10th Sweet Night -3-


とっかかりは、なんて事無いところにこそ潜んでいるモノなのだろう。いかにしてソレを見つけ、足がかりにしてうまく攻略するかというところに事件解決の真意はあるのかもしれない。

ともすれば聞き流してしまう様な些細な情報を集め、纏め、そして突き詰めていった結果。

事件の全容はあっけなくその姿を現して…終決した。





「…風が、すげぇな」
「でも、綺麗や…」

封鎖したまま、結局閉館時間を迎えた展望室から上のデッキへ出られると言うので誘われるままに火村と二人で上がった。
そこは、空中に浮かぶ庭園の名を持つ処で、夜の帳が下りた大阪の夜景が遙か下位できらきらと輝いている。
…本来ならば、そこには愛を囁く恋人たちで溢れている筈なのに、風が頬を切るこの場所では、火村と私の二人だけしか居ない。

遠くに聴こえる喧騒の余韻と…空から降り注ぐ無数の星筋。


「…先生、耳の孔から煙が出てるぞ」
「だから気を遣って風下に立っているだろ」

ようやく煙草を咥える事が許されたのは、消えていった殺意が証明されてお役御免となったからだ。口に咥えたまま話す火村の横顔には先ほどまで浮かんでいた焦燥の二文字が見当たらない。



「でも、なんで言わんかったんやろな」
「…言わなかったんだろ、言えなかったのかもしれないな。…後後まで言えずに居るよりは、この場ではっきりとさせておいた方が本人の為にもよかったろ、きっと」

知っている事を言えないでいたのは、付き合い始めたばかりの彼女が自分以外の誰かと二股を掛けていた事を知らないでいた…御曹司の彼氏だった。二人で甘いひとときを過ごして展望室へやってきた…ところに、思わぬ乱入者が入った。以前から付き合っていた会社員の彼だ。

『はじめは…単なる知り合いですと名乗ったんだ。別に憤る様子も見せずに笑顔さえ浮かべて彼女に“こんにちは、偶然ですね”なんて言ったりして。彼女も少し戸惑っては居たけれど、取り乱したりはしていなかったよ。それで…』

あっちに彼女の先輩でもある自分の友人が居るからちょっと挨拶しに来ないかと誘い、彼女は席を外した。一緒に、という自分に笑って“ちょっと待っててね”と言い残して。気にも留めていなかった御曹司の彼氏は、去っていく彼女の背中にさり気なく添えられたその男の掌に嫌な感じを覚えたんだそうだ。そして、後を…付いて行って覗いていた。

『彼女は…えらい剣幕で怒っていました。ソレを見て、ああ、こいつ、二股かけてたんだと…知って。そのまま置いて帰ろう、いや、それじゃあまりにも悔しいし、どうしてやろうかって考えていたら…激昂している彼女の鞄から、煌びやかに輝くソレが見えたんです』



最後まで、取り乱しているのは彼女の方だったそうだ。終始落ち着いていた会社員の男は…静かな動作でそのナイフを攫むと、自分の胸へと突き立てた。一瞬の躊躇すらなかったそうだ。

「…なんで、自殺なんてしたんやろ」
「さあな、自ら命を絶とうと思ったことはないからわからねぇが…人は衝動的に他人の命を奪う、同じように衝動的に自分の命を奪うことだってあるんだろ」
「もしかしたら、彼はこうなる事を想定して彼女に“ナイフ”なんて贈り物をしてたんやろか」
「どうかな」

短くなった煙草を携帯灰皿へ押し込むと、最後の一息を悠然と空へ棚引かせる。その横顔は何処までも遠くを見つめている様で、存外近くを見ているのかもしれない。



『アイツは…ナイフを攫んだ瞬間に。確かにコチラを見たんです。ほんの一瞬だったから…見間違いかもしれないけれど…確かに、コチラを見て笑っていたんだ』

笑って何を考えたんだろうか。彼女が彼にとっての全てだったとしても、手放したくないから彼女を殺すのではなく、失っては生きていけないから自分を殺すなんて。…理解しがたい動機であるのに…理解、出来ない訳でもない。

失っては生きていけない、…だから、せめてキミの手で消えていきたい。

もしかしたら、は。
消えてしまった殺意と共に永遠に分かる事はないけれど。少なくとも、彼女が繋げていた筈の新しい関係は消え、…心には消えない傷痕を残したのだ。


『…彼女とは金輪際会いません。刺される瞬間を見ていたのに…知らないと言ってしまったのは、俺を騙して虚仮にしていた彼女に腹が立ったのと…見抜けなかった自分が悔しかったからです。問い詰めて貰ってよかった。でなければ、これ以上もっと嫌な想いをする所でしたから』



隠し事の代償は…彼女が想像していたよりもずっと重たくて哀しい物だったに違いない。


「…なぁ、火村」
「ん?」


階下に隔離されていた御曹司の彼氏に質問をぶつけに行く前、やけに時計を気にしていた…いや、時間を気にしていた火村がとったのは、誰かの耳が届かないところへ行って電話を掛けるという行動だった。
誰かと待ち合わせを…していたんだろうか。



今夜の約束をした、誰かと。

『だって、彼。聴かなかったのよ?妖しいって思うだけでいつだって“ふ〜ん”で済ませて来たじゃない!私だってどうしたらいいのか、わからなかったのよ!…もっと、どうしてって、なんで、って。聴いてくれれば…こんな事に、ならなかったかもしれないのに!』

聴かなかった、のではないと思う。聴けなかった、のだろう。自分が感じた不安や疑問がただの杞憂であればいいのに、と思っていたいからだ。聴いてしまえば…楽になるのに。先に進ませることで、…失ってしまう事が怖いのだと思う。

だから、自ら駒を進める事が出来ずに…追い詰められてしまったのではないだろうか。

でも。



たった、一言が…ソレを回避するための呪文であるなら。
きっと唱えるべきなんだと思う。


「さっき、電話しとったやろ?あれ、…なんで?」

ひゅう、と耳元を通り抜ける風に寒気を感じた振りをして身を縮めた。
眼下に広がる貸切の夜景を眺める視線は、煌びやかなネオンを通り越して何を見つめているんだろう。自分でも分からないほど、感覚を明け渡した思考の中で…不安に、緊張に溺れそうになる。

戻りかけた体勢の火村は数歩、私よりも後ろに立っている。その気配が、ふっと、近づいてくる瞬間に。

軽く吐いた、彼のため息を感じて…目頭が熱くなる気がした。

「ああ、気になったか?出来れば隠しておきたかったんだけどな…見つかっちまったら仕方ねぇか」

歩み寄る火村はすぐ私の後ろに立っている。風が悪戯に向きを変え、背後から薫る洋煙の臭いに、まるで抱きしめられている錯覚さえ覚えて…ちりばめられた宝石たちが勝手に膨張していった。
滲んで色が混ざり合う、その視界に。

何を、見つけたらいいんだろう。



「…時計、も。気に、しとったやろ?時間」

こんなにも簡単だ。
最初の一言さえ発してしまえば…後は勝手に口が言葉を紡ぎ、声が疑問を形に変えるから。堰を切った様に溢れだす不安な気持ちが、意思とは関係の無いところでうねりとなり躰までも支配する。

「ああ、時間ね。もう、間に合わねぇしなぁ…、残念だったよな、アリス」
「…オレ?」

後ろから、そっと置かれた掌の感触を…コート越しでも間違いなく感じる。大きくて…逞しい火村の掌だ。
…私が愛してやまない、大切な人の、手だ。

「ああ、ばれちまったからな、ネタばらしすると…大阪駅でお前を拾ったらそのまま、神戸へ向かうつもりだったんだ。ハーバー近くのリストランテに予約、してた」
「え…?」

「ま、早い時間についてあのあたりをふらふらとしてもいいかな、とは思ってたんだが…大学を出るちょうどその時に、…府警から一報が入ったんだよ。ったく、俺も断ればいいのにな」

おそるおそる持ち上げて重ねた掌から、熱が伝わって緊張と不安から強張っていた私の躰は解凍される様に血が、通い始める。吹き付ける風は依然として冷たいままだけれど。

でも。

「あ、電話って…」
「ん?ああ、予約取り消しの電話してたんだ。さすがに今日はキャンセル待ちの客まで出ていたらしくてな、お陰で大したキャンセル料を取られる事もなさそうだが…」

急に近くに聴こえた声に反射的に顔を向けると、そこには…触れそうな位近い位置で笑う火村の瞳があった。
贅沢に切り取られた夜景を閉じ込めた…漆黒の瞳。

「せっかくの…夜、だったのにな。事件を取って悪かったよ、アリス」
「…ええよ、気にせんで」

優しく見つめる火村に、自然と微笑みが漏れる。

そして…耳朶に囁かれた淀みない綺麗な発音の睦言に。

涙が溢れそうになった。


「っ、覚えとったんか…?」

他人眼の無い貸し切り状態とはいえ、あまり密着しているのは憚るとばかりに身を引いた私に、きっとキミは言うのだろう。聴けなかった一言も、掛けられなかった電話も…そんなつまらない私の杞憂を全て吹き飛ばすような、自信に満ちた強い肯定の意を。

「アブソルートリー、10周年、だろ?」

ああ、そうだ。

あの階段教室で出逢ってから14年もの長い年月が経っている。そして…何時かのクリスマスの夜に。友人としてではなく、恋人として歩きはじめてから…今日でちょうど10年だ。

あの頃から変わらずに私は繭を紡いで、…キミは自分の生きるべき路をひたすらに真っ直ぐ見据えている。

そして、私の隣にはキミが居て
キミの隣には…私が居る。

10年目の素晴らしい夜に。

Merry Christmas !!


というわけで、3夜連続アップしておりました“10th Sweet Nights”はコレにて終わりでございます。最後までお付き合いいただきまして有難うございます。

Author by emi