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じり、じり・・・・・。
まるで、音さえ聴こえてきそうな緊迫した空気に息が詰まる。
無言ながら雄弁に牽制しあう双方は、相手の出方を窺いつつも間合いをとっていた。
―先に動いたのは、犯人。
向かってくる相手を受け止めようと身構えた火村をあざ笑うかのように身を翻すと
少し離れた場所から成り行きを見守っていた人影の方へと移動する。
「やめろっ・・・!ソイツには、手を出すなっ!!」
祈りにも似た火村の叫びは虚しく空をきり、犯人はある一点を目指し向かっていく。
その、先には・・・・。
「・・・アリス!」
時間は少し、遡る。
心斎橋に新しく出来たカフェへ行こう、とアリスが言い始めたのは
惰性で買っている雑誌に大きく取り上げられていたから、というごく単純な動機からだった。
明らかに女性をターゲットにしていると思われるその店は
そば粉を使ったガレットと、大振りのフルーツタルトが有名らしく
土日ともなれば1時間はゆうに待つほどの盛況振りらしい。
並んでまで喰いたいと思う様な代物では無い。
正直なところ・・・御免被りたい―というのが火村の思いだったりする。
それでも、相手はあの、アリスだ。
長い付き合いで慣れたもの、『どうすれば火村が動くか』など、お見通しの。
その行動力と観察力を、是非現場でも発揮してくれないか、と常々考えてはいるがあえて・・・口には出さない。少なくともアリス本人に告げる気は無い。現場において『これは妙案やろ?!』と的外れな事ばかりを並び立てるも、時として事件解決への発端となったり、その糸口を解れさせたりするから不思議なものだと思う。
それらは、もしかしてわざとしているのではないのか、と最近考えたりもする。それだけは確実にないだろうけれど。
そんなこんなで。一応、お断りしたものの、案の定、というか何時も通りに連れ立ってその店へ行くことになっていた。
『せめて平日、頼むから土日は止めてくれ』という火村の申し出は、有難い事に承認され
火村の講義が入っていない水曜午後に出かけることになった。それもかなり強引に空けた予定ではあったのだが、そんな事は口が裂けても言えない。言ったら最後『なら週末にどうどうと行けばええやん』とアリスに笑われるだけ。まぁ、もっともだけれど。
なんにせよ、やれやれ、だ。
土日はおそらく目も当てられないほどの列に並ぶはめになろうが、平日であれば幾らかマシだろう。
いくら甘い考えだと罵られようが、譲れないものだってあるんだぞ、アリス。何が哀しくていい歳をした男二人、甘いケーキだか何だかの為に女子に交じって並ばなくてはならないのか。いくら考えてもまっとうな理由が思いつかない以上、可能な限り、誰にも会いたくは無いと思うのは当然の心理だ。特に、学生などは願い下げ。
まあ、混んでないならその方がええし。
結局、その一言が決め手となり今に至る。
「なんや、えらい暑そうやね・・・」
「ああ、午後からは曇り時々雨、とは言っていたが・・・・。この分だと降りそうにも無いな」
照りつける日差しにジャケットは手にかけて歩く。
白いシャツはスリムなデザインで肌触りも良いコットンを選んだ。コットンはアイロンが実に面倒くさい。かといってクリーニングに出してしまうと、余計に効いたアイロンでせっかくの風合いが台無しになる。ディティールに凝ったデザインならなおさら。通常のボタンよりも厚い、襟が高い、見幅が細い。そういった違いは型通りに施されるクリーニングには向かない。
『アイロン、面倒〜無理や〜』
そう言って一緒くたにクリーニングに出してしまうアリスと違い、火村は割とアイロンがけが好きだ。じっくりと高温にしたアイロンをしわしわの面に中てる。その皺が伸びてピンとする過程が好きなのだ。だから、手間を厭わずコットンのシャツを選ぶ。
今日もしかり。
相変わらずの、モノトーンや・・・。
呆れたように、それでも、目を細めて微笑むアリスは
目にも鮮やかなフクシアにカーキのパンツという目を惹く装いだ。
暑い日にその色は、どうなのか、とも思ったが。彼曰く『俺からはあんま、見えへんから、ええの!』だそうだ。
日焼けしていない白い肌に、鮮やかな色は確かに良く映える。
大きくV字に開いた胸元には、ゴルティエのクロスが煌いていて・・・ほっそりとした華奢な手首には同じモチーフのチェーン。
ちゃりちゃりと音を立て機嫌よさそうに歩くその姿は、まるで歳を感じさせない。見た目だけなら学生にすら見える。
言い過ぎか?そうでもないだろう、と横目に見たアリスにひとり納得した。
贔屓目に見てもアリスは若く見える。
出会った頃は幾分落ち付いて見える、と感じていたものだが、どうやら実年齢が見た目を追い越したらしい。
歳相応に見目も老いてきた自分とは違い、アリスはあまり外見が変わらないタイプなのだろう。学生の頃から変わらない外見は、三十路に差し掛かった頃から不相応なものとなったらしい。加えての天真爛漫さに若々しい事この上ない。
まぁ、若く見えるのが吉と出るのはアリスだからだな。俺が若く見えても舐められるだけだ。老けて見えるくらいでちょうどいいんだ。
そっと頷き独りごちそうになる俺に、胡散臭そうな眼差しを向けるアリスが首を傾げている。
おい、俺は至ってまともだぞ。
「あ、ちょっと、寄ってもええ?」
唐突に呟くアリスに顎で頷くと、青い看板のある自動ドアをすり抜けてディスペンサーの前に嵌る。
外は暑いが、エアコンの効いている銀行内は涼しい。
アリスが用事を済ませる間、ほっと一息を付いて壁に凭れて行内を見まわす。
月後半ということもあり、行内はまずまずの人がいた。カウンター内も忙しなく行員が動いている。金は天下の回り物。忙しいのは何よりだ。
そんな中、この時期にあまり似つかわしくない格好をした中背の男が入ってくるのが見えた。
外は、じりじりと焼けるような日差しなのに、その男は、全身を黒で包み極め点けに口元を大きなマスクで覆っている。掛けたグラスはふちの大きな赤いもの。あまりに不自然。
加えて見るからに挙動不審な様子で、ふらふらと内部へ進む姿に嫌な予感がよぎる。
思い過ごしならいいが・・・。
フィールドワークに出ていると、自然と『雰囲気』というものを感じ取れるようになる。
勘、というより慣れ、とでも言うべきその感覚に、火村もずいぶん助けられてきた。
だから、感じた印象に、思わず舌打ちをしてしまう。
思いすごし、じゃ、ねぇなぁ。
目で追いながらも行内に目をやると、案内近くにいる警備員が彼を見ているのが確認できた。
仕事に追われるカウンター内は、まだ気がついていないようだ。
それでも、奥で立っている年配の行員が怪しげな視線を彼に送ってはいる。
大丈夫か・・・?
火村は入口を入った付近で眺めているが、目の前には大きな観葉植物が鎮座して
おそらく、男からは見えにくい位置に居るはずだ。
咄嗟に行動に移れるように、とポケットの中の携帯を開いて府警直通の番号を呼び出しておく。
アリス・・・、どこにいる?
先ほどまで機械の前に居たはずのアリスが見当たらない。
勝手に外に出たとは考えられないので、おそらくは行内にいるのだろうが
カウンター付近にも、その前に設置された待合にも見えない。
あの色だ。
見回して目に付かないということは、奥の化粧室にでも行っているのだろう。
男が向かっている方向とは少しずれた位置なので、ひとまず大丈夫だろう。
やがてカウンターに達した男は、手にした新聞の間から何かを取り出すと、
声高に常套句を叫んだ。
「金だ!金を出せ!!」
案の定、の展開にため息を付くと、そっと通話ボタンを押す。
葉の影に隠れ、受話器の上がった府警本部の受付に端的に状況を伝えると
直に向かうとの返事を受け取り、状況が伝わるようにと通話中にしたまま葉の影に隠した。
あっという間に阿鼻叫喚の行内に、逃げ惑う人々の間を縫うようにして
アリスの姿を探して化粧室へと移動し始めると、カウンターに警備員が向かい男と向き合ったところだった。
・・・うまく、やれよ。
声に出さない激励を警備員へ向けつつ辿りついた化粧室に掛け込む。
「アリス・・・!」
小声で名前を呼ぶが、返ってくる返事は無い。
それどころか、個室のドアは全て開いており、人の気配がしないのだ。
「アリス・・・?
設定がおかしいというか、出生をねつ造というか、まぁ、パラレルというもんでしょ〜ね。以前、アップしていたお話に加筆しておまけの2話を追加で書き下ろしました。一気にアップします。
Author by emi