Love Redmeens The World -2-






きらきらと、陽の光を綺麗に反射した白銀のリングが、アリスの華奢な指先から零れては踊る様に転がる。細い…だけれどもしっかりとした強度を持つそのリングは、アリスが飼われていた時にご主人だと言った汚れた毛並みを持つ猫が首に嵌めていたモノだ。アリスの持つ、白猫としての美しさを一層、際立たせるようにとガラスケースの檻の中でアリスはコレだけを纏って過ごしていた。

キラキラしてる…。

ぼんやりと窓枠に寄りかかる様にしてソレを弄ぶアリスに…火村がした最初の事が、唯一の装飾を外し…代わりに衣類を与える事であった。

『…なんでコレ外すん?』
『アリスはもう、自由だからだよ。ソレに…アリスに似合うのは、コレじゃないからな』

うっそりと囁く火村の言葉に含まれた意味に気がつく事も無いまま、…言われるままにアリスは外されたリングと与えられた衣服を身に纏い…こうして一日を過ごしている。夜行性なのだという黒猫は昼間、ほとんど自室から出て来ることは無く、夜中に出て行く車の音が聴こえるだけ…だけれど、婆ちゃんが話の相手をしてくれたり、暗がりに溶け込んで真黒に見えた茶色の縞が綺麗なウリと煌めく毛並みのコオが陽溜まりで遊んでくれたりとアリスが今まで居た処とは全く違う、楽しい毎日を送っていた。…不思議と一人になりたいと思う時には誰も構わない。だけれど、気が付くと誰かが傍に居る。そんな優しい雰囲気の場所。


相変わらず、アリスがここに連れてこられた意味は分からなかったけれど、…何を思う事も無くただ導かれる様に生きていた。

そうして暫く、新しく与えられた生活を送っていた…或る日の夜。




その日は…朝からずっとアリスの周りには誰も居なかった気がする。いつもならおやつに誘ってくれたりちょっとお手伝いをしてくれる?と言って何かと構ってくれる婆ちゃんも忙しそうにしているし、ウリとコオにしては朝からずっと姿すら見せない。辛うじて遠目にモモがアリスを見つめている事はあっても、アリスが近寄ろうとすると、すっと離れて行く始末。…火村だって、夜中どこかへ出かけたまま帰っても居ない様なのだ。

「…アリス、何したらええんやろ」

白猫であるが故、アリスの周囲にはいつだって誰かが居て…何をするか指示をしていた。アリスは何かを考える事もせず、ただその言いつけに従う様に生きていたのだ。それが、ここへ来てからは自分で何かを考えて何かをする、というあまりある自由を与えられている。もちろん、誰も傍に居ないという事はなく、適当に構ってくれたり…遊んでくれたりとアリスが退屈しない様な計らいはされていたのだが…その日に限っては“すべき何か”を与えてくれる“誰か”が居なかった。

その、経験した事の無い自由を持て余す様に、長い時間を独りぼんやりとしたり、転寝をしたりしていたのがいけなかったのかもしれない。その夜、いつもならすんなりと訪れる筈の眠りも足遠く、妙に冴える思考にアリスは眠れない夜を過ごしていた。


と、その耳に。

遠くから近付いてくる車のエンジン音と…ややあってから響いたドアの音、それに…悲鳴に近い「火村…!」という叫び声に…アリスはそろりと部屋から外を窺い見た。明け放たれた玄関の扉から洩れる光が庭に附けられた車のシルエットを写取っている。ベンツは相変わらずの風体だったがそこから両脇を抱えられる様にして降りて来る陰に…駆け寄る婆ちゃんやモモの焦った姿をみて、ざわざわと全身が湧き立つような震えが走るのにアリスは自分の腕を回して躰を抱く程の衝撃を受けた。

それは…、ぼろぼろになってぐったりとした黒猫の姿。

瀕死火村嘆くアリス

「…火村っ!」


尚も響く悲痛な声と、ぐったりとする姿を目にして…訳のわからない感情が波となってアリスの思考に渦巻いていく。

なんで…、なに?
どうして火村があんなに傷ついて辛そうにしているんやろう…。

此処へきて気がついた事がある。以前にアリスが囚われて居た淀んだ様な汚れた空気が渦巻く薄汚れた毛皮を有する猫達が溢れていた世界とはまるで違う、隔離された様に清らかな空気のこの家は、ぐるりと張り巡らされた垣根によって外界から遮断されているのだと。

好奇の視線にさらされる事無く、また何かを強要される事無く…アリスは此処で当たり前の様な自由と拘束されない思考を与えられていたのだ。

ソレは…経験した事の無いくらい幸せで穏やかな毎日で…アリスにその生活を与えてくれたのは紛れも無く黒猫である火村なのだ。

その、火村が…。


意思とは関係の無いどこか遠くで、ぐわんぐわんと鳴り響く…警鐘の様な音に身を抱える様にしてアリスは震える指先を強く握って蹲った。いつだって不敵な笑いを湛えて…それでいて酷く優しい掌はアリスを慈しむように撫ぜてくれた。低く艶のあるバリトンがどこまでも柔らかくアリスの名を呼んでくれた。少なくともアリスの目の前に現れた火村は誰よりも強く見えた。


「……そっとだぞ!ゆっくり、気をつけて…!」

ふいに耳に近付くウリの声に…アリスは呼び起される様に扉へと駆け寄る。そっと伺い見た、廊下の奥に。


「火村っ…!!」


傷つき、意識すら失ってぐったりと抱えられる黒猫の姿を見つけた。


「…アリス、どうして…」

常ならば眠っていて起きる事の無いアリスが、夜中に起きてるという事にも…いつだって表情を崩さずに美しさを保ったその顔が焦りや恐れや…不安を多分に滲ませていた事にも…酷く驚いた様子でコオが叫ぶのにも構わずにアリスの足は火村へと近づいていく。

何時も掛けていたサングラスは見当たらずに目元には明らかな疲労が色濃く縁取っていて、すうっと通った鼻梁から意思の強そうな口もとには額や頬から流れ出たと思われる紅い血がこびり付いている。…その身には無数の傷、痛々しく破れた衣類にもにじみ出た朱が黒い布を更に黒く彩っている。

「…ひ、む…」

両脇をウリとコオに抱えられてぐったりと力なく瞼を閉じた火村にふらふらと吸い寄せられるように近寄るアリスの歩みは…涙に頬を濡らしたモモによって遮られた。

「…アンタっ、アンタのせいや!アンタのせいで火村はこないに傷ついて…それでも、アリスの為にってあいつらを叩き潰そうとして…!どうして?どうしてなん?そんな火村の事、なんも知らんとのうのうと過ごしているアンタが…どうしてええの?」
「止めろ、モモ!」

コオが鋭い声で制止するのにも耳を貸さないモモは、言う傍から涙を溢れさせては激昂してアリスをにらみつけている。そのモモの姿を見て…モモが口にする言葉を投げかけられて、アリスはどうしたらいいのか分からなかった。

「…オレ?」
「そうや…!火村は世界を綺麗にするために、なんて言うとるけど…あたしは知ってる。世界の為なんかやない、火村がこんなになるまで汚れた奴らと戦うんは…全てアンタの為や!!アンタが…白猫だからっ!」
「…やめときんさい、モモ」


その時。静かなそれでいて凛とした婆ちゃんの声がモモの声を遮った。はっとしたように後ろを振り向くモモに立ちつくしたままのアリスを交互に見つめる双眸に、高ぶっていたモモの感情も潮が引く様に落ち着いていく。

「今はそんな事を話しとる場合やないでしょう?ほら、早よう寝かしてやりんさい。今は何を一番にするべきなのか…わかるでしょう?」

「コオ、ウリ…火村さんを運んでな?」

しっかりとした物言いに慌ててウリとコオが動くのを見送った先で、ぼんやりとしたままのアリスに婆ちゃんが声を掛けるのを不安そうにモモが見つめている。

「さてアリス、貴方はどうしたいんや?」
「…オレ、オレは…」

どうしたい?
どうしたいって何だろう。

ゆっくりと…それでいて素早く支えられた火村が自室へと運びこまれ消えていくのを無意識に目で追いながらアリスはじっと考えていた。

火村が自分の為に何かをして…その結果、あんなにも傷ついているのだという。それをモモは物凄く嫌がっているのだろう。だから…きっと、あんなに不安そうな視線をオレにむけているのかもしれない。

オレが此処にいる事で…火村がこれ以上傷ついてしまうのが…嫌なんだ。

でも…。

でも、それでも…今は傷ついて眠る火村の傍に…彼の傍に居たい。

「…火村のところに居たい」

傍に居たいと…思う。


押し黙ったまま、必死で考えるアリスを見て…導き出された答えに満足そうに頷いた婆ちゃんは、優しくアリスの肩に手を置くとにっこりと笑って言った。

「では、そうしてあげなさい。モモも…それでええね?」
「…はい」

しおらしくモモが返事をするのを視界の端に入れたアリスはそのまま追う様にして火村の部屋へと向かった。




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Author by Ayuko&emi