言葉を紡ぎ、愛を育てる -epi 2-



窓辺には、キミがくれた愛の花が揺れる。
キッチンには、キミと選んだ揃いのカップが並ぶ。


隣には、穏やかな表情で眠るキミが、居る。



それだけで、いい。





今日は水曜日だ。

新学期が始まって火村は水曜の授業を無くし一日を完全な休みへと変えてしまった。
もちろん、アリスの店も定休日。

土日も店を開いているアリスにとっては唯一二人で過ごせる休日となる。


天気がいいときは出かけることもある。
家で見た映画の予告に誘われて映画館へ行ったり
季節の変わり目には服を探してウィンドウショッピングをしたり
時には車を駆って遠くまでドライブしたり。


出かけないときだってある。

昼近くまで惰眠を貪っては寄り添って過ごしたり
借りてきた海外ドラマを一緒に見たり
火村の試験期間には採点をする傍らで本を読んだり。


・・・火村と一緒に暮らし始めて、一度も筆を握っては居ない。



これといった理由が在るわけではない。
なんとなく引越しや片付けといった作業に追われ
筆に手をつける機会が無かっただけなのだが、それでも、なんとなく。
さりとていつまでも手をつけないままで居る事は出来るわけも無く
暫く触れていなかった万年筆の感触も今は懐かしいくらいだ。


書けない時こそ、書きたくなるのは何故だろうか。

学生の頃、試験前になると無性に部屋の片づけをしたくなるのと同じかもしれない。
出来ない、からこそ、したくなるのだ。


夏休み、学会の準備に追われる火村にあわせて今日の休みは一日篭る予定だった。
リビングのデスクは資料の山が占領し、専門書の山が視界を遮っている。
空きだった一室を火村専用の書斎にしようとせっかく本棚を誂えて大きめのデスクを新調したのに、
どういうわけだか火村は書斎を使わずにリビングに入り浸るのだ。


アリスの顔が見えないから。



何故かと訊ねた私に当たり前の様な顔をしてしれっと言ってのけた。


そう、彼はアリスが思っていた人柄とは少し違っていた。

一緒に住み始めてから数ヶ月が経つが、想像していたよりも遥かに快適になったと思う。
大柄な躰をしている火村は体躯に似合わず驚くほど、まめで器用だ。
なんでも、そつなくこなす。それもアリスがもたもたとしていようものなら、
あっという間に片付けてしまう。
基本的に面倒見がいいのだろう。それでいて元来器用なのだ。
何をさせても上手にこなす火村はいつの間にか家事担当へとなっていた。
勿論、アリスとて何もしないわけではない。
・・・ないのだが、気がつくと仕事は全て終わっているということが多々あるのだ。


今日も、然り。


書類と書籍に埋没した火村は暫く手が空きそうに無い。
だからといって、家のことですることは残されていなくて
必然的にアリスは時間を持て余すことになった。


ちょうど、いい機会かもしれない。


リビングのデスクを火村に明け渡すと、キッチンカウンターに原稿用紙と万年筆を持って向かう。

書きかけの原稿は物語が半分くらいまで進んだところで止まっている。
書き始めてから暫くはおもしろいように筆は進むのに、いつも半分を過ぎたところで失速するのだ。


・・・最後だけは決まっているのになぁ。なんでやろ。


ぱらぱらと読み直しをしつつ白紙まで捲ると、
暫く離れていたこともあり徐々に世界が廻り始めた。
手にした筆を握りなおすと、そっとペン先を走らせて文字を刻み言葉を紡ぐ。


リビングの火村も、集中しているのだろう。
昼下がりの部屋にはキーを叩く音と、ペンを走らせる音が交互に響いていた。



どれくらい、そうしていただろうか。

ふと、気がつくとやけに近い位置から紙を捲る音が聴こえて
傍らを見てちょっと驚いた。

いつの間に移動したのだろう、高めのスツールに腰を掛けて筆を握るアリスの足元
フローリングに直接座り込んだ火村が重ねてあった原稿用紙を手に読みふけっていたからだ。


書きかけのモノを除いた残り全てを読んでしまったらしく、
最後の一枚を伏せると顔を上げて にやりと笑って呟いた。


「・・・この続き、どうなるんだ?」


いつの間に日が傾いていたのだろう。
部屋の中は夕日が尾を引いて逃げていく頃だ。
それなのに、暗くない手元を見て火村が灯りをつけたのだと知る。


「あっと驚く結末が待ち構えているんや」


肩越しに見えるリビングのテーブルは綺麗に片付けられていて
キッチンからはコーヒーのいい香りが漂ってきている。



「気になるな」

立ち上がった火村はそっと頬に手を触れて、瞳を細めて視線を合わせる。
握っていた万年筆を離して代わりに頬に触れた火村の掌を握る。



「ほんまに?」

少し首を傾げた私に限りなく優しい笑みをくれる火村が腰を屈めて近づいてくる。


「アブソルートリー・・・」

ぐうぅっ・・・・!



「・・・・」

唇が触れる寸前、気障な物言いに答えたのは、私の腹虫だった。


脱力した火村は唇を合わせる代わりに額をあわせて二人して大笑いした。
その時、書きかけていた原稿は入選することはなかったけれど、それから程なく
応募した作品が賞を受けて私は作家になった。

それはまた、もう少し後のお話。


君がいるこの部屋で、言葉を紡いでいる。
窓辺では、愛を育てている。


今はそれで、いい。


これにて完です。お付き合いくださりありがとうございました。

Author by emi