ソレは音も無く堕ちる。
色も無く、音の無い世界で。
瞬きもせずに。
ただ静かに流れゆくのだ。
「…ごめん」
耳を疑うような一言に、今度こそ火村の方を向ききった私に、綺麗な指先が伸ばされてくる。私は固まったまま、避ける事が出来なかった。
そっと、頬に添わされ…そして。優しい指先が何かを拭ってくれる。
「…ぁ」
涙…?
泣いているのだろうか、私は…泣いているの?
どうして…?
「アリス…、ごめん、ごめん。お前を泣かせたかった訳じゃないんだ」
「…?」
辛そうに顔をゆがめたまま、じっと見つめる火村の瞳には戸惑いや恐れといった負の感情が見えない。
代わりに浮かんでいるのは…何?
「…こうして、やっとお前に逢う事が出来て…言いたい事がありすぎて、うまく言えない俺を許してくれないか?アリス、お前を…俺は騙していたのかもしれない。回りくどい事を言って…お前の気持ちをどうしても確かめたかったんだ」
「…何、言って…るん?」
涙を拭ってもなお、頬に触れたままの左手がすっと目の前に翳され間近に晒される。
薬指の約束が…視線を逸らせない位置にある。
ああ、どうしても火村は私に…思い知らせたいのだ。
自分がおかした罪の重さを。
その、代償を。
他の誰かと添う、キミの幸せから逃げ出すなと。
そう思うと…ひたすら息苦しくて哀しくて…いっそこのまま消えて仕舞いたい、それくらい辛いのに。
…なんで、火村が謝るんだろう。
「このリングは…俺の全てだ。やっと見つけたその全てのものを…今度こそ護ると、自分に決めた決意とけじめの為のモノだ。…そして、護るべき人に、同じものを贈ると決めた」
ふいに包みこまれる温かい掌の感触に、震えていた指先に血が通った気がして指を動かす。それなのに離れていく事を許さないとばかりに火村の大きな掌が私の手を包みこんで離してくれない。
「…だから、アリス。ごめん、…半年も、掛かっちまって。どうか…俺を赦して欲しい」
包みこまれた掌に…感じる温かい体温。
それは、何時かの夜に触れあったままの…火村の体温。
傍に居て、触れていたかった願ってやまなかった愛おしい人の、…掌だ。
そうして合わせた二人の掌を火村がゆっくりと持ち上げて目の前に掲げていくのをされるがままに黙って見ていた。動いている感覚すら、どこか遠いところで起こっている出来事の様で…何も出来なかったんだと思う。
あまりに血の気が引きすぎて…感覚すら曖昧で。
感情すら、…薄れてしまった様で。
「アリス、これを…受け取ってくれないか」
差し出された掌に握らされた…ソレを。
見つめていても…何だかわからなかった位に。意識が遠くの方でざわざわとしていた。
ソレは…、滲んだ視界で、小さなメビウスの輪にも見える、シルバーに光ったリング。
「…え?」
「ここ、見て。アリス…見える?わかるか?」
つい、と傾けられたリングの内側に…うっすらと見える約束の文字。
To Alice.A Fro H.H
「な、ん…で?」
読み取った私に優しくほほ笑む火村が…そっとソレを私の指へと滑らせていく。
…左手の、薬指に。
「言っただろう?俺はやっと見つける事が出来たんだ、と。コレを贈る相手と共に何を失ったとしても…共に生きていくんだと。だからアリス、どうしてもお前の気持ちが知りたかった」
「やって…」
未だ、夢を見ているんだろう。
だって、こんなこと、こんな筈は…こんな…!
動けないままの私に再度合わせられた掌から、全身へ確かな熱が伝わっていくのを…信じられない気持ちで感じていた。
顔にでていただろうか。
少しだけ苦笑した火村がその重ねた掌を合わせて私の視界のなかへ入れてくれる。
二つのリングを合わせる様にして…。
「…ほら、見える?」
「コレ…オレの?なん、で…、オレ…?」
震える声でやっと呟く私に困った様にした火村が、掲げたままの指先にそっと口付けを落としてくれる。
少し大きめのリングは…それでも確かに私の指に通されていて。
馴染んできた体温に…気持ちまで、溶け込んでしまう様な気すらした。
「ああ、少し大きかったか?…というか、お前が痩せすぎなんだ。…これから太らせるからな、覚悟しとけよ?」
じっと見つめる、漆黒の瞳。
紛れも無く、濃い焦がれていた筈の…大切な人の瞳。
でも、拭い難い…現実は、簡単に終わったりしない。
なぜなら…。
「っ、やって…、おなか、子供…出来たって。だから…!」
だから、君は彼女と結婚するんだろう?
自分の運命だと諦めて、抗うそぶりもなく…受け入れてしまうんだろう?
その残酷すぎる、現実を。
「ああ、偽善は良くないよな。…まんまと、騙された俺がいけなかったんだが。子供なんて出来て無かったよ。籍だけ入れちまえば、こっちのもんだと思ったんだろ。…本当にバカな事をしたもんだ、俺は。すまない、アリス。お前が…気がつかせてくれなければ、俺は取り繕う事さえ出来ない間違いを犯すところだったんだな。極力多くを巻き込まずにかたを付けた、つもりなんだが…思ったよりも時間、掛かっちまった」
少しだけ、哀しそうな…どこまでも愁傷な面持ちで何時に無く柔らかい火村の言葉に、心の中でずっともやもやと凝り固まっていたしこりの様な、とっかかりが…溶ける、そんな気すら、する。
居た堪れなくて、哀しくて。
お門違いとはいえ、絶望に打ちひしがれて。
私は火村が自分を諦めた様に、どうにでもなればいい、壊れて…しまえばいい。そう思ってさえいた。
…でも。
「アリス…?こんな俺を…」
ああ、泣いてしまうんじゃないか。
目の前の美丈夫は…このまま、涙を流してしまうのではないだろうか。
そう、思えるくらい…真摯な火村の態度に。
「…ひむら?」
「うん、アリス。やっと…呼んでくれたな?」
「火村…!」
「アリス、待たせてすまなかった。俺を…赦してくれないだろうか」
何に、堪えていたんだろう。
何に、怯えていたんだろう。
何から…逃げていたんだろうか。
重ねた掌は…確かに温かくて何よりも大切な人だったのに。
アリスが残してきた銀色の小さな家の鍵よりも、せめてキミを感じていたくて着ていた香りの残るシャツよりも…指に光る確かな約束が、アリスに世界を取り戻してくれる。
その、穏やかな瞳と…包み込む優しい掌と。
「アリス」
私を呼ぶ、キミの声が。
>今年最後の更新となります、こちらで最終話です。この後、少しだけ続きますが…続きはまた、年が明けましてからという事で。早いモノで今年も後残すところ数時間となりました。20周年という記念の年にこうして有栖川を愛する皆様と共に歩み過ごせてきた事を本当に嬉しく、また光栄なことと思います。サイトへ通って下さっている皆様にも、心からの感謝を込めまして。来年もどうぞ、宜しくお願いいたします。2009/12/31 光陽エミ
という一文があって驚きました。一番新しい話の筈なのに、いつの話よ、これ。さすがに反省したのでサイト改装に全力を尽くしたいと思います。いやしかし、昔書いた話をサルベージするのって結構労力がいりますね。なんせ恥ずかしい。なんていうか、恥ずかしくて悶える。突っ込み所満載ですが、生ぬるい視線で見送って欲しいと思います。2011/6/8
Author by emi