「マルメロの陽光」は映画の至福にみちた作品だ。秋の陽に輝くマルメロの実。その金色の果実をキャンパスに描きとめようとする画家、その厳しくも慈しみにみちた表情、そして画家を見つめる映画作家ビクトル・エリセのやさしいやさしい視線。何もかもが、ときめくようなよろこびにみちている。
『「マルメロの陽光」は火曜日に思いついて、土曜日に撮りはじめたような映画です』。
エリセは映画についてこんなふうに語ってくれた。全てはアントニオ・ロペスという画家の仕事に魅せられてのことだった。この画家の一つの季節をフィルムに焼きつけたい、そんな想いから「マルメロの陽光」は、はじまった。
『それは思いつきというよりも、必要性というか、欲求から生まれてきたものだった』と彼がいうとおり、これはエリセのロペスに対する熱い想いから生まれた作品だった。芸術家が芸術家に恋するとでもいったらいいだろうか。マルメロが黄金色に輝くあの美しい季節、映画作家ビクトル・エリセは偉大な画家ロペスに、マルメロの果実のそばでキャンバスに向かうアントニオ・ロペス=ガルシアに恋をしたのだ。この画家をずっと見つめていたい、そんな衝動にかられたのかもしれない。エリセは彼の全てをフィルムに残そうとした。
だから「マルメロの陽光」は限りなくやさしい光にあふれている。ロペスと過ごした8週間は『まるで知らない国へ行ったときのような、ときめきにみちていた』という。毎日毎日が驚きとよろこびの連続だったと。ロペスのことを話すエリセの顔はきらきらとしていた。まだ彼の中ではあのマルメロの季節が続いているようだった。
『アントニオはマルメロの木のそばにいたいのだ』。エリセはいった。この言葉はそのままエリセ自身にも当てはまる。エリセはマルメロの絵を描くロペスのそばにいたかったのだ。彼の言葉に耳を傾けることのしあわせ。映画を観ていると、そのときめきみたいなものが伝わってくる。エリセはロペスの一つ一つの行動に少年のように感激した。そしてその想いをそのまま映像にして伝えようとしたのだ。
エリセは「マルメロの陽光」を(映像で綴った一つの仕事の日記)と呼ぶ。それは画家の日記であり、映画監督の日記でもある。エリセはロペスの絵の最初の観客でもあった。刻一刻と変わっていくキャンバスのマルメロの実。ロペスはマルメロの木に流れる時間をも描こうとする。秋が深まり、天候が不順になって、庭のマルメロも表情を変えていく。けれどもこの偉大な画家は描くことをやめない。雨が降ればテントを張ってマルメロの木を守り、友人たちが訪ねてくれば大いに語らい、歌い、そして創作を続ける。その姿はどんな映画の主人公よりもドラマチックだ。
エリセはロペスと彼の周囲にあるもの全てに愛を感じていたのだと思う。アントニオ・ロペス、その妻で画家のマリア、ロペスの美術学校時代からの親友エンリケ・グラン、2階に住む青年画家ペペ、たくさんの美術仲間たち、アトリエの改修工事にやってきたポーランド人労働者・・・・・・・・・愛犬エミリオ。みんな本当にいい顔をしている。誰もが彼のことを好きでたまらないのだ。でも、その中でいちばん素敵な表情をしていたのはカメラの向こう側のエリセだったかもしれない。ロペスのそばで静かにカメラを回すエリセの姿が見えるようだ。緊張しながらもおだやかな笑みを浮かべ、この瞬間がいつまでも続くようにと願っている、そんな姿が。そして私たち観客は「マルメロの陽光」を観ながら考える。このささやかなやすらぎの時間がいつまでも続きますようにと。これを映画の至福といわずに何といおう。
エリセによれば、アントニオ・ロペスは映画のあと、つまり91年、92年の秋とマルメロを描いていないそうだ。少し身体をこわしてドクターから寒い戸外での仕事をひかえるようにといわれているらしい。すぐれた彫刻家でもある彼は今は主に
スタジオで制作していると、ちょっとだけ淋しそうな目をしてエリセはいった。
ロペスの庭のマルメロは昨年も一昨年もきっと、たわわに実をつけたことだろう。秋の陽に輝くマルメロの木を彼はどんな気持ちで見たのだろうか。黄金色の果実にエリセと過ごしたあの秋の日々を思っただろうか。いや、彼のことだから、来年、再来年のマルメロの絵のことを考えていたのかもしれない。
あの90年の秋は本当に特別な季節だった。ロペスと共にあの季節を過ごした人々は毎年、秋になると思い出すだろう。光にみちた素晴らしい日々を。エリセはもちろん、マルメロの実をはじめて口にしたポーランド人たちも、「マルメロの陽光」を観た私たちも。そしていつか近い将来、会えるであろうアントニオ・ロペスの『マルメロの陽光』に想いをはせるのだ。
Chanter Cine2『マルメロの陽光』パンフレットより |