乾杯しよう、君に出逢えた幸せに。
降りしきる雨の中、アリスのマンションの駐車場へとアンティークなベンツが滑り込んだ。
途中で仕入れた食材と、それを片手に鼻歌を唄うほどご機嫌な准教授は、
待機していたエレベーターへと吸い込まれる。
だいぶ日が長くなってきたこの頃、外はまだ明るい。
これから食材を煮込み始めて軽くつまみでも作って呑んでいれば
ちょうどいい頃合いにカレーは完成するだろう。
前菜にはアリスの好きな白身魚のカルパッチョ、
それに最近お気に入りの有機野菜のバーニャカウダ。
生野菜の食感をあまり好まないアリスだったが、
このソースは甚く気に入っていておいしいといってよく食べる。
ともすると自分ではレトルトオンリー生活を送りかねないアリスにはちょうどいい。
カツカツと靴音を響かせて廊下を歩いて702号室の前に立つ
と、タイミングよく内側から扉が開かれてアリスが顔を出した。
「おかえり、火村!」
「…ああ、ただいま。アリス」
にこやかに微笑み火村を招き入れると施錠する音が聴こえた。
このマンションを買った当初、危機感のなさからか、
初めての独り暮らしだからか、アリスには施錠する癖がなかった。
『頼むから危機感を持て!鍵は必ず掛けろ!』
そう何度も口をすっぱくして言い続けた結果、こうして
施錠するようになったのだと思うと感慨も深い。
自然と口元が綻んでしまう。
おまけに。
あのタイミングでドアが開いたのは…。
「俺が来るのをここで待ってたのか?アリス」
先に上がってテーブルで荷物を広げる火村にアリスは違うよ、と笑う。
「ちょうど寝室に行ったときに君の靴音が聞こえたんや。たまたまやで?」
「ふーん。まあいいさ。食事の支度をするから先に風呂でも入ってろ」
「ええの?火村、疲れてるんやない?」
心配そうに見つめるアリスに片眉をあげて不敵に笑ってみせる。
「いいさ。あとでアリスにたっぷりと癒してもらうからな」
「っ…、知らん!」
照れて顔を紅くしたのを隠すようにアリスは踵を返して風呂へと逃げ、
そんな様子を好ましく眺めながら、火村は食材を手に晩餐の準備を始めた。
アリスがシャワーを使っている間に準備を済ませておいた。
あとは食べたいときに温めればいいだけ。
入れ違いにシャワーを浴びてさっぱりとした火村は、
前菜を摘みながら取って置きのシャンパンでほろ酔いに寛いでいた。
定位置のソファに腰掛け、アリスはその下床にぺたんと座っている。
「ああ、そうだ。アリス、ちょっとここにおいで」
「…なんで?」
「いいから。座って、アリス」
楽しそうに笑いながら火村は自分の膝の上を指しアリスの腰を持ち上げる。
「そこって膝の上やん…」
「知ってる。ほら、抱っこ。な?」
「…っ!」
凶悪なほど優しい笑顔で誘う火村に思わず赤面してしまう。
「照れなくてもいいだろ、アリス。もっと恥ずかしい格好なら夜に…」
「あ、あほう!…もうっ…!」
ああ、なんて恥ずかしい格好なんだと思いつつもほろ酔いなのだろうか、
自然と顔がにやけてしまうのは気が付かない振りをした。
横抱きに抱えられて腕を回された格好で。
火村の熱っぽい視線に絡み取られてじわじわと胸の辺りが疼き出す。
「も、なに?ひむら…気障っぽいで?きみ」
「ルパンも顔負けだろう?アリス」
取って置きの流し目と共にウィンクなんぞをして頬にちゅっと音を立ててキスをする。
あっけにとられて口も利けない…のではなく、
火村の仕草にうっとりとして声も出ない。
…わけがない。
ない、断じて無い!
腕の中で惚けているアリスに尚も熱く火村が囁く。
「アリス。さっきの電話。こういうことだろう?」
「え…?電話…?あ、…」
電話、会話で少し遊んでみたのに気が付いていたらしい。
やっぱり抜け目が無いのだ、この男は。
「うん、気がついとったんや。火村」
「アリスは?」
ふっと耳朶に囁きこまれ思わず身を竦めてしまう。
「オレ…が何?」
「会話してメッセージを込めていたのはアリスだけじゃないぜ?」
「―――」
「なっ…!」
耳元で囁かれた火村のメッセージがアリスを震わせ、
極上のバリトンが脳内をダイレクトに刺激する。
「アリス、気が付かなかった?」
「…うん」
最早とろんと体重を預けるように火村に凭れかかったアリスは
うっとりと瞳を閉じている。その背をいとおしげに火村の掌が撫ぜ抱きしめる。
背中に肩に火村の体温を感じながらアリスは考えていた。
こういうことだろう、って言った…のは?
訝しげに首を傾げた無言の問いに優しい声が降ってきて
なんだかとても温かい気持ちになる。
「アリス?…ああ、さっきのな、『ああ、そうだ』からも同じ」
ぼんやりと見上げた火村の顎にそっと指を滑らせてみる。
お返しとばかりに火村の長い指がアリスの頬を滑り、ふっくらとした唇に添えられる。
「あ」
「あ?」
「い」
「い…」
「し‥」
徐々に目線が近くなる。
「て」
「…て、」
「る」
「……っ」
重なった唇が熱い。
触れる掌から鼓動が伝わってしまいそうで。
眩暈がするほど幸せな想い。
君の腕に抱かれて感じる最高の瞬間。
乾杯しよう。
君に出逢えたキセキに。
幸せという名のこの時に。
「あいしてる」
それは最高に幸せな五文字の呪文。
げふう…。過去の醜作に胸やけが。甘い…。
Author by emi