■ 「2011年秋」に想う                  平成23年10月4日

 2011年9月はボランティア活動と帰省しなければならないことが重なり、本ホームページの更新が出来なかった。いつものいい訳の癖で何とかすり抜けようとの魂胆がまる見えで、何とも格好の悪いことおびただしい限りだが、忙しかったのは事実にしても更新できないほどのことではなかったことを考えると、気乗りのしなかったことが一番の原因である。

 思った事を気ままに書き綴っていこうとする意欲はあるのだが、どういう因子が絡んでいるのか気乗りのバイオリズムが季節や月や時間によって大きく変動する。徹夜をしてでも嬉々としてキーボードと格闘する時もあれば、PCに近づくこともいやな時もあって、今更ながら自分の性格を持て余している。

 「徒然なるまま気儘」に始めたことだからとは言え、1カ月何も更新しないことになるとさすがに後ろめたい気持ちになってくる。哀れなまでに滲(にじ)み出るこの気持ちは、世の中に少しでもコミットしていたいとの思いの裏返しなのであろうと、2011年の秋が一層深まりを見せ始めてきた時にふっと思った。

 徒然庵を結び世捨て人になるには、浮世への諸々の未練を断ち難くさ迷うばかりでいつのことになるのか覚束ない。どうやらここにきてバイオリズムが上向けに入ってきたようなのか書く気になってきたので2011年の秋に想うことを少し書いてみることとした。

□「2011年秋」に想う
@NHK「こんにちはいっと6けん」取材
A青葉区広報番組「あおバリューTV」取材
B「2011年横濱JAZZ PROMENADE」



@NHK「こんにちはいっと6けん」取材

 ヨコハマトリエンナーレに参加しているベトナムのアーチストグエン・ジュン=ハツシバさんの桜を描くプロジェクトに我が朋友の”松ちゃん”を引きずりこみ参加してきたことは既に報告済みであるが、本作品がNHKで取り上げられることとなり、プロジェクトに参加中最高齢者のペアであるらしい我々に取材の白羽の矢が立てられた。

 担当のHキュレータ(女性)からお話を伺った時には丁重にお断り申し上げたのだが、Hさんの重ねての口説きにお引き受けをしてしまったのである。こういった話には”松ちゃん”は乗ってこないことは分かっていたので、Hさんと口裏を合わせて彼には内緒でことを運んだ。

 取材日は7月12日(火)、港南台を走るところを取材することとに決まった。当日港南台の駅で14時にHさんと待ち合わせ取材の打ち合わせをしてからGPSを担いで走ることにしていた。当日もうだるような暑さで駅についたときには早速コンビニに駆け込み、スポーツドリンクのペットボトルを買い込み一気飲みしながら”松ちゃん”に本日の予定を囁いた。

 案の定彼は抵抗を示したが時すでに遅く、HさんとNHK横浜放送局のFキャスターとスタッフに取り囲まれてしまい「あぁー河合さんひどいよ!」との言葉を発し観念するしかなかったようだ。そういう自分も取材などにはとんと縁がなく、取材する場所に移りスタッフに取り囲まれた時にはさすがに緊張の度はいや増すばかりであった。

 定年したオジサンが元気よく走りまわるところを取材されるものとばかり思っていたところ、マイクを突きつけられボランティア活動に関する思い入れを喋らせられる羽目に追い込まれた時には口中がからからになってしまい、なにを喋ったのか全く覚えていない。・・・・・私もHさんに嵌められたのかもしれない。

 ”松ちゃん”も私もしどろもどろながら一通りインタビューを終え本番の走りに移った。我々はインタビューでの失敗を取り戻そうとうだる暑さの港南台の街中を懸命に走り抜いた。撮影のワゴン車が我々の走りを何処までも牽引し、細い路地に入ればスタッフが自転車で片手にカメラを持って追いかけてくるので手抜きはできず、年老いた我々には正に地獄の責苦となった。

 当日終了後青葉台に戻り、赤ちょうちんで傾けたジョッキのビールは、格別な喉越しで地獄の責苦を償う最上の妙薬となったのは言うまでもない。そしてその妙薬が、取材の伴った聖なる走りがどのように放映されるのだろうか、というより自分達が格好良く映える場面が放映されるはずだとの勝手な妄想を逞しくさせるに至った時には、重ねた杯は少々度を越えていた。

 我々最高齢ペアは本プロジェクトに5回挑戦し、7つの花びらを作ったことになるらしい。そしてその7つ目の花びらを本日走ったことになる。その過程の一部始終を撮影して頂いたことになるのだがこんなに誇らしく嬉しい気持ちになったことはない。8月23日に放映されることとなるらしいが、視聴者の皆さんにご迷惑にならなければと祈るばかりである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・<後日談>・・・・・・・・・・・・・・・・・
 と、走った直後にはここまでは書き留めておいたのだがHPにアップする気になれずほったらかしにしてしたまま晩秋を迎えてしまったという訳である。こうなったら8月23日に放映されたことを書き足してアップせざるを得なくなってしまったが、想定する結果が日の目を見るより明らかだったので、本当は放映を待たずにアップしておくべきであったと悔やまれる。

 □8月23日 NHK「こんにちはいっと6けん」
 走った直後は妙薬が利きすぎて妄想が肥大化し、定年後の理想的な2人組のおじさんがハツシバ教の使徒パウロを演じて苦難の路を駈けずり回る聖なる走りは、視聴者に多大な感動を与えるであろうと信じて疑わなかったのであるが、妙薬の効能が薄れてしまった翌日以降はしどろもどろのインタビューが思い出され、冷静になればなるほど放映されることの不安感が高まり、何とも落ち着かない日々を送る羽目になってしまった。

 8月23日、テレビの前に正座をしながら番組の進行をチェックしていたが、我々の取材シーンがなかなか出てこない。あんなに長い取材を受けたのに番組の残り時間を考えると痛ましくなってきた。そう思った時にハツシバ教祖が現れ、その後に我々のインタビューと走る姿が映された。

 想定していた時間よりずーっと少なめで、インタビューでの失敗を隠せたのには一安心したが、欲を言えば歯を食いしばって走っていたところをもう少し・・・と思ってしまう。放映される前の不安な心身の状況を思うと、何をいまさらと思ってしまう気持ちが情けない。

 それにしても"松ちゃん”のインタビューはしっかりしていた。視聴者に好印象を与えたのは間違いないと思う。持つべきものはいい友人に限る。そしていい仕事(ボランティア)、いい指導者(アーチスト、並びにキュレータ)に恵まれたことに感謝するしかない。この歳になってまさかTVに出られるとは幸運この上もないのだから。
 深まる秋の夜長にこのビデオを何回となく見ながらふっとそう思った。


A青葉区広報番組「あおバリューTV」取材

 NHKの取材があってからしばらくして、ヨコトリサポータ事務局のYさんから横浜青葉区の広報番組あおバリューTV(イッツコム)から取材の依頼がきているので是非協力してほしいとのお話を頂いた。

 主旨は青葉区の「素敵な人やモノ」を見つけTVで紹介することで青葉区の魅力アップに繋げていこうとするもので、いま開催中のヨコハマトリエンナーレに青葉区の住民でボランティアで参加している人にフォーカスしたいとのことであった。

 どうもこのようなことは当人の意思や能力とは関係なく続いて起こるらしい。お付き合いするのはNHKで十分、これ以上恥の上乗りはしたくないとの思いから丁重に丁重にお断り申し上げた。

 ところが敵もさる者、私の性格をお見通しなのか情感を揺さぶる説得【青葉区の住民でボランティア活動を通じてヨコハマトリエンナーレを語れるのはあなたしかいないのです(後に知ったことだが、何のことはない青葉区から参加しているのはほとんどいないのだから実体を告げられただけなのだ)】に加え、【直接的な表現ではなかったが、NHKでの失敗を取り返したくはありませんか?】と心の襞(ひだ)をえぐり、その隙をつく絶妙な言い回しに落とされ愚かにも同意してしまった。

 9月7日に日本郵船海岸通倉庫(NYK)会場で取材を受けたが、大勢の来館者がいる中で取材チーム一行に取り囲まれたときに自分のお人よしさ加減を呪うしかなかった。意表を突く格好で現れた取材のナビゲータからマイクを向けられたときに、心の平衡を制御するホルモンのバランスが崩れてしまい、頓珍漢な応答と姿を晒す結果となってしまったからである。

 間違いなく恥の上乗りをまっしぐら。だからだから脳髄から発せられたアラームを信じるべきであったと悔いるばかりである。この歳になって何の因果かと思ってしまうが落し前は自分でつけるしかない。今は天が与えた試練と受け止めているところである。

 10月中旬から火、木、土、日曜日の10:50〜11:00に放映されているようだが、覚悟を決めてチャンネルを合わせようと思う。 「それにしても晒される期間が長すぎる、何とかならないものか」と晩秋の月に向かって一人愚痴っている姿は侘しすぎて様にならないことおびただしい。

 ※青葉区広報番組「あおバリューTV」はこちらから入れます。  
⇒入口はこちらから

□平成23年9月7日「あおバリューTVの取材を受けて」
「会場:日本郵船海岸通倉庫(NYK)にて」
「心の平衡を失ったインタビュー」「意表な格好の取材チーム一行」



B「2011年横濱JAZZ PROMENADE」

 日本最大級のジャズ・フェスティバル「ヨコハマJAZZ PROMENADE」が2011年10月8日、9日の両日に亘り横浜市のホール、ジャズクラブ、街角など約50会場で催された。ホールやジャズクラブには国内外のトップミューシャン約670名、街角ライブには約2,100名のアマチュアミュージシャンが集い約350ステージのライブとなった。

 本イベントは日本のジャズのふるさと「ジャズの街、横浜」で”街全体をステージ”という発想で18年前に第1回目を開催して今年は19回目になるとのこと。「ヨコハマJAZZプロムナード」は国際的な舞台で活躍するジャズプレイヤーを数多く育み、市民の力で盛り上げてきただけに街全体がジャズに酔いしれ、誰もが自然とスウィングしたくなるムードを醸していた。

 今年は運営を担う市民ボランティア(10代から80代のジャズが本当に好き)が305名も集まり、各会場でサポート活動を展開したが、私は横浜開港記念会館で両日ジャズクルーとしての活動を行った。前々から機会があれば参加したいと思っていたのだがなかなか踏み切れずにいたところ、昨年、横浜市民ギャラリーのボランティア仲間(先輩)から強引に勧められ、今年ジャズクルーのボランティアに踏み切ったということである。

 担当した業務はチケットと入場証(バッジ)の交換や当日券の販売、さらにはミュージシャンの受け入れ対応などであったが、思いのほか気を使いかつ忙しい業務であった。それでも興味があって好きだからこそ心地よい充実感を味わうことが出来たと思っているが、何と言っても参加しているお仲間に触発され、新しい発見や学びを得たことが嬉しかった。

 言葉はいらず阿吽の呼吸で繋がれる仲間。ジャズが取り持つ不思議な魅力を感じない訳にはいかない。本当に素敵な仲間に会えたことに喜びを感じる。来年もいっしょに遣りましょうとの言葉に即座に同意してしまったのは言うまでもない。来年この仲間に会えることが本当に楽しみだ。

 業務終了後、8日にはピア運河パークでの街角ライブにくぎ付けとなった。10人ぐらいのバンドが懸命に演奏するジャズに多くのファンがスウィングし大変な盛り上げを見せていた。9日には関内ホールで16:10からカナダのシャッフル・デーモンズのステージを見、17:40から20:20までヨコハマみなとみらい大ホールでNow's The Time [向井滋春(tb)]、クインテット プラス 小島伸子(vo) 岡崎好朗(tp)、スペシャルクインテット 堀秀彰(p) 浜崎航(ts) のステージをはしごした。

久しぶりの生演奏に至福の時を持つことが出来た。本ボランティア活動にこのような福音があるとは思いもよらなかったので感激もひとしおのものがあった。関内ホールで演奏終了後後ろの席の方(女性)から感動の言葉が投げかけられ、振り向きざまにハイタッチしてその感動を共有したことは一生忘れないであろう。ジャズならではのことといえる。

 そういえば、横浜開港記念会館で受付をしている時に、昔の職場の仲間と会えるとは偶然にしても出来過ぎ、意外な仲間がジャズが好きだったことに殊更親近感が高まった。現役の頃知り合えていればもう少し異なった付き合い方が出来たかもしれないと、ジャズの音響が漏れてくる会場の受付でふっと思った。

 O君、M夫妻来年もおいでいただきたい、そして大いにジャズを 楽しみましょう。出来れば一緒にボランティアをやりませんか?



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