淀川 | よかったね。これ、「ミツバチのささやき」の監督でしょ。またスイートでかわいらしい映画かと思ったら―― |
杉浦 | あら、かわいい映画じゃない。 |
淀川 | かわいいのはかわいいけど、あの絵描きがスケッチする姿をじーっと真正面から映画にしてるでしょ。まじめと言ったらおかしいけど、ドキュメンタリーみたいなの。 |
杉浦 | 私、最初、なんだろう思ってびっくりしちゃった。 |
淀川 | それなのに、ドライじゃない、いやらしくないの。品がよくて、やわらかくて、きれいで、マルメロ食べたくなっちゃうの。 |
杉浦 | ハハハ。マルメロはあんまりおいしくないですけどね。日本のかりんの、もっと原始的なもので、ジャムにでもしなきゃ生では食べにくいの。ただ同じように画家を描いても、「美しき諍い女」なんかと全然違う。あれはミッシェル・ピコリが画家の役をやったんだけど、本当に描く人は別にいたのね。スケッチする木炭の音だとか、紙のこすれる音だとかで、本当らしく見せてたけど。だけどあの絵は―― |
淀川 | 下手だったね。(笑) |
杉浦 | そうなの。だから結局、壁に塗りこめちゃった。(笑)というのは冗談で、あまりにこわい絵を描いちゃったから隠したんだけど、でも、こっちは実際に本人が描いてて、しかも、この人は、スペインで有名な本物の画家。その絵がいいのね。 |
淀川 | 葉っぱが一枚一枚だんだんだんだん増えていくみたいな描き方、「ああ、また描いた」、ああいう感じで描くのか、いうのがよくわかる撮り方なの。 |
杉浦 | 絵描きって、偏屈とかいう既成概念があるけど、そんなことないのね。あの人のはほんと、ちょっと来て、ちょっと描いてるという感じ。 |
淀川 | 「ミツバチのささやき」の女の子もかわいかった。「エル・スール」のおじいちゃんもよかった。この監督にはなにかそういう人間愛、人間に対するやさしさがあるの。今度の絵描きにも抱きしめたいような魅力がある。 |
杉浦 | 友だちの画家が来て、二人で描きやすいように葉っぱを持ち上げたりしながら、歌を唄ったりするのもいいね。 |
淀川 | この男二人の旧友がいいの。この映画は詩だね。ドキュメンタリーで、しかも詩がある。 |
杉浦 | マルメロにふりそそぐ太陽の光を描きたくて、油絵で描き始めるのね、それはこの画家の長年の夢でもあるんだけど、天候が悪かったりして今年も最後までは描けない。で、油絵は断念してキャンバスを蔵に入れちゃうシーンがあったり、とことんドキュメンタリーとして撮りながら、ちゃんとフィクションにもなってる。奥さんや子供もいて、奥さんも画家なんだけどずっと絵を中段していたり。あのへんの作り方、面白いわね。 |
淀川 | 夫がモデルなのね、奥さんの絵の。 |
杉浦 | 描いてるうちに、ベッドの上で夫が眠っちゃって、なんだか死んじゃったみたいに見える。 |
淀川 | ほんと死んだかと思うね。夫がガラスの玉みたいなものをいじってるうちに眠って落としたり。意味ないけど、気分が出るの。 |
杉浦 | あのガラス玉も太陽の光の屈折みたいなものをちゃんと表現してる。 |
淀川 | そうそう、光を求めてるのね。あんた、えらい、デリケートだ。よく気がついた。どっか取り柄あるね。 |
杉浦 | なにが言いたいの。(笑) |
淀川 | ほめてるのよ。とにかく、豊かな映画。こんな映画あるかしらと思った。 |
杉浦 | あの撮り方、なんていうんだろう、写真のコマ落としみたいなフェードアウト。絵描きがマルメロのところにススッと入ってきたり、ススッと消えたりするのも、技術がどうこうっていうんじゃなくて、すごく感じがわかるのね。最後もろくにエンドマークも出ないできれいに絞っていって、それで終わり。まあ、フランス映画みたいに気取っちゃってと思ったけど、映画全体がいい意味で気取ってるの。気取ってるというと、ちょっと言い方が悪いけど。 |
杉浦 | 品がいいのね。 |
淀川 | いい意味のエリートなの。ニセ伯爵とは違うの。本当の本当のエリートね。それと、映画の最初からずっとアトリエを改築してるんだけど、それがポーランドから来た労働者たちで、マルメロを食べたことないからって、終わりのほうで落ちた実を拾って食べるのね。(笑) |
淀川 | そういうとことか、旧友が訪ねてくるとことか、ああいうとこ、リアリズムとユーモアとヒューマンがあるの。 |
杉浦 | でも、こういうふうに監督さんの撮り方の姿勢みたいなものがそれまでとガラッと変わるっていうのも面白いですね。 |
淀川 | 「ミツバチのささやき」の人が今度はストーリーのけて、あんな形でじーっと身の回りを見てる、絵描きを見てることが面白いの。スペインという国はえらいな。 |
杉浦 | あんな小さな木にあんなたくさんの実がなってだんだん大きくなっていく。その実が熟れて、やがて腐っていく。たとえばピーター・グリーナウェイが「ZOO」でいろいろなものの腐敗していく様子をじーっと見てるのとも違う。実が熟れていくことは自然のことだけど、なんだかすごくさみしくなってくる。だんだんだんだんあの監督が年とっていくような気がするのね。 |
淀川 | 精神的にね、なんか枯れていくような気がする。実が落ちるでしょ、「ああ落ちたー」いうかわいそうさがあるの。 |
杉浦 | それから、雨の描き方がいい。 |
淀川 | 雨、いいなあ。雨の中傘さして描いてるもんなあ。一つひとつハケで描いて、見て、途中やめて、また描いて。それを傘さしてやってる。あの執念がすごいな。しかもそれを絵描きはえらいとかそんな感覚ちっともなくて、ただじーっと撮ってる。それでかえって、この絵描きがこのマルメロを描くためにどれだけ一生懸命になってるかがわかるの。 |
杉浦 | この人、三十年以上もかかってマルメロの絵を二枚しか描いてないんですね。 |
淀川 | そうだってね。 |
杉浦 | でも、すごくきれいな絵。壁紙にしたいような感じ。私、あの絵を見てね、マルメロを描いてる姿だけを撮って、この画家の本質に迫ろうとした、この監督はすごいなあってほんとに思った。 |
淀川 | 監督とキャメラがそばにあるんだろうけど、撮られる本人は、そのことをちっとも意識してない。 |
杉浦 | 本人も撮られてるの、忘れちゃってる。 |
淀川 | そういうスタイルで撮ることがえらいの。監督がちゃんと撮ってて意識させないの。ただね、この題名が「陽光」、ちょっと字がかたいでしょ。日射しだとまた感じが違うけど、もうちょっとやわらかい題だといいのにね。つらいとこだね。でも、いい映画だった。品のいい映画だったね。 |