旧志免鉱業所竪坑櫓~軍艦防波堤

2015.05.23



       今回ははるばる福岡県まで遠征して、戦争遺跡を見て参りました。大阪から福岡までは約614㎞、個人的
      に走り慣れた北陸道以外への、今年に入って初めてのロングツーリングです。今回は頑張って3連休を確保
      したので、翌日は山口県に移動して、ちょっと変わったものも見て来る予定。そろそろ気温的にキツくなって
      いますが、ついでに大好きな車中泊も楽しめるという豪華なスケジュールを組みました。今年は春先からなか
      なか出歩ける機会に恵まれなかった私ですが、ようやく満を持しての遠征であります。
       と言う訳で、大阪市内の自宅を0100にスタート。福岡目指して、徹夜で山陽自動車道をひた走ります。途中
      入った事のないSAをウロついたり仮眠をとったりしつつ、ひたすら西へ西へと突き進み、0830に関門海峡大
      橋
を通過。おお、海の向こうは北九州か・・・と感慨にふける間もなく、あっという間に渡り終えてしまいました。
      地図で見る以上に狭いんですね、関門海峡。なんか川みたいな気分でした(笑)。
       その後は九州自動車道の古賀SAにて朝食を摂り、1008に須惠SICから一般道へ。ここまでの走行距離は
      612㎞
、いやあ走ったなあ。カーナビの誘導に従いながら進んで行くと、おお!旧志免(しめ)鉱業所竪坑櫓
      (たてこうやぐら)
が見えてきました!あの建物、本当にあったんだ・・・。写真でしか見た事がなかったので、
      運転中なのに一瞬呆然としてしまいました。

       この旧志免鉱業所竪坑櫓、かなりインパクトが強烈な外見なので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
      地下に広がる炭鉱から採掘された石炭を運び出すための建物で、明治から昭和にかけて日本の近代化を
      支え続けた、重要文化財の一つであります。6階部分までは複雑なフレーム構造になっていて、8階から上
      は地底から石炭を引き上げる為の、巨大なモーターを納めるスペースになっていたとの事。
       そして1013、隣接する志免町総合福祉施設シーメイトの駐車場に到着。施設内では竪坑櫓の貴重な内部
      映像
も見せてもらえるそうですが、まずは現物を見て回る事に。

       駐車場の向こうには、ぬぼっ突っ立っている竪坑櫓。うーん、なんというか、いつか見てみたいとずっと思い
      描いていたのですが、いざ目の当たりにするとまるで現実感がありません。何度も写真で見たあの変な建物
      
が、いま目の前にあるというのが実に不思議な感覚。
       機能美の極致とでも言うべき特殊な造形に、つい見入ってしまいますが、地元の人達にとってはごく日常の
      風景
でしかないらしく、周囲でサッカーをする子供達も犬の散歩の人達も、誰一人としてこの異形の建築物
      に注意を払っていない模様
。まあ当たり前か。
       この竪坑櫓、全長は僅か47mにもかかわらず、存在感が強烈な所為か100mぐらいある様に感じます
      ちなみにこの建物の地下には、その10倍近い430mもの深さまで掘削されているそうですが、まさに地中
      の潜水艦から突き出ているスノーケル
みたいなもんですね。


       現在は撤去されていますが、かつて建物上部には1000馬力を誇る強力なモーターが設置され、巻揚機
      とケーブルを使って人員を竪坑内に降ろしたり、採掘した石炭を運びあげたりしていたそうです。井戸にある
      滑車付きの屋根みたいな役割
ですね。
       竪坑櫓に近づいてみると、表面のコンクリがあちこち剥がれ落ち、内部の錆びた鉄筋がむき出しになって
      います。以前はもっと建物に近寄る事が出来たそうですが、残念ながら現在はフェンスで遮られています。よ
      く見ると建物の周りには崩落したコンクリ片が散らばっていて、近づくのはかなり危険。

       この竪坑櫓を作ったのは、明治期の旧海軍第四燃料廠。当時は軍艦や工業用の燃料として、太平洋戦争
      後は主に蒸気機関車の燃料として石炭の採掘を担い、昭和39年まで運営されていたとの事。ある意味、こ
      れも立派な戦争遺跡だと言えるでしょう。
       ここ志免の地下深くには、第一から第八までの8つの坑道が掘られ、そのうち第八坑の入口が竪坑櫓の
      すぐ横に保存してありました。こちらは地中に向かって斜めに掘り込まれ、地下坑内への換気ベルトコン
      ベアーによる土砂や石炭の運び出し
に使われた模様。竪坑櫓がエレベーターなら、こちらはエスカレーター
      
みたいなものでしょうか。

       フェンス内に展示してある黒い岩は、実際に採掘された石炭かな?初めて見たなあ、石炭の塊って。
       それにしても、竪坑櫓の支柱部分は酷く傷んでボロボロです。これ、地震とか大丈夫なのかなあ。とは言え
      ここまで劣化が進行すると、いまさら耐震補強工事の行い様がなさそう。確かに炭鉱の歴史を伝える貴重な
      建築物ですが、耐震補強工事なら他にもっと必要な施設がありそうですし、残念ながらこの竪坑櫓まで回せ
      る予算は無いのでしょう。
       長い年月とともにゆっくりと風化して、やがてに帰るのが、この建物に相応しい最後の様な気がします。
      とは言え、仮に地震で一瞬にして崩壊したとしても、それはそれで避け様がないこの建物の美しい最後かも。

       その後はシーメイトの事務所に向かい、パンフレットを貰ってビデオ上映を見せて頂く事に。係の人の案内
      で、図書閲覧室内にあるテレビモニターの前に座ります。すぐにDVDが再生されますが、えーと、ヘッドホン
      か何かないのかな?
周囲には静かに本を読んでいる人が何人もいて、すごく気まずいんですが・・・。
       内容はNHK教育テレビの朝の番組っぽく、ポップでエレガントなBGMが変な感じ。建物内部を詳細に説
      明した内容は非常に興味深いのですが、何度も何度もダビングを繰り返した昔の裏ビデオみたいな画質の
      悪さ
が、いろんな意味で生々しいなあ。
       画質の悪い動画で、パブロフの犬的にむらむらしてしまう世代には辛いところです。ネットで鮮明な無料エ
      ロ動画
をいくらでも拾える今時の恵まれキッズ達には、決して理解できないノスタルジーだと言えますね。
       そんな余計な感想を抱きつつ、28分のDVDを見終わります。職員の方にお礼を言って、シーメイトを退出。
      建物の前には、なだらかなボタ山が広がっています。これは自然の山ではなく、炭鉱から掘り出した土砂を
      積み上げて出来た人工の山
。なんというか、自分の足元にあの山と同じ体積の(実際はもっとあります)
      があると想像すると、ちょっとゾクッとするスケール。

       まさに『地球のはらわた』を見せられた気分ですが、地球にとってこの程度なら、鼻毛の先程にもならない
      んだろうなあ。
       と言う訳で、1120に志免を出発。ふたたび九州自動車道に入り、この後は旦過(たんが)市場のある小倉
      へと車を走らせます。
       旦過市場には1時間ほどで到着。市場の周囲には沢山のパーキングがありますが、あえて少し離れた場
      所にあるパーキングに車を預けます。こうして知らない街をぶらぶら歩くのも、また一興でしょう。
       昭和通り交差点まで来ると、ああそうそう、こんな所だった・・・と記憶が鮮明になって来ました。ここにはか
      れこれ6~7年前、築城基地航空祭の帰りに立ち寄った事がありますが、あの時の市場は真っ暗で人気が
      なく
、シンと静まり返った異様な雰囲気に、一発でハートを鷲掴みにされたのでした。

       しかし久々に訪れた旦過市場は結構な人混みで、活気にあふれています。あれ?前回来た時と、随分違
      うなあ・・・。そうか、あの日は日曜日で、休市日だったんですね。期待していたのとまるで違う光景に、面食
      らってしまいました。どこを向いて撮影しようとしても、あらゆる場所に人がいるので、なかなかカメラを構える
      事が出来ません。
       鶏肉屋が独立した形でいくつもあるのは、養鶏産業が盛んな九州という土地柄ですね。どの店も自家製の
      唐揚げ
を店頭に並べていて、実に美味しそう。あ、ぬか炊きのお店もありますよ。サバやイワシといった青魚
      を、ぬか漬けのヌカで炊いたこの地方独自のお惣菜
ですが、これ好きなんですよねぇ。今夜の車中泊は、こ
      れと鶏の唐揚げで飲むとしますか。
       魚屋の店先には、ピカピカに光るキスが並んでいます。あー、美味しそうだけど、流石に鮮魚は買えないな
      あ。今度から包丁とまな板も持って来るか・・・。


       市場の南端まで来たところで、小さな橋の上から旦過市場の背中側を撮影。実はこの市場、川の上にせり
      出した非常に珍しい構造
になっています。もともとは川沿いにあった船着き場で自然発生した市場が、規模を
      拡大して行くうちに現在の形になったのですが、お陰で急な増水に弱く、何年か前の大雨では市場全体が冠
      水の憂き目にもあったとか。

       ちゃんとした手続きを経て作られた市場とは言い難いので、厳密に言えばやはり違法建築となるのでしょう
      けど、これはこの形で残しておきたい気がしますね。建物全体が非常に絵になるというか、他に類を見ない
      独特の雰囲気があります。

       枝道を含めて市場内をぐるぐると練り歩き、大鍋いっぱいのおでんが看板になっている、市場内のうどん屋
      さん
で昼食。しっかりと味が染みているのに、あっさりとうす甘いおでんが美味しいなあ。具材の半分近くが
      り物なのに、出汁にしつこさやくどさが全然ないのが素晴らしい。

       その後はパーキングに戻りますが、あえて裏道を通ってみましょう。心躍る様な場末チックな雰囲気が漂い
      ますが、それでもどこかしら明るく開放的でのんびりしているのは、北九州という土地柄なのかなあ。夜にな
      れば、また違うのかもしれませんが。
       1350、旦過市場を出発。この後は北九州港の若松地区に移動して、今は防波堤となっている旧海軍の駆
      逐艦柳
を見に行きます。複雑な都市高速を乗り継ぎ、広大な埋め立て地を繋ぐ海底トンネルを潜り抜け、ず
      んずん車を走らせます。
       そして1420、若松地区の外れに到着。おお、街中に居た時は気がつきませんでしたが、海沿いに出ると風
      がキツイなあ
。海面には細かい風波が立ち、時折舞い上がる波しぶきがふりかかる厳しいコンディション。

       そのですが、湾内に少し突き出たところ、岸壁に埋まり込む形で残っていました。上甲板は引き剥がされ、
      艦橋構造物も全て取り払われ、艦内も周囲もコンクリートで固められています。
辛うじて残っている船体外側
      は赤錆に覆われ、もはや朽ち果てる寸前。用廃処分になった駆逐艦を、こうして埋め立てて防波堤にしてし
      まった
訳ですが、こんな形で現存している艦艇って、他にあるんでしょうか。
       なんというか・・・凄い光景です。太平洋戦争を生き延びた駆逐艦が、今こうして残っていて、私の手に触れ
      ているんですね。雲が低く垂れこめた空、強く吹き付ける風と波しぶきが、これまで柳に襲い掛かってきた時
      代の荒波
を思わせる様。

       ちなみにこのすぐ近くには、同じく埠頭に埋め込まれた駆逐艦涼月冬月がある筈ですが、それらしい痕
      跡は見当たりません。どちらも戦艦大和の沖縄特攻に随伴し、大破しながらも奇跡的に生還した艦です。特
      に涼月に至っては、通信設備ジャイロコンパスは壊れ海図も消失し、前進すら不可能というボロボロの状
      態でありながら、なんと機関後進のみで本土まで生還し、ドックに入渠した直後に浸水で着座。最後の最後
      まで生存者を生きて帰す為に必死に後進し続けた
という、壮絶な逸話をもつ艦です。人気のない埋め立て地
      の外れで風波をうけつつ、なんとも厳粛な気分に。


       全長90mに満たない、小さな小さな駆逐艦柳。甲板のキャンバーはかなりきつめで、中央部が盛り上がる
      様になっています。この小さな船体で、幾度も幾度も修羅場を潜り抜けて来たんですね。
       艦首部は赤錆にまみれて朽ち果て、船内には岩石と砂利を詰め込まれ、コンクリートで固められた駆逐艦
      柳。そして、その柳の亡骸の上に立っている私。なんて言えばいいんだろう、この気分は。


       ふと見ると、柳の艦尾の方に一人の釣り人がいて、見も知らない私に挨拶を寄こしてくれました。私も返礼。
      
晴れた風のない日なら、ここも長閑な釣り場になっているのかなあ。戦闘艦としてそんな最後は、決して悪く
      ない
気もします。

       ただひたすら無機質な亡骸でしかない、駆逐艦柳のなれの果てですが、ふと見るとえぐれ込んだ柳の内部
      に、小さな雑草が芽吹いているのを発見。こんな所にも生命が宿っているのが不思議だなあ。いずれ周囲と
      同様に、この柳もコンクリを割った雑草に埋もれてしまうのでしょうか柳の亡骸が、ゆっくりと最後の眠りに
      ついていく、長い長い一瞬
。手を合わせるのは、そうなってからでいい様な気がしました。

       よく見ると、真っ直ぐに伸びた岸壁の一部が微妙な曲線を描いています。もしかしたら、これが柳同様に防
      波堤となった涼月の舷側なのでしょうか。その先は立ち入り禁止のフェンスが張られてありますが、不自然
      な斜めのラインを描きながらコンクリを割って雑草が伸びています
。あれはもしかしたら、冬月が埋まってい
      る跡
なのかなあ・・・。

       岸壁の片隅に停まった車の中では、カップルがイチャついていました。うーん、もうちょっと別の所でイチャ
      ついて欲しい気がしましたが、さまざまな外的脅威に晒されつつも、こうして真昼間からイチャつく事が出来
      る平和の有難み
を噛みしめます(何故俺が!?)。よろしい、君達はそこで思う存分イチャつき給え!その代
      わり、時々でいいから、この涼月冬月の事を思い出して貰いたいものです。
       その後は若松地区を出発し、少し離れた高塔山公園内にある、柳と涼月、冬月の戦没者慰霊碑へ。高塔
      山公園は思ったよりも広く、複雑な高低差のある変な道に迷い込んでしまいましたが、たまたま犬の散歩に
      来ていたお爺さんに教えてもらい、どうにか慰霊碑のある忠霊塔広場に到着です。

       人気のない静かな広場には、真っ白い塔石造りの五重塔みたいなものがありました。そして奥の方に、
      戦没者慰霊碑を発見。柳から取り外したと思われる赤錆まみれの双繋柱(ボラード)と、マストを模したと思
      われるが、いかにも海の戦没者慰霊碑らしいですね。

       慰霊碑の前には百合の花束と、あと日本酒が供えられてありました。しまった、私も何か持って来るべ
      きだったか・・・。幾らなんでも、飲みかけのペットボトルの水ではあんまりだよなあ。と言う訳で、せめて慰霊
      碑を取り囲んだ低い塀の上に積もった埃と、あと落ち葉を掃います。

       1600、高塔山公園を出発。うん、来てよかったな。さてこの後は、銭湯にて今日一日の疲れを癒します。日
      曜夕方の交通渋滞に絡め取られながらも、少し離れたところにある黒崎駅前に到着。コインパーキングに車
      を預け、夕方の街並みを地図を片手にぶらぶら歩いて黒田湯に向かいます。
       通りから少し入り込んだ静かな住宅地の中に、本日のお目当てである黒田湯を発見。いい感じに古びた理
      想的な佇まい
ですが、地味な看板がなければ普通に民家だと思ってしまいますね。

       内部は建物の外観同様に、いささか古びてはいましたが、浴室は明るく清潔で実にいい感じ。チューブに
      入った洗顔フォーム
を絞りだそうとした時に、中に入っていた空気が「ブブッ」と大きな音を立ててしまい、
      頭を洗う動きが一瞬で止まった先客との間に非常に気まずい空気が漂ってしまいましたが、まあ気にするな
      俺(泣)

       かなり熱い黒田湯のお湯。徹夜で高速道路を600㎞ひた走り、あちこち歩いて回った今日一日の疲労が、
      チリチリと音を立てて焼却されている様
。私的にはあまり熱過ぎるお湯は好みではありませんが、これはこれ
      で一気に疲労が抜けていい塩梅だなあ。
       呉の神原湯や福知山の櫻湯の様な強烈な個性はありませんが、いかにも地域社会に愛されている古びた
      銭湯の味わい
は十分に感じられ、満足感が高かった黒田湯でした。
       静かな夕暮れの街を、湯ざましがてらホテホテと歩いてパーキングに戻り、出発。朝走った九州自動車道
      を東に戻り、1842に本日の錨泊地であるめかりPAに到着です。ここまでの走行距離、756㎞。
       本来なら暗くなる前に、車内の暗幕寝床の準備を済ませたいところですが、ここめかりPAは高台から
      門海峡を見下ろす絶好の位置にあり、下関側に落ちてゆく夕陽を眺める事の出来る素晴らしい場所でもあ
      ります。

       目の前には、関門海峡越しに本州が見えています。左手の方には、本日行われた門司みなと祭りにて一
      般公開を行った練習艦せとゆきの姿が。岸壁に人影は無く、今頃上陸組は街に繰り出して羽を伸ばしてい
      るんでしょうか。
       徐々に夜の闇に包まれていく関門海峡を眺めながら飲む湯あがりビールは、もう感動的な美味しさ。久々
      の車中泊の夜を満喫しつつ、22時には寝袋に潜り込みます。さて、明日は山口県に移動して、午前中は
      芳洞にて鍾乳洞めぐり、午後からは周南市の山中に潜む宇宙の駅を見に行く予定。それにしても、宇宙の
      駅って何なんだろう。そう、私はまだこの時までは知らなかったのです。この15時間後に、まさかあんな衝撃
      の体験
が待っているとは・・・。
       静かな静かなめかりPAの夜は、ゆっくりと更けて行きました。




二日目(秋芳洞宇宙の駅)に続く
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