蓮實 | ぼくがもう一つ、作品の質とは別におもしろいと思ったのは、エリセと同世代の監督たちの間で、同じ役者を回しているんですね。例えば、この映画の場合……。 |
武満 | ああ、父親役のオメロ・アントヌッティがそうですね。 |
蓮實 | それから、女優役のオーロール・クレマンが、ヴェンダースの『パリ、テキサス』に出てますね。その他にも、最近、同世代の秀れた監督が、意外に同じ役者を、何かフッと感ずるところがあってではないでしょうか、使っている。『エル・スール』のオーロール・クレマンも、『パリ、テキサス』のオーロール・クレマンも、何か非常に影が薄いんですね。『エル・スール』での影の薄さを、ヴェンダースがみてかどうかは知りませんが、『パリ、テキサス』の中で非常にうまく使っていると思うんです。 |
武満 | あそこで、オーロール・クレマンに、スペインなまりふうの「ブルー・ムーン」の歌を歌わせた、あの歌わせ方なんていうのは、凝ってますよ(笑)。 |
蓮實 | エリセが演出しようとしたら、彼女は「ブルー・ムーン」ていう歌を知らなかったそうなんですね。そこでエリセが自分で歌ってみせて教えたらしい。だから、あそこの、ああいう感じが出て……ああいうのを異化効果っていうんじゃないでしょうか(笑)。 |
武満 | そうですね。まさに異化効果ですね(笑)。ぼくは、あの歌きいて、びっくりしちゃった。 |
蓮實 | 役者が歌を知らないということで、映画がそこで壊れるんじゃなくて、巧まずして、そういう妙な効果を出しちゃったということですね。 |
武満 | だけど、最近ひどい映画ばかりみてきたもんだから、こういう映画をみると、ああ、まだ大丈夫だと、うれしいですね。残念ながら日本じゃなくて、スペイン映画だけど……。 |
蓮實 | だけど、ぼくは、スペイン人っていう感じよりも、同世代人という感じがするんですね。 |
武満 | ああ、なるほどね。 |
蓮實 | もうこのままでは映画は死ぬしかないっていうことを知っていながら、その意識の上での映画的パフォーマンスですよね。その意識がないと、おそらく、これだけのものは出てこないと思うんです。その意識を共有している人たちを、ぼくはどうも他国人とは思えない。同世代人というふうに思うんです。彼らにしても、例えばエリセにすれば、同国人の監督よりヴェンダースのことが気になるだろうし、ヴェンダースにしても、そうだと思うんですよ。おそらく、そういう世界的連帯ができたのは、かなり新しいことだと思うんです。 |
武満 | そうですね。最近のことですね。 |
蓮實 | 遠くの方からフッとあいさつを送ると、それに思いがけない親しみをこめて、あいさつが返ってくる。自分ひとりでやっていると思っていたら、同じようなことをやってる奴が、国境の向うの山の向うにいたという感じ。最近の世界の映画が持ちはじめた、大変にうれしい共感の現象だと思いますね。映画祭やレトロスペクティヴが盛んになる時代にのみ可能な現象だと思いますし、大会社による配給系統が崩れて、小会社による配給が行われていったことが、こういう現象を引き出したのだし、さらにそれを促進していくべきだと思うんです。つい最近、ロカルノ映画祭でみた『フーヘンフォイエル』という作品を撮ったフレディ・ミューラーという人にしても、実に孤独なんですね。孤立無援のところで映画づくりをしている。 |
武満 | ドイツ人ですか。 |
蓮實 | スイス人です。彼などは、おそらく、『エル・スール』のエリセなんかと連帯できる人ではないか、と感じました。エリセ以上に孤独で、自分だけやっているという感じなんですが、それが必ず連帯を呼ぶことになると思うんですね。 |