録という程度の関心で、読み流したということである。大橋氏も一時シニアトーナメントへの挑戦に情熱を燃やしていたようだが、最近話題を耳にすることがない。力及ばず挑戦を断念したということか。

 さて、小生の挑戦は何から始めたらよかろうか。先ずは苦手なパッチングの改善から取り組まねばなるまい。焦らず、この1年をじゅっくりと見極めてみたい。1年後にどういう記録を書き綴ることが出来ようか興味ある挑戦と言っておきたい。
                  <1999年05月記>


ホールインワン達成!

 それは真にあっけない出来事であった。習志野カントリー キングコース 6番ホール126ヤードでの出来事であった。ピッチングウェッジで打たれたボールは、カップの手前約ワンピン付近にオンしたあと、ゆっくりとフックラインに沿って転がりカップへ消えて行った。ホールインワン達成!1989年12月9日であった。同伴競技者は奥村学園仲間。

 これが小生の最初で最後(今のところ)のホールインワンである。ゴルフをやっている限り、一度は経験したいと願うのは大方のゴルファーに共通したものと思うが、狙って出来るものではない。素人ゴルファーにとっては、偶然と幸運の賜物としか考えられない。あまりにも呆気ない出来事に、さほどの興奮も感動もなかったように思う。次のホールも興奮することもなく、変らず淡々とプレイを続けられた記憶がある。それまでに、2回ほどカップを覗いて止まるという“遣り損ない”の経験があるが、むしろその時の無念さが強く印象に残っている。小生がゴルフに関して最も満足感を味わったのは、ホールインワン達成の時ではなく、ベストスコア74を達成した時であることは間違いない。「ホールインワンは偶然の産物」という思いが捨てきれないためだろうか。それでも、経験したことは喜ばしいことである。

 同伴者がホールインワンを達成した場面にも、幸運にも3回立ち会っている。国際計装の湯浅氏、会社の同僚の佐久氏、同じく保里氏である。 
                   <1999年05月記>

後日談:
その後、真名CCに入会後に同CCGPコース12番ホールで平成14年の球道会の例会で笠井氏が、同じホールで平成15年8月に相棒の北村氏が達成するなど、数回も同伴競技者のホールインワンに遭遇している。

糖尿病治療薬

 ゴルフはまことに便利な、というか好都合なスポーツである。自分の体力に合わせて、また年齢にも関係無く楽しめる。多少の病でも、無理をしない限り、それなりの楽しみ方がある。

 特に、小生の持病でもある腰痛患者と糖尿病患者には好都合なのである。

 重症の椎間板ヘルニアを患い、長期間にわたって腰痛に悩まされたが、究極の治療法は「歩くこと」であるという大発見(?)をして以来、腰痛の恐怖から完全に開放されたような気分である。腰痛が再発したらゴルフで治す、が小生の信念であり、本当に実績もあると確信している。

 糖尿病の治療は食事制限と軽度の運動によるカロリーの消費であることは周知の事実である。軽度の運動の代表例が「歩くこと」であるのは疑問の余地無く、多くの患者が万歩計をつけて一日最低一万歩を目標に歩く廻っているのも周知のことである。ただ、「歩くだけ」というのはなかなか出来るものではない。強い意思を持ち合わせていないと、3日も続かない。その点でゴルフは真に都合がよい。「歩くこと」を意識しないでも、ゴルフを1ラウンドプレイすれば、一万歩以上を歩くことになり、必要なカロリー消費の目的も自然と達成される。

 年間80回以上もコースに出るための言い訳をするために、考え出した屁理屈と採られるふしもない訳ではないが、当人は至極真面目にそう思い込んでいる。友人に話すと一笑にふされることが多いが、本人は確信しているのだ。「ゴルフは、糖尿病にとっても、腰痛にとっても最良の治療薬なのだ!」  
                  <1999年06月記>



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