文学研究
森鴎外ドイツ三部作の現代語訳
「うたかたの記」(完結)
「文づかひ」(以下に掲載)
「舞姫」(完結)

森鷗外「文づかひ」(現代語訳)

 ある宮様が催された星が岡茶寮の独逸会で、洋行帰りの将校が次々に身の上話をされた時のことであったが、「今宵はあなたの話を聞くことになっており、殿下はお待ちかねでいらっしゃるので」と促されて、まだ大尉になって間もなかろうと見える小林という若き士官は、口にくわえた葉巻きをつまんで火鉢の中へ灰を振り落とし、仔細らしく身構えて話し出した。
 私がザクセン軍団に付けられて、秋の演習に行った折のことですが、ラーゲヴィツ村のあたりで、専門用語で定義された敵陣に付けられたことがあります。小高い丘の上に、まばらに兵を配して敵と決めておき、平地の起伏、木立、田舎家などを巧みに盾として、四方から攻め寄せる様子は、めったに見られない壮観でしたので、近郊の村人があちらこちらに群がっており、その中に混じっている少女たちが黒いビロードの胸当ても晴れがましく、小皿を伏せたような縁の狭い笠に草花を挿しているのも面白い、と思って持っていた望遠鏡で忙しくあちこち見回していた時、正面の岡にいる一群が際立って興味深く思われました。
 九月初めの秋の空は、今日という今日この地方に稀な藍色になって、空気は透き通っていましたので、残る隈なく鮮やかに見えるこの群れの真ん中に、馬車が一台停まっており、そこには若い貴婦人が何人も乗っていましたので、さまざまな衣裳の色が映り合って、花の一群れ、錦の一団、に目もくらみそうでしたし、立っている人の飾り帯、座っている人の帽子の紐などを風がひらひらと吹きなびかせていました。その傍らに馬を立たせた白髪の老人は角ボタン止めにした緑の狩人服に、うすい褐色の帽子を被っているだけでしたが、なんとなく由緒ありげに見えました。少し下がって白い馬を引き止めていた少女、私の望遠鏡はしばしこれに釘付けになりました。はがね色の乗馬服を裾長に着て、白い薄絹を巻いた黒帽子を被った姿かたちは気高く、今むこうの森影から、ばらばらと出てきた猟兵の勇ましさを見ようとして、人びとは騒ぐけれど気にかけない様子は小気味よいものでした。
「別のところに心を留めていらっしゃるのかな。」
と言って軽く私の肩を叩いた長い八字髭のブロンドの若き士官は、同じ大隊の本部に付けられた中尉で、男爵フォン、メールハイムという人でした。
「あそこにいるのは私のよく知っているデーベン城の主、ビューロー伯爵の一族です。本部の今宵の宿はあの城と決まっていますので、君もあの方たちとお近づきになる機会がありましょう。」
と言い終わろうとした時、猟兵が次第に私たちの左翼に迫るのを見て、メールハイムは駆け去りました。この人と私が交際を始めて、まだ日の浅い時分でしたが、性格のよい人だと思われました。
 攻め寄せて来る側が丘の下まで進んできたところで、今日の演習は終わり、例のごとく審判も終わったので、私はメールハイムと一緒に大隊長の後について、今宵の宿へ急いで行きましたが、中央を高くして造った「ショッセ(舗装)」路は美しく、切り株の残った麦畑の間をうねり、時折水音を耳にしたのは、木立のむこうを流れるムルデ河に近づいたのでしょう。大隊長は四十歳を三つ四つ越えたと思われる人で、髪はまだ深い褐色を失ってはいないけれど、その赤い顔を見ると、はや額のしわが目立ちました。質朴なので言葉は少ないのですが、二言三言めには、「私一個人としては」と断る癖がありました。にわかにメールハイムの方へ向いて、
「君の許婚の奥様が待っておられましょう。」と言った。
「すみません、少佐殿。私にはまだ正式の妻という者はおりません」
「そうでしたか。私の言葉を悪く取らないで下さい。イーダ姫のことを、私一個人としてはそのように思っていました」
 こんな風に二人が話をしている間に、道はデーベン城の前に出ました。庭園を囲んだ低い鉄柵を左右にめぐらした真砂の道は一直線に長く、その尽きるところに古びた石の門がありました。入って見ると、白木槿の花が咲き乱れた奥に、白土を塗った瓦葺の高層の御殿がありました。その南の方に高い石の塔があって、これはエジプトのピラミッドに似せて造ったと思われました。今日の宿泊のことを知って出迎えた「リフレー(お仕着せの服)」を着た使用人に導かれて、白い石の階段を上っていくと、庭園の木立を洩れる夕日が朱のごとく赤く、階段の両側にうずくまっている人面獅身の「スフインクス」を照らしていました。私がはじめて入るドイツ貴族の城の中の様子はどんなだろう。先程遠くに見た馬上の美人はどんな人なのだろう。これらのことは皆解き明かされぬ謎であろう、と思われました。
 四方の壁と丸天井とには鬼神龍蛇などさまざまの形を描き、「トルヘ」という長櫃めいたものを所々に据え、柱には彫刻された獣の首、古代の盾、刀槍などを掛け連ねた部屋を、いくつか過ぎて、御殿の最上階に案内されました。
 ビューロー伯爵は普段着と思われる黒の上着の非常にゆったりとしたものに着更えて、伯爵夫人と一緒にここにおり、以前からお互いに知り合いの仲なので大隊長と楽しげに握手し、私をも紹介させて、胸の底から出るような声で自ら名乗り、メールハイムには、「ようこそお出で下さった」と軽く会釈しました。夫人は伯爵よりお年を召されていると見えそうなほどに立ち居が重いけれど、心のやさしさが目の色に出ていました。メールハイムを傍へお呼びになり、何かしらちょっと囁いていらっしゃる時、伯爵は「今日はさぞお疲れでしょう。下がって休憩なさい。」と召使に部屋へ案内させました。
 私とメールハイムとは一つ部屋で東向きでした。ムルデの河波は窓の真下の礎石を洗い、対岸の草むらは緑がまだあせていませんでした。その後ろの柏の林には夕靄がかかっていました。流れは右手の方で折れ、こちらの陸地が膝頭のように突き出たところに田舎家が二三軒あって、真っ黒な粉挽き用水車の輪が空の中ほどに聳え、左手には水に臨んで突き出た高い御殿の一間がありました。この「バルコニー」めいたところの窓はちょっと見ていると開いて、少女の頭が三つ四つ、寄り合い重なってこちらを覗いていましたが、白い馬に乗っていた人はいませんでした。軍服を脱ぎたらいを載せた台の傍へ近づこうとしたメールハイムは、
「あちらは若い婦人方の居間です、無礼ですがその窓の戸をすぐ締めて下さいね」
と私に頼みました。
 日が暮れて食堂に招かれ、メールハイムと一緒に行きましたがその時、
「この家には若い姫君たちが多いですね」
と何んとなく尋ねると、
「もともとは六人いましたが、一人はわが友ファブリース伯爵に嫁いで、残っているのは五人です」、とのことで
「ファブリースとは国務大臣の家ではありませんか」と聞くと
「そうです、大臣の夫人はここの主の姉で、私の友というのは大臣の跡継ぎの子です」と答えました。
 食卓についてみますと、五人の姫君たちは皆思い思いの衣裳で、その美しさはいずれ劣らぬありさまでしたが、上の一人の上着もスカートも黒色というのが珍しいと思って見ていますと、これこそ先程白い馬に乗っていた人でした。外の姫君たちは日本人が珍しく、伯爵夫人が私の軍服を褒めてくださる言葉の尻尾にくっついて
「黒い生地に黒い紐をつけると、ブラウンシュワイヒの士官に似てます」
と一人が言うと、桃色の顔をした末の姫が、
「そうでもないわ」
とあどけないながらも見下した表情を隠さないで言うので、皆おかしくてたまらない様子で、そのため彼女は赤らめた顔をスープを盛った皿の上に伏せたくらいですが、黒い衣裳の姫は睫さえ動かしませんでした。しばらくして幼い姫が、先程の罪を償おうと思ったのか、
「そうだけれど、あの方の軍服は上も下も黒いのでイーダのお好みでしょう」
と言うのを聞いて、黒衣の姫は振り向いて睨みつけました。この目は遠方にのみ迷うようですが、一度でも面と向かっては、言葉にもまして心を表していました。今睨んだ様子は微笑を含んで叱ったものだと思われました。
 私はこの末の姫君の言葉で知りました、先程大隊長がメールハイムの許婚の奥様と言ったイーダ姫とは、この人のことなのだと。そう気がついてみると、メールハイムの言葉も行動も、この姫君を尊敬し愛していると見えないことはありませんでした。それではやはり、この二人の仲はビューロー伯夫婦も心のうちで許していらっしゃるのでしょう。。イーダという姫君は背が高く細身で、五人の若き貴婦人のうち、この姫君だけは黒髪でした。あのよく物を言う目を除いては、外の姫達にたち勝って美しいと思われるところもなく、眉の間にはいつも少し皺を寄せていました。顔色が蒼く見えたのは、黒衣のためだったでしょうか。
 食事が終わって次の間に出ますと、ここは小さいサロンめいたところで、柔らかい椅子、「ソファ」などの脚のごく短いのを多く置いていました。ここでコーヒーの接待がありました。給仕の男が小さなグラスにアルコール類をいくつか注いだのを持って歩いていました。主人のほかには誰も取らず、ただ大隊長だけが、
「私一個としては『シャルトリュ―ス』こそ」
と言って一息に飲みました。この時私が立っている背後の仄暗い方で、
「一個人、一個人」
と変な声で呼ぶものがいるのに、驚いて振り返って見ますと、この部屋の隅に大きな鉄製の籠があって、その中のオウムが、以前から聞いたことのある大隊長の言葉を真似していたのでした。姫君たちが、
「ああ、憎らしい鳥ね」
とつぶやいていると、大隊長も自ら声高く笑っていました。
 主人が大隊長と葉巻きを吸ってから、銃猟の話をしたいと言って小部屋の方へ行かれる時、私は先程からこちらを見つめて、珍しい日本人に何か言いたげな末の娘に向かって、
「この利口な鳥は姫君のものですか」と笑いながら訊くと、
「いえ、誰のものとも決まっていませんが、私も可愛らしいと思っています。以前は、鳩をたくさん飼っていましたが、馴れ過ぎて、身体にまつわりつくのをイーダがひどく嫌うので、全部人に遣ってしまいました。このオームだけは、なぜかあの姉君を憎んでいますがもっけの幸いで、今も飼われています、そうだね」
とオームの方へ首を延ばして言うと、姉君を憎むという鳥は、曲がったくちばしを開いて、「そうだね、そうだね」
と繰り返しました。
 このすきにメールハイムはイーダ姫の傍ににじり寄って、何かお願いしていましたが、渋って承知しなかったところへ伯爵夫人も言葉を添えていらっしゃるように見えましたが、姫君はすっと立って「ピアノ」に向かいました。使用人が忙しそうに燭台を左右に立てると、メールハイムは、
「どの楽譜を差し上げたらいいですか」と言って楽器の傍らにある小机に歩み寄ろうとしましたが、
「いりません」と断って、おもむろに下ろす指先は鍵盤に触れて上げるや格調の高い響き。調子が急になるにつれて、朝霞のようなほのかな赤みが、姫君の目の下あたりに現れてきました。緩やかに何尺もの水晶の数珠を引き鳴らす様な時は、ムルデ河もしばし流れを止めそうで、たちまち切迫して刀槍がいっせいに鳴り出すような時は、昔旅人を脅かしたこの城の祖先も百年の夢を破られたことでしょう。ああ、この少女の心は常に狭い胸のうちに閉じ込められて、言葉となって表れる方法がないので、その細くしなやかな指先からほとばしるのでしょう。ただ思う、弦の音の波はこのデーベン城を漂わせ、人も我も浮いたり沈んだりして流れて行くと。曲まさに最高潮に達して、この楽器のうちに潜んでいたさまざまな弦の魂が、一人ひとりの無限の恨みを訴え終わり、今や互いに声を合わせて泣き騒ぐようなとき、不思議なことに、城外に笛の音が起こり、たどたどしくも姫君の「ピアノ」に合わせようとしました。
 夢中になって弾いていたイーダ姫は、しばらく気がつかないでいましたが、その笛の音がふと耳に入ったと思われます、急に調子を乱して、楽器の箱も砕けんばかりの音をたて、席を立った顔は、いつもより青ざめていました。姫君たちが顔を見合わせて、
「また三つ口が馬鹿な真似をしているわね」
と囁いていると、外の笛の音は消えました。
主人の伯爵は小部屋から出て来て、
「狂おしいイーダの即興の曲は、いつものことで珍しくありませんが、あなたはさぞ驚かれたことでしょう」といって私に会釈しました。
 消えてしまった音が私の耳にはなお聞こえて、正気もなく部屋へ帰りましたが、今宵見聞きしたことに心を奪われて寝るに寝られず、床を並べたメールハイムを見ると、こちらもまだ目覚めていました。尋ねたいことはたくさんありましたけれど、さすがに憚るところが無い訳ではありませんので、
「さっきの怪しい笛の音は誰が出したか知っていらっしゃいますか」
とやっと言うと、男爵はこちらを向いて、
「それについては一段の物語があります、私も今宵はなぜか寝られないので、起きていてお話申しましょう」
と承諾しました。
 私たちはまだ暖まっていないベッドを降りて、窓の下にある小机に向かい合って座り、タバコをくゆらしていましたが、すると先程の笛の音が、また窓の外に起こって、たちまち絶え、たちまち続き、鶯の雛が試しに鳴くかのようでした。メールハイムは咳払いをして話し出しました。


「十年ほど前のことになるでしょうか、ここから遠くないブローゼンという村にかわいそうな孤児がいました。六つか七つの時に流行の疫病で両親とも亡くなりましたが、三つ口でひどく醜かったので世話をする者が無くほとんど飢えに迫られていまして、ある日パンの干からびたものはありませんかと、この城へ物乞いに来ました。その頃イーダ姫は十歳くらいでしたが、気の毒がって物を与えたり、おもちゃの笛があったのを与えて、『これを吹いてみよ』と言いましたが、三つ口なので咥えることが出来ませんでした。イーダ姫は、『あの見苦しい口を治してやってよ』と駄々をこねて止みません。母の夫人が聞いて、幼い子が心優しくこのように言うのだからと医者に縫わさせなさいました」
「その時からあの子は城にいることになって、羊飼いとなりましたが、戴いたおもちゃの笛を放さず、後には自分で木を削って笛を作り、吹き慣れるうちに、誰といって教える者はありませんでしたが、自然にこのような音色を出すようになりました。」
「一昨年の夏、私が休暇を戴いてここに来た頃、城の一族が遠乗りしようとして出かけたことがありますが、イーダ姫の白馬が特に速く、私だけがついて行ったおり、狭い道の曲がり角で、枯れ草をうず高く積んだ荷車に会いました。馬はおびえて一跳ねし、姫はかろうじて鞍で持ちこたえていました。私が助けに行こうとするのを待たず、傍の高草のうちであっと叫ぶ声がするや否や、羊飼いの少年が飛ぶように駆け寄り、姫の馬のくつわ際をしっかり握って押し鎮めました。この少年が牧場の暇さえあれば、見え隠れに自分の後を慕うのを、姫がこの後知り、人を使って物を与えたりなさいましたが、どういうわけか、対面を許されませんでした。少年も姫とたまたま出会っても、言葉を掛けてくださらないので、自分を嫌っていらっしゃると知り、ついには自分から避けるようになりましたが、今も遠くから見守ることを忘れず、好んで姫が住んでいる部屋の窓の下に小舟をつなぎ、夜も枯れ草の中で眠っています。」


聞き終わって眠りに就く頃は、東の窓ガラスは早くもほの暗くなって、笛の音も消えていましたが、この夜イーダ姫が面影に見えました。その乗った馬が見る見る黒くなるのを、おかしいなと思ってよく見ると、人間の顔をしていて三つ口でした。けれども、夢心地には、姫がこれに乗っているのを、普通のことのように思って、しばらくまた眺めていますと、姫と思ったのは「スフインクス」の頭で、瞳の無い目は半ば開いていました。馬と見えたのは前足をおとなしく並べた獅子でした。ところで、この「スフインクス」の頭の上には、オウムが止まっていて、私の顔を見て笑う様子はひどく憎らしく感じました。
 翌朝起きて、窓を押し開けると、朝の日の光が対岸の林を染め、微風はムルデ河の水面に細かい波紋を描き水際の草原には、一群れの羊がいました。萌黄色の「キッテル」という短い上着の、黒い脛をあらわした少年が、身長がひどく低い子ですが、恐ろしくぼうぼうの赤い髪を振り乱して、手に持った鞭を面白そうに鳴らしていました。
 この日は、朝のコーヒーを部屋で飲み、昼頃大隊長と共にグリンマという所の銃猟仲間の会堂に行って、演習を見に来られた国王の宴に出席する予定がありましたので、正服を着て待っていますと、主人の伯爵は馬車を貸して階段の上まで見送ってくれました。私は外国の士官という理由で、将官、佐官だけが集まる今日の会に招かれましたが、メールハイムは城に残りました。田舎なのですが、会堂は思いのほか美しく、食卓の器は王宮から運んで来たということで、純銀の皿、マイセン焼きの陶器などがありました。この国の焼き物は東洋の物を手本にしたといいますが、染め出した草花などの色は、わが国などのものにちっとも似ていませんでした。けれども、ドレスデンの王宮には、陶器の間というのがあって、中国・日本の花瓶の類はおおかた揃っているということでした。国王にはその時初めてお目にかかりました。姿顔かたちの優しい白髪の老人で、ダンテの神曲を訳されたというヨハン王の跡継ぎだからでしょうか、応対が非常に巧みで、「我がザクセンに日本の公使が置かれるようになったらその時は、この度の親交の御縁で、あなたのいらっしゃるのをお待ちしましょう」
などとお話なさる。わが国では古くからの交誼がある人だからといって、本国からの使者に選ばれるような例はなく、このような任に当たるには、別に経歴が無くてはかなわないことを、ご存じないのでしょう。ここに集まった将校百三十余人の中で、騎兵の服を着た老将官の、容貌きわめて魁偉なのは、国務大臣ファブリース伯でした。
 夕暮れに城に帰ると、少女たちの笑いさざめく声が、石の門の外まで聞こえてきました。馬車を停めるところへ、早くも馴染みになった末の姫君が走って来て、
「姉君たちが『クロケット』をしていらしゃるので、あなたも仲間入りなさいませんか」と私に勧めました。大隊張が、
「 姫君のご機嫌を損ねてはいけません。私一個人としては、服を着替えてくつろぎます」と言うのを背後に聞きながらついていくと、尖塔の下の庭園で姫君たちは今遊びの最中でした。鉄の弓を伏せて植えておき、靴の先で押さえた五色の球を小槌を振るって横に打ち、その弓の下をくぐらせるのですが、上手な人は百に一つの失敗もありませんが、下手な人は間違って足などを撃ってしまったといって慌てふためきます。私も正剣をはずしてこれに混じりましたが、打てども打てども、球はあらぬ方へばかり飛ぶのでまことに残念でした。姫君たちが声を合わせて笑っているところへ、イーダ姫はメールハイムの肘に指先を掛けて帰って来ましたが、打ち解けていると思える様子も見えませんでした。メールハイムは私に向かって、
「どうでしたか、今日の宴は面白かったですか」
と問いかけて返答も待たず、
「私も仲間入りさせてくださいね」
と一団のほうへ歩み寄りました。姫君たちが顔を見合わせて笑い、
「遊びにはもう飽きました。姉君と一緒にどこへ行っていらっしゃいましたか」
と尋ねると、
「見晴らしのよい岩角あたりまで行きましたが、この尖塔には及びませんでした。小林君は明日わが隊と共にムッチェンのあたりへ出発なさる予定なので、あなた方の中で誰か一人塔のてっぺんへ案内し、粉挽き車のむこうに、汽車の煙が見えるところも見せてあげて下さいませんか」
と言った。おしゃべりな末の娘もまだなんとも答えないうちに
「私が」
と言ったのは、思いも掛けないイーダ姫でした。物を多く言わない人の習いで、急に口に出した言葉と共に、顔をさっと赤らめましたが、もはや先に立って誘うので、私は不審に思いながらついて行きました。後ろでは、姫君たちがメールハイムの周りに集まって、
「夕ご飯までに面白い話を一つ聞かせて下さいよ」
とせがんでいました。
 この塔は庭園に面した方に凹んだ階段を造って、そのてっペンを平らにしているので、階段を上り下りする人も、てっぺんに立っている人も下からはっきりと見えますので、イーダ姫が平気で自ら案内しようと言ったことも、深く怪しむに足りません。姫はひたひたと走るように塔の上り口に行って、こちらを振り返りましたので、私も急いで追いつき、石の階段を先に立って踏み始めました。一足遅れて上ってくる姫の息が切れて苦しそうなので、何度も休んで、ようやく上について見ると、ここは思いの外広く、周囲に低い鉄の手すりをつけ、中央に大きな切り石が一つ置いてありました。
 今初めて、私は下界を離れたこの塔のてっぺんで、昨日ラーゲヴィッの丘の上から遥かに初めて対面した時より、不思議に心を引かれて、卑しい好奇心からでもなく、好色の心からでもありませんが、夢にも見、現にも思う乙女と差し向かいになりました。ここから眺めるザクセン平野の景色がどれほど美しくとも、生い茂る林もあろう、深い淵もあろうと思われるこの少女の心に、どうして勝てましょうか。
 険しく高い階段を上って来て、頬の辺りに差した紅の色はまださめていませんでしたが、まばゆいばかりの夕日の光に照らされて、苦しい胸を鎮めるためでしょうか、このてっぺんの真ん中に在る切り石に腰を掛け、あの物言う目の瞳をきっと私の顔に注いだ時は、平生は見栄えしない姫ですが、以前珍しい空想の曲を演奏した時にもまして美しかったのに、なぜか、何とかいう人の刻した墓上の石像に似ていると思われました。
姫は言葉せわしく、
「私にはあなたの真心を知ったうえでのお願いがあります。こんな風に言えば、昨日初めてお会いして、言葉もまだ交わさないのにどうしてと不審がられるでしょう。けれど、私はたやすく迷う者ではありません。あなたは演習が済んでドレスデンに行かれたら、王宮にも招かれ、国務大臣の邸宅にも迎えられたりなさるでしょう」
と言いかけ、衣裳の間から封をした手紙を取り出して私に渡し、「これをこっそり大臣の夫人に届けて下さいませんか、こっそりと」
と頼みました。大臣の夫人はこの姫君の伯母さまにあたり、姉君さえあちらの家に行っていらっしゃるというのであれば、初めて会った外国人の助けを借りるまでのことでもなかろうし、またこの城の人に知らせまいとするなら、ひそかに郵便に託してもよかろうに、このように気兼ねして稀有な振る舞いをなさるのを見ると、この姫君は気が狂ったのではないかと思われました。けれども、これはただほんの一寸の間のことでした。姫君の目はよくものを言うだけでなく、人の言わないこともよく聞き取ったのでしょう、言い訳のように言葉をついで、
「ファブリース伯爵夫人が私の叔母であることは、聞いていらしゃいましょう。私の姉もあちらにおりますが、それにも知られないことを念じて、あなたの御助力をお借りしようと思いました。こちらの人への気遣いだけなら、郵便という方法もありましょうが、それすら一人で外出することも稀な身には、叶いにくいことをお察し下さい」
と言うので、まことに訳のあることなのだろうと思って、承知しました。
 入り日は城門近くの木立から虹のように洩れましたが、河霧が立ち添って、おぼろげになる頃塔を下りると、姫君たちはメールハイムの話しを聞き終わって私たちを待ち受け、連れ立って新しく灯火を輝かした食堂に入りました。今宵はイーダ姫が昨日と変わって、楽しげに振舞うので、メールハイムの顔にも喜びの色が見えました。
翌朝ムッチェンの方を目指してここを発ちました。
  
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 秋の演習はこの後五日ほどで終わり、私の隊はドレスデンに帰りましたので、私はゼエ、ストラーセにある館を訪ねて、以前フオン、ビューロー伯爵の娘イーダ姫に誓ったことを果たそうとしましたが、元来その地の慣わしでは、冬となって交際の季節が来ないうちは、このような貴人に会うことは容易でなく、隊付きの士官などの平生の訪問というのは、玄関の傍らにある一間に案内されて、名簿に記帳することなので、考えただけでやめにしました。
 その年も隊務の忙しさの内に暮れて、エルベ河上流の雪解けにより蓮の葉のような氷塊が緑の波に漂う時、王宮の新年は華々しく、足元も危うい蝋引きの寄木の床を踏み、国王のお前近く進み出て、正服の端正な立ち姿を拝し、それから二日三日過ぎて、国務大臣フオン、ファブリース伯爵の夜会に招かれ、オーストリア、バワリヤ、北アメリカなどの公使の挨拶が終わり、人びとがアイスクリームにスプーンをつける隙をうかがい、伯爵夫人の傍らに歩み寄り、事の起こりを手短に述べて、首尾よくイーダ姫の手紙を渡しました。
 一月中旬に入って、昇進任命などがあった士官と共に、奥方のお目どおりを許され、正服を着て宮殿に参上し、人々と円を描いて一間に立ち、お出ましを待っていますと、よろよろとよろめく式部官に案内されてお妃がお出ましになり、式部官に名を言わせて、一人ひとりに言葉をお掛けになり、手袋をはずした右の手の甲に接吻をおさせになりました。お妃は髪黒く背丈は低く、褐色のご衣裳はあまりぱっとしない代わりに声はとても優しく、「あなたは普仏戦争に功績のあった誰それの一族ですか」などと心をこめておっしゃるので、誰もが嬉しく思っているようでした。付き従ってきた式部職の女官は奥の入り口の敷居の上まで出て、右手にたたんだ扇を持ったまま真っ直ぐに立っていましたが、その姿は非常に気高く、鴨居柱を額縁にした一枚の油絵のようでした。私は何気なくその顔を見たのですが、なんとこの女官はイーダ姫でした。ここには一体どうして。
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 王都の中央でエルベ河を横切る鉄橋の上から眺めると、、シュロスガッセ(城の街)に跨る王宮の窓が、今宵は一段と光り輝いていました。私も数に洩れないで、今日の舞踏会に招かれていましたので、アウグスッスの広小路をはみ出して列を作っている馬車の間をくぐり、今玄関に横付けにした一台から出てきた貴婦人が、毛皮のショールをお供に渡して車の内へ隠させ、美しく結い上げた金髪とまぶしいくらい白い項とを露にして、車の扉を開けた帯剣の衛士を振り返りもせず入った後で、その乗っていた車がまだ動かず、次に待っている車もまだ近づかぬ間をうかがい、槍を持って左右に並んだ熊毛兜の近衛兵の前を通り過ぎ、赤い毛氈を一直線に敷いた大理石の階段を上りました。階段の両側のところどころには、黄のラシャに緑と白との縁取りをした「リフレエ」を着て、濃紫のスカートをはいた男が、項をかがめて瞬きもしないで立っていました。昔はここに立つ人はそれぞれ手燭を持つ習慣でしたが、今は廊下、階段にガス燈を用いることになってそれはなくなりました。階段の上にある広間からは、古風を遺した釣り燭台の黄色い蝋燭の灯が光の波をみなぎらせ、数知れぬ勲章、肩章、女性の衣裳の飾りなどを照らし、先祖代々の油絵の肖像の間に挟まれた大鏡に反射している様子は、どんな言葉も及ばないほど素敵でした。
 式武官が突いている金色の房の突いた杖が、「パルケット」(寄木張りの床)の板に触れてこつこつと鳴り響くと、ビロード張りの扉がたちまち音も無くさっと開いて、広間の真ん中に一本の通り道が自然に開け、今宵は六百人と聞いていたお客が、皆くの字型に身をかがめ、背中の半分ほどまでも開けて見せている貴婦人の頸、金糸で刺繍を施した軍人の襟、また高髷などの間を王族一行が通り過ぎて行かれる。真っ先に昔ながらの巻き毛の大かつらを被った側近が二人、引き続き王と妃の両陛下、ザックセン、マイニンゲンの世継ぎの君夫婦、ワイマール、ショーンベルヒの両公子、これに主な女官が数人従って来ました。ザックセン王宮の女官は醜いという世間の評判は事実無根ではなく、どの女も顔立ちがよくない上に、この世の春さえとっくに過ぎている人が多く、中には年をとり皺が寄ってあばら骨が一本一本数えられそうな胸を、儀式なので隠すことも出来ず出している人などを、額越しにチラチラ見ていましたが、心待ちにしていたその人は来ないで、一行はもう終わろうとしていました。その時まだ年若い宮仕えの女が一人、しんがり然としてゆったりと歩いて来るのを、果たしてそうかそうでないかと思って仰ぎ見ますと、これこそわがイーダ姫でありました。
 王族が広間の上席の奥にお着きになられて、国々の公使、またはその夫人などがこれを囲む時、前もって高い廊下の上に控えていた狙撃連隊の音楽隊が一声鳴らす太鼓と共に「ポロネーズ」というダンスが始まりました。これはただそれぞれが右手に相手の婦人の指をつまんで、この広間を一回りするものでした。列の先頭は軍服の国王で、真紅の衣裳のマイニンゲン夫人を連れ、続いて黄色の絹のドレスをお召しになった妃に並んだのはマイニンゲンの公子でした。かろうじて五十組ばかりの列を回り終えた時、お妃は冠のしるしが付いた椅子に寄りかかって、公子の夫人たちを傍にはべらせていらっしゃるので、国王は向かいの客間のカルタ机の方へお移りになられました。
 この時本格的なダンスが始まって、大勢の客が立て込んだ中央の狭いところを、ひどく巧みに回っているのを見ると、多くは青年士官が宮女たちを相手にしているのでした。我が親愛なるメールハイムが見えないのは、どうしてなのかと思いましたが、なるほど近衛兵ではない士官はおよそ招待されないものだと気づきました。ところで、イーダ姫の踊る姿はどうかと、芝居でひいきの役者を見る気持ちで見守りましたが、胸に薔薇の花を枝ごと付けたほかに、飾りと言うべきものはなに一つない水色のドレスで、狭いところをくぐりながら真ん丸い輪を描き、ダイヤモンドの露のこぼれる他の貴婦人の服の重たげなのに劣りませんでした。時が経つにつれて黄色の蝋燭の火は、次第に煙りに冒されて暗くなり、蝋が長く滴り、床の上にはちぎれた薄絹、落ちた花びらがありました。前の客間のビュッフェに通う足が頻繁になった折りも折り、私の前を通り過ぎるようにして、小首をかしげた顔をこちらへ向け、半ば開いた舞扇にあごの辺りを載せ、 
「私のことをもうお忘れになってしまわれたのでしょうか」
と言ったのはイーダ姫でした。
「どうして忘れましょうか」
と答えつつ、二三歩付いて行きますと、
「あちらの陶器の間を御覧になられましたか。東洋産の花瓶に見たことも無い草木や鳥獣などを染め付けたものがありますが、私に説明できる人はあなた以外にはありません。さあ」
と言って連れて行きました。
 ここは四方の壁に造り付けた白石の棚に、代々の国王が美術に志があって集められたいろいろな国の大花瓶が、指折り数えるのに忙しいまでに並べてありましたが、牛乳のように白い、瑠璃のように青い、果ては五色のまぶしい蜀錦の色などが、蔭になった壁から浮き出ていて見事でした。けれどもこの宮廷に慣れた客人たちは、今宵これに心を留めるはずもありませんので、前の客間に行き交う人が時々目にするだけで、足を止める人はほとんどありませんでした。
 緋色の淡い生地に同じ色の濃い唐草模様を織り出した長椅子に、、イーダ姫は水色絹のドレスの、気高い大襞の、ダンスの後ながら少しも崩れていないのを、身をひねって横向きに折って腰掛け、斜めに中の棚の花瓶を扇の先で指差して私に話し始めました。
「もう去年という一昔前のことになってしまいました。思いがけなくもあなたをお手紙の使者にして、お礼を申し上げる方法も得られませんでしたので、私のことをどうお思いになられたことでしょう。けれども私を煩悩の闇から救い出してくださったあなたのことを、心中では片時も忘れたことはありません」
「最近日本の風俗を書いた書物を一二冊買わせて読みましたところ、お国では親が結んだ縁があって、真実の愛を知らない夫婦が多いと、こちらの旅行者が軽蔑するように書いているものがありましたが、これはまだよく考えてもいない言葉で、こういうことはこのヨーロッパにも無いわけではありません。婚約するまでの交際が長く、お互いに心の底まで知り合うことの良さはイエスともノーとも言える中にこそあるのでしょうが、貴族階級では早くから目上の人に決められた夫婦は、心が合わなくても断るすべも無く、日々顔を合わせて厭わしく思う心がどこまでも募った時にも、これに添わせようとする習慣があり、何とも不合理な世界です」
「メールハイムはあなたのお友達です。気に入らないと言えば弁護もなさるでしょう。いえ、私とてその真っ直ぐな心を知り、容貌も悪くないのを見る目がないわけではありませんが、長年付き合って来た結果、私の胸に埋み火ほどの暖かさも出て来ませんでした。ただ厭わしくなるにつけ特に目に付くのはあの方の親切で、両親が認めた交際の表向き、腕を貸して貰うこともありましたが、二人きりになった時は、家も庭も心を晴らす方法もないほどに鬱陶しく思われて、なんということなくため息が出て、頭が熱くなるまで耐え難くなるのでした。なぜと聞かないで下さい。それを誰が知りましょうか。恋するのも恋するからこそ恋すると聞いていますが、嫌うのもまたそうなのでしょう」
 ある時父の機嫌のよいのを待ち受けて、私の苦しい思いを口に出そうとしましたが、顔色を見て途中から言わせず、『この世に貴族として生まれた者には、身分の卑しいきこりなどのようなわがままな振る舞いはとんでもないことなのだ。血の特権の贈り物は人の特権である。私は老いてしまったけれど、人としての感情を忘れているなどと思うなよ。正面の壁に掛けてある私の母上の肖像を見よ。心もあの顔のようにおごそかで、私に浮気心を起こさせなさらず、世間一般の楽しみを失ったけれど、幾百年の間卑しい血の一滴も混ぜたことの無い家の名誉は守った』といつも軍人風の言葉遣いの荒々しいのに似ない優しい物言いに、前々からああ言おうこう答えようと思っていた計画は、胸に畳んだままめぐらすことも出来ず、ただ心だけが弱ってしまいました」
「元来父に向かっては返す言葉を知らない母に、私の心を明かしてなんになりましょう、けれども貴族の子に生まれたといっても、私も人間です。忌まわしい門閥、血統、妄信の土人形と分かったからには、私の胸の中に投げ入れるところはありません。卑しい恋に憂き身をやつしたら、姫君としての恥ともなりましょうが、この慣習の外に出ようとするのを誰が支えてくれましょう。「カトリック」教の国には尼僧になる人がいると言いますが、ここ新教のザクセンではそれも出来ません。それ、あのローマカトリックの教会と同じく、礼は知っていても情けは知らない宮殿の中こそ私の墓穴です」
「私の家もこの国では名高い一族ですから、今権勢ある国務大臣ファブリース伯とはひとかたならぬ縁があり、このことを公式に願い出れば非常にたやすいことだろうと思いますが、それが出来ないのは父君のお心を動かしがたいからだけではありません。私は性分として人と共に嘆いたり、人と共に笑ったり、という愛憎の二つの目で長く見られることが嫌いなので、このような望みをあちらに伝えられ、こちらに言い継がれて、あるいは勧められ、あるいは諌められるわずらわしさに堪えられません。ましてやメールハイムなどのような浅はかな人に、イーダ姫は私を嫌って避けようとしていますなどと、自分一人に関わる事のように思われてしまうことは残念です。私から願い出たと人に知られないで宮仕えする手段があったらなあと思い悩んでいる時に、この国をしばしの宿にして、 私達を道ばたの木石などのように見てもよいあなたが、心の底に揺るぎない誠意を秘めていらっしゃると知って、以前から私を気の毒がっていらっしゃるファブリース夫人へのお手紙を、こっそりお頼み申し上げました」
「けれども、この一件についてファブリース夫人は心に秘めて身内にさえお知らせなさらず、女官の欠員があるので少しの間お勤めにといって呼び寄せ、陛下のご希望は見過ごせないとのことでそのままに引き留められました」
「浮き世の波に流されて、泳ぐことを知らないメールハイムのような男は、私のことを忘れようとして白髪を生やすこともないでしょう。ただ痛ましいのはあなたがお泊まりになった夜、私のピアノの手を止めた少年のことです。私が立ち去った後も、夜な夜なともづなを私の窓の下につないで寝ていましたが、ある朝羊小屋の扉が開かないのに気がついて、人々が岸辺に行ってみたら、波は空っぽの船を打ち、残っていたのは枯れ草の上の一管の笛だけだったと聞きました」
 話し終わった時夜半を告げる時計が晴やかに鳴って、早くもダンスの大休憩となりました。お后が御就寝になる時刻なので、イーダ姫はあわただしく席を立って、こちらへ差し出した右手の指に、私の唇が触れようとした時、隅の観兵の間に設けた晩餐に急ぐ客人が、群がってここを通り過ぎて行きました。姫君の姿はその間に紛れ、次第に遠ざかり、時々人々の肩の隙間に見える、今日の晴れ着の水色だけが印象に残りました。(完)

註、原文に忠実に訳してみました。一文がひどく長いこともあってわかりにくいところも少なくないので、改稿を考えています。(2008/10/25)
2009/1/17改稿



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