其の昔、在る処に豊かで美しい国があった。
その国には二人の王子が居た。どちらも聡明で賢く人々から愛される良い少年であったが、或る年の冬、流行り病が蔓延をして王とお妃が亡くなってしまった。
二人の王子は未だ幼く、死に至る病の恐怖から不安定になっていた国政府は分裂をし、それはやがて王位を廻る内乱へと発展した。
その戦乱の狂気は家屋を焼き尽くし畑を焼き払い、そして国民の大半を失った。
そして、二人の王子は一人になった。
成長をした王子は王と成り、戦乱で失ったものの大きさを改めて思い知る。
そして固く心に誓ったのである。
―このような戦、二度と起こしては為らない!
そしてその決意は形となる。王室に密やかな決め事が設けられたのだ。
全ては国の為に。平和の為に。
如何なる事が在ろうとも、同時に二人の王子が存在することを禁ずる。
其の後。
壱百年の時が流れ、壊滅状態にあった其の国は再び豊かに、美しい姿を取り戻していた。
そして幸か不幸か。
決め事以降、王室には王位継承権を持つ王子は一人しか誕生しなかったのである…。
そして再び季節は冬。
流行り病に拠って王子を独り残し王と妃は逝ってしまった。残された幼い王子には未だ国政は執り仕切れないゆえ、国務代行として王子が成長するまでの間、亡き先王の妹君が選ばれた。妹君夫婦は仲が良く妻小夜子は聡明で勝気、男も勝る気性であったため、主に国政を取り仕切ったのは彼女であった。夫婦が次期国王を独り残された王子に、と公言していたことや王位直系である小夜子の影響力が強いこともあり、国政府も乱れる事無く安定した日々が続いていた。
暫くして、二人の間には待望の姫君が生まれる。
雪の様に白く春の息吹を纏ったその姫君の名はアリス、といった。先王の嫡子の王子とは兄弟として育てられ、その身は憂いを帯びる事無く成長し明るく誰からも愛される良い子であった。
そして季節は廻り、幾度目かの春。
アリス姫は誰もが見惚れる程美しく可憐な姫君へと成長していた。
「…っ、もう、ちょい…なんやけど、ダメや…」
あと少しで抜けそうで強引に頭を押し込んでみるが、どうにも髪飾りが邪魔をして通らない。仕方なく結い上げた髪に埋め込まれるようにして飾られた髪飾りを抜き取った。少々不器用なアリスにはそれがどの様な役割を果たしているのかわからず、抜き去る傍からきちんと結い上げられた束髪がはらはらと零れ落ちてしまう。乱れた髪を姫付の執事になんと言い訳をしようかと一瞬慌てるも…すぐに諦めた。
「まあ、ええか。どうせ抜け出したのばれるやろうし…」
煌いて光を吸い込んだ茶色の髪を手櫛で梳かすと、綺麗に装飾を施された髪飾りを手に再度頭が通るか試みる。
ここは城の外れの大きな古木の幹の後ろ。
城壁に囲まれた城からは衛兵の立つ門以外、出入りが出来ない様になっており、勿論、姫であるアリスは国務を除き城内から外へなど容易に出る事が出来ない。
そこでアリス姫は偶然見つけた城壁の割れ目を使って城から抜け出すことにしたのだ。古い大きな木は成長の過程で添うようにしてあった石製の城壁を破り出来た割れ目を逞しい幹で覆い隠していたのだ。
それはちょうど日参していた城の図書室裏手のあたりで、見るとも成しに外を眺めていた姫は偶然にもその裂け目を見つけた。空いている隙間はほんの僅かで子供ならいざ知らず、大の男は通れそうに無い位。見つけてから直ぐに城の者に伝えようとは思ったものの、然したる害も無かろうと、そのままにしておいたのだ。
子供とは言えないが、華奢な体つきのアリスには通れそうな裂け目だったから、いつか役に立つときが来るかもしれない、そう思っていた事も確かだが。
そして今日、アリスはその穴から抜け出そうともがいているのである。
先ほどは引っかかっていた髪留めがなくなった分スムーズに頭も通り、隙間を抜けて城壁の向こう側へと抜け出すことに成功した。前もって抜けた先が城下のどのあたりにあたるのか調べておいたので薄いショールを被るとアリスは迷う事無く足早に目的の場所へと急ぐ。
時間はあまり、ない。
アリス姫が部屋に居ないことは間も無く発覚するだろう。
午後から姫君の婚約に関する取り決めなる執り行いがあり、今、アリスは部屋に籠ってその仕度をしているはずだったから。
その姫が実は部屋をこっそりと抜け出して外出している事が露呈すれば、たちまち姫付の執事である鮫山が部下の森下と共に近衛兵を引き連れて城下町を一斉に捜索するに違いないのだ。
いや、きっと彼にはアリス姫の行きそうなところなど把握されているに違いない。あたりを付けて人海戦術で捜索されれば見つかるのは時間の問題、あっという間に城へと連れ戻されてしまうだろう。目的の物を手に入れたとしても城に戻されては意味が無い。そうなる前に目的を果たさなければ。
アリス姫は周囲を気にしつつも路地を抜け歩を進める。
「…結婚なんて、冗談にも為らない。何を考えとんのや、母上も父上も…」
歩きながらぶつぶつと呟いていると目的の店を見つける。
この日の為に予め仲の良い司書の片桐に調べさせておいたのだ。
今日は待ちに待ったお気に入りの劇作家の新作が発表される日。
よしんば新作を手にしたとしても執務があると目を通すのは早くても夜。何よりも読書を愛するアリスにとってこの作品はそれこそ待ちに待ったものだったから、手にしたその時に紐解くものと決めていたのに。
「…母上ときたら」
『アリス姫もお年頃。そろそろ婚約をして然るべき縁組を』
などと戯言をのたまったのだ。
しかも、アリスには黙って打診の文を遥か東国の王へと送ったという。
こちらから打診した以上、色よい返事であれば、すなわち結婚するということ。
それがどれ程奇怪なことか、母は重々承知のはず…。
とはいえ、一国の国政を司る者の姫ともなれば嫁ぎ先は引く手数多なのであろう。
アリス自身は知らないのだが、事実、姫を貰い受けたいという申し込みは後を絶たない。王室の娘、という意味合いよりはむしろアリスの容姿をもってという輩の方が多かったのが、そんな事に興味を持たないアリスにしてみれば知る由もない事だ。今回の事は、別の意味合いを持つだろうが、勿論、母上の思惑が戦略結婚としての意味合いが強いことも知った上で、アリスには結婚話をどうしても受け入れがたい訳があった。
「…どうすんのやろ…」
ぽそり、と呟くと店に置かれた新作のタイトルを指でなぞる。
この日を待ちわびていた。
わくわくするような高揚感を抑えつつアリス姫は閉じられた書を手に金貨を払うと、書を手にアリスは満面の笑みを浮かべた。
後は邪魔の入らないようなところでゆっくりと読みふけろう。
書の紡ぎ出す世界に浸りながら考えたくない婚約の取り決めなど消えてしまえばいい。逃げ出すことで母上や父上に結婚がどれ程の事か考え直してもらわねば。
再びショールを巻き直し細い路地へと入る。
ここを抜ければ城からも見える大きな樹木の所へ出るはずだ。
あの木に登ってしまえばアリスを覆い隠してくれるに違いない。
姫君としての嗜みは不得手であったが、そういった御転婆は昔から得意だったアリスは、軽く弾む様な足取りで小道を走り抜けていった。
サルベージリク頂きありがとうございました。このお話も長丁場になります。お久しぶりの方もはじめましての方も気を長くしてお付き合いいただけますと幸いです。
Author by emi