■スペイン北部のビスカヤ生れのあなたが『エル・スール』の物語を映画化しようと思いたたれたのには、何か個人的な背景があるのでしょうか。この十数年、主にアンダルシアで生活されてきたわけですが、南(エル・スール)を知ったことがどう影響したか、そのあたりを・・・・・・。 |
一時期、三つの異なる映画の企画を暖めていて、そのうち二つは、少なくとも部分的には、ストーリーがアンダルシアを舞台に展開するものでした。その二つのうちの一つは「エル・スール」という仮のタイトルをもち、プロットはアデライタ・ガルシア=モラレスの小説にもとづいていました。 |
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■キャラクターは小説と映画でまったく同じなのですか? |
基本的には同じです。この小説には、出だしから大いに興味をそそられた。北と南、二つの異なる、対立しさえする風景、二つの異なる生の感じ方を向かい合わせる可能性を示していたからです。ぼくは特別な興味を引かれたけど、多分それは、北の人間の多くが伝統的に南に魅入られてきたことと関係があるのでしょう。
南、具体的にいうとアンダルシアについてのぼくの第一印象は、子供のころの記憶と結びついている。聞かされたいくつもの物語、写真、歌、さまざまな品々、というのも両親が、ぼくが生れる直前に、しばらくセビーリャで暮らしたからなのです。でもぼくは、ずっと後になるまでアンダルシアを知らなかった。だから初めて知ったときの印象は強烈でした。そのとき以来、毎年欠かさずアンダルシアを旅するようになった。おそらく、イグナシオ・アルデコア(スペインの現代作家)が言ったように、バスク人の放浪癖に駆り立てられるのだと思います・・・・・・。話がそれましたが、実をいうと、こういう話はしにくい、だって映画にはまさしく南が現われないのだから・・・・・・。 |
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■南が現われていればどんな続きだったか話していただけると興味深いと思うのですが。 |
細部は省きますが、続きでは主役のエストレリャの南での旅が語られるのです。その旅は、小さいときからの願いの実現を意味するだけでなく、父親が秘めていた意志の遂行を暗示している。この父親の意志は、映画のファースト・シーンに含まれています・・・・・・。死の前夜、彼は別れを告げるかのように、あることをする。眠っている娘の枕の下に、ある意味で、かつて二人をもっとも深く結びつけていたものの象徴である品を置くのです。それは、最後の愛情表現で、はっきりとは分からぬ形で一種の命令を秘めている。エストレリャは彼が生前できなかったことを果たさなければならない・・・・・・。散らばってしまった彼の歴史の断片を集めなければならない・・・・・・。南へ旅することで、エストレリャはその命令を果たすわけです。そして父の過去の基本的事実や人物を知るに従って、彼の人物像を再構成していくのです。つまりそれは根源的な体験であり、それによってエストレリャは初めて自らのアイデンティティーを確立し、幼年期を決定的に後にすることができるようになる。こうしてエストレリャは、自らの生に関わる北から南への旅路をたどるだけでなく、自己を知るプロセスをもたどるのです。 |