優しさは何時か尽きる。愛想と同じだ。どんなに努力しようとも気持ちが伴わなければ、それは負担でしかないし、無理に繕おうとも負担は何時か堪え切れない負荷となって…その関係は破綻する。
簡単な方式だ。きっと家庭という一番小さな社会から学校という次の段階の人間関係を始めたばかりの子供にだって本能的に分かる定義。
アリスに逢えない日々が続いている事が示す意味は、いくら目を逸らそうとして見えない振り、気が付かない振りをしたところで無駄な足掻きでしか無い事くらいとっくに分っている。
やっとアリスから見限ってくれる決意をしたのだろう、おそらくは…彼女と生きていく事を決めたのだろう。いや、もしかしたらまったく俺の知らない場所で知らない誰かと生きていこうとしているのかもしれない。他に誰かを選ぶのなら…未だ、救われるだろうか。それとも、単に「俺自身」に、アリスに無理を強いてきた俺に愛想をつかせてしまったのかもしれない。
「何を、今更…」
何故か、なんてどうでもいい事だ。…アリスが俺から離れていこうとしているのは間違いない事なのだから。
わかっていた、わかっていた…つもり、だったんだ。
学生の頃から切れることなく繋がっていた次への約束も潰え、名目上ではあるが同行してくれていたフィールド助手という誘いもやんわりと断られた。これまでも、時には締め切りだからと言われ断られた事が無かったわけではないけれど、ほとんどの確率で承諾してくれていた誘いにすら、強引とも思える曖昧ともとれる理由を並べて断る事ようになった。断ってくれるうちはまだよかったんだろう。アリスと直接話す事が出来ていたから。けれど…その連絡すら、繋がらない事が多くなった。繋がっていた電話も出ない事が多い、ただ単に忙しいだけなのだと思いたい自分を裏切る様に繋がらない電話。その時点で止めておけばいいものを、浅ましくも携帯だけではなく、固定電話に掛けてみるも、受話機の向こうから流れ伝わるのは事務的な機械音声だけで、着信を見て必ず返ってきていたコールバックも無くなった。メールすら。いっそすがすがしくらいに素っ気ない内容ばかり。
アリスらしい小さな思いつきを抱えては顔を見せていた北白川へすら、ここ最近は来ていない。本当はとっくに…来たくも無いと思っていたのだろうけれど。それでも、あの日一線を越えるまで築き上げて来た筈の思い出がアリスを繋ぎとめてくれているのだと信じていたかった。
まだ、友情という繋がりがあるのだと…信じていたかった。
どこまでも都合のよい考えだったのに、それでもアリスが居なくなるのだという現実をどうしても受け入れられなくて…信じたく、無くて。アリスが付き付けたいわば最後通牒の拒絶すら、受け止めてやることが出来ない。もう、どうにもならないのか、もはや全ては終わってしまったのだろうか、とすら思う、この期に及んで諦めの悪い自分がいる。
「…いや、終わるも何も、無いな」
終わりというものは始まりがあるからこそ訪れるのであって、俺たち二人に訪れたのは始まりでは無く、ただの…過ちだ。咎狗であり、憂いでしかない。
それも俺が一方的にアリスの優しさに附け込んで、ずるずると続けて仕舞った罪だ。
その受けるべき責めから逃れ続けて来た事へ、気が付いていたのに言いだせず手を離せなかった自分の弱さを認める事すらせず、祝福された未来へと飛び立とうとするアリスの翼をもいで奪ってきた、その罪を受け入れて夢の終わりを認めるべきなのだというのだろう。
別れの言葉すら与えられない、それは俺が甘んじて受けるべき罰だ。
わかっている、頭では理解しているんだ。
アリス、俺にだって…わかっていたんだ。
自分の気持ちばかりを押しだしてアリスの優しさに附け込んできた俺が、アリスを苦しめて蝕み続けて来た俺がアリスに出来る…最後の償いだ。
このまま、逃がしてやるべきだろう?
やっと手に入れた翼を広げ、ずっと悪夢の様に纏わりついてきた俺から逃げ出せる…決意を、重んじてやるべきなのだろう?
たとえ二度とアリスに会う事が出来なくても、もう二度と名前を呼ぶ事が無くても。
「っ…!」
もう二度と、その笑顔が見れなくても。
握りしめた携帯が示すアリスの番号の名前にすら愛おしさが込み上げて来る。何度メモリから消去しようとしたかわからない。それなのに、指先はたったひとつの操作すら拒み、たとえ消したところで消えていかない記憶と指先が覚えている11桁の番号を俺の中から完全に失くしてしまう事は出来ないのだから…意思や理性など、まるで意味が無い。覚えている全てが意思とは関係の無い部分でアリスを求めているからだ。耳が柔らかく響くアルトを求め、どんなにきつく瞼を閉じようと脳裏には温かい微笑みを浮かべて見つめる笑顔が浮かぶ。縋りつく様に髪に絡めた細い指先の冷たさや、朝方に意識なく眠るアリスが俺の腕の中で幸せそうな表情を浮かべている姿、涙もろい癖に実はリアリストな一面を持つところとか、じっと空を見つめ殺伐としたミステリの世界へトリップしている時に見せる真摯な横顔とか。
『ひむら…』
熱に浮かされて声に為らない声で名前を紡ぐ、その口唇も。
アリスを形作る全てのモノが…二度と、この手に入らなくても。
アリスの幸せを願うなら―――消えてやる事こそ、アリスにしてやれるせめてもの償いなのだと思う。
いつからか直視し無くなったアリスの瞳、笑う事さえぎこちなくなった二人。噛み合わない会話、聞きたくないとばかりに耳を背けられてきた俺の言葉さえ、きっとアリスを苦しめるモノでしかない。ましてや、行き場の無くなった俺の想いを身体で受け止めて来たアリスにとっては…辛い仕打ちでしか…無いのだろう。
俺は…一体何をしてきたんだろうな。
大切で愛するべき人間を…ただただ、自分の為に苦しめ続けていたんだろうか。
今も尚、手を離すどころか卑しくも必死に連絡を取り続けて、俺を避けているであろうアリスを追い詰めてしまっているのにすら…向き合う事が出来ずに。
それでも――。
アリス、弱い俺を赦してくれとは言えない。
言えないけれど、こうして諦められず醜態を晒すであろう事を知りながらも…再び、お前へと続く扉の前に立ってしまっている…俺を、どうか。
赦さないで欲しい。
赦さないで居て…せめて、お前の思い出の中に閉じ込めたまま、どうか捨てないでくれないか。
お前への想いを言い訳にして、重荷でしか無い自分の気持ちを伝えようとしている弱い俺を。そうしてまで、最後に残ったほんの僅かな一抹の希望に縋りつこうとしている醜い俺を、どうか。
赦して欲しい。
[The author:Emi] [2010年 03月30日]