呉・江田島ツアー2013 (二日目)

2013.12.01



        さて、今年最後のイベントとなりました、呉江田島遠征の二日目です。昨夜は寝袋にくるまってぐっすりと
       眠れましたが、朝の冷え込みに驚かされます。冬でも温暖な瀬戸内海とは言え、外気温はわずか3℃。ま
       あしっかり準備した車中泊ならどうという事はありませんが、この朝の冷え込みにも今年のイベントシーズ
       ンの終了
を感じられ、感慨深いものがあります。
        道の駅の洗面所で仕度を済ませ、車のエンジンが温まった所で、0730出発。再び呉市内に戻りますが、
       途中あちこちの畑で焚火が行われていて、車内に煙くさいにおいが入ります。晴れてはいるものの、キン
       と冷え切った外の空気もあり、いよいよ冬の始まりですねえ。
        しばらく走って、0900少し前に呉に到着。本日見学予定の呉地方総監部第一庁舎の見学は1030からな
       ので、その前に入船山記念館に向かいます。


        入船山記念館とは、旧呉鎮守府司令長官官舎を中心に、軍港とともに発展して来た呉の様々な歴史の
       一端に触れる事が出来る施設であります。私自身古い建物が好きという事もあり、以前から一度訪れてみ
       たいなあ・・・と思っていたのでした。
        有料駐車場に車を乗り入れ、道を挟んで真向かいにある門をくぐって敷地に入ります。どうやら美術館と
       併設
になっているらしく、人気の無い冬の朝の日本庭園が実にいい感じ。


        敷地の一角には古びた離れがあり、これは日本海海戦で連合艦隊司令長官を務めた東郷平八郎提督
       
が、呉在任当時の居宅の敷地内にあった離れを移築したものです。火災警報装置や消火器がちょっと興
       冷めではありますが、これは消防法に則ったものなのでしかたありませんね。それでもこうして見るとなか
       なか趣の感じられる佇まいであります。


        人気の無い静かな石畳を歩いて行くと、右手に大きな時計台が見えてきました。これは旧呉海軍工廠造
       機部の屋上にあった時計台
を移築したもので、今なお現役で正確な時間を刻んでいます。
        その斜め向かいには、真っ白い六角錘の番兵塔があり、これも長官官舎や海兵団の入口に建っていた
       ものの一つを持ってきたとの事。綺麗に手入れはされているものの、木材と石材、そして白ペンキの傷み
       方に歴史の風雪を感じます。


        券売所で250円払って入場しますが、この赤レンガ造りの券売所もよく見るとかなりいい雰囲気ですね。
       後から新しく作ったものとは思えませんが、元は何かの建物だったのかな?
        中にいた女性に聞いてみると、どうやら総監部のレンガの一部を貰い受けて作った建物との事。もちろ
       ん庇のテントや窓ガラスのアルミサッシは後から作られたものですが、やはり使うレンガが違うと新しいも
       のを建てても全然味わいが違うもんなんだなあ。


        すぐ右手には、小さな石造りの建物が。一号館と看板が出ていますが、これは警固屋の高烏砲台跡に
       あった火薬庫を移築して来たもの
だとか。室内には当時の様子を偲ぶ絵画が展示してあり、微妙に薄暗
       い照明や梁むき出しの天井がいい感じ。何故か旧海軍が使用していた機銃弾や砲弾の展示も行われて
       いますが、これは果たしてどういう取り合わせなのやら。


        眩しい朝の陽射しに霞む敷地内には、石畳の穏やかな坂道、赤レンガ、明るい灰色のペンキが剥げか
       けた艦砲の砲身。冬の始まりに相応しい控えめな色彩に彩られています。


        そんな中、いかにも広島らしい鮮やかに紅葉した楓の葉が、ひときわ引き立っているのが印象的。こう
       いうのもやっぱり、庭師さんが建物太陽光線の塩梅を計算しながら植えて行ったのでしょうか。見てい
       るだけで穏やかな気分になりますね。


        そして正面に見えてきたのが、旧呉鎮守府司令長官官舎。戦前までは歴代長官がここを官舎としてきま
       したが、昭和20年以降は占領軍の司令官宿舎として使用され、30年からは呉市が引き取り、史跡として
       維持整備
して公開されているそうです。


        海軍や占領軍の超VIPを長年受け入れてきたこの建物ですが、不思議とそういった重々しいオーラを感
       じない
のは、パッと見がムーミンの家に何となく似ている所為でしょうか(笑)。全裸なのに帽子を被ってい
       る変態みたいなムーミンパパ
が玄関先でロッキングチェアに揺られつつパイプをふかしたり、全裸なのに
       エプロンだけしているいやそれ俺の趣味じゃないなムーミンママ
が洗濯物を干したりしていそうなんですよ
       ねえ。
        そしてこの、微妙にゆらゆらする古びた窓ガラスや、異人館の様なウロコ状のスレート瓦もいい感じ。不
       思議な可愛らしさがあります。


        ちなみにこの司令長官官舎、横から見ると非常に面白い構造になっています。正面は小ぢんまりとした
       洋風建築
ですが、裏手に回ると純和風の日本家屋。和洋折衷というより和洋接着とでもいえばいいのか
       なあ。かなり無理矢理というか、まるで握り寿司とハンバーガーが同じお皿の上にある様な、狂った機内
       食の如き趣
です。


        国内にどっと入ってきた西洋文化を、必死に独自解釈し取り込もうとしていた明治時代の人達が作り上
       げた、その段階での建築的回答・・・と解釈すればいいのでしょうか。
        もっともここは、司令長官が住まうだけでなく、様々な政府要人高位にある軍人が訪れたでしょうから、
       そういった人達に対する西洋生活様式の教育の場というか、ダイビングトレーナー的な意味もあったのか
       もしれません。


        とは言え、この西洋家屋に日本家屋をそのまま連結するという強引さ・・・というか貪欲さには、なかなか
       感心させられます。別々に建てるよりこっちの方が断然面白いというかお得ですしね。エロDVDを買った
       らホモDVDもついてきた・・・
といったところでしょうか。いや、全然違うな・・・。
        さっそく邸内を見学してみましょう。日本家屋の一角が見学者用入り口になっていますが、ここはどうやら
       炊事場の勝手口だった模様。


        順路表示に従って歩いてくと、まるで京都の高級日本旅館の如き趣のある畳敷きの廊下に出ました。お
       お、雰囲気あるなあ。明治時代よりも更に古いと言うか、長すぎるズボンを引きずって歩くアホな子供みた
       いなお侍さま
が、厳めしい表情でしゅさしゅさ歩いてきそう。


        なのに角を曲がると、いきなり洋風建築様式の廊下になっていて、ちょっと面食らいます。漆喰の白壁、
       腰板、重そうな木製扉。善通寺駐屯地で見学した乃木館に似ていますが、こっちの方が垢抜けた雰囲気
       なのは、やはり当時の陸軍と海軍のカラーの違いなのかなあ。


        廊下の先は洋館部の中央に位置するホールになっています。左手にはトイレ(表記では『便所』)や書生
       部屋がありますが、とてもトイレや書生部屋とは思えない重厚な扉です。
        その奥の部屋は、司令長官の書斎を兼ねた応接所。簡単な応接セットや机、椅子、サイドボード等があ
       りますが、どれも実に時代を感じさせる佇まい。


        臙脂色の分厚いカーテン越しに室内に入ってくる陽射しも、何とも不思議な柔らかさを感じます。この部
       屋をごちゃごちゃと埃っぽく散らかしまくると、シャーロック・ホームズの下宿みたいになりそう。


        続いては客室。先程の応接所よりもぐっと重量感のあるソファが置かれ、壁紙や絨毯、照明類も重厚な
       雰囲気を醸し出しています。窓からの逆光をバックにした壁面の照明が、実に柔らかで暖かな明るさなの
       も、溜息が洩れますね。
        相当なお金をかけて作り上げたであろう建物なのに、まるで嫌味や不自然さが無いのが凄いなあ。


        隣接した食堂も豪奢な造りで、一度に12人が着席出来る長テーブルがあります。しかしこの空間にいる
       と、ノースフェイスのマウンテンジャケット姿の私が猛烈に浮いています(笑)。入口で燕尾服とか蝶ネクタイ
       とか貸してくれたらよかったのに(笑)。


        そしてテーブルの上には、1930年に戦艦出雲にて行われた艦上午餐会のメニューを復元した食品サン
       プルが。
        前菜のソモン(サーモン?)と西洋野菜のテリーヌから始まり、アスペラガース・スープ、ボイルドフィッシュ、
       シチュードチッキン、ローストビーフ
。食後はレモンアイスクリームタピオカプリン黒豆添え、あとコーヒー
       
で締めた模様です。当時はこれが、庶民にはとても手の届かない最先端の西洋食文化の極みとも呼べる
       フルコースだったんでしょう。
        室内全体はいかにも古い洋館の中といった雰囲気に満ちていて、嵐の日に殺人事件が起こりそうな雰
       囲気がプンプン
です。


        そして食堂から一歩出ると、いきなり純和風日本家屋の縁側に出たので再び面食らいます。訪れた賓客
       を驚かせてやろうという設計者の悪戯心・・・
ではなく、当時はこれが精一杯の回答だったんだろうなあ。現
       代人の私にとっては、まるでどこでもドアを通った気分です。


        縁側に面していくつかの和室がありますが、立派な床の間違い棚のある折角の和室なのに、でかい
       三脚に乗った警備のカメラ
がちょっと残念。とは言え、天井部のカメラでは建物を傷つける事になりそうで
       すね。


        トイレ(表記では『便所』)もなかなか興味深いなあ。この頃って、こんな木でできた小便器だったんですね。
       何も知らないと、花でも活けてしまいそう。


        最後は再び外に出て、官舎の周囲をぐるりと一周。陽当たりのいい所に洋館が、日陰になっている所に
       日本家屋
があり、洋館は窓が小さく日光を遮る作りになっているのに比べ、日本家屋の方は一面のガラス
       と障子を通して、穏やかな反射光を室内いっぱいに取り込もうとしている様です。
        この辺りは自然を克服して石壁を築く西洋文化と、自然に溶け込んで調和しようとする日本文化の対比
       ・・・というのは考え過ぎかなあ。


        ふと時計を見ると、既に10時を大きく回っています。つい色々とつぶさに見てしまったので、もう間もなく
       総監部第一庁舎の見学時間です。いそいで入船山記念館を出発。海軍施設の見学らしく五分前に見学
       通路入口に到着。定刻通りの1030、15〜6人の見学者とともに、呉地方総監部の敷地内に入ります。
        おお、正面に見えているアレが第一庁舎ですね。昨日見た江田島海軍兵学校と同じ赤レンガ造りです
       が、こちらの方が複雑な感じ。兵学校同様に周囲には電柱電線が無く、なんだか旅先の絵ハガキみた
       い。


        ところどころにある街燈も、程良く古臭いお洒落でモダンな雰囲気ですが、周囲に植えられているのが
       和風の松である所は、やはり西洋の方法論をもって大和魂を涵養した海軍ならでは。
        見学手続きを終えた所で、案内係の若い海曹について見学開始。
        この総監部第一庁舎、明治22年に呉鎮守府として開庁以来、芸与地震米軍機による空襲での半壊
       や火災を経験し、改築や復元を繰り返しての今の姿です。呉が市としての体制を発足させたのが明治35
       年ですから、文字通りこれまで呉の歴史をずっと見つめてきた建物なんですね。


        正面玄関から庁舎内中央のホールへ。ここは展示目的の建物ではなく、今も呉地方総監部の実務が行
       われているれっきとしたお役所
なので、これ以上先は立ち入れません。内部はいかにも石造りの建物らし
       くひんやりしていて、夏は涼しく快適かも


        その後は庁舎の外を回って建物裏手の広場に。敷地内には他にいくつもの赤レンガの建物があり、やっ
       ぱり雰囲気ありますね。中には普通の鉄筋コンクリートの建物もありますが、赤レンガと同じ色に塗装され
       ていて、ちゃんと全体の空気を壊さないようにしてあります。


        庁舎裏手の広場からは、江田島が浮かぶ海が見渡せます。この庁舎がある広場は小高い丘の上になっ
       ていて、海に向かって幅広の階段が続いていますが、この階段は明治天皇がかつてここ呉鎮守府を訪れ
       る事になった際、急遽造られた専用階段
だそうです。
        しかし船で桟橋に到着した明治帝は、「階段めんどくさーい!やだー!(こんな言い方では無かったと思い
       ます)
とばかりにそこから馬車に乗ってぐりっと回り込んで庁舎正面玄関に来てしまい、折角作ったこの階
       段は不発に終わった
との事。
        明治帝が登られるとの事で、一世一代の大仕事とばかりに気合いを入れていた職人さん達はもとより、
       緊張した面持ちで迎えていた当時の長官参謀たちも、さぞかしずっこけた事でしょう。


        しかしこの第一庁舎、正面よりも後ろから見た方がカッコイイ気がしますね。両端の張り出し部分に重量
       感があり、もしかしたら江田島の第一術科学校同様に、道路ではなく海に面したこちらが正面になるので
       しょうか?


        その後は再び正面玄関前に戻り、以上で見学終了。え?もうこれで終わり?わずか15分ほど、庁舎の
       周囲をぐるっと回っただけとは正直拍子抜けですが、そもそも今現在も実際に機能している庁舎ですから、
       当然見せてはいけない所も多いんだろうなあ。
        むしろ、案内している隊員さんも「こんな所を見に来て何が面白いんだろう・・・」と思っているかも。
        ちなみに庁舎正面にある大きな松の木ですが、実はこれ、錨の形に剪定してあるとの事。ははあなるほ
       ど、そう言われてみればそう見えますね。変な所で芸が細かいと言うかお茶目というか。


        その後は呉中心部にある中通りに出て、昼食に広島風つけ麺を頂きました。お好み焼き&鉄板焼きが
       メインのお店なので、この寒い時期に冷たいつけ麺を食べる私はかなり浮いていましたが(笑)、以前から
       一度本場で食べてみたいと思っていた(自分ではよく作ってます)ので、大満足でありました。


        午後からはまたしても私の趣味の一つである地元スーパー巡りで走り回り、1500呉を出発。帰宅の途に
       つきました。
        それにしても、二日目はあまり海上自衛隊は関係なかったなあ。桟橋では艦艇の一般公開が行われて
       いたのですが、もう何度も見た訓練支援艦てんりゅうだったのでパスしてしまいました。うーん、やっぱり見
       にいけばよかったかも。遺跡巡りだの神原湯だのスーパー巡りだのにうつつを抜かし、今一つマニアらし
       くない遠征
となってしまいましたが、心配していた雨も降らず、満足のいく二日間でした。


        という訳で、今年の私の活動は以上で終了です。イベント数を少し整理するつもりでしたが、ご覧頂いて
       いる皆さんのご協力のお陰もあり、なんだかんだで色々と見て回る事が出来ましたね。未だに大胆な記載
       ミス
勘違いを頻発している当S.A.Sではありますが、来年も温かい目でご覧いただければ幸いです。
        オフシーズンは、戦闘糧食試食レポート用語辞典の更新を随時行う予定です。ってか、こっちの方は
       今年もあまりはかどらなかったなあ・・・。用語集で取り上げようと思っていた項目が情勢の変化に追い抜
       かれて陳腐化してしまったり、2年も3年も前に試食して書いたレポートがまだ眠ったままだったりと、なか
       なか更新が追いつかないのが辛い所です。
        来年以降の活動についてはまだ未確定ですが、第13・第14旅団への遠征を視野に入れつつ、久々に
       横須賀にも足を延ばしてみたいですね。イベント参加方法についてはいろいろと個人的に疑問に思う事も
       多くなってきたので、また何らかの変化があるかもしれませんが。
        という訳で、2013年も残すところあと僅かとなりました。年内は、あと2〜3回ぐらいは更新できるかな?
       ご覧頂いている皆様、そして今も陸に海に空に、見えない所で日々汗を流している隊員さん達のご健康と
       ご多幸、そして無事故
を祈りつつ、今年の締めにしたいと思います。




呉・江田島ツアー2013(一日目)に戻る
トップページに戻る
イベントレポート目次に戻る