■ 「横トリ2011」ジュン・グエン=ハツシバ出品作品製作サポートに参加して 平成23年6月26日 |
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昨年11月24日に「ヨコトリ」の第一回事前研修以来、数次にわたる研修に参加し、本展覧会のボランティア活動に大きく共鳴していたところでしたが、まさかこの作品製作サポートにのめり込み、嬉々として「ハツシバ教」の使徒ペテロを演じようなどとは思いもしませんでした。思えば、5月27日に呼び出されたジュン・グエン=ハツシバ作品制作サポータ説明会で、近年になく心が大きく揺さぶられたことが、まさかの行動を誘引したのだと思います。 当日の事務局からの開催案内を振り返れば、「今回のアーティストサポートでは、事前に作家の意図をより理解した上で活動に参加して頂くため、説明会参加もしくは説明会USTREAM視聴が必須となりました」。とあります。定年後、カミさんに恭順させられることを洗脳され始めた「おじさん」にとって、数多く飛んでくるメールの中から「〜をしなければならない」調、ここでは下線部分の「〜必須となりました」に敏感に反応してしまったのは自然な成り行きでした。 自分は「ヨコトリ宣伝チーム」に属しているのだから、「アーティストサポートチーム」からのご案内に対してはもう少し慎重に対応しても良かったはずなのに・・・・・。気がつけば、「黄金町のスタジオ」に足が向いていたという訳です。 しかしこの思い違いこそが「ハツシバ教」の使徒を演じさせる伏線になっていたのではないかと思うと、そこに見えざる神の意図を感じてしまいます。思い違いが、本サポートにのめり込む序章の幕を、静かに切って下した瞬間でした。 天野学芸員から本活動に関する作家の思いや、本展覧会に対する思い、そしてサポータに対する期待についての解説がなされました。彼の語る熱い思いに引き込まれなかったものはいなかったのではないか。こぢんまりとした説明会でしたが、参加者全員の心を打ったのは明らかでした。それは「黄金町スタジオ」が、湧き立つ熱い質疑とエール交換の場に昇華されていったことが何よりの証でした。 そして彼が、「限られた期間の中でやり抜くには皆さん方で仕切って頂きたい」との話で解説を締め括った時に、参加者の顔に「我々がやり抜かねば」との強い思いが窺えました。私は本日説明を聞きに来ただけだったはずなのに、熱くなり過ぎている・・・。何とも不思議な感覚を覚えました。見えざる意図の誘導は誠に精緻で巧妙だったと云わざるを得ません。ここに第二の幕は彼の精緻な誘導に導かれ切って下されました。 私の最初の挑戦は、6月3日(金) 10時から藤が丘Aコース(6.7km)を走ることでした。10時にスタッフの堀江さんと駅で待ち合わせました。所定の道をあやまたず、被災者に少しでも思いを馳せ、自分の気持ちを伝えることが出来るような回り方が出来るかどうか、不安な気持ちが先行したことを思い出します。 しかし、駅近くのコンビニで買いこんできた日焼け止めクリームを塗りたくり、10時きっかりにスタートし街中を疾駆し始めたとき、不安が杞憂であったことに気付きました。それは、誠に的確なナビゲ―ションで迷いなく歩を刻ませる堀江さんのサポートに作家の分身を見たような気がしたからにほかなりません。 近間に住んでいる私でさえ気付かなかった、入り組んだ街のたたずまいと、想像を超えたアップダウンする起伏の激しさに、今更ながら感慨を新たにしました。 60歳を過ぎた身体にこれでもかとイタブリ・攻めてくるアンノウンな坂道や農道にほとほと閉口しましたが、すれ違った幼児園児達や買い物帰りの主婦達、さらには道路工事現場の係員の方々など多くの人が微笑んでくれた激励の笑顔は、激走・苦走していた私には大きな支えとなりました。 ところが、走りながら今世界の片隅で起こっていること、とりわけ東北地方で起こった災害の真っただ中にいる人達のことに思いを馳せたとき、私の歩みは確かに苦しいものでしたが、「何ほどのことやあらん」との思いが巡りました。彼らはもっと急峻な道なき道を、血ヘドを吐きながら歩いているに違いなく、私にとって支えとなった幼児園児達や、買い物帰りの主婦達の激励の笑顔に相当するもっと大きな支えが、今彼らに必要だということを改めて思い知らされたからです。 堀江さんが歩きながら作家のことについて話してくれました。私の苦しさは「何ほどのことやあらん」と思いつつも、会話の端々から、今回走ったからこそ感じたもの、見えたものがあったことに気付かされ、感動を享受できたことに喜びを感じました。私をそのようにナビゲートしてくれた堀江さんに作家の分身を見たゆえんです。 それにしても半端な坂道ではなかった。たった40-50mの国道246を横切るのに約1kmも迂回をしなければならなかった。胡散臭そうに見られがちな市井の人々の目を眩まさなければならなかった。等々、とても信じてもらえそうにもないことにも直面しましたが、「何ほどのことやあらん」、2時間で完走できたことで、さらに困難な道に挑戦する気が沸々と湧いてきました。実に見えざる意図の誘(いざない)は巧妙さを増し、既に第三の幕を開けて「ハツシバ教」の使徒ペテロの登場を待っていたのです。br> 第1回の挑戦を終えたあとで、「皆さんで仕切ってください」との天の声が聞こえてきました。あの日、黄金町で囁かれたこの言葉にどれほどの力があったのか、誠に不思議と言わざるを得なく、神の精緻な仕掛けに驚くばかりです。 精緻な仕掛けに嵌ってしまった私は、友人の“松ちゃん”に「ハツシバ教」に入るべしと説得を試みたのです。技術屋の彼はファクトファインディングに拘り、何時も根掘り葉掘り質問を繰り返すのですが、不思議な運命の巡り合せには逆らいようもなかったのかあっさり信者になってくれました。 第2回目の挑戦を、6月10日(金)15時から藤が丘Bコース(7.1km)で行いました。スタッフの嶋岡さんがナビゲートの方法を“松ちゃん”に伝授しつつ、コースを回り、仮免許を頂けたら我々だけで回ることにしました。 元よりその積りでしたが複雑で入り組んだ街並みを要慮良く走破出来るかどうか、仮免の我々にはきつ過ぎる挑戦となりました。「この道は私道じゃないのか」、「3本目の道を左折することになっているが3本目はどこにあるの?」、「アップダウンを行ったり来たりするが、どちらを先に攻めれば楽か」、等など仮免の者を悩ます問題は枚挙にいとまがありませんでした。 でもこの老ナビゲーターは仮免ながら、時間の経過とともに的確な指示を出し、このコースを2時間30分で完走しました。嶋岡さんに駅で最終報告をし、ねぎらいの言葉を頂いた時に近年味わったことのない感動と喜びでいっぱいになりました。それを終生忘れることはないでしょう。 本当に嬉しかった。この昂ぶる気持ちを共有し、余韻に浸るために赤提灯をくぐったのは言うまでもありません。感動の言葉はアルコールの量に比例し、疲れた体を癒すには十分すぎていました。そして最後に“松ちゃん”が言いました、「次はどこを回る?」。神の用意周到な仕掛けは、我が友まで取り込んでしまったということです。 私たちは、第3回目の挑戦を6月21日(火)、13時から市が尾コースで行いました。私たちは、地図を眺めるだけでコースの戦略的な攻め方も板についてきたようです。当日は本当にタフなコースだったと思いますが、2時間45分で完走することが出来ました。 そろそろ仮免の域を超えたと思いますが、免許の取得には本プロジェクトの本質をもっと知り、行動していくことが要求されていると思います。我々はこれに向けて更なる挑戦をしていきたいと思っています。そして、8月6日に完成された桜の花が、軌跡を記した我々の気持ちを被災地の方達へ伝えてくれることを願うばかりです。この思いを添え、本感想文を締めたいと思います。 ***本プロジェクトで懸命の走りをしている風景は、こちらを覗いて下さい*** □「参加アーティスト、ジュン・グエン=ハツシバ」の出品作品制作サポート活動 ≪JUNから返信≫ Hideo, thank you for your letter. ! Very touching. I missed meeting you at the Supporter Meeting. I hope you are better now! let's meet when I return in August! Thank you for many runs! 6月30日に懇親会があり、その時に会う予定だったが私の体調不良で会うことが出来なかった。その折、スタッフの嶋岡さんに託した本感想文を、堀江さんが要約して彼に伝えたとのこと。 ≪JUNへの返信≫ JUN-san, thank you for reading my letter. I was going to tell you that you seem an athlete rather than an artist when I was able to meet you on that day. However, the athlete seems that he doesn't want a gold medal but only wants peaceful smile of world people by his running. So, I can't stop respecting the athlete. (From Hideo) ≪JUNから返信≫ Thank you Hideo! Maybe my next life, I will be an Olympic runner :) (from JUN) □ TOPへ戻る |