呉・江田島ツアー2013 (一日目)

2013.11.30



        さて、2013イベントシーズンも今回でとうとう最終戦。週末の2日間を利用して、呉と江田島周辺を歩き
       回って参りました。
初日は江田島北西部の戦争遺跡めぐり海軍兵学校、二日目は入船山記念館と呉
       方総監部第一庁舎
を見学する予定です。
        前夜は90分の仮眠をとった後、0230自宅を出発。神戸JCTから山陽道に入り、深夜の高速道路を西に
       向けてひた走ります。
        2013ファイナルの高揚感のお陰か、眠気も疲労も感じることなく0650呉市内に到着。まずは定番のアレ
       イからすこじま
に向かいますが、停泊している潜水艦は2隻・・・いや3隻と、今日はいつもより少ないなあ。
       土曜日なので、これからもう何隻か入港して来るのでしょうか。


        はるしお型練習潜水艦の後方には、ASR403潜水艦救難艦ちはや。左手にいるのはAOS5202音響
       測定艦はりま
。右手の桟橋にはあぶくま型はつゆき型が2隻ずつ、奥の方にも何隻かいる様ですが、ち
       ょっとよく見えませんね。
        そうこうしている間にも空は明るくなり始め、雲の縁が朝焼けでオレンジ色に染まります。初冬の潜水艦
       桟橋の朝の風景
ですね。


        その後は桟橋前のコンビニで朝食を購入し、出発。倉橋島の西側を走り、早瀬大橋を渡って江田島
       入ります。空はすっかり明るく晴れあがり、いい感じで戦争遺跡の撮影が進みそう。
        少し時間に余裕がありそうだったので、途中で穏やかな江田内の海を撮影。この目の前に沢山の小島
       が浮かんでいるのが、瀬戸内海らしくていいなあ。


        という訳で、0810岸根鼻砲台跡の取りつきになる漁港に到着。左手の山肌にカフェバーの看板が出てい
       る坂道が伸びていて、ここが入口となります。
        落ち葉が降り積もった急な坂道を、慎重に上って行きます。ベコベコになったガードレールを鬱蒼とした
       樹木が覆っていて、2年前の亀ヶ首を思い出すなあ。


        ずんずんずんずん上って行くと、不意に開けた場所に出ます。道路が上下に分かれていますが、上へ行
       くと鶴原山砲台跡、下へ行くと岸根鼻砲台跡です。今日は両方見て回る予定ですが、まずは足慣らしがて
       ら、比較的足場の良い岸根鼻の方へ向かってみましょう。


        夜間は通行止めになっているらしい坂道を降りて行くと、がんねムーンビーチに到着。ここがベースキャ
       ンプ
になります。枯れた雑草が生い繁る広場の奥には、看板が出ていたカフェバーと思われる白い建物
       が見えますが、どうやら相当以前に潰れてしまっている模様ですね。
        閑散とした広場にはシュロソテツがつっ立っていて、寒々しい南国ムードが満点。放置された仮設トイ
       レと簡易更衣室が、ここがかつては海水浴場であった事を伺わせます。はやる気持ちを抑えながら朝食
       を済ませ、さて、岸根鼻砲台跡に向けて出発です。


        カフェバーと山の間にある、細い坂道を上って行きます。舗装されていたはずの道路も今は荒れ放題で、
       落ち葉の堆積物に埋もれて林道みたいになっています。ずんずん高度を上げて行くと右手には穏やかな
       瀬戸内海が広がり、あちこちに浮かんだ牡蠣の養殖筏が実にのどかな風景。


        最初は道路脇に生えているだけだった雑草がどんどんボリュームを増し、ガードレールが見えなくなって
       いきます。殆ど藪と化した山道に覆いかぶさる木々を押しのけつつ進んでいくと、毒々しい色合いの蜘蛛
       が立派な巣を張り巡らせて行く手を阻みますが、零式防衛術ちょっとスンマヘンの構えで華麗に撤去。
        うーん、これはなかなか・・・と唸りつつさらに進んで行くと、繁みの中に石垣の一部を発見。おお、ここで
       すね岸根鼻砲台跡!


        日露戦争がいよいよ避けられなくなった明治30年代ロシア艦隊の瀬戸内海侵入を阻止すべく、ここ岸
       根鼻に作られた砲台ですが、幸い終戦まで一度も使用される事なくその後は廃棄され、一度は公園として
       再開発
されたものの、江田島市への合併に伴って維持予算が打ち切られ、今は荒れるに任せて放置され
       た状態
になっているのが、ここ岸根鼻砲台跡です。
        石垣の上には金属製の手すりがあり、公園化の名残がかいま見えますが、全体が木々に飲み込まれて
       いるので、パッと見ではよく分かりませんね。
        石垣の右側を回り込んでいく坂道を発見。雑草をかきわけつつ進んでいくと、石垣の真上にあたる左手
       に、直径10m程の円形の広場がありました。内壁は赤レンガ製で、これは砲台が取り付けられていた
       床
でしょう。床面は腐葉土で埋まっていて、ボルト止めの痕跡等は見られません。


        目の前にはキラキラ光る瀬戸内海が広がっていますが、ここからやがて侵入してくるであろうロシア艦隊
       を迎え撃つつもりだったんですねえ。それが今はこうして山に飲み込まれ、朽ち果てるに任せている様子を
       見ると、なんというか、人間のやる事なんて所詮はたかが知れているんだろうなあ・・・等と分かった様な事
       を考えてしまいます。
        坂道を上って行くと、右手の山に向かう階段を発見。手すりの支柱やチェーンはまだしっかりしています
       が、ここもそう遠くないうちに埋もれてしまうんだろうなあ。


        かろうじて弾薬庫、と書いてあるのが読めるだけの看板の奥には、扇状のアーチを乗せた赤レンガの地
       下壕
がありました。山肌をくりぬいた形になっていて、雑草に埋もれた前庭を展望広場として活用していた
       のか、ぼろぼろになったベンチが二つ残っています。


        よく見るとこの弾薬庫の赤レンガ、ところどころ新しいレンガで補修されています。一度はうち捨てられた
       砲台が公園化で修復されましたが、現在は再び山に埋もれ朽ち果て、忘れ去られようとしています。この
       砲台が三度何らかの目的で使用される事は、もうないんだろうなあ・・・。
        弾薬庫の内部はところどころ漆喰が剥げ落ち、床の立ち上がりにはカビが生えています。壁面に2つ開
       いている丸い穴は、換気孔と上部施設への伝声管でしょうか。


        弾薬庫外側の階段を上がって行くと、左手に小さな穴ぐらを発見。奥行きもありませんし、砲側庫にして
       は随分小さい様な・・・。待避壕か何かかな?


        階段の先の山頂部には円形の壕があり、中央には円柱状の台が。おそらくここは、水平線はるか彼方
       を監視していた観測所でしょう。


        観測所の左手には、松の木々に埋もれかけているぼろぼろの東屋が。目の前は瀬戸内海の大パノラマ
       が広がっているので、休憩にはもってこいの場所ですね。それにしても、この高さまで結構かんたんに登っ
       て来る事ができるんだなあ。


        観測所のある山頂部をぐるっと回り、先程の階段の脇に戻ります。石垣のある広場(といっても雑草で埋
       まった繁みですが)の奥の方へ行くと、暗い崖下へ降りて行く手すりを発見。既に道とは呼べないレベル
       まで荒れ果てていますが、かつては下り道だった模様ですね。この先にも何かあるのかな?むらむらと興
       味が湧いてきた
ので、行ける所まで行ってみましょう。


        手すりが無ければとても降りようとは思わない暗い山肌を、よちよち歩きで降りて行きます。しばらくする
       と急に木々が開けて明るくなり、崖下の海に出ました。流されて打ち上げられた発泡スチロール製のトロ
       箱の破片が吹きだまり、小さな砂浜には大量の漂着物が。この場所は完全に山の蔭になるので、空気の
       冷たさと相まって寒々しい
なあ。特に遺跡らしいものはなにも見られず、再び手すりを頼りに先程降りてき
       た山肌を上って行きます。


        石垣の際まで近づくと、掘り込まれた地面の下に地下室状の壕を発見。雑草や木々、落ち葉に埋もれて
       いますがどうにか足場になりそうな階段があったので、下りてみます。


        入り口と左右の窓には後付けの扉があり、中を覗いてみるとドーム状の天井にはスポットライトが取り付
       けられ、パネル展示のためのフレームがサビサビになって残っています。ははあ、これが壕を利用した
       根砲台記念館
か。


        公園として整備された当初は、砲台の歴史等を展示していた模様ですが、今はもうぼろぼろに荒れ果て
       て、かろうじて一枚だけ残っているパネルも所々が読める程度。なんというか、どう見ても遺跡の中に入り
       込んだ人間に呪いをかける為の呪文にしか見えません。
うーん、これは怖い・・・。


        また天井部のスポットライトがなんだか無影灯っぽいのも、怪人を製造していた悪の組織の地下手術室
       みたいで怪しい雰囲気だなあ。


        降りて来たのと反対側の階段を上がると、そこから上へ向かう階段を発見。登ってみると、最初に見つけ
       た砲床部に出ました。100年以上前までは、ここで砲兵さん達がロシア艦隊の入港を阻止すべく、日々訓
       練を重ねていたんですね。今からもう100年後、この場所は一体どうなっているんでしょうか。


        以上で岸根鼻砲台跡の探索は終了。いやー、比較的足場はよかったとは言え、昨年の三高山砲台跡と
       は比べ物にならない位荒れ果てていて、かなり雰囲気ありましたね。春先や夏にはもっと緑があふれた違
       う一面を見せてくれそうな場所ですが、マムシなどの危険があるので、見学は冬限定になってしまうの
       が残念。
        その後は山道を下ってベースキャンプへ。さて、続いては鶴原山砲台跡の方へ向かいます。今度はかな
       りハードな藪こぎ
になるらしいので、万が一の為に食料医薬品ヘッドライトを準備して出発です。
        鶴原山への分岐点から続く坂道を上って行くと、道路の一部が駐車場になった広い場所に出ました。そ
       の一角に、背後の山へと続いて行く山道を発見。ははあ、この先が鶴原山砲台跡ですね。


        最初の20m程は舗装路の左右に落ち葉が固まっている程度でしたが、すぐに路面全体が腐葉土で埋
       まり、繁り放題の雑草や樹木に覆われて岸根鼻以上の悪路になってしまいました。道端のガードレールも
       無く白いポストだけが残った状態で、野薔薇みたいなトゲトゲの蔓鉄条網の如く絡まってきてもう大変。
        更に阪神ファンみたいな色をした蜘蛛も出て来て、巨大な巣を展開して行く手に立ちふさがりますが、拾
       った木の枝を振り回しつつ前進。阪神ファ・・・いや蜘蛛君には誠に申し訳ないが、私が帰った後にまた
       術的な巣
を展開してくれ給え。


        ちなみに今回は足に脚絆を巻いて来たのですが、これが予想以上の効果を発揮して、酷い藪の中を突
       き進んでも靴の中に落ち葉や小石が入らないので非常に快適。また、薄い脚絆一枚でも意外なほどの保
       温力
があり、足首回りが暖かいのも有難いなあ。これは遺跡探索では手放せない装備品になりそうです。


        あと、持ってくればよかったなと思ったのが、目を保護するゴーグル。四方八方から伸びている木の枝を
       押しのけつつ前進する際、手放した木の枝が跳ねて、何度も顔の前をかすめます。サングラスでは暗すぎ
       る場所も多いので、簡単なゴーグルはあった方がいいなあ。眼鏡があればそれでも良さそうですが、木の
       枝に跳ね飛ばされて失わないよう、落下防止のストラップはあった方がいいでしょう。
        山肌を上がって行く道はところどころでつづら折りになっていて、その曲折点からは真っ青な瀬戸内海
       望む事が出来ます。いやあ、ちょっとした登山ですねこれは。


        すがりつくお宮の様な棘の蔓を寛一の様に振り払い、立ち塞がる蜘蛛の巣を金○日の様に無慈悲に撤
       去し、生い茂る灌木をスポーツ冒険家北尾光司の如く踏み越え乗り越え、道なき道を突き進みます。
        かれこれ20分近く歩き続けると、次第に山頂近くに差しかかってきました。そろそろ見えてもいい頃です
       が・・・あ、あった、これですね鶴原山砲台跡!


        地面を掘り込んだ地下室状の弾薬庫が、左手の藪の中に埋もれています。左右には内部に降りて行く
       階段があるはずですが、完全に腐葉土に埋まっていて、弾薬庫内部にまでなだれ込んでいます。
        流石にちょっと怯みますが、思い切って内部に入ってみましょう。幅4m、奥行き6m程の地下弾薬庫は
       赤レンガ製で、天井部は漆喰で塗り固められています。入口にも赤レンガ製の壁があったはずですが、
       堆積してのしかかってきた腐葉土の圧力に負け、崩落して内部に押し潰されてしまった様ですね。


        弾薬庫の外には、上部の砲台に通じていると思しき階段がありますが、今は立木が生い繁り砲台の痕
       跡は見られません。地面が不自然にフラットなのが、かろうじて砲台があった名残といえば名残ですが、
       ここは整備される事も無くもう完全に自然に帰っています


        二つ目の弾薬庫は天井まで土に埋まっていて内部は確認できませんでしたが、その奥の方に4つ連なっ
       た弾薬庫は、ひとつ目と同じく中に入る事は可能。合計6つの弾薬庫が並んでいたんですね。


        各弾薬庫の前の通路ももう通路と呼べる状態ではなく、灌木の下にしゃがみ込んでカニ歩きしないとまと
       もに進めません。むしろ、匍匐前進した方がよっぽど早いと思われます。
        いやここ、ほんと凄いですね。まさに山の中に埋もれつつある遺跡そのもの。これまで亀ヶ首、三高山、
       岸根鼻と数は少ないながらも戦争遺跡を見てきたのでまだ中には入れますが、初めてがここだとちょっと
       近づけそうにない怪しいオーラが漂ってるし・・・。


        お、かろうじて砲台の痕跡を残している砲床を発見。殆ど小石や落ち葉で埋もれていますが、遠目に見
       るとかすかに円形の溝が確認でき、周囲をレンガや石で固めてあるのも見えます。しかしここに砲台があ
       ったのか。もう殆ど面影はありません。
        ほんの100年前までは、広島湾に入ってくるかもしれないロシア艦隊の影に怯えながら、何十人もの砲
       兵さん達がここで日々訓練に励んでいたのです。今はしんとして何も聞こえませんが、目をつぶっていると
       彼らの号令足音息遣い怒鳴り声泣きごと笑い声エロ話が、パイプオルガンの様な木々の間か
       ら響いてくる様です。


        次の弾薬庫へ次の弾薬庫へと、灌木の生い茂る中を骨法の三角の構えをとりながらしゃがみ歩きで進
       んで行きますが、6つ目の弾薬庫の向こうはもう立ち入れない繁みになっています。うーん、流石に前進は
       ここで打ち止めか。
        と思ったら、右手の方に人が通ったあとのようなケモノ道を発見。しかし、この先まで行っていいものでし
       ょうか。進んだとして、この方向感覚を全部奪われそうな山の中、元来た道に戻ってくる事が出来るのかな
       あ。
こんな季節にこんな所で遭難でもしたら、洒落になりません。


        少し躊躇しましたが、ええい、ちょっとだけ行ってみよう。自分の踏み跡を見失わない様に慎重に進んで
       行くと、おお!すぐ右手に同じ様な地下壕が連なっているのを発見です。山肌をくりぬいた形状ですが、山
       影の暗さと寒さ、木々の生い繁り具合に、ちょっと尋常ではない鳥肌が立ってしまいました・・・。


        先程の弾薬庫よりもふた回り位大きなサイズですが、周囲に砲台を置けるスペースが見当たらないので、
       兵舎か倉庫だったのかな?。壁面からは染み込んだ雨水が漏れ出していて、暗い山の中にポタポタと落
       ちる水音だけが響いています。
この水滴の落下音がふいに止まったりしたら、かなりぞっとしそうな気がし
       ます。
        背筋に走る冷たいざわめき不思議な歓喜が入り混じるこの感覚、何とも奇妙な気分だなあ。


        一番端にある6つ目の壕内にて、妙なものを発見。これ・・・乗用車?かなり小さいミニカーみたいな車で
       すが、昔は鮮やかなスカイブルーだったボディも、今はすっかり色あせて酷い錆に覆われています。


        しかしこの朽ちかけた戦争遺跡に放置自動車とは。酷い違和感になりそうな気がしますが、ここまで徹底
       的にボロボロだと、これはこれで似合ってる
気がしますね。戦闘機の機銃掃射を浴びて爆発炎上した装甲
       車
みたい。


        それにしても、過去にはここまで車で来る事が出来たんですね。今は人が通るのもやっとの酷い藪道な
       んですが。
        そしてリアのトランク部には、スプレーで書かれた“エロ号”の文字が。うーん、エロ号って・・・。潔い事こ
       の上なく、一切の反論を許さない毅然とした名称
に、胸を打たれた思いです。命名者の魂の純粋さという
       か、ヒネリの無さが偲ばれるなあ。


        ちなみに6つ連なった壕内は奥の通路で連結されていて、こうして見ると砂漠の中のイスラム寺院にいる
       様な気分です。


        最後にもう一度目をつぶり、周囲の雰囲気に皮膚感覚をさらします。この場所はきっと、この後もずーっ
       とこのままで、ゆっくりと山の中に飲み込まれて行くんだろうなあ。
        さて、以上で鶴原山砲台跡の探索は終了。いやはや、筆舌に尽くしがたいというか、強烈な物件でした。
       ロクな下調べもしないままやってきたので、もしかしたら他に見落としたものがあったかもしれませんが、そ
       れはまた次回来た時のお楽しみにしておきましょう。


        往路はかなり難渋した上り道ですが、復路はスムーズに降りる事が出来ました。とは言え、あちこちで棘
       の蔓が足元に絡みついてくるので、ズボンを貫通した棘で足のあちこちがヒリヒリします
        山道を一気に降り切って、ベースキャンプであるがんねムーンビーチに到着。先程まで鬱蒼とした木々に
       覆われた暗い山の中の死体の様な砲台跡
を見ていただけに、眩しい空の青さと生命感にあふれた海との
       ギャップが凄いですね。
        さっきまでいた世界と今いる世界が同じ気がしない
というか、ほんの数十分歩いただけなのにまるで空気
       が違う事に、自分の感覚が追いつけない
というか。


        その後は荷物をまとめてがんねムーンビーチを出発。江田島海軍兵学校を目指しつつ、私の趣味の一
       つでもある地元のスーパー巡りを満喫しますが、なんとなく入ったお店で呉名物鶏皮味噌なる缶詰を発見。
       あ、これちょっと美味しそう。今夜の夕食に購入です。
        1200、江田島海軍兵学校(現海上自衛隊幹部候補生学校)がある、第一術科学校に到着。警衛所にて
       手続きを済ませ、見学者バッジを貰います。冷たく澄みきった冬の青空が素晴らしいなあ。


        午後からの見学は1300〜なので、先に昼食をすませましょう。厚生センター内にある、レストラン江田島
       でカツカレーを注文。広島ラーメンやあなご丼、スタミナ定食(焼肉・鶏唐揚げ・海老フライ)も美味しそうです
       が、やっぱりここに来ると金曜じゃなくてもカレーを注文してしまいますね
        出てきたカツカレーはトンカツの厚さが1p近くあり、かなりの食べごたえ。大艦巨砲主義というか、装甲
       板が今とは比べ物にならない位ぶ厚かった昔の戦艦を彷彿とさせるカツカレー
でありました。今時の護衛
       艦はぺらぺらですからねえ(笑)。


        その後は売店でみかん餅(好きなんです)を購入し、2階の歴史ゾーンを眺めて回ったあと、集合場所であ
       る厚生センター1階の中央ホールへ。既に60人近い人達が集まっています。見学者の急増は今は何処の
       自衛隊イベントでも同じですが、今年の江田島は若い女性の姿が多いのが目につきます。
        
今回はたまたまだったのかもしれませんが、私が初めて江田島に来た時の見学者は14〜5人の爺さん
       ばかり
で、当時30代だった私は滅茶苦茶浮きまくっていたんですが。ほんと、時代が変わりましたねえ。


        本日の案内係を務める元潜水艦乗りの海自OBの方も、日々変化の中にいる実感があるのか、
        「いやあ、今日はまた綺麗な女性が随分いらっしゃいますなあ!若い男ばかりの学生達には目の毒です
       が(笑)、今日は休みで殆ど出払っておりますので、ご安心ください(笑)」

        と、さっそく場を和ませています。
        という訳で、海軍兵学校の見学開始。まずは厚生センターを出てすぐの所にある大講堂へ向かいます。
       背後には幹部候補生達が登山走を行う事で知られる古鷹山がそびえていますが、案内係の方が仰るには、
       昔は遅い学生がいたら、教官達が竹刀でお尻を優しく“さわってあげた”との事(笑)。今はもちろんそんな
       時代ではありませんが。


        卒業式入学式各種式典等で使用される大講堂。天井には和紙が貼られ、非常に反響がいいお陰で
       講堂内には放送設備は無い
そうです。ただそれも、腹の底から大きな声を張り上げる訓練を積んでいるか
       らこそ、ですね。
        ちなみに登山走で古鷹山に登った学生は、頂上から大きな声で号令をかけ、学校の敷地にいる教官に
       聞こえなければ下山させてもらえないというしきたりがあるとか。知力体力精神力のみならず、でかい声
       で要求されるとは。幹部候補生の人達も大変だなあ。
        また、講堂の正面には国旗自衛艦旗が掲げられていますが、右側に位置する国旗の方が上位にあた
       るため、自衛官が二人以上で整列する時は必ず上位階級(同階級なら先任順)にあたる方が右側に立つ
       そうです。
        「ご夫婦で見学に来られている方、せめてここだけは、旦那さんを右側に立たせてあげて下さいね!敷地
       から一歩外に出たら、あとはそんなのもうどうでもいいですから(笑)」

        と、案内係の人。


        続いては、隣にある幹部候補生学校。昔は全国から選りすぐられた秀才達が一人前の海軍士官になる
       ために、そして今は高い競争率を潜り抜けた若者達が将来の海上防衛の担い手となるべく、日夜修行僧
       の如き厳しい日々
を送っている学び舎であります。
        この頃には少し雲が出て来て肌寒く、独特の赤レンガもくすんだ色合いになってしまっています。


        その後は女性幹部候補生に人気のモックン廊下(笑)を見て、教育参考館へ。いつ見ても神殿の様な荘
       厳な
建築物です。館内には旧海軍に関する様々な展示物があり、つい見入ってしまいますね。
        見学時間はあっという間に過ぎ、最後は教育参考館の前に集合。


        「今日この教育参考館の展示をご覧になったみなさん、ごく短い見学時間ではありましたが、少しでも結
       構ですからこの国の為に戦って亡くなって行った人達の事を、そして今も平和のために汗を流している隊
       員達について、考えるきっかけにして頂けたら・・・と思います」

        と、案内係の人。年々自衛隊イベントに足を運ぶ人の数が増え、この江田島にもこれまで来なかった様
       な若い人達
がやってくるようになった今こそ、案内係の人達の責任はますます重くなって行くんですね。
       日は有難うございました。パチパチパチパチ。


        以上で江田島海軍兵学校の見学は終了。警衛所でバッジを返却し、出発です。徐々に冷え込んできた江
       田島を後にして、1時間程で呉のアレイからすこじま駐車場に到着。この後は串山公園から潜水艦桟橋
       撮影し、昨年大感動した神原湯で今日一日の疲れを癒します。
        串山公園中腹にある撮影スポットに到着。うーん、潜水艦は少し離れた場所にぽつぽつと3隻だけ。少し
       さびしい風景ですが、他の潜水艦は今も海中深くに潜んで警戒任務についているのでしょう。大変な環境で
       日夜御苦労さまです、と、海に向かって一礼。


        昭和埠頭を見下ろすフェンス際へ移動。16時を過ぎてもう暗くなり始めていますが、LST4003輸送艦
       しもきた
、DE229護衛艦あぶくま、ATS4203訓練支援艦てんりゅう、ARC483敷設艦むろと、DD105
       護衛艦いかづちの姿が一望できました。いかにも呉らしい、豊富なラインナップだなあ。


        歴史の見える丘から坂道を上がり、路地に入った所にある神原湯に到着。この一見さんを寄せつけない
       強烈なオーラ
が相変わらずだなあ。昨年初めてこの銭湯を目にした時は、流石に扉をあけるのを躊躇して
       しまいました
が、今年は鼻歌交じりでドアを開けます。
        神原湯の素晴らしさについては、昨年のレポートの中で語りつくしたので今回は触れませんが、あの湿っ
       た木材と冷たいガラス、古びたペンキの香り・・・。堪らないものがありますね。
お湯加減も素晴らしく、今日
       1日の車移動や山歩きの疲労が、お湯の中にじわじわと溶けだしていく感覚です。


        最後に番台にいた妙齢の女性にお話を伺いましたが、昔は海軍工廠で働いていた人達がよく来ていた
       との事。艦艇乗組の人達はあまり来なかったそうですが、どうも海軍の施設内に立派なお風呂があり、上
       陸した人達はまっさきにそちらの方へ向かっていた
様です。
        体が十分に温まり疲労も抜け、大満足で神原湯を出ます。ああ、また次も絶対来よう。
        徐々に暗くなっていく呉の街並みを眺めつつ、宮原から昭和埠頭に向かう坂道を降りて行くと、向うの方
       からクロスバイクを押して歩いている若い人を発見。見た所パンクでもないし、大した坂道でもないのに押
       して歩くのか・・・
と思ったのですが、よく考えたらあの人は潜水艦乗りの人で、当直を終えて下宿に帰る途
       中だったのかな?
        航行中の潜水艦内では殆ど体を動かせないので、ひと航海終えて上陸すると自分でも驚く位足の筋力が
       弱る
と聞いた事があります。う−ん、若いのにだらしないなあ・・・とか思って済みませんでした。
        真っ暗になった昭和埠頭前に到着。高台から三脚無しの手持ちで果敢に撮影に臨みますが、流石にち
       ょっと無理がありますね(笑)
。1枚ぐらいブレずに撮れていればいいのですが。


        その後はとっぷりと日の暮れた串山公園の中を、まっくら森の歌を歌いつつ歩いて駐車場に到着。いや
       あ、流石に日が暮れると冷え込みも厳しいなあ。まあ、凍える夜の車中泊というのも、なかなか味わい深い
       
ものです。
        1800にアレイからすこじま駐車場を出発し、1時間と少しで道の駅たけはらに到着。途中で購入した呉名
       物鶏皮味噌の缶詰
と、広島風お好み焼きで夕食です。鶏皮味噌は期待通りの美味しさで、ほんの少しピリ
       辛が効いたドテ焼きっぽい甘辛味噌味がビールにピッタリ
。これはいいものを見つけたなあ。
        その後は寝転がって飲むバーボンでじんわりと酔いつつ、シュラフにくるまります。明日は入船山記念館
       
呉地方総監部第一庁舎の見学。あ、途中にある養殖場でお土産の牡蠣も買わないと・・・と思いつつ、ぬ
       くぬくの冬山用シュラフで眠りに落ちました。




呉・江田島ツアー2013(二日目)に続く
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