最近、自分でもおかしいと気が付き始めた。
ぼんやりと、他愛のない事をつらつらと考えては上の空。
有りがちな状況ではあるが、
考える内容に変化が生じたのはいつだっただろう。
ロジックでもトリックでもない。
他愛も無い、あまりに些細でくだらない事だ。
そして、捉えどころのない漠然とした事。
気にするなと心の底から警鐘が聞こえる。
考えてはいけない気がする。
だけれど。
漠然とした不安と、長い付き合いが齎す根拠のある疑問から…
顔を背ける事が出来なくなっている。
追い詰められたのは、私の方か。
その考えにとらわれたまま、意識的に避けてみても
無駄だと思い知らされる。
どこへでも付き纏う影にも似た、不安感。
私は…知らないから。
キミが、本当は誰なのかという事を。
私の名前は、有栖川有栖。
大阪在住のしがない推理作家だ。
大学は英都大、法学部卒。卒業と同時に就職をして暫く勤めた後、作家として独り立ちした。
乗っている車は、勢いで貰った蒼い鳥。
住んでいるのは夕陽丘というメルヘンな名前の街にあるマンション7階。
隣人にはカナリアを飼っている女性。
そして、私には大学時代に知り合った火村英生という友人がいる。
京都に在住している彼は、母校でもある英都大で教鞭をとる社会学部の准教授だ。
社会学部卒、そのまま同院へ進み、講師として残って最年少で准教授に昇格した。
乗っている車は、ただ同然で譲り受けたアンティークなドイツ車。
住んでいるのは大学時代から変わらない情緒溢れる下宿、最後の店子でもある。
端正だがほとんどが無愛想な顔をして過ごしている愛想のない性格に似合わず、3匹の愛猫を溺愛しつつ無造作に積み重ねられた本の山に埋まって生活をしている。
その手には学生の頃からいつも駱駝の銘柄煙草。
そのほかにも、どんな食べ物を好むとか、酔うといつもよりやや饒舌になる、とか洋服の趣味は基本的に碁石ファッションだとか、そのくせ良く分からない譲れないセンスとやらを持っているとか。
傍に居てよく見ていなければ分からないような事までも私は知っている。
なにしろ、学生の頃からの付き合いはかれこれ10年を超えたのだから。
友人として、でもあり…恋人でもある。
それなのに。
それなのに、否応無く湧き上がる漠然とした不安はなんだろう。
愛されている。愛している。
それなのに。時折堪らなく不安を感じるんだ。
火村、キミは。
キミは一体、何を想うの?
「アリス、フィールドだ。来るか?」
「行く」
細かく振るえる携帯のディスプレイには見慣れた2文字。
緩む口元を自覚しながらも通話ボタンを押して耳へ当てる。薄い機械越しに馴染みの良いヴァリトンが響いて、聴こえてきたのはいつもの台詞だった。
差し迫った締め切りは無いが、かといって暇でも無かった。
それでも、久しぶりのフィールドの誘いに一も二も無く頷いた。
間髪を入れずに承諾した私に、電話の向こうで少し笑いながら現場の住所だけ告げると火村は電話を切った。現場には大学から車で直接向かったらしい。此処からは比較的近いところにある街のアパートの一室らしく、帰りはマンションに泊めてくれ、と言っていたから私は公共機関で向かったほうがよさそうだ。
部屋着から急いで着替え仕度をすると私は部屋を後にした。
ありふれた、事件だった。
殺されていたのは小さなアパートに住んでいた20代後半の男性。
発見したのはアパートの大家で、彼の部屋から異臭がするというので万一に備え警官立会いの下、開錠して冷たくなった住人を発見した。
部屋の中を荒らされている訳でもない。抵抗した形跡はあるもののおそらくは扉が開かれた直後、間もないうちに殺されたのだとわかる。司法解剖の結果、死亡推定時刻の前後、隣人他アパートの住人が怒鳴りあう男女の声を聴いている事から顔見知りの犯行と推定された。
その容疑者として浮上したのが、殺された男性と付き合っていた2人の女性。
俗に言う二股状態だったらしく、女性はお互いに存在を知りながらも男性と付き合っていたらしい。
共に20代後半、結婚適齢期という二人の女性は常日頃から男性に私と結婚しろ、浮気相手とは別れろと迫っていたそうだ。そのどちらにも犯行推定時刻、確固たるアリバイは成立していない。
状況は付き合っていた女性のどちらかが痴情の縺れから殺害したのではないか、という見方が強かったものの、思ったよりも物的証拠が少なく捜査は難航した。
その、一番大きな要因が殺害方法だった。
殺されていた男性の死因は銃に撃たれた銃殺だったのだ。凶器は現場から発見されている。
それなのに一介のOLであった女性二人にはどうしても接点が見出せずに凶器の入手経路の特定が難航していた。
動機は十分、状況証拠は限りなく黒だと言っているのに物的な証明が出来ない。
そこで、火村にお声が掛かったのだった。
もしかしたら、第三の容疑者が居るのかもしれない、と。
それが先週の話。
今日の電話はおそらく何らかの進展があっての誘いだろうということは予想できた。
もしかしたら第三の容疑者とやらが見つかったのかもしれない。
指定された住所は男性が殺されていたアパートから1駅離れたところでバスと電車を乗り継いで夕陽丘からは30分ほど離れた現場へと向かうと、すでに火村はアプローチのところで佇んでいた。
待ちぼうけの火村に軽く手を上げて駆け寄る。
「早かったやん。道、空いとったんか」
「よう、アリス。・・・・まあ、そこそこな」
並んで立ち中へと入る。
被害者の住んでいたアパートより一回りは大き目のマンションに近い建物は小さいながらエレベーターが設置されているらしい。こちらから訊ねたわけではないが、心得たもの、早速火村があらましを説明してくれた。
「殺された男が二股をかけていた一方の女性にはしつこく付き纏うストーカー的な同僚が居たらしい。40代の独身男なんだが、ソイツが住んでいるのが此処の3階なんだ」
「ふ〜ん、ようわかったな。どうやって行きついたんや?」
「まずは残された銃弾から銃の出所を調べたらしい。現場の様子や被害者の人となりから、おそらく犯行に及んだのは素人だ。素人が銃器なんぞを手に入れる手段はそうそう無いからな。いくつかあたりをつけて、そこから販売ルートを割り出そうとしたら競輪場でそれらしい売人を見つけたんだと。で、どうやら40歳くらいの冴えない男に売り渡したらしいという情報が入ったんだ」
「まあ、実際に足を運んだんは府警の皆さんやろ?それで、センセイは抜け駆けか?」
ちん、という小さな音と共にエレベーターの扉がゆっくりと開いた。
先に躰を滑らせ火村が廊下の突き当たりの部屋へと向かう。
表札は出ていない。
ドアからはみ出した公共料金の請求書の名前をちらりと盗み見ると確証を得たようで火村は小さな声で囁いた。
「抜け駆けなんて、人聞きの悪い・・・。ちゃんと来るさ。船曳さんには連絡済だ。それに一度は事件の関係者という事で府警でちゃんとした聴取を取っているしな。今回のはその確認」
「・・・裏あわせと動機の解明やろ?凶器は現場に残されていたから、先に来てもええゆうお許しが出たんか」
「まあ、警察には何かと話し辛いこともあるだろうからな。先に着いたのは偶然だ。・・・それに心配な事もあったしな・・」
「・・・何やの?」
すっと火村の人差し指が開きかけの唇に触れて会話を遮った。
何かと思い火村を見やると、鋭い眼差しでドアの向こうを透け見るように窺っている。その耳に、きしという微かな物音が聴こえて火村がドアチャイムを鳴らした。
「・・・・・はい」
「ああ、先日府警でお会いしました火村と言うものですが。確認をしたいことがあるので少しお時間宜しいですか?」
ややあって「今開けます」という小さな声が聴こえてきた。
真意の読めない火村の大胆な行動に眉を顰めて訝しんでやると、いいからとでも言うように頷くばかりで答えが無い。
そうしている間にもドアが開かれて中肉中背の中年男性が姿を見せた。
「どうも・・・。確認したいことってなんでしょうか?」
「いえ。その前に、お手洗いを拝借しても宜しいですか?」
「はっ?」
「失礼」
火村の突然の申し出に驚いたのは私だけではなかった。私に向かって「ここに居ろ、ついてくるなよ」と言うなり一瞬の隙を突いて強引に身体を割り込ませると、あっという間に火村は部屋の中へと入ってしまう。
慌てて追いかける中年の男と一緒に流れで共に付いて上がって目の前の光景にまた驚いた。
「なっ・・・・?」
「やはり・・・、監禁していたのか。大丈夫ですか?どこか痛むところはありますか?」
火村が駆け寄った先には目張りをされて拘束されている女性の姿があった。顔はよく見えないが着ている服装から、おそらく先日殺害された男性と付き合っていたうちのひとりだろうとわかった。府警で聴取を受けたときに着ていた服だと思う。
「くそっ・・・・!」
横に居た中年の男性が悪態をつくのと火村が叫んだのがほぼ同時だった。
「アリスっ!早く此処から出るんだ!!」
咄嗟に動けない私を尻目に男性は近くに置いてあった鞄から茶色の油紙に包まれた黒い塊を手にしている。
それを叫びながら動いた火村の黒いスラックスを纏った足が横なぎにけり倒したのを、まるで映画のワンシーンの様に呆然と立ち尽くして眺めてしまった。鈍い音を立てて黒い塊はフローリングの床を滑っていく。
それを火村が追いかけるようにして手に掴むのと、私の躰が倒されるのが同時だった。
「アリスっ!」
サルベージリク頂きありがとうございました。長丁場になります。お久しぶりの方もはじめましての方も気を長くしてお付き合いいただけますと幸いです。久しぶり過ぎて話の流れが分からない…。火村の行動が予測不能です(汗)なんじゃこりゃ、と思われる方も多いかと思いますが、あたたかいお気持ちでご覧いただきたいと思います。
Author by emi