アナたちが映画『フランケンシュタイン』を見た公民館(1992年)。
暗闇の中で見開かれた、疑いを知らない大きな瞳。それだけで『ミツバチのささやき』と6歳の少女アナ・トレントは、
心の宝になった。あれは1985年だった。
7年後、朝日新聞日曜版「シネマ」の取材で、この宝を心の中から引き出してみたくなった。アナに会いたい。映画の
製作から19年。少女の変化は、当然覚悟しなければなるまい。だが、『カラスの飼育』を見、さらに『エル・ニド』を
見てしまった後でも、わがアナはやはりアナだった。依然として6歳のままで、希望のリンゴをこちらに優しく差し出してくれるのだ。「ソイ・アナ」
92年2月27日。マドリード到着の翌日、ビクトル・エリセ監督がホテルに来てくれた。9年振りの新作『マルメロの陽光』
を仕上げた直後のあわただしさの中、この日と3月2日の2度にわたるインタビューに、嫌な顔せず、物静かに丁寧に
答えてくれた。
<実際のイサベルはアナより半年年上で、すでに映画は虚構と知っていた。アナはまだ現実との区別がつかず、
映画で起きることを本当に信じてしまう。これはアナ・トレント自身の成長のドキュメンタリー映画といえるかもしれません>
<アナと、メーキャップをしたフランケンシュタインが撮影前に実際に出会った瞬間は、映画以上に素晴らしかった。
現実はフィクションより優れています。アナにとって、彼はフランケンシュタインそのものでした>
「アナとイサベルに会えるよう努力してみましょう。みんなでロケ地に行けたらいいなあ」。この監督は、
どこまで誠実な人なのだろうか。プロの女優への道を選んだアナは、87年からニューヨークに住んでいるが、
新作映画の宣伝などで、たまたま里帰り中だった。イサベルはマドリードで、映画と無縁の日々を過ごしている。
1992年3月2日。アナ・トレント(左)とイサベル・テリェリア(右)。
2月28日、その新作『バカス』でアナを見た。3月2日夜、アナがテレビに出演中。「会えなかったら・・・・・・」。
不安になり、思わずテレビに向かってカメラのシャッターを切った。通訳の女性がくれた日刊紙「ABC」日曜版2月16日号
の切り抜きに何度も目を通した。そこでは、ガルシア=マルケスとグレアム・グリーン、ビートルズとJ・S・バッハ、
そしてシャガールとパスタとワインと水泳が好きという、66年7月12日生まれの目の大きな美女が、「とても気まぐれで
馬鹿げたことに腹を立てる」「余暇には映画に行きたい」と、自分を「告白」している。
3月5日。アナ・トレントと姉妹のイサベル・テリェリアに会えた。その日の日記には、こう書いた。<あの瞳がそこにあった。
アナ・トレントは、ただただあの映画のアナであり、イサベルも、あのイサベルがそのまま大きくなった感じ。同じ歳なのに、
やはり『姉と妹』なのだった・・・・・・>
6歳当時の記憶は完全ではないだろう。だが、日本からの来訪者のために、エリセ監督は前日、久しぶりに2人に会って
記憶を呼び起こす手助けまでしてくれたらしい。
アナ「2人で廃屋まで走る場面は、少し撮ってスタッフに背負われて歩き、また走っては背負ってもらう。それを繰り返したのよ」
イサベル「そう、全部走るには広すぎたわ。焚き火を飛ぶ時は、スタッフが抱きかかえてくれたの。髪がこげちゃった。
ねえ、廃屋のそばの井戸が作り物って知ってた?」
アナ「えーっ、ほんと!初めて聞いた。うそっ、ねえ、ほんとう?」
イサベル「ほんとよ。私、あのころから、知ってたわよ」
そうだ。ほとんどがロケだったが、あの井戸だけが全くのフィクションだった。
映画の中で、イサベルが焚き火を飛んだ中庭。
2日後、ロケ地オユエロス村を訪ねた。マドリードから車で2時間。石とレンがの、今なお1940年代といっても通じそうな、
約150人の小さな集落だった。
姉妹の家になった貴族の館は荒れ果てていた。「アナたち、来なくてよかったわね。見たら悲しんだわ」。
通訳の女性がつぶやく。19年前、アナとイサベルが飛びはねた家には今、誰もいない。鍵を預る老いた管理人
夫婦も滅多に足を踏み入れないようだった。持ち主の侯爵はすでに亡く、財産を相続したその娘にとって、
こんな片田舎の別荘など何の価値もないものとみえる。
「撮影の時、ここに休憩用のバル(バー)が作られた」。玄関を入ってすぐ左側の一室を指して、案内役の村長がいった。
今は物置がわりか、段ボールやゴミがごろごろ。そうか、これが<<コカ・コーラの部屋>>だ。マドリードで、
アナはこう言ったのだ。「その部屋で、必ずコカ・コーラをもらえるのが、いちばんの楽しみだったわ」。
映画とともに自分に目覚め始めたアナは、6歳にして、コカ・コーラにも目覚めたのだ!
2階に上がる。父親の書斎・・・・・・各部屋の壁には、古い絵が無造作にかかったままだ。その中に、羽根ペンを持つ聖者
の絵があった。映画の中で書斎の壁を飾っていた、あの絵に間違いない。時間が停まった−アナが父親のタイプライター
を打っている。その音が、ほこりでくすんだ部屋に今も響いていた。イサベルの悲鳴。駆けつけるアナ。姉が床に横たわっている。
死んでるの?
19年後のイサベルは言っていた。「死、なんてわかってなかったしね。『息をとめて』『まぶたを動かさないで』って
いわれた通りやっただけ」。アナは言う。「死んだまね、というのは分っていたような気がするんだけど。でも、一度離れて
戻った時、イサベルが消えていたのには、本当に驚いたわ」
中庭に出ると、塀の向こうに教会の屋根が見えた。その風景に、夕暮れに焚き火を飛び越える子供たちの姿が重なった。
飛ぶイサベルを、焚き火を、アナは一人離れてじっと見つめていた。エリセ監督が初めて会ったアナ・トレントも、
あれと同じ表情をしていたのではなかろうか。「その少女は小学校の校庭で一人、みんなから離れ、砂と遊んでいたのです」。
それが、初の長編映画に挑む映画作家と少女の奇跡的な出会いの始まりだった。中庭には、いつのものとも分らない
焚き火の跡が一つ残っている。
映画の中でアナたちが学んだ教室。
怪物と出会う水辺、学校、巡回映画の公民館、キノコを探した林・・・・・・。「昨夜、テレビでアナを見たわ」。同級生役の
パウラ・ルビオ嬢は村で26歳を迎えていた。
ひと月後、「ABC」日曜版は再びアナをとりあげた。「幼い時のあのハードな視線は好き。でも、目のことだけ言われるのは
少々うんざり」。自らの幻影との決別?いや、幻影を奉っているのは当方だけなのかもしれない。
「いちばん素晴らしいのはマリリン・モンロー」。女優アナ・トレントはそう言い放っている。Chanter Cine2『ミツバチのささやき/エル・スール』パンフレットより |