大須山防空砲台跡

2018.03.03


       1泊2日で呉と江田島周辺の色々を見て回りました。最近は近場の舞鶴に行くことが多く、広島方面は実に
      5年ぶり
。初日は江田島北端にある大須山防空砲台跡第一術科学校を見学し、その後東広島市にある喫茶伴
      天連
へ。二日目は安浦にある海軍のコンクリート船武智丸、最後は呉地方総監部の海軍地下作戦室の一般公開
      に参加という非常に中身の濃い2日間。幸い天気も問題なさそうで、金曜日深夜に自宅を出発です。
       ちなみに今回の呉江田島行き、実はもう一つ重大なテーマがありまして、それは呉在籍艦艇および部隊の金
      曜カレーを再現したレトルトカレー
を入手する事。あえて詳しく調べずに来てしまったのですが、なんか色々
      沢山販売されているそうで、昨年の舞鶴サマーフェスタ以来の新作大量確保なるか?なんだかありがたいお経
      をゲットしに天竺に向かう三蔵法師みたいだな俺・・・とワクワクしつつ、深夜の山陽自動車道を西に向けて
      ひた走ります。

       そして0705、大須山山頂近くの駐車場に到着。とは言え、ここが本当に駐車場なのかなあ。枯草で埋も
      れたただの原っぱ
なんですけど、でも場所的にはこのあたりになるはず・・・あ、原っぱの隅に大須山森林公
      園の案内板
がありました!一時は観光資源として整備されたものの、その後は訪れる人もなく放置され、荒れ
      放題
になっている感じ。まあこの手の砲台を利用した公園では、よくある事です。
       案内板の地図によると、上って来た道を挟んで西側に兵舎跡、東側には防空砲台跡と兵舎跡があるそうです
      が、まずは駐車場広場に隣接した西側の兵舎跡から見ていきましょう。

       石段を上がってすぐのところには、落ち葉に埋もれかけた兵舎の基礎跡が残っていました。レンガ造りの上
      から薄いコンクリートを塗って補強
した様ですが、型枠を組んでコンクリを流し込む基礎に比べて強度的に劣
      るせいか、あちこちが崩落しかかっています。
       地面はふかふかの腐葉土で比較的歩き易いものの、その中にコンクリの塊やレンガ片が埋まっているので、
      結構危ういなあ。

       それにしてもこの兵舎の基礎跡、なんだか不思議な形状です。普通木造兵舎の基礎って、外壁や内壁に沿っ
      た割とシンプルな構造だと思うのですが、ここの基礎は随分と入り組んでいます。中には幅50cmぐらいし
      かない区画もあり、まるで小人の立体迷路の様。一辺80cmほどの四角い水槽が基礎の内外に沢山あるのも
      不思議な感じで、ここは普通の兵舎じゃなかったのかな?

       兵舎の裏手に回ると山肌が四角くくり抜かれてあり、これは空襲時の退避壕でしょうか。しかし内部はかな
      り狭く、突き当りから右に折れているものの、その先は1mも続かずに行き止まりです。扉があったのか、曲
      がり角の左右にコンクリの跡が残っていますが、こんなところに扉をつける意味がわかりません。

       小石が散らばった地面には、きっちりと水平をとった跡も確認できます。退避壕内にこんなものが必要とも
      思えませんし、1m四方に満たない空間をわざわざ90度折れる形で作る意味もわかりません。これは退避壕
      というよりも、まるで地神様かなにかを祀ってあった跡の様に見えますが・・・。

       兵舎跡の脇には手すりのついた上り坂があり、この先にも何かあるかなと進んで行くとT字路に突き当たり
      ました。右手が下りの尾根道で、左手の上り道が恐らく山頂でしょう。迷わず左に折れていくと、山頂部の開
      けた場所に3m四方ぐらいのコンクリート構造物が見えてきました。

       これも何かの基礎だったのかと近づいて見ると、あ、基礎じゃなくて水槽ですね。深さ2m位の底に落ち葉
      と枯草、水
が溜まっています。これは飲料水用の水槽だったのかな。こんな山頂に井戸を掘るとも思えないの
      で、雨水を溜めていたのでしょうか。
       でも、考えてみればそれも変な話だなあ。こんな場所では開口部の面積ぶんしか水は集まりませんし、さっ
      きの兵舎跡付近に作る方がよっぽど効率よく雨水を集めることが出来そうです。たまたま雨水が溜まっている
      だけで、本来は別の目的で作られた水槽状の構造物だったんだろうか。

       ふと見ると、コンクリート壁の一部に斜め下に抜けている小さな穴を発見。一定以上の水位にならない為の
      オーバーフローに見えますが、こんなものが必要なほど雨水が溜まる場所かなあ。もしくは、上澄みの水だけ
      を抜いて使うための穴なのか。それにしては位置が上過ぎる気がしますが・・・。
       おっ、東側の斜面を下ったところにももう一つ大きな水槽がありますね。灌木とトゲトゲのツタに足をとら
      れながら慎重に下っていくと、大きさは山頂部のものと同じぐらいですが、こちらははるかに深さがあります
      水面まで4mぐらいあり、内壁にとっかかりもないので落ちたらちょっと上がれそうにありません

       ただ、こちらの方が斜面伝いに流れ込む雨水も期待できる分、水は沢山溜まりそう。だから深く作ってある
      のか。斜面に接する部分には四角い隙間がありますが、これは先ほどの水槽の様にオーバーフローの役割を果
      たしていたのか、それとも山頂伝いに側溝があり、周囲に降った雨水をこの水槽に集める役割があったのか。
       その後は先程のT字路から下りの尾根道も少し歩いてみましたが、特にこれといったものはなさそう。兵舎
      跡に戻ります。それにしても、なんであんな山頂部に水槽を作ったんだろう。もしかして兵舎跡には大きなト
      イレがあり、地下水からの汚染を防ぐためにトイレよりも高い場所に浄水設備を作る必要があったんだろうか。
       でも、それなら兵舎よりも低い場所にトイレを作れば済む話ですよね。その場所に困る様な地形でもないで
      すし・・・わからない事だらけです。

       続いては道路を挟んだ東側にある防空砲台跡へ向かいます。道路脇から山肌に2本の道がV字に伸びていて、
      左側に入れば展望広場、表示がない右側が防空砲台に通じる軍道でしょう。まずは右に入っていきます。
       急勾配の山道を進んで行くと、山側から大きな岩が崩落して崖側の柵をなぎ倒している一角に出ました。あ
      ちこちに水が流れた跡があり、どうやら大雨で砂質の地盤が流されて、不安定になった岩が崩落した模様。そ
      れだけ雨量があるから、あんな山頂部に水槽を作っても十分な雨水が確保できたのかな。今は雨の少ない時期
      ですが、見るからに不安定そうな斜面がところどころにあるので油断できません。

       途中石垣が見えてきましたが、これも石と石の間が結構スカスカですし、隙間からは細い灌木がたくさん伸
      びていて、崩壊も時間の問題っぽいです。さらに山道を登っていくと、あ、木々の間からレンガ造りの構造物
      が見えてきました。あれが東側の兵舎ですね。

       近寄ってみた兵舎跡は、なかなかの妖気を放っていました。壁は2面しか残っておらず、屋根も完全に崩落
      して内部は植物が好き放題に茂っています。恐らく戦後進駐軍が破壊したと思われますが、それにしては随分
      と中途半端な壊し方
ですね。担当した米兵も、終戦で気が抜けてやっつけ仕事で壊したのかな?それにしては
      壊しづらい建物裏手だけ壊した様に見えますが・・・よくわからないなあ。四角い筒状の構造物は煙突でしょ
      うか。やけに立派な造りなので、見張り用の塔みたいに見えます。
       兵舎脇の地面に、小さなコンクリ水槽が2つ並んでいました。中は腐った落ち葉と雨水でヘドロ状ですが、
      傍には大きなコンクリ板があり、これが水槽の蓋だったのかな?それとも、この蓋の下にも水槽があるのか。
      多分上水用の沈殿式濾過槽と思われます。

       それにしてもこの崩壊した赤レンガ造りの兵舎、まるで爆撃を受けた中世の教会みたいな雰囲気です。しん
      と静まり返った人気のない山の中、木々の間から零れ落ちてくる朝の弱々しい光とあいまって、まるでどこか
      らともなく音楽が聞こえてくるような風景
。じっと佇んでいると、エーテルで満たされた宇宙にいる気がして
      きます。

       兵舎脇を抜ける道を歩いていくと、不意に開けた場所に出ました。樹木が生い茂ってはいますが、風が通り
      抜ける感覚
があって先ほどまでの山中とは全然雰囲気が違います。ここが大須山の東側の山頂みたいですね。
      ふと見ると、左手に不自然に下がった細い道の様な地形がありました。落ち葉に埋もれかけていますが、これ
      は砲台を取り囲んでいた陸戦用の塹壕の跡かな。
       さらに先へと進んで行くと、またしても不自然な地形に突き当たりました。背の高い枯草に埋もれているの
      で全容が掴みづらいですが、直径7~8mのクレーター状に掘り込まれた大穴。これが防空砲台の砲床か。

       穴ぼこの周囲はすり鉢状にコンクリートで補強され、その外側の一部には2×3m位の小部屋がありました。
      これは兵員用の退避壕か、砲側庫かな。今は露天状ですが、往時は上に板を差し渡して土嚢か何かで補強して
      いたんでしょう。
       穴の中へ降りて行ける階段がありましたが、砲床の内部は人の背丈ほどの藪で埋まっていて、これは普通に
      ヘビがいそう。軽装のソロ探索で降りて行くのは流石に無謀ですね。

       それにしても、一番深いところで2mはありそうですが、かなり掘り込んであるんだなあ。この砲台は防空
      砲台なので対空機銃が置かれていたと思いますが、海上の艦船を狙う大砲に比べてはるかに軽く反動も少ない
      ので、こんなに深く掘り込んで固定する必要はないのでは・・・。
       と思いましたが、山の稜線を防御壁に使って放物線を描いて海上の艦船を狙った砲台とは違い、基本上空に
      向けて撃つ機銃陣地に防御壁を作る事はできません。となると、せめて海上からの攻撃や陸戦時の防御を考え
      て、半地下状に掘り込んだ砲床になるのは当然なのかも。ちなみに3つある砲台は三角形状に配置されていて、
      どの砲台も似たり寄ったりな荒れ果て方でした。

       ここで足元が不自然に荒らされた跡を発見。これは・・・イノシシの掘り返し跡かな?それにしては随分小
      さい気がしますが、表土は結構湿っているので掘り返してからそう時間は経っていない様です。夜中にこんな
      ところに人が来るとも思えないので、やっぱりイノシシだろうなあ。見れるものは見れましたし、これ以上進
      むのはちょっと心配
です。来た道をたどって駐車場に戻ります。

       おっと、展望広場の方にも行っておこうかな。左の道に入ってしばらく下っていくと、右手に石垣が見えて
      きました。軍道っぽい道もあったので入っていくと、思った通り枯草と灌木に覆われた建物の基礎跡を発見。
      藪が濃いので建物や地形の全容は把握できませんが、尾根筋にある比較的見通しがいい場所です。果たして何
      に使われた建物だったんだろう。

       さらにその奥には、岩を積み上げて作られた3m四方ほどの石垣が。高さは2mぐらいあります。まるでお
      城の基礎となる石垣の様にすっくと立っているので、この上に何かがあったと思われますが、隙間から灌木が
      何本も突き出た不安定そうな石垣は、ちょっと体重がかかっただけで崩れ落ちそう。とても登る気にはなれま
      せんでした。
       目指す展望広場は道を下ってもなかなか見えてこず、イノシシも怖かったのでここで道を引き返します。以
      上で大須山を撤収。いやはや、この時期でも予想以上に藪がきつかったのが意外でした。ここもあと何年かの
      うちに、完全に山に飲み込まれてしまうのかなあ。

       その後は第一術科学校の見学の予定でしたが、まだ少し時間がありますね。という訳で小用港のフェリータ
      ーミナル
に寄って時間を潰します。フェリー乗り場の売店では以前掘り出し物のレトルトカレーを入手出来ま
      したし、今回も何かお宝があるかも。
       その小用港フェリーターミナルの売店ですが、置いてあったのは既に試食済みの『海軍さんのカレー』のみ。
      江田島の玄関口だけに、もっと色々あると思ったのですが・・・。
       何気なくフェリーターミナル内の掲示物を眺めていると、『校長短信』という壁新聞が目に止まりました。
      江田島にある大柿高校の校長先生が発信している様ですが、新聞部ではなく校長先生がこんなことをするのは
      珍しいなあ。

       内容は大柿高校で行われた行事の報告がメインですが、その中に『敗戦談話はまだ早い』というコラムがあ
      りました。えええええ、まだそんな認識なのか?と驚いてしまいましたが、どうやら県立大柿高校は近年生徒
      数の減少
に歯止めがかからない状況で、存続の危機に立たされているとの事。
       その現状に立ち向かうべく校長先生は必死の努力を重ねているそうですが、残念ながら今年の受験の志願者
      も目標数をはるかに下回り、廃校の判断は県教委に委ねられるとの事。ああ、そういう意味の敗戦談話なのか。
       「すまない、この愚かな校長は君たちが行く高校を守ることが出来なかった・・・」
       との思いから、毎朝交差点で挨拶する小学生たちに顔を合わせることができなかったり、
       「江田島市内に高校はいらない・・・それが市民の選択か。なんという愚かな意思なのだ。では行きたいと
      思える高校になってみろ・・・高校に突き付けられ続けてきた刃である。しかし、もう時間がない」

       と、短いながらも身を切られるような言葉が綴られています。生徒にも親御さんにも県教委にも、そして校
      長先生にもそれぞれ言い分があって、その誰も間違っていなくて、そしてなによりもそれは校長先生一人の
      肩に背負わせるにはあまりに重すぎる問題で・・・

       もはや頑張ってどうにかなる段階ではないのかもしれないし、大阪から遊びに来てるおっさんに出来る事は
      何もありませんが、心の底から校長先生がんばれ・・・
       何とも言えない気分を引きずりつつ、江田島第一術科学校(海軍兵学校)に向かいました。




呉・江田島ツアー2018、江田島海軍兵学校に続く
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