江田島海軍兵学校

2018.03.03


       さて呉江田島ツアー初日、早朝からの大須山防空砲台跡の探索を終えた後、同じく江田島に所在する海上自
      衛隊の第一術科学校に向かいます。おおお、ここも久しぶりですね。第一術科学校は見学者用に広大な売店ス
      ペース
を用意しているので、この遠征のお目当てである呉海自カレーのレトルトを入手できる公算が大。期待
      に胸を膨らませながら敷地内に入ります。
       まずは駐車場に車を入れて、正門の警衛所にて見学手続き。その後は集合場所となる江田島クラブ(敷地内
      の厚生センター)に向かいますが、途中にあった『遊歩禁止区域』という看板が目に入ります。毎日の様に一
      般見学者が訪れる場所ではありますが、この硬質な語感がいかにも自衛隊の敷地という感じ。

       江田島クラブの建物中央は大きな吹き抜けスペースになっていて、見学者用に沢山の椅子が並べてあります。
      内部の柱は全てステンレス張りですが、そのどれもが鏡のごとく磨き抜かれているところに、常に身だしなみ
      に気を配る自衛隊らしい几帳面さが伺えますね。

       さて、見学前に買い物を済ませておこうと鼻息荒く売店に突入しますが、なんと呉海自カレーレトルトシリ
      ーズは一つも見当たらず
。えええええ、ここになければどこにあるって言うんだ?絶対手に入ると思って来て
      いたので、正直かなり落胆してしまいました。
       早くも今回の遠征計画に暗雲が漂い始めますが、午後からはに移動するのでそこであちこち探してみるか。
      フェリーターミナル、大和ミュージアム、てつのくじら館。あとゆめタウンの1階に大きなお土産物売り場が
      あったと思うので、そちらに期待します。
       集合時間までもう少し余裕があったので、2階の海上自衛隊歴史ゾーンへ。入口では第2代LCAC艇隊隊
      長を務めた町田3佐
の力作である1/100サイズのLCACの模型が迎えてくれますが、これ、全部段ボー
      ル紙製
なんですよねえ。すごい人もいるもんだなあ。

       展示内容は以前来た時と大きく変わりませんが、艦橋の様子を再現したコーナーや実物の訓練標的機やミサ
      イルの展示が目を引きます。
       さて、そろそろ時間です。一階の集合場所へ移動しないと。席についてまもなく案内人の元隊員さんがやっ
      て来られましたが、あ、前回案内してくれた人ですね。お元気そうで何よりです。
       それにしても、今日は意外と見学者が少ないなあ。30人ぐらいでしょうか。しかも男ばっかり。この辺り
      はその時の団体予約のあるなしで大きく変わるみたいですね。今日は特に若い人の姿が目につきますが、心な
     
 しかみなさん背をしゃっきり伸ばして座っている気がするのは、やはりここ江田島が持つ空気ゆえかなあ。
       まずは見学に先立って案内人の方からルールなどの説明が行われ、それでは出発。江田島クラブを出て、目
      の前にある大講堂に向かいます。
       この大講堂は大正6年の建築。戦後米軍に接収されその後返還されましたが、近年は流石に傷みを見せて来
      たため平成10年に大規模な改修の手が入り、御影石も美しい現在の姿を取り戻したとの事。

       ちなみに海軍兵学校が東京の築地からここ江田島に移転したのは明治21年ですが、当時は校舎や講堂等は
      何もなく、江田島湾内に浮かべた船の中で寝泊まりして海軍士官候補生達に教育を行っていたとの事。日に日
      に華やかになる東京では厳しい教育を行いづらい・・・というのがここ江田島が選ばれた理由ですが、当時こ
      のあたりは本当に何もない辺鄙な漁村だったそうです。
       大講堂の後ろに見えるのは古鷹山で、体力錬成のためにここから山頂まで駆け足で登る伝統競技があるとの
      事。最初は60分かかる候補生達も、学年が変わる頃にはなんだかんだで20分ぐらいになってしまうのだか
      ら驚きです。
       幹部候補生として厳しい選抜試験をくぐり抜けて入学してきた時点で、そもそも相当な体力がある筈ですが、
      そこからさらにタイムを半分以下まで縮めてしまうとは・・・シゴキの恐ろしさが想像できますね(笑)。
       昔はそれこそ遅い学生の尻を竹刀でしばきまくる鬼教官が当たり前にいたそうですが、今は流石にお尻を優
      しく『なでる』程度
になったとか。これも時代の流れだなあ。とは言え、文字通りに解釈してもそれはそれで
      十分恐ろしい
気がしますが・・・(笑)。

       ちなみに大講堂の裏手にある屋根と車寄せ付きの入り口ですが、これは通称『高貴門』と呼ばれ、入校式や
      卒業式で皇室の方々が来賓としてやって来られた時だけ使うとの事。
       「このあと私達が入る表側の門は、『平民門』と呼ばれております。今日はこの中に、皇室ゆかりの方はお
      られますか?・・・おられませんね(笑)」

       と案内人さん。本日参集したのは全員血統書付きの平民らしく、平民軍団は仲良く表側の入り口に向かいま
      す。ちなみに敷地内の地面には枯山水の如き目立てが施された場所が多く、そこは避けて石畳の上を歩きまし
      ょう。

       入り口前で脱帽して、正面の国旗に一礼。久しぶりに入った大講堂は、独特のひんやりした空気をたたえて
      いました。真っ白な天井からは円形の照明がいくつも下がっていますが、これは船の舵輪をモチーフにしたそ
      うです。
       足元には御影石のプレートが敷き詰められ、規則正しく並んだ鉄板の上に整列すると約2000名もの収容
      人数
になるとか。

       国旗と自衛隊旗が掲げられた正面の舞台ですが、卒業時はここに一人ずつ上がって卒業証書を受け取るそう
      です。その際、以前は在籍時の席次順(ハンモックナンバー)で呼び出されるのが伝統でしたが、最近は我が
      子の晴れ姿を見るために全国から親御さん達が訪れる為、最後の方に呼ばれる学生のご家族が切ない思いをせ
      ずに済む様に・・・
との配慮から、今はアイウエオ順になっているとか。
       うーん、優しい話ですが、なんかちょっと違う気もしますね。せめて上位10名ぐらいは席次順に呼んでそ
      の努力の成果を称え、それ以降は名前順にしてはいかがでしょう。

       続いてはここ江田島第一術科学校の象徴とも言うべき、幹部候補生学校庁舎。古くは海軍士官候補生達が、
      今は海上自衛隊幹部候補生達が寝起きする修業の場です。レンガの一つ一つを油紙で包装してイギリスから取
      り寄せた・・・
という逸話が有名ですが、現在の物価に換算するとそのレンガひとつがなんと2万円。当時の
      海軍省の気合の入れ様が分かるというものです。
       また、通常のレンガよりもはるかに高い温度で焼成されたおかげで、その表面はレンガとは思えないほど滑
      らか
。明治26年の建築以来、一度も洗いをかけていないのにこの美しさを保っているのですから大したもの
      です。

       ちなみに建築当初は瓦屋根だったそうですが、昭和38年の安芸灘地震でその殆どが崩落。現在の軽いスレ
      ート葺き
になったそうで、その年の卒業生は記念に屋根瓦の欠片を貰えたとか。
       建物側面に回ると、全長140mの校舎を左右に貫く廊下を見ることが出来ました。手前の床は丁寧なワッ
      クスがけが施され、まるで逆さ富士の様な美しさです。

       その後は教育参考館へ。昭和11年に建築された鉄筋コンクリート造りの建物で、内部には16000点も
      の貴重な資料
が保管され、定期的に入れ替えを行いながら常時約1000点を展示してあるとの事。
       ちなみに建築当初は40000点を超える規模でしたが、戦後ここを接収した進駐軍に粗雑に扱われたり海
      外に持ち出される事を恐れ、その多くは焼却処分に。辛うじて残された10000点は厳島神社大山祗神社
      に分散して奉納することで守り抜き、戦後遺族から提供を受けた新たな資料と合わせて、現在の形になったと
      の事。
       荘厳な雰囲気が漂うギリシャ神殿風の教育参考館ですが、撮影できるのは外からだけで館内は撮影厳禁。入
      り口で脱帽して一礼し、内部へと足を踏み入れます。

       入ってすぐの階段を上がると、まず見えてくるのは東郷提督の遺髪を収めた霊廟。そこから先は、書画
      真
遺書遺影後世に残すべき貴重な資料の数々の展示スペースになっています。見学者の誰もがじっと黙
      り込み、展示品の一つ一つに見入っています。
       90分の見学時間のうち約45分をここで使えますが、正直時間が足りません。出来れば90分は欲しいと
      ころなんですよね。過去にどんな時代があって、当時の人達はどんな思いで生き、そして亡くなっていったの
      か。それを踏まえた上で自分達はどう生きるべきなのか。展示品の一つ一つが語りかけてくるものは、非常に
      重いとしか言いようがありません。

       45分の見学時間はあっという間に終了。全員揃って江田島クラブに戻りますが、その途中に見ることが出
      来たのがここ第一術科学校の正式な玄関である表桟橋。卒業式を終えた幹部候補生達は、ここから沖合に浮か
      ぶ練習艦に乗りこんで練習航海に旅立ちます。
       その隣にあるのが、昭和18年に謎の爆発事故を起こして沈没した戦艦陸奥から引き揚げられた第4砲塔
      隣の隊舎と比べると、そのスケールの途方もなさが分かります。

       最後は案内人さんにお礼を言って、本日の見学は終了。さてお腹も減ってきたことですし、江田島クラブ内
      のレストラン江田島で昼食にしましょう。ここに来るとついカレーを食べてしまうのですが(笑)、今日は前
      回来訪時にすごく美味しそうに見えたスタミナ定食いってみましょう。
       出てきたスタミナ定食はエビフライ鳥唐揚げ豚焼肉、あと生野菜ポテトサラダがひとまとめという実
      に魅力的な内容。性懲りもなくまた始めたダイエットが3日分は台無しになりそうなラインナップですが(笑)、
      今日は朝から山歩きだったし、まあいいか。

       揚げ物は熱々、ポテトサラダは歯にしみる程冷えています。そしてこの豚焼肉がたまりません。醤油と砂糖
      だけでつけた様なシンプルな味つけが素晴らしく、キャベツやタマネギ、ニンジン、ニラもぎりぎりまで生の
      歯ごたえを残しつつきっちりと火が入っている状態。これはご飯2杯はお替りできるな・・・。ダイエット中
      の私にはとんでもない地雷定食でありました・・・。
       その後は売店に寄り、いつも使っている江田島幹部候補生学校の識別帽の予備を一つと、あとたまたま見つ
      けた潜水艦型の箸置きを一つ購入。なんだこりゃ、カワイイな(笑)。

       敷地内に入っているコンビニ『ポプラ』にも寄りますが、残念ながらここにも呉海自カレーのレトルトは見
      当たらず。それにしても、一度食べてみたいなあ、ポプ弁。うちの近くにはないんですよね。
       以上で第一術科学校を後にします。正門の警衛所にて見学者バッジを返却し、駐車場へ。へー、長崎や横浜
      のナンバーがありますよ。みんな凄いなあ。
       その後は途中にある地元スーパーを見て回りつつ、呉へ移動。果たして見つかるでしょうか、呉海自カレー
      のレトルト。まずフェリーターミナルの売店に向かいますが、ここでも見つからず。うーん、呉の海の玄関口
      にも置いてないとは・・・。
       ここまで来て空振りで終わるのか?と頭を抱えつつ、隣接する大和ミュージアムへ。ここは入口の隣に大き
      な売店があり、売店だけの利用も可能です。
       その大和ミュージアムの売店にて、とうとう呉海自カレーのレトルトシリーズを発見!やったあああああ!
      いやまあ、ネットのお取り寄せ等でも購入は可能なんでしょうけど、やっぱり呉に来て入手したかったんです
      よね(笑)。

       鼻息荒く買い物かごを掴み取り、片っ端から2個ずつ放り込みます。どんどん重くなる買い物かご。えーと、
      これいったい何種類あるんだ?知るか!全部2個ずつ買うんだよ!

       我ながらそうとう逆上していたと思いますが、ここで買い漏らしがあっては死んでも死に切れません(オー
      バーな)。冷静に種類と個数をチェックして、それ以外のお土産には目もくれずにレジに並びます。
       14種類×2で、全28食。軽く18000円を超える散財となりましたが、これで今回の遠征の目的の半
      分は消化したも同然です。
       「小分け袋、いくつご用意しましょうか・・・」
       と若干引き気味の店員さんに、全部自分用ですから一枚もいりませんと爽やかに言い放ち、ほくほく顔で大
      和ミュージアムを後にします。それにしてもレトルトカレーにえらい金額をかけてしまったなあ・・・。カッ
      となると何をしでかすかわからない、そんな危険な香りを漂わせるのも無頼派のおっさんとしては十分アリ
      ろうと納得しつつ、1410に呉を出発。
       その後は休山トンネルを抜けて東広島呉道路に入り、東広島にある喫茶店『伴天連(ばてれん)』に向かい
      ます。ずーっと前から一度は訪れてみたいと温めていた物件ですが、ここがもう想像を絶するとんでもない喫
      茶店
でありました・・・。




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