燕市銭湯巡り
2015.10.24
という訳で、石川富山新潟遠征初日です。富山県の日本海食堂で昼食を済ませ、その後は新潟県へ移動。
県中央部よりも少し南側に位置する燕市に入り、レトロ銭湯を満喫しに行きます。
印刷した地図を頼りにお目当てである桜湯を目指しますが、人気のない知らない街をホテホテ歩くこの感じ
が久しぶりだなあ。途中でちょっとよさげなスーパーを発見したりしているうちに、とうとう桜湯に到着・・・って、
あれ?店先に暖簾が出ていない上に、二つある扉の前には『寿町集会所』と書かれた貼り紙が。既に廃業し
て久しい雰囲気がぷんぷんです。こ、ここまできてそりゃないぜ・・・。
しばらく呆然と佇んでいると、桜湯正面の家から一人のおばちゃんが出てきました。ここってお風呂屋さん
ですよね?もうやっていないんですか?と訊ねると、少し前に閉めてしまったとの事。そのおばちゃんは大阪
から桜湯目当てにやってきた私を珍しがったのか気の毒がったのか、
「そこの角を曲がって、少し行ったところにもう2軒銭湯がありますよ」
と親切に教えてくれました。おお、これは有難い。こういう意外な展開が楽しめるのが、いきあたりばったり
の旅先銭湯の醍醐味ですね。おばちゃんにお礼を言って、その銭湯を探しに行く事に。
静かな古い住宅街を歩いて行くと、おお、屋根の間から煙突が見えました!そして突き当たった道路の向
こうに見えたのは、紺色地に力強く『ゆ』と染め抜かれた立派な暖簾。しかし看板が見当たらないな。なんて
いう銭湯なんだろう・・・と思ったら、2階窓の手すりのところに『玉宅湯』と書かれた小さな板きれが引っ掛か
っていました。ぎょくたくゆ?たまたくゆ?
それにしても、前の道路は2車線の割に随分広いなあ・・・と思ったら、路肩が駐車スペースになっていて、
30分までなら路駐オッケーとの事。冬場はここが除雪スペースになっているんだろうなあ。
しかしこの玉宅湯、見たところ町の美味しい定食屋さんの様な小奇麗な雰囲気で、ちょっと私が求めている
銭湯像とは違う様な・・・。さっきのおばちゃんはそのすぐ近くにもう1軒あると言っていたので、そっちも探して
みるか。
なんとなく左側に向かって歩いて行くと、怪しげなオーラを放っている民家が目にとまりました。まさか・・・と
思ってよく見ると、その民家の奥には細い煙突が。あああああ、ここか!
確かに扉には『ゆ』のステッカーが貼られているものの、暖簾も看板も出ておらず、どちらが男湯でどちらが
女湯なのかも分かりません。1/2の確率のギャンブルですが、一歩間違えば大阪からやってきた愉快な変
質者として新潟県警のお世話になりかねません。国内有数の米どころである新潟県・・・よし!留置場の美味
しくも臭いメシ試食レポやっちゃうか!
まあそんな事はどうでもいいとして、どう見てもここも廃業した雰囲気ぷんぷんです。しかしよく見ると、店の
前には老人無料入浴日の告知が出ているんですよね。もしかしてこれがこの銭湯のナチュラルな営業状態
なんでしょうか?地元の人は昔からこれが当たり前で、改善を促す気もないのかも。
小奇麗な定食屋みたいな先程の玉宅湯と、怪しさ全開のこの無名銭湯。皆さんならどちらに入りますか?
俺だったら迷うことなくこっちだぜ!等と呟きながら道路を横断しようとすると、背後のお店から店員さんが出
て来ました。少しお話を伺うと、
「ええ、前の建物はお風呂屋さんだったんですけど、もう随分前に閉められましたね。おだ(織田?尾田?
小田?)湯さんって名前だったんですけど」
との事でした。うーん、やっぱり廃業してたのか、残念・・・。それにしても、この近辺に3軒あった銭湯のうち
2軒が廃業とは。御多分に漏れず、燕市の銭湯事情もかなり厳しいものがある様です。
親切に教えてくれた店員さんにお礼を言って、玉宅湯へ向かいます。ちなみに先程の廃銭湯と同様に、こ
の玉宅湯も第2・4土曜日の昼間は老人無料デーでした。告知の看板が全く同じだったので、恐らく燕市とか
新潟県の銭湯の組合が全体でやっている取り組みなのでしょう。
おっ、道路に面した部分は小奇麗な造りですが、隣の空き地から玉宅湯の建物側面を見ると、結構古びた
素敵な雰囲気が漂っていますよ?なるほど、玄関側こそリフォームしていますが、これなら内部はレトロな雰
囲気に満ちているかも。
ワクワクしながら暖簾をくぐり、引き戸を開けて店内へ。入口に対して背中を向けた番台、奥に向かって細
長い形状の脱衣所、ガラス戸の向こうには明るい浴室が見えます。が、肝心の番台には誰もいません。
脱衣所内は茶色を基調とした明るく清潔な雰囲気で、お人形がきちんと並べられたガラスケース、埃一つ
ない調度品、丁寧に畳まれたタオル、さりげなく飾られた造花。この銭湯を経営している人の几帳面さが伺え
る様。
天井近くの換気窓が開け放たれ、湿気も程良く抜けて実に居心地のいい雰囲気です。期待していた様なレ
トロ感は薄いですが、見たところ何の不足もない優良銭湯っぽいですね。しかし番台に誰もいないのはどうい
う事だろう。
もしかしてトイレにでも行っているのかな?と困惑しながらその場に佇んでいると、先に来ていたオジイチャ
ンが何事かを話しかけてきました。しかし完璧な新潟弁なので、一体何を言っているのかさっぱりわかりませ
ん。
オジイチャンはたぶん10行ぐらいかけて何かを伝えようとしているみたいですが、とりあえずなんとなく理解
出来たのは、出る時に料金を支払えばええんじゃよ、という事。成程、ここはそういうシステムなのかと納得し
てお礼を言うと、オジイチャンは『やっと分かったか!この若造が(笑)』という表情で、ニコニコ笑いながら浴
室へと入って行きました。
それでは私もパンツを脱いで、浴室へ。先客は先程の親切なオジイチャンの他にもう一人。白を基調とした
タイルや壁は明るく清潔で、古びた感じは微塵もありません。正面の壁にはおけさ姿の女性のタイル絵もあ
り、なんとも華やいだ雰囲気。時刻は16時前、窓の外がまだ明るいだけあって、昼風呂の様なのんきな開放
感に満ちています。
ただ少し気になったのは、女湯との仕切り壁が170cm位しかなく、ちょっと頑張れば(頑張るなよ)禁断の
壁の向こう側が見えそうな事です。うーん、エル・ヒガンテが入りに来たらどうするんだろう・・・と、変な心配を
してしまいますね。
カランは向かって左側に5列、右側に4列。まずは頭と体を念入りに洗って、奥にある湯船に入ります。湯
船は1.5畳と2畳ぐらいのものが二つで、合わせて6人も入るともう手狭な感じ。水面下の浅い仕切りで分け
られ、大きい方にはジェット風呂も完備されている様です。
そしてこのお湯が、実に熱い!チリチリと皮膚をあぶる様な熱さですが、今日一日車を運転して血流の悪く
なった下半身の毛細血管を、強烈に刺激してくれる感じ。うん、これはこれで悪くないな。全身の毛穴から、焼
かれた疲労物質が溶け出して行く様な心地よさを感じます。
求めていたレトロな雰囲気とはちょっと違いましたが、明るく清潔な街中銭湯の味わいを存分に満喫。あー、
実に快適なお湯でした。
脱衣所に戻ると番台には妙齢の女性がいて、忘れないうちに料金を払います。おばちゃんは見慣れない私
に少し驚いた様で、
「あらあらあらあら、ごめんなさいねぇ、いつも常連さんばかりなのでつい油断しまして・・・(笑)」
というか、私が入る直前まで老人無料タイムだったので、番台にいる必要がなかったんでしょうね。湯ざまし
がてら少しおばちゃんにお話を伺うと、近所にあった銭湯2軒もとうとう店をたたんでしまい、ここらあたりでは
もうこの玉宅湯(たまたくゆ)」を残すのみ、といった状況にあるそうです。
「辞めるに辞められなくなってしまいましてねえ・・・」
と、おばちゃんは少し寂しそう。ここまで閉めてしまうと、日々の入浴に本当に困ってしまう人達が多いので
しょう。ちなみにこの玉宅湯、出来たのはかなり昔の事だそうです。成程、途中で脱衣所と浴室に大規模なリ
フォームを施したんですね。古い住宅の建て替えに伴う内風呂の普及、後継者の問題、スーパー銭湯の台
頭、燃料費の高騰・・・街中の銭湯としては厳しい話ばかりです。
しかし地域に残った最後の銭湯として、この玉宅湯の火を絶やす訳にはいかない・・・そんな覚悟の上での
リフォームだった事は容易に想像がつきます。その心意気には、呑気な流れ銭湯者でしかない私ですら、深
く心を打たれるものがありました。次に来るかどうかすら怪しい私が言うのもアレですが、なんとしてでも生き
残ってくれ玉宅湯・・・。燕市のみんな、たまには内風呂をお休みして、玉宅湯に入りに行こうぜ!
ちなみに大阪から来たという私におばちゃんは驚いた様子で、どちらにお泊りなんですか?と訊ねられまし
た。
「はい!今夜はここからちょっと行ったところにある、新潟が誇るホテル公楽園に泊ります!」
と力強く宣言すると、おばちゃんは
「へ?後楽園・・・?」
うーん、ホテル公楽園、地元新潟でもマイナーな存在なのか・・・。あと、屋号はたまたくゆと読むそうです。
という訳で、玉宅湯を後にしました。まさに消去法的な流れで辿り着いた末でしたが、結果的には大阪在住
のいち銭湯ものであるこの私を、この玉宅湯まで導いた何者かの存在を感じた・・・と言っては流石に大げさ
でしょうか(笑)。一見してレトロでも何でもない銭湯であっても、入って見みれば様々な思いやドラマが見えて
来るんですね。
いや、ぱっと見の雰囲気の凄さやレトロ感ばかりに目が行ってしまい、俺はもしかしていろんなものを見落と
していたのでは・・・?分かった様な事をいろいろ書き連ねながら、実は何も見えていなかったのではないだろ
うか・・・。それに気づかせてくれた玉宅湯に、心の中で敬礼。
古き良き昔の面影はもうない玉宅湯でしたが、なあに、時代が移り変わるのはなにも悪い事ばかりではあ
りますまい。今はリフォームされた新しいこの玉宅湯ですが、もう40年も経てばきっといい塩梅に古びたレト
ロ銭湯になっているでしょう。
その頃には80を軽く越えている私ですが、大阪から赤いオープンカーに乗って颯爽と玉宅湯の前に乗り付
け、レイバンのサングラスと皮ジャンを脱ぎながら
「ふっ、あれからもう40年か・・・俺もお前も、すっかり老いぼれちまったなあ」
なんて暖簾に向かって語りかける老後があってもいいじゃない(笑)!おいおいちょっとカッコイイな俺(笑)。
という訳で、40年後の再会を勝手に約束して、玉宅湯を後にしました。さてこの後は、同じ燕市にあるあの
ホテル公楽園に宿泊です!知ってる人は漏れなく半笑いになるというあの名ホテル、以前から気になって気
になって仕方なかったんですよね(笑)。徐々に薄暗くなり冷え込んできた空の下、ホテル公楽園目指して車
を走らせました。
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