■「ヨコハマトリエンナーレ2011」に参加して   平成23年11月16日

「ヨコハマトリエンナーレ2011」に参加して インデックス
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■プロローグ【ヨコトリ2011を回顧させた感動の余韻】
■女神の巧妙で精緻な仕掛け【第1回横浜トリエンナーレ学校への導き】
■天の邪鬼を目覚めさせた第1回横浜トリエンナーレ学校
■天の邪鬼の心意気
■国難が「ヨコトリ2011」に与えた遠謀深慮な試練
■ハツシバ教の使徒ペテロに仕掛けられた遠謀深慮な試練
■ヨコトリの原点
■「ヨコトリ2011」の成功に想う
■エピローグ
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■プロローグ【ヨコトリ2011を回顧させた感動の余韻】
 「ヨコハマトリエンナーレ2011」に参画したサポータ活動の感慨が、最終日にアサインされた使命を果たす中でひとしおのものとなりました。本日(11月16日)は、閉幕後10日間を超えようとしていますが、8日に本展の締めくくりとなった「カールスティン・ニコライの『autoR』撤去作業」に参加し、1週間を超えてなお残る手首の筋肉痛に、感動の思い出を一層深く刻むようにと思し召す「余韻に浸らす時間」が暗示されていたように思います。閉幕されてから10日間、感動の余韻に浸る日々の中で思ったことを書き記すことで、感謝の気持ちを伝えることが出来たらと思った次第です。

 思えば、現代アートに全く無知な私(迷える羊)を本トリエンナーレで想定もしなかったサポータ活動にのめり込ませていったのは、多くの人を遣わし現代アートの奥義(魅力)を説き続けた「見えざる主(ヌシ):ヨコトリの女神」の思し召しだったに違いありません。迷える羊を洗脳し導いた「女神」の仕掛けは、誠に巧妙で精緻で実に見事と言うしかありません。


■女神の巧妙で精緻な仕掛け【第1回横浜トリエンナーレ学校への導き】
 昨年11月24日に私は意識もしていなかった第1回目の横浜トリエンナーレ学校に登校していました。無意識な私にその行動の第一歩を踏み出さざるを得ないように導いたのは、知人(ボランティア仲間)の口を借りた「女神」の熱い囁きでした。「あなたは横浜の住人の癖にトリエンナーレを知らないとは何事ですか?」、「恥ずかしくはないですか?」が第一声だったと思います。そのあと私を憐れむように現代アートの魅力や、それを支援してきている横浜住民の誇りを滔々と諭してくれたのです。「迷える羊」を目覚めさせ輝く世界に導いていこうとする熱い思いがひしひしと伝わってきましたが、私にとっては「有難くも余計なお世話」にしか思えませんでした。

 しかしながら、その気は全くなかったのに「・・・知らないとは何事か?」「・・・恥ずかしくはないか?」と詰め寄られ、私の恥部(芸術文化のセンスの無さ)がえぐられた時に、血が上り反応してしまったのです。誘いに乗ってはいけないと思いつつ、冷静さを欠くいつもの癖で「行って確かめてやろうじゃないの!」と、登校へのトリガーを引いてしまったのです。性格を見抜き、絶妙なタイミングで仕掛けてくる「女神」の業(技)は見事としか言いようがありません。そしてその業は、第1回目の講義の中で冴えわたったのです。


■天の邪鬼を目覚めさせた第1回横浜トリエンナーレ学校
 逢坂ディレクターが語るトリエンナーレの世界にどんどん引き摺りこまれていきました。歴史的背景や意義、今回の取り組みの方針や決意、そして我々サポータに寄せる熱い期待等々、久しぶりに私の脳髄を刺激してやみませんでした。続く天野サポータ事務局長が、改めて説くサポータの役割と期待にも脳髄は激しく反応していました。

 何故お二人のお話しに、最近はめったに反応しなくなった脳髄が刺激を受けたのか、それはお二方から、素晴らしい解説はもとよりそれを超えた心奥に届く真剣な思い(絶対に成功させたい、横浜を真の創造都市にしていくという強い信念)や、切迫した危機感がずしんと感じとれたからなのかもしれません。

 さらにまた、「日本でこのような大規模の展覧会を10年以上続けることが大変難しい」と説かれた中に、意義ある展覧会でさえ国の財政状況の影響を免れず、ときには閉鎖に追い込まれるという含みが感じられ、今般の開催がまさに正念場に立たされていることが示されていたからでもあります。もっと言えば、元より無関心だった私ですが、「失われた20年」に一向に効果的な手を打てずにいる輩に常々鬱々とした思いが募っていましたので、そのお陰でこのような意義のある展覧会が翻弄されることに、惰眠をむさぼっていた天の邪鬼の我慢の限度が振り切れてしまったからでもあります。

 それにしても、お二人には雑言を寄せ付けない凛としたオーラが立ち込み、必ずやり遂げるといった強い意志が感じられました。 惰眠をむさぼっていた天の邪鬼を目覚めさせた「女神」の業に唸るしかありません。本展覧会のサポート活動にのめりこませる序章の幕が開いた瞬間でした。


■天の邪鬼の心意気
 火がついた天の邪鬼の心意気は、トリエンナーレ学校に出席し、貪欲に現代アートに関する知識とサポータとしての役割を習得することに向けられました。今まで自堕落に生きてきた私の行動を知っている人から見れば、正に驚天動地の驚きだったに違いありません。「一体何が起こったのですか?」との質問を友人はもとより、飲み屋のおやじさんや床屋のマスターなどから浴びせられた ことが思い出されます。

 3月9日の第6回「成果を発表しよう」では、各チームの取り組み状況の中間発表がなされ、同じボランティア仲間の前向きで真摯な活動にいたく感動しました。それに引き換え自分はどこのチームで活動したらいいのか迷い、決めかねていましたので忸怩たる思いに駆られていましたが、その後の展開を思うと、それがこれから起こる聖なる活動のためにエネルギーを蓄えさせようとする「女神」の配慮だったのかもしれません。

 その日主催者のお話しによれば、大変厳しい日程ではあったがアーティストとの交渉が順調に進められていることが窺われました。そして、「3月11日に記者発表を予定しているので、本日は詳細な内容については語れないのだが・・・」と、ことわりつつもその片鱗を語られる中に、開催に向けた自信とそれを裏付ける苦労の跡が垣間見えました。だから講義終了時にサポータ達は、主催者への敬意と本番に向けた自らの決意を大きな拍手で示し確認したのだと思います。

 まさか2日後に日本が未曾有の大災害に見舞われ大混乱に陥ってしまうとは・・・。
 「ヨコトリ2011」がこのような事態に遭遇し、大きな試練に晒されることが人智を超えた世界で定められていた宿命だったのならば、「女神」が「ヨコトリ2011」に人智を尽くしこの試練に耐え抜くことをお試しになっていたのかもしれません。


■国難が「ヨコトリ2011」に与えた遠謀深慮な試練
 日本が大混乱に陥った3月11日以降、私は国の、とりわけ東北地方の復興・復活のことばかりが気にかかり、横浜トリエンナーレへの関心は薄れていきました。そしてそれが、間断なく続く大震災の余震に更なる拍車をかけられていたさ中の3月26日に、山野真悟NPO法人黄金町エリアマネジメントセンタ事務局長の講演:「コンテンポラリー・アートの現場」をあざみ野の横浜市民ギャラリーで拝聴しました。

 現代アートが特定地域と共生しながら街づくりに寄与していること、寄与していこうとするお話しに感動を覚えましたが、何と言っても今回の被災にアーティストとしてどのように関わっていくべきかとのお話しに、真に心を動かされるものを感じました。このことで薄れていった横浜トリエンナーレへの関心が蘇り始めたのですが、被災地で日増しに増大する悲惨な状況や悲痛な叫びに、ヨコトリへの関心は、むしろその実施が根底から問い直されるかもしれないとの虞に転嫁していったように思います。このような心理が交錯する中、第7回横浜トリエンナーレ学校の案内が届きました。

 第7回の学校(「ヨコトリ2011」見どころ講演:アーティスト編@)では案の定この大震災から多大なインパクトを受け、大変厳しい環境下にあることが伝えられましたが、各国の参加アーティストから激励の言葉が寄せられていることと、何と言ってもこういう時だからこそ遣り抜く、といった主催者の強い意志が窺われた時に、お試になる「女神」に人智を尽くして用意した「試練に耐え抜く高邁な精神」を垣間見た気がしました。未曾有の国難に遭遇したことで、人間社会に寄り添える芸術の真の精神を問い、もがき苦しんでいた彼方にトリエンナーレの将来が示唆されていたとすれば、「女神」の「ヨコトリ2011」に与え給うた試練は、正に遠某深慮だったのではないかと思います。


■ハツシバ教の使徒ペテロに仕掛けられた遠謀深慮な試練
 そのような中、私を試す遠謀深慮な試練は5月27日に仕掛けられていました。その日私は、ジュン・グエン=ハツシバ作品制作サポータの説明会に誘い出され、天野さんからハツシバ・ワールドの洗脳を受けていました。元々作品製作サポータ活動は縁遠いものと思っておりましたので、このような説明会には出席する積りはありませんでしたのに、意志に反する勘違いや手違いが起こり「黄金町のスタジオ」に出かける羽目になってしまったのです。そしてスタジオを辞去する際に私は、ハツシバ教の信者になっていたのです。どのような魔法が掛けられたのか、あまりにも巧妙な手口に舌を巻く思いがしました。(このいきさつについては、別に「ジュン・グエン=ハツシバの出品作品製作サポートに参加して」にて書き留めましたので、ご一読頂ければご理解いただけると思います)。

 まさか、ベトナムの作家の作品製作に参加しようとは。そしてまた横浜市内を、GPSを担いで夏の盛りに走り回らなければならないなどとは思いもしないことでしたが、1外国人がこれほどまでに我が国の被災者を思い、救いの手を差し伸べようとする熱い気持ちを持っていることに心打たれ、ヨコトリに傾注していくべき意義を強く感じました。1アーティストとして「何をしてさし上げられるのか」との心からほとばしる言葉とその熱い行動は私の心を揺さぶり続けました。GPSを担いでサクラの花びらを創造していく聖なる走りは、自称ハツシバ教の使徒ペテロには厳しい試練でしたが、5つのコースを走りきったことで私にとっては感動を極めた貴い活動になりました。そしてそのことこそがヨコトリに傾注し、ヨコトリを理解する行動の全てになりました。私を現代アートに出合させ、その力や魅力を分からしめようとした不思議な導きは巧妙に仕組まれ、試された試練はまさに遠謀深慮だったのです。


■ヨコトリの原点
 「ヨコハマトリエンナーレ2011」の基本コンセプトは「Our Magic Hour」でした。学校に通う中で何回か解説を頂きましたが、芸術に無知な迷える羊には高尚過ぎたコンセプトでした。しかし、ハツシバ教に巡り合え、その作品制作の思考(哲学)や行動に啓蒙され、共感の意志表示を聖なる走りに移し始めたときから、理解が深まっていきました。そしてその過程が、多くの方達から頂いた「人の気持ちを高揚させるおだてや励まし」、「その気にはさせないではおかない指導や解説」に支えられていたからこそ、迷える羊が光明の道を歩き通せたのだと思います。その道が私の「Our Magic Hour」を模索する道であったことに違いなく、「女神」の思し召した道だったのだと思います。

 天野さんのハツシバ・ワールドの解説には、人をその気にさせないではおかない魔力が潜んでおりました。堀江さんと嶋岡さんの天の邪鬼をその気にさせ、5つのコースを走りきらせたナビゲーションには、珠玉のおだての言葉やスマイルが巧妙に仕組まれていました。山本さん、児玉さん、大塚さん、山野さん達の案内や指導には、天の邪鬼が忌避したがる本来の意志を思い違いさせてでも、ヨコトリに向かわせないではおかない牽曳力がありました。優しい言葉や笑顔の裏に剛腕、辣腕が垣間見え、迷える羊を導いていく力は見事というしかなく、そこにヨコトリの原点を見た気がします。


■「ヨコトリ2011」の成功に想う
 私は、6月2日に横浜開港祭で広報宣伝活動をしました。終日小雨が降る日でお立ち寄りいただくお客様もいなく、心まで寒くなりかけた時に、「ヨコトリの女神」が降臨されたことを思いだします。子供たちをブースに誘い入れ、缶バッジを作らせながら「ヨコトリ」を洗脳し、明日のトリエンナーレを背負うアーティストを育成しようとする風景に接したとき、この展覧会はきっと成功するだろうと予感しました。

 開催期間中、私は横浜美術館とNYK、さらにYCCで会場運営サポータをしました。付け焼刃の知識でしたが、それをフル活用し来館された多くのお客様と現代アートについて素晴らしい交流をしました。声をおかけするには気がひける思いもしましたが、一声かける勇気が「女神」に背を押されたことで弾け、その結果来館者からも多くのこと学ぶことが出来、現代アートへの理解を深めることが出来ました。更にそのことで、作家がなぜこのような作品を描いたのか、描かざるを得なかったのかといった作家の心象風景を想像する面白さが少しばかり分かってきた気がしました。

 このような交流や、被災したことを踏まえ、芸術がそれに寄り添うことのできる意味を交換できる多くのお客様に出会えた時、この展覧会は間違いなく成功すると確信しました。

 最終日に私はNYKで会場運営サポートをしました。多くのお客様で各ブースの混雑が続く中、本展覧会の閉幕を告げるチャイムが鳴りました。立ち去り難い顔をお見せするお客様に出口で精一杯の感謝の気持ちを伝えました。そして「三年後にまたお会いましょう!」と投げかけたとき、「素晴らしい展覧会をありがとう! 三年後に必ず来ますよ!」と返されました。正にこの展覧会が大成功を収めた瞬間だったと思います。 この瞬間に立ち会えた満足感とその喜びを、言葉ではとても表現できません。「女神」はこの瞬間まで、この展覧会で授け与えるべき喜びを濃縮していたのかもしれません。


■エピローグ
 この展覧会に参加できたことを心の底から良かったと思えた時に、本展覧会の幕が下り、その最後の最後に「女神」が「取って置きの喜び」を用意していてくれたのです。多くの人を遣わし現代アートの奥義(魅力)を説き、その世界に誘いこみ、かつて経験したことのない感動と満足感を与えてくれた「ヨコトリ2011」に心から感謝の気持ちを捧げない訳には参りません。心からお礼を申し上げる次第です。

 これからは、この恩に報いていくために、「女神」に思し召され、逃れられなくなってしまった現代アートへ傾注し、三年後に開催される「ヨコトリ」にも必ず参加することをお誓い申し上げ、さらに、ハツシバ教の信者として未曾有の被災を被った方達に「ヨコトリ2011」が人智を尽くして創造した支援の福音が届けられ、三年後のヨコトリでは復活を果たした笑顔で喜びを分かち合えることを願い、本感想文を締めくくります。

                                              以上


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