10th Sweet Night -1-




はあ、と吐きだす息が白く濁る様になったのは…いつからだっただろう。いつだって季節の訪れは穏やかに…そして緩やかな気配を伴っているものなのだ。

ソレに気が付くのは、いつだって世間が衣替えを終えた後。普段家の中に籠った生活をしている為か、ともすれば季節はおろか曜日すら曖昧になっている事が多いアリスは、たまにこうして外出をすると、自分が世の中や季節に置いて行かれた疎外感すら感じてしまう事がある。


作家っちゅう職業病かもしれんな。

めずらしくスーツを身に纏い風を切って歩く中で、ロングノーズのブーツを履く足の先から冷えが這い上がってくる感覚に、思わずコートの襟を手繰り寄せる様にして身を竦めた。

剥き出しの手で握るエールラインには昨日着ていたカッターシャツが畳んで入れてある。年末に合わせて書き下ろした長編の出版記念サイン会で着ていたものだ。ちょうど祝日という事もあり、予定していた定員を上回る大盛況ぶりに、嬉しい半面、少しだけ疲れていたのかもしれない。
昼過ぎに始めたサイン会も予定時刻を大幅に超過して終わったのが夕方遅く。そのまま大阪へとんぼ返りするつもりでいたのに、取っておいた新幹線のチケットは間に合わず、結局片桐が押さえていた部屋に泊まる算段となってしまった。
…もちろん、着替えなど用意していなかったため、スーツはそのままにシャツや下着といったモノだけを購入して一晩を過ごした。


『申し訳ありません!!…何かご予定があったのでは?』


平謝りに謝る担当者に、気にしないでくれと笑って見せた。

…予定は無い、のだ。
期待をしていないと言ったらウソになるが、それでも。確かな約束をしている訳ではないし…今日は未だ、なんでもない祝日だから。

そして、明くる日の朝。
取れた新幹線のチケットは2時発のモノで、仕方なくチェックアウトをしてから次回作の打ち合わせを兼ねて片桐を訪社し…そして、大阪へと舞い戻った。


少し重量を増した鞄には、彼の好きそうな作家の画集が収まっている。
新幹線を待つ間に立ち寄った近代美術館で買ったカタログだった。

「…でもなぁ、きっと学校やろな」


いつもと変わらぬ冷めた瞳で、研究室から見える古ぼけた校舎を眺めては咥え煙草で紫煙を燻らせているのだろうか。


かじかんだ指先をそっとポケットへと忍びこませると、ひんやりと冷たい機械が静かに時が来るのを待っている。
…昨日から、何度こうして無意識に触っているか分からないけれど、待ち望んでいる呼び出しは未だ、無い。

「…はぁ」


気になって…こうして無意識に確かめてしまうくらいなら、自分から掛けてしまえばいいのに、と思う。なんて事は無い、今夜、暇?そう聞けばいいだけなんだから。それは、おかしい事ではない筈だと思う。思う、けれど…どうして、その一歩が踏み出せないのだろう。


いつだってそうだ。

肝心な事になると、変に意識して…何も言えなくなるし、聴けなくなる。それは、簡単な一言や、簡単な行動であればこそ、反比例して重さや難易度を増していく様な…天邪鬼な現象なのだ。たった、一言。

『…今夜、どないする?』

ソレが、言えない、聞けない。
おかしい位に、期待しているのに、気持ちはソレを否定したがる。悶々と独り悩んで、結果いらぬ葛藤を自ら見出してしまう。コレはアリスの悪い癖だ。でも。どうしてもそのループから抜け出す事が出来ずに居る。

…きっとこれからもずっと、そうなんだと思う。


プラットホームから見える切り取られた空は灰色に濁っていた。
濁りの中にも、晴れ渡った部分は有るのに、やがて濁りが晴れた部分までも浸食していきそうな…不安に満ちた空。


でも…。

指先が微かな電動を拾って探り出した携帯に、切り取られた筈の晴れ間を見つける。

「…はい、どないした?」
『アリス?お前、今どこに居る?』
「大阪駅。たった今新幹線が着いたとこやねん。なんで?」
『…ちょうどよかった。そのままいつものところで拾うから待ってろ。…10分掛からないかな』
「…了解」


1分にも満たない短い会話。それでも、濁った空を晴れやかにしていくだけの威力と意味を持つそれに自然と足も速くなり、冷えた足先も気にせずにコンコースを抜けてロータリーへと急いだ。






「よう、アリス」
「…早かったんやな。もう仕事終わったんか?」


10分掛からないという言葉通り、いつもピックアップに使う、駅から少し歩いたところの路肩には、窓から白く濁った煙を吐き出している見慣れたアンティークなベンツが停まっていた。腰の位置よりも低いフェンスを乗り越え助手席から身体を滑り込ませると、少しだけ瞠目したように火村が煙草をアシュトレイに擦りつける。


「ああ、終わったというか終わりだ。…なんだ、珍しく決めてるな?」
「ん?ああ、昨日泊るつもりなかったからなぁ、着替え。持ってなかったんや。…シャツなんかは替えたで」
「……ま、ちょうどいいか…」

点滅していたハザードをさげ、ステアリングを切りながら呟いた言葉が聞き取れなくて、聴きなおそうかとも思ったが…やめた。なぜなら、外を見据える火村の横顔がなんだか不機嫌そうに見えたから。

「…で、アリス。お疲れのところ急だが、このまま現場に行くがいいか?」
「…え?」

「さっきな、呼び出しがあって…これから向かうところだ。空中庭園って知っているだろ?」
「…すぐそこの?あの展望台のある…」
「そう。そこが現場らしい、…ほら、すでに見えてるだろ」

大阪駅から徒歩だと抜けられる地下道も、車では通り抜けが出来ない為ぐるりと大周りをして空へと続くビルへと入っていく。現場に行くがいいか?なんて聞いておきながら向かっているあたり、さすがに14年も一緒に居る仲だと思う。もっとも、断る理由も無かった私は、答えの代りに黙って頷いて見せるだけだったが。


駐車場へと滑り込んだベンツはいつもよりは混んでいる場内の端へと鎮座して停まった。ホテルを隣接している場所なだけに赤灯を回した警察車両は一台しかない。が、見慣れたセダンや、鑑識仕様のワンボックスが停まっているので既に現場には府警が到着しているとみえる。救急車の姿が見えないところをみると遺体は収容された後であろうか。

コートを着たままだった私にそのまま着てろ、と言い後部座席からコートを取り出した火村は並んでエントランスへと向かいやや薄れたのであろう人垣を抜けていく。


「現場が空中庭園って…なんや、まるでドラマみたいやないか」
「ああ、発生した当初はかなりの混乱だったらしいぜ。今は居合わせた客たちも捌けて残ったのはごく一握りの人間だけらしいけどな」

それでも、現場は封鎖されているのだろう。40階の展望室へのエレベーター前には制服姿の警官が配備されている。その顔見知りの警官の脇を通り抜けシースルーの箱へと乗り込む。

上昇するガラスの向こうには夜の帳が下りている。

「…日が、落ちるのが早いよな。夏なら未だ外は明るい時間だぜ?」
「気がつくと季節が変わってる気がすんねん。…容疑者は?」
「交際中だった20代の女性。学生だそうだ。被害者は30代の会社員。今日は会社を休んでデートの予定だったそうだ。…昼過ぎ限定付きのな」
「限定付き?」

ポンという軽い電子音と共に目的階へと着いた頃には話をしていたにも関わらず、耳がぼわっと痺れたようになっていた。飛行機もそうだが、この急激な気圧の変化に強くない私はどうしても、慣れる事が無い。火村曰く、上昇している間にも空気抜きをしていればならないそうだが、うまくいったためしがない。

「それは…」

空気抜きをしようとしている私の問いかけに火村が口を開いたタイミングで扉が開いて…その向こうに森下に伴われて若い痩躯の男性が立っていた。

「あ、先生。有栖川さんも…ご苦労様です」
「どうも」

入れ違いにエレベーターへと乗り込んだ森下と若い男性に軽く会釈をしてフロアへと降り立つ。力なく腕を引かれる様にしていたところを見ると、事件の関係者だろうか。顔色も良くなかった様だ。

「…なぁ、火村…」

置き去りにされた疑問を聴こうとすると、火村が手にしたコートを羽織るところで、その肩の向こうに、見慣れた眼鏡姿の鮫山警部補が手を上げているのが見えた。
どうにもタイミングが合わない。

「先生、どうも。有栖川さんもお忙しいのに恐縮です」
「いや、そろそろ大学も休みに入るので際立って忙しい訳でもありません。もっとも有栖川は珍しく出ていたみたいですが」

確かに珍しいかもしれないが、そこまで逼塞しているというわけでもない…筈だ。封鎖しているという事もあってか展望室は空調があまり良く効いておらず、肌寒い位だ。おそらくこれで人が溢れていれば熱気で温かいのだろうが、生憎と溢れているというには程遠い鑑識と警察関係者だけでは広い室内が暖まるまでには至らないらしくコートを着ておけと言った火村の言葉は正解だったようだ。

「そのようですね。大丈夫ですか?これからお出かけだったのでは…?」
「いえ、特に予定があったわけではないので大丈夫ですよ。家に戻るところをピックアップされたので」

珍しくかちりとした服装で現れた私を見て気を回してくれたのであろう、申し訳なさそうに項垂れる鮫山に笑ってみせると、先に歩きだした火村が珍しく腕時計を見ていた。めったなことでは時間を気にするなんてしないから妙な感じがする。そういえば、今何時くらいなのだろうか。 全面がガラス張りの展望室、冬特有の暗い空に時間の感覚も鈍るのだろう。おそらく未だ7時にもなっていない筈なのに、切り取られた空には明るさが引いた後だ。そして早い夕闇の到来に、零れ堕ちている都会の明りが階下を彩っているのだろう。 なるほど、恋に恋するお年頃の男女であればさぞかしロマンティックな夜になることだろうが、 仄かに霞む足元には目もくれず、私たちは一路、凄惨な悲劇が起こった現場を目指していた。




3夜連続でアップ、クリスマス特別企画です。書くにあたって関西方面に疎い管理人を全面的に助けて下さった絢さまには本当に感謝しております☆有難うございました。ご自身もお忙しい中でイルミネーションや夜景の綺麗なスポットを丁寧な説明付きで教えて下さいました。この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。絢さま、本当に有難うございます。
事件モノですが、あまり時間も無く練りが足りないと思われます、ちょ、酷、と思われる箇所も多いかと思いますが…クリスマスという事で広く温かい心で見逃して下さいませ〜☆ではでは。

Author by emi